「人を片寄り見ることは良くない」(箴言28:21)
偏見とは「十分な根拠もなしに他人を悪くみること」とあります。
十分な根拠とは、キリストを信じる者にとっては「福音」であり、
ある人にとっては「受け継がれてきた文化」であり、また「世の中の常識」です。
それは価値観、評価の基準であり、「十分な根拠」と成り得るものはそこにあります。
根拠となるものが異なれば、そこから生まれる判断は、
基準を異にする人から偏見と受け止められても仕方がないのかも知れません。
相手の偏見を主張するのであれば、相手にとってはこちら側に偏見があるわけです。
たとえ「相手を裁く気持ちはない」と主張しても、
自分との違いを受け入れないのであれば、そこには偏見が生まれます。
自分に偏見があることを認め、受け入れることが必要かもしれません。