モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

主を愛し

2020-09-25 05:51:20 | 旧約聖書
「主を愛し…その諭しと、定めと、掟と、戒めとを守らなければならない」申命11:1

ある人を愛し、尊敬し、師事するなら、
その人の教えに耳を傾け、聞き従おうとするのではないでしょうか。

わたしたちがイエス・キリストの教えを学び、研究し、
聞き従おうとするのは、それと同じ動機です。

主の教えが正しいものであり、善に導き、
心に平安と喜びをもたらしてくれるものであることを心に感じるなら、
主に対する愛と、聞き従いたい気持ちはさらに増し加えられることでしょう。

イエス・キリストへの信仰はそのようにして増し加えられます。
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主に仕える

2020-09-24 05:32:21 | 旧約聖書
「主に仕え…主の命令と定めとを守って、幸いを得る」申命10:13

福音の教えは人が「幸を得る」ために役立つものです。
聖書の教えが世界中で多くの人に役立てられてきたのはそのためです。

聖書を読んだことも手にしたこともなくても、
その教えは言い伝えとして多くの人々に愛され、役立てられています。
それこそが主の教えが人の幸福のために役立つという証ではないでしょうか。

主の教えが幸いを得るために役立つものであっても、
残念ながら「主に仕え」ようとする人”は少ないようです。

主に仕えることによって得られる幸いは、
霊的なものであって、目に見ることができないからでしょうか。
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主を忘れる

2020-09-22 06:19:00 | 旧約聖書
「食べて飽き…金銀が増し、持ち物がみな増し加わるとき…主を忘れる」申命8:12~

わたしには、この世的な才能や力、金銭、名誉などに恵まれた人を羨む気持ちがあります。
同時に、それらのものが自分に無いことを感謝しています。
それらのものがあれば、わたしは改宗しなかったと思えるからです。

わたしは楽しいことが好きで、悲しみや苦難、試練は避けて通りたいと願っています。
しかしこれまでの人生を振り返ると、明らかに後者が今の自分に影響を与えています。
それなら悲しみや苦難、試練に感謝すべきなのでしょうか。

気持ちが沈むときには、深く考え、主を思い出すことができるのに、
心が浮かれている時には、思いは浅く、主を忘れてしまいます。

自分の中でこの世のものを求める気持ちと、霊的なものを求める思いは拮抗しています。
だから”この世のものに恵まれると「主を忘れる」”ことになるのでしょう。
非常い危ういところに自分がいることを感じています。
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訓練

2020-09-19 06:32:17 | 旧約聖書
「人がその子を訓練するように…主もあなたを訓練される」申命8:5

”主に願い求めれば、まるで魔法のように、求めるものがポンと与えられる”
と誤解されていることがあります。

主はほとんどの場合、わたしたちの願いを聞き届けるために、
求めるものを手に入れるための手段、方法を教え、導きを与えます。

わたしたちは自分の願いをかなえるために主の教えに従い、
自らの努力でそれを得るように求められます。

主を信じる信仰を求めるなら、信仰を得られるように訓練が与えられ、
幸福になりたいと望むなら、幸福を得るための訓練が与えられます。

それは親が子供の成長を見ながら、”できることは自分でやらせよう”と考え、
チャレンジさせ、陰ながらに応援し、手助けするのと、よく似ています。

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主の言葉を聞く

2020-09-18 06:06:38 | 旧約聖書
「人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」申命8:3

この世に存在するすべてのものは
主の言葉の力によって創造されました。

それを信じるなら、身の周りにあるすべてのもの、
自分の存在と人生、日々の生活にも、主の御手を見ることができます。

「主の言葉を聞く」とは、この世の全てが主によって創造されたことを認め、
それらのものから主の意図とその目的を見て取ることです。

そうすれば主の愛を知ることができます。
主の創造の業を理解することの重要性はそこにあります。
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