モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

正義と愛

2019-07-27 04:47:10 | 福音について
「憐れみは正義に打ち勝ち」(アルマ34:15)

信仰を持たなければならない、教会に行かなければならない、祈らなければならない、
知恵の言葉を守らなければならない、人を愛さなければならない…
「〇〇なければならない」という言葉に窮屈さを感じることがあります。

「正しい者はその正義によって救われ」(箴言11:6)
不義がなく正しい人であるなら、それでいいのでしょうが、
「自分は正しい者であるのか」と不安になる時があります。

「神の正義も悪人を義人から隔てており」(1ニーファイ15:30)
「自分は神の前に正しいのか」と自信が揺らぐとき、正義は窮屈になります。
神の愛を見失うなら、自分の居場所が失われたように感じるのです。

子どもが過ちを犯しても親の愛が変わらないように、神の愛が正義に勝ることを信じています。
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2019-07-26 05:55:08 | 福音について
「すべて神から生まれた者は罪を犯さない」(1ヨハネ3;9)

罪とは神から離れることです。
アブラハムは神から命じられてイサクを生贄に捧げることを行い、
この行為によって神に認められました。(創世記22章)

ニーファイは神から命じられてラバンを殺しました。(1ニーファイ4章)
イスラエルの民は神から命じられて多くの戦争をしました。(ヨシュア記)
これらが神から命じられたものでなければ、御霊を失い、神から離れる行為であり、罪でしょう。

行いそのもので罪であるか否かを判断することはできないようです。
神から命じられたとしても、わたしには行えないし、そのような行いに耐えることはできません。
そのような行いは自分にとって御霊を失い、神から離れる原因になると思えるからです。

御霊を失い、神から離れる行為が罪であり、本人は自覚しているはずです。
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心と思い

2019-07-25 05:31:44 | 福音について
「人の心と思いを見られる万軍の主よ」(エレミヤ20:12)

「心」と「思い」の違いは何でしょうか。
心とは人間の理性、知識、感情、意志などの働きのもとになるもの、
思いとはある物事について考えを持つこと、とあります。

「Heart」が心と心臓を表し、心臓が「心の臓器」と言われるように、
心は胸の奥にあるように感じます。
思いとは頭の中、つまり脳で考えることのようです。

「聖霊によって…あなたの思いとあなたの心に告げよう」(教義と聖約8:2)
思いに告げられる啓示と、心に告げられる啓示は違うものでしょうか。
思いと心の働きが違うものであれば、その意味も目的も違うはずです。

「心と思い」それぞれ別に振り返ってみると面白いかも知れません。
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貢献

2019-07-24 09:24:51 | 今日の一言
社会は善良さを求めるが
それ以上に貢献を求める



善良さよりも貢献度を求めるのがビジネス社会であり、
公然とは言われなくても、誰もが認めている事実です。

真面目で善良である方が人には喜ばれます。
しかしビジネス面での貢献がなければ会社は成り立たないからです。

両親には善良さだけでなく、子どもを導くことが求められます。
教会でさえも、管理者にはリーダーとしての貢献が求められます。

真面目で善良なだけで愛があるとは認められません。
愛には「導き手として貢献する」ことも含まれるのです。
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福音を伝える

2019-07-24 05:42:50 | 福音について
「あなたがたは世の光である」(マタイ5:14)

幼い子どもの喜ぶ姿に「心に溢れる幸せ」を見ることができます。
そのような姿に、こちらも幸せになり、うらやましくもなり、
共に喜びたい、同じような心を持ちたいとも思います。

わたしたちはそのような喜びを福音から得ているでしょうか。
そのような喜びが光のように溢れ、周りを照らしているでしょうか。
「喜んで見せる」のではなく、幼い子どものような「心に溢れる幸せ」です。

「言葉によって説明する福音」にどれだけの力があるでしょうか。
「心から溢れる福音の喜び」にどれだけの力があるでしょうか。
福音の真の姿を伝えるためにどちらが力があるでしょうか。

「あなたがたの光を人々の前に輝かし…人々が…父を崇めるようにしなさい」(マタイ5:16)
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