「もし今死ぬように召されたとして、心の中で自分は十分にへりくだっているといえるであろうか」
( 謙遜に受け入れ従う コッホ長老)
‟へりくだる”とは、相手を敬って自分を控えめにする、
謙遜する、卑下するという意味だそうです。
主の前に立つとき、
おそらくそのような思いは必要ないと思います。
「高慢なままでいいのですか?」ってですか。
いえ、高慢でいられないと思います。
主がどうのような方で、
わたしのために何をしたのか、
どれほどの愛があるのかを知れば、
どのような気持ちがあるでしょう。
主を知るとはそういうことだと思います。