モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

総大会 1月31日

2024-01-31 05:55:57 | 総大会

「もし今死ぬように召されたとして、心の中で自分は十分にへりくだっているといえるであろうか」
( 謙遜に受け入れ従う コッホ長老)

‟へりくだる”とは、相手を敬って自分を控えめにする、
謙遜する、卑下するという意味だそうです。

主の前に立つとき、
おそらくそのような思いは必要ないと思います。
「高慢なままでいいのですか?」ってですか。
いえ、高慢でいられないと思います。

主がどうのような方で、
わたしのために何をしたのか、
どれほどの愛があるのかを知れば、
どのような気持ちがあるでしょう。

主を知るとはそういうことだと思います。
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総大会 1月30日

2024-01-30 06:01:18 | 総大会
「何に感謝しますか?」

変なヤツと思われそうですが…

サタンの誘惑があることに感謝しています。
それを感じるときに祈りを思い起こします。

小心者であることに感謝します。
心配と不安があるので、いつも祈っています。

不器用さにも感謝しています。
上手くいかないので悩み、悩むので祈ります。

それらがなかったなら、
高慢なわたしは主を忘れてしまいそうです。
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総大会 1月29日

2024-01-29 06:03:38 | 総大会
「福音は人を幸せにしますか?」

「人を赦しましょう」
その言葉を聞いて喜ぶのは
その教えに従うことのできている人です。
赦すために努力しているなら、
きっと励まされることでしょう。

赦せない相手がいたとしたらどうでしょう。
責められているように感じるかもしれません。
その言葉は心を突き刺し、
痛みさえ覚えるかもしれません。
耳を塞ぎたくなるでしょうね。
幸せを感じられるでしょうか。

「罪のある者は真理が胸の底まで刺し貫くので、真理を厳しいと思う」1ニーファイ16:2
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総大会 1月28日

2024-01-28 06:56:17 | 総大会
「毎日やってくる新しい朝は神からの贈り物です」
(幸せの鍵 サビン長老)

安息日の朝です。
いつもより少し寝坊をして、のんびりしています。

福音を受け入れると、毎日やってくる朝に
変化が起きるのでしょうか。
相変わらず眠いし、体はだるいし、
朝そのものはあまり変わらない気がします。

変わったところがあるとすればひとつだけです。
目が覚めると祈ります。
「天のお父さま・・・」
いつの間にか無意識の習慣になってしまいました。
そして感謝します。
宣教師からそう教えられたからです。
それも無意識の習慣になりました。

そんなことを数十年続けています。
習慣とは恐ろしいもので、
その感謝はいつの間にか正直な心になっていました。

嫌な気持ちで始める一日と、
感謝で始まる一日に違いはあるのでしょうか。
わたしは違いを感じます。
そのことにも感謝しています。

「朝一番になすべき…は…感謝の祈りを捧げること…です」
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総大会 1月27日

2024-01-27 06:00:40 | 総大会
「5、感謝するほど幸せなことはない」
(幸せの鍵 サビン長老)

一日の終わりに感謝があるなら、
よい一日でした。
過去を振る変えるとき感謝があるなら、
よい人生でした。
誰かのことを思い起こすとき感謝があるなら、
そこには愛があります。

幸せとはそういうものではないのでしょうか。

「祝福に感謝しないと不満が生じます…感謝が生み出す喜びや幸福を失ってしまう恐れがあります」
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