モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

教義

2020-11-22 08:03:19 | 教義と聖約
「教義を確実に知るために、わたしの言葉…岩…を得るまで…待ちなさい」教義と聖約11:16

主の教義を理解するためには‟証”を得る必要があります。
人は証を得ると、その証を強めるために熱心に努力するようになります。

祈りに証を持つなら、常に、熱心に、真心から祈るようになります。
なぜなら、祈るとき、その心は神の前に立っているからです。
祈りに証を持つ人が、いい加減な祈りをするなどできるはずがありません。

モルモン書に証があるなら、モルモン書を熱心に研究するでしょう。
安息日に証があるなら、安息日を心から喜び、どのように過ごすべきか考えるはずです。
御霊に証があるなら、常に御霊に従うことを願い、それを喜びとなるでしょう。
その思いと行い、努力は証を強めます。

そのような願いと望み、努力に応えて主はその教えを与え、
その人は主の教義を理解するに至ることができます。
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召し

2020-11-21 05:39:50 | 教義と聖約
「召しを受けるまで、教えを説くために召されたと思うには及ばない」教義と聖約11:15

「誰でも鎌を入れて刈り取ろうとする者は、神から召されている」教義と聖約14:4
この召しは‟自らの望み”に応じて与えられるようです。
それは教会からの任命ではなく、‟御霊から直接に下されるもの”と理解しています。

その時、その瞬間に語るべき言葉が与えられることがあります。
自分の口から出た教えの言葉に驚いた経験はないでしょうか。
ある人は「自分の中にこんな考えがあったのだろうか」と感じたそうです。

御霊からの召しに気づかないままに、いつの間にか自ら行動しており、
後になって振り返ったときに気付くことはよくあります。
御霊からの召しはそのようなもののようです。
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願い

2020-11-20 05:39:26 | 教義と聖約
「信仰をもって…願うことで、義に関わることは…すべて知るであろう」教義と聖約11:14

心に信仰による願いがある時点で、その人は御霊を受けています。
御霊によって求めるものは、何であろうと与えられます。
それを求めることが、主の御心だからです。

「求めよ、そうすれば与えられるであろう」マタイ7:7
求めるものが義にかなっているなら、そこには御霊があり、
御霊は「あなたにはそれを受ける資格があるので、祈り求めなさい」と言っているのです。

日々、御霊を受け、それに従って生活しているなら、
そのような促しは‟露が下りる”ように、その人の心に潤いを与えるものとなるでしょう。
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御霊

2020-11-19 05:46:36 | 教義と聖約
「御霊はあなたの思いを照らし、あなたの霊に喜びを満たす」教義と聖約11:13

御霊は主の御心を知らせ、福音の教義を教え、
悔い改めるべきことと、悔い改めるために為すべきことを明らかにします。

主に従い、悔い改めたいという望みがあるなら、それは心に喜びをもたらします。
しかし悔い改めを拒む心があるなら、それは聞き苦しいものとなるでしょう。

御霊を受け入れ、従うなら、その望みはさらに強められ、喜びも大きくなります。
御霊を拒むなら、思いは暗くなり、道は見失われ、喜びは薄れて行くでしょう。

このようにして、主のもとに行く人と、
主から離れて行く人の違いは大きくなって行くようです
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御霊

2020-11-18 08:01:24 | 教義と聖約
「善を行(い)…公正に…へりくだ(る)…ように導く御霊を信頼しなさい」教義と聖約11:12

御霊を信頼することは、時々難しいものです。
心に感じていることが‟御霊によるものであるのか否か”がはっきりしないからです。
迷っている間に時が過ぎ去って… ということも少なくありません。

個人的には、心に感じた思いが善いものであり、
危険や大きな決心を伴うものでなければ、従ってみればよいと思います。

「すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ」マタイ7:17
その結果によってそれが御霊であることが分かれば祝福となるでしょう。

試しとしてそれを繰り返すうちに、
御霊の促しを見分けることができるようになると思います。
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