モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

総大会より 11月30日

2024-11-30 06:09:04 | 総大会
「自分の思いを神に従わせることは、個人が神に捧げられる唯一の所有物です」
(御父を信頼する ホーマー長老)

どうすれば「自分の思いを神に従わせる」ことができるのでしょうか。
・戒めを守る
・教えに従う
・主であればどうするか考える

そうですね、理屈的には理解できるし、良い方法だと思います。
でも、実際に行うのは簡単ではありません。
それってわたしだけでしょうか。

できる人には問題ないのでしょうが、わたしのような者はどうすればいいのでしょうか。

そんなわたしにできることは感謝くらいです。
最初は小さなものでした。
・福音に出会えたこと
・新しい友ができたこと
(教会の人たちのことです)
・心の向きが少し変わった気がすること

少し感謝できるようになると、もう少し主に従ってみたいと思いました。
わたしに捧げられるものは感謝です。
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総大会より 11月29日

2024-11-29 06:09:30 | 総大会
「自分の信仰について疑いを持つ前に、その疑いを疑ってみるよう心からお願いします」
(御父を信頼する ホーマー長老)

自分の信仰を疑ったことのない人ってあるのでしょうか。
わたしは何度も疑いました。

モロナイの約束は納得できるまで何回も試しました。
「あの時は確かに答えを受けたと思いました。
でも、また心に疑いがあります。
今もう一度、確信が必要なのです。」

百回までは行ってないと思いますけど、「いい加減にしなさい!」と言われたことは一度もありません。

最近は疑いに襲われることがなくなりました。
でも、もしかするとまた疑いが訪れるかもしれません。
そうしたら、もちろん同じように祈り求めます。

それは主の御心に叶うことだと思いますか?
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総大会より 11月28日

2024-11-28 06:10:34 | 総大会
「なぜ彼らは立ち去ったのでしょうか。イエスの言われたことが気に入らなかったからです。」
(御父を信頼する ホーマー長老)

福音の中で“気に入らない教え”があります。
「敵を愛し」マタイ5:44
いやいや、愛せないから敵でしょ。
他にもあります。
理想論すぎてついていけません。
そんな教えを「素晴らしい!」なんて喜ぶ気持ちが分からない…なんて思ってしまいます。

普通ならそう考えるのではないでしょうか。
わたしは普通の人間です。

「それなら、どうして立ち去らないのか?」と言われるのでしょうか。

子供の頃「ウソつきは泥棒の始まり」と教えられました。
成長すると今度は「ウソも方便」と教えられました。
どっちが本当なの?
…なんて、誰もまともに取り合ってくれないでしょうね w

文字通りに鵜吞みするのではなく、その真意(教えの目的)を知る必要があるようです。

「ブリガム・ヤングが最も恐れていたことは,教会員がまず祈って自分自身で同じ証を得る前に,彼の言葉を神の思いと望みであると思い込むことであったと言われています」ペリー長老 2003年10月
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11月27日

2024-11-27 06:22:17 | 総大会
「どうすれば“主と個人的な約束を交わす”ことができますか?」

「教会に集い聖餐を受ければ、モルモン書を読めば、神殿に参入すれば、祝福がある」と聞くことがあります。
否定するつもりはありません。
満足を得られるなら、それもいいのではないでしょうか。

聖餐に備えるために祈ります。
「わたしは御霊を受けたいのです。
そのために何をすればいいですか?」

祈りをもってモルモン書を読みます。
「もっと主のことを知り、もっと従えるようになりたいのです」

神殿の参入に備えます。
「わたしに求められていることは何ですか?」

答えが与えたなら、それが“主と交わす個人的な約束”です。
その約束を果たせば、約束されたものが与えられます。

主と個人的に約束を交わすことなく、ただ形式的に行っているだけだとしたら、何か受けられるものがあるのでしょうか。
わたしには分かりません。

「わたしたちが主の王国において捧げる奉仕…を、義務と捉えるのであればその価値は小さなものになってしまいます。
しかし、…才能や…時間などを神の聖壇に捧げるものとして捉えるなら、わたしたちが払う犠牲は、主にあって個人的かつ献身的なものとなるでしょう。」ファウスト長老 2001年4月
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11月26日

2024-11-26 06:28:36 | 総大会
「“個人的に主と交わす約束”とは何ですか?」

モロナイの約束はすべての人に与えられた約束です。

わたしはモロナイの約束を試すとき、いつもこのように祈ります。
「応えてもらえるなら、主に従うと約束します」
こちらは“個人的に主と交わす約束”です。

それがモロナイの約束が果たされるための条件であるかどうかは分かりません。
ただ、御霊がそのように囁くのでそれに従います。

以前は、いつも朝六時に起きていました。
ある日、「もう三十分、早く起きなさい」と御霊から言われました。
それに従いました。
その時間を使ってSNSに投稿するようになりました。

数年すると、「もう三十分…」と言われました。
それが繰り返されてついに四時起きになり、いつからか瞑想の時間を持つようになりました。

“深く考える思いと理解力”が与えられるのはたまにですが、その祝福を喜んでいます。
それなのでこの約束を続けています。

これはわたしが“個人的に主と交わした約束”なので、他の人に当てはまるのかどうかわたしには分かりません。
でも多くの人がそれぞれに、そのような約束を主と交わしているのではないでしょうか。

ある人は重い病気になったとき、「この病気から回復できるなら人生を神に捧げます」と約束したそうです。
彼は生涯その約束を守ったと聞きました。
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