モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

総大会 5月31日

2024-05-31 05:46:08 | 総大会
「天からの証の光を受ける方法はたくさんあり…いずれも劇的ではないかもしれませんが、わたしたちの証を築いているのです」
(光の柱と一筋の光 デュシュク長老)

毎日モルモン書を読みます。
祈り、悔い改めます。
おそらく劇的な経験は期待できないでしょうね。

一日に0.01ミリ、成長するとしましょう。
誰も気づかないし、自分でも気づけないくらいでね。

十日で0.1ミリ
一年で3.65ミリ
十年で3.65センチ
それは霊的な成長です。

くだらないと思いますか。
それとも願い求めるものでしょうか。

一言つけ加えさせていただけるなら、時は永遠です。
「自分はもっと成長している」と言えるなら、素晴らしい祝福だと思います。
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総大会 5月30日

2024-05-30 06:09:11 | 総大会
「目を見張るようなことを期待していると、絶えず与えられている啓示を感知することができなくなります」
(光の柱と一筋の光 デュシュク長老)

たまに奇跡的な出来事を聞くことがあります。
神の業に驚き、興味を惹かれます。
霊が鼓舞され、信仰は強められます。
目に見える奇跡は分かり易くていいですね。

それに比べて、日々受けている霊的な経験は言葉にすることが難しく、表現できたとしても聞く人にとってはあまり面白くないかもしれません。
地味だからです。

「祈りました。
平安と御霊があって、胸の奥が温かくなりました。
祈りの内容については個人的なことなのでお話しできませんけど…」
毎回そんな証では聞く側は飽きてしまうかもしれません。
話す側も「こんな証じゃ誰も喜ばないだろうな」と思ってしまいそうです。

目を見張るような奇跡はもちろん良いものです。
でも個人にとって真に価値あるものは、日々に与えられる啓示ではないのでしょうか。
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総大会 5月29日

2024-05-29 05:48:50 | 総大会
「わたしたちにも切実に欲しているものがあり、霊的な混乱や世の闇からの解放を求めています」
(光の柱と一筋の光 デュシュク長老)

悔い改めるとき二度と同じあやまちを犯さないと決意します。
わたしが切実に求めているのは、その決意を保つことです。
「罪を捨てる」といったほうが分かり易いでしょうか。
それができないので、霊的混乱と世の闇から抜け出すことができずにいます。

「犬が帰って来てその吐いたものを食べるように、愚かな者はその愚かさを繰り返す」箴言26:11
悔い改めの祝福を失い、気持ちは落ち込みます。
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5月28日

2024-05-28 05:54:48 | 総大会
「イエス・キリストを着る」 その3

四十年前、宣教師と出会いました。
それまでに出会ったどのような人々とも違って見えました。
彼らのようになりたいと思いました。

真似てみました。
なんとなく、それらしくなったように感じました。
まるで学校の制服を着たときのようです。

すぐに物足りなく感じるようになりました。
上に羽織るだけでは面白くないのです。

今はどうでしょう。
やっぱり物足りなく感じています。

心と霊にイエス・キリストを着たいと願うようになりました。
そのような人を見て、素敵に感じたからです。
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5月27日

2024-05-27 05:50:59 | 総大会
「イエス・キリストを着る」 その2

ネルソン大管長や十二使徒…
彼らはイエス・キリストを着た人たちだと思います。
皆それぞれに素敵に、オシャレに着こなしているように見えます。

面白いことに、デザインもスタイルも人それぞれに違っているように感じられます。
個性が見えていいですね。

「このようであるべき、こうでなければならない」と考えてしまうことがあります。
そのようなときは自分のデザイン、スタイルを人に押し付けているかもしれません。

「わたしは自分の教会を建てようとしているのではないか」
そう感じて恥じたことがあります。
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