モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

奇跡

2019-04-30 21:28:17 | 福音について
聖書に出てくる奇跡は、そのほとんどが目に見えるものです。
そのせいか、多くの人が目に見える奇跡を期待します。
しかし、キリストの奇跡のほとんどは人の内面に起こります。

キリストを信じる思い、悔い改めの思いは奇跡ではないでしょうか。
そのような思いが信仰となり、愛となり、行いとなり、
その結果として「キリストを否定できない」という奇跡が起こります。

このような奇跡は人の内面、心に生じるものであり、
周りの人の目には見えないものかも知れません。
しかし、それを経験した人にとっては紛れもない奇跡です。

人の内面に起きた奇跡は、思いを変え、行いを変え、生活を変えます。
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疑念と疑問

2019-04-29 21:27:58 | 福音について
疑念とは疑いの心です。
疑念を持つと、疑いの根拠を探すようになります。
過ちを証明しようとするのです。

疑問とは「なぜ?、どうして?」と問いかけることです。
疑問を持つと、深く考えるようになります。
納得できる答えを見つけようとするのです。

疑念と疑問は「似て非なるもの」といえます。

イエス・キリストに対して疑念を持つ人は、
教会やその教え、或いはそれを信じる人々の過ちを追求します。
それが正しいことだと信じるからです。

イエス・キリストを信じたいと望む人は、
その教えに対して感じる疑問について深く考え、追求します。
その答えを見つける毎に、信念が深まってゆきます。


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リアリティ

2019-04-28 18:41:59 | 福音について
福音を聞いてもリアリティを感じられない人は、
イエス・キリストを信じることができません。
そのような人は、キリストの福音を愚かな言い伝えと捉えます。

イエス・キリストを信じる人は、福音にリアリティを感じます。
主にもっと近づきたい、主のようになりたいと望みます。
その望みがあるので、主に従おうとするのです。

福音を信じ、望みをもって、従う人は、それが真実であると分かります。
リアリティを感じられない人は、福音に望みを持つことができません。
望みのない信仰はあり得ず、信仰なくして真実を知ることはできません。

「信じようとする望み」が「小さなリアリティ」をもたらしてくれます。
それは小さくて頼りないものかもしれませんが、信仰の種と呼ばれます。
育てる意思さえあれば、芽を出し、成長し、実を結ぶにまでなります。

このことにリアリティを感じる人にしか期待することはできませんが。
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復活

2019-04-24 16:48:34 | 福音について
命のあるものには、いつか死が訪れます。
死がこの世での生活の終わりであることは誰もが認めることですが、
死の後には何があるのでしょうか。

人はイエス・キリストと同様、死後に復活します。
復活すると「血液ではなく、御霊によって生きる」といわれます。
血液で生きるとは肉体の命、御霊によって生きるとは霊の命のことです。

復活に備える、つまり御霊によって生きるために、福音の教えと戒め、教会が与えられました。
この世において御霊によって生きた人は、復活後も御霊によって生きるのです。
復活とは、この世にあったそのままの状態に回復することだからです。

あらゆる戒めと教えを復活と関連付けることは、正しい理解を得る助けになります。
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やる気

2019-04-24 11:15:23 | 今日の一言
できない人は助けることもできるが、
やる気のない人に対しては、
助けようとする気力さえ起きない。



頑張って努力している人であれば、励まし、助けることも喜べるものです。

やる気のない人は、どのように励まし、助けることができるのか、
戸惑いを感じるほどに難しいものです。
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