モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

総大会 11月30日

2023-11-30 05:58:16 | 総大会
「形だけ行っているだけでは不十分です」
(栄光の王国 オークス管長)

こんなジョークをご存知でしょうか。

ある安息日、プライマリーのクラスでのことです。
先生が優しく言いました。
「敬虔にしましょう」
子どもたちは目を閉じて、頭を垂れ、胸の前に腕を組みます。
何人かがクスクスと笑いました。
すぐさま言葉が飛んできます。
「ケイケンでしょ!」

「形だけ行っているだけでは不十分です」
さて、この教えは誰のため?
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総大会 11月29日

2023-11-29 05:55:52 | 総大会
「イエス・キリストの福音は何かになるように求めます」
(栄光の王国 オークス管長)

数年前、当時の伝道部長と二人で語り合う機会がありました。
彼は言いました。
「‟する”ではなく、‟なる”になってください」

伝道するではなく、普段の行いが伝道になる
主に従って生きるではなく、その生き様が主に従ったものになる
という意味です。

「わたしに従ってきなさい」のテキストの表紙にこんな言葉があります。
「イエス・キリストの福音に従って生活し、学び、教える」

彼と語り合って以来、その言葉を書き換えます。
「生活がイエス・キリストに従ったものになるなら、学びとなり、教えとなる」

「最後の裁きとは…自分の行いと思いがもたらす最終的な結果、つまり自分がどのような人間になったかによるものなのです」
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総大会 11月28日

2023-11-28 06:01:18 | 総大会
「どうすれば御霊に頼ることができますか?」

「祈りの答えが分からない」
そんな相談をもらい、一緒に祈ってみたことがあります。
祈っている途中、窓の外から声が聞こえました。
「おかぁさ~ん」

祈り終えた後、尋ねました。
「外で小さな女の子の声がしたでしょ」
 「ぇ? 祈りに集中していたので聞こえなかった」
祈りに集中しようとするあまり、
耳を閉じてしまっていたのかもしれません。

夜寝るとき、とても静かです。
(田舎ですので)
耳を澄ませると、色々な音が聞こえてきます。
時を刻む時計の音、風の音、遠くに聞こえる車の走る音…
心臓の鼓動も聞こえるほど静かです。

時計の音に集中すると他の音が消えてなくなります。
心臓の鼓動に集中すると他が聞こえなくなります。

御霊の声を聞こうとするとき、
先ずはすべてを受け入れるくらいに心を開いて、
耳を澄ませる必要があるかもしれません。
聞こえてきたそのとき、その声に集中すればいいのです。

ごめんなさい。
そのくらいにしか説明することができません。
言葉にするのは難しいですね。

単純に‟良心に従う”でいいのでしょうか。
よい提案があれば教えてください。
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総大会 11月27日

2023-11-27 06:05:19 | 総大会
「あなたは神はただ一人であると信じているのか…悪霊どもでさえ信じておののいている」ヤコブ2:19

「キリストを信じています」
それは良いことです。

ところで、‟信じる”とはどういう意味でしょうか。
言葉は同じでも、その行いは人それぞれ違いがあるようです。

サタンと彼に従う霊は忘却の幕を通っていないので、
前世での出来事を覚えているのだそうです。
そこでの出来事を知った上で、
神の業に逆らって人々を悪へ誘います。

「主を信じている」と言いながら、
従うことはしない人もあります。
必要ないと感じているようです。

その生き様によって主への信仰を示す人もあります。
御霊に頼るならおそらくこう祈ります。
「神様、罪人のわたしをおゆるしください」ルカ18:13
その祈りは悔い改めに続くことでしょう。

どうしてこのような違いが生じるのでしょうか。
おそらく‟従うものの違い”ではないかと感じています。

悪霊はサタンに従います。
人の教えに従う人もあれば、御霊に頼り従う人もあります。

そうは思いませんか?
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総大会 11月26日

2023-11-26 06:19:27 | 総大会
「わたしは御霊の声に従い、ラバンの…首を打ち落とし」1ニーファイ4:18~
(少し長くなります)

「殺してはならない」出エジプト記20:13
ニーファイがこの戒めに背いたことに
疑問を持つ人は多いようです。

罪とは何でしょうか。
「戒めに背く行いです」
そうですね。
なぜ戒めに背いてはいけないのでしょうか。
「神の命令だからです」
そのとおりだと思います。

それでは、神がラバンを殺すようにと
命じたならどうしましょうか?
ニーファイは御霊の命令に従いました。
それは神の命令でした。
もしもモルモン書を信じているなら、
そのことも信じていると思います。

最初の質問に戻りたいと思います。
罪とは何でしょうか。
「神に背くことです」
そうですね。
なぜ神に背いてはいけないのでしょうか。
「神は人を正しい道に導くからです」
そのとおりです。

ニーファイはラバンを殺すことで神に背いたのでしょうか。
いえ、神の命令に従いました。
つまり彼は神に対して罪を犯してはいません。

「もしあなたが御霊に導かれるなら、律法の下にはいない」ガラテヤ5:18

さて、ここまでは人の教えです。
ある人は「なるほど」と思うかもしれません。
またある人には反論があるかもしれません。
あるいは、混乱が生じているかも。

人の教えに頼るなら、そこで終わるかもしれません。
ある人にはさらなる疑問が生じるかもしれません。
「それじゃぁ、戒めは何のためにあるのだろう?」
「神に従えば何を行っても罪にならないのだろうか?」

御霊に頼る心があるなら、それはキリストのすべての教えが
完全に一致したひとつの体系となるまで続くようです。
おそらく永遠です。
そこにはきっと知識以上のものがある…と思いませんか。
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