モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

恥じる心

2020-06-29 06:12:27 | モルモン書
「彼らは…恥じるかのように周りを見渡した」1ニーファイ8:25

不意に失敗をしてしまったとき、
つい周りを見渡して”誰も気づいていない”と分かると胸を撫でおろします。

人はなぜ恥じるのでしょうか、何を恥じるのでしょうか。
自分の行いに自信が持てないために人から嘲笑されることを怖れているのかも知れません。

福音を受け入れた後にそのような気持ちがあったことを覚えています。
正しい選びをしたと信じているつもりなのに、それでも人の目を気にしているのです。

「嘲り笑われたので恥ずかしく思い…姿が見えなくなってしまった」1ニーファイ8:28
もしも多くの人から面と向かって嘲笑されたら、信仰を続けることができたでしょうか。

思い返してみるとき、正直なところ自信がありません。
バプテスマを受ける時には迷いはなかった…はずなのですが、それでもです。

今はどうでしょうか。
正直なところ、あざける笑われるよりは無関心でいてくれた方が助かります。
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暗黒の霧

2020-06-28 06:55:48 | モルモン書
「暗黒の霧が起こった…人々は道を見失い、迷って…しまった」1ニーファイ8:23

「暗黒の霧」とは御霊の光を遮り、霊的な暗闇をもたらすものです。
御霊の光を失うと導きと進むべき方向を見失い迷うことになります。

霊的な暗闇を感じるのは御霊の光に頼って生きている人だけかもしれません。
御霊の光に頼ることをしない人には、それが失われたとしても認識できないようです。

「わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」マタイ27:46
常に御霊と共にあったイエスは御霊が去ったときに「見捨てられた」と感じたようです。

御霊によって得られるものは御霊の光を失うときにともに失われてしまいます。
御霊によって受けた事柄は覚えていても、それに対する思い入れ、気力が失われるようです。
その気持ち、”気力”こそが御霊によってもたらされる重要なものです。

その時には自分の中に蓄えてきた証に頼るしかありません。
この証こそが「十人の乙女のたとえ話」で語られた油です。
それは暗黒の霧が去るまでの間、信仰を保つ力となります。
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迷い

2020-06-27 06:16:43 | モルモン書
「彼らはどちらへ行ったらよいか迷って…いた」1ニーファイ8:14

誰でも心に迷いを感じることがあると思います。
わたしは「いつも迷っている」ようにさえ感じます。

なぜ迷うのでしょうか。
心がその向かう方向を見定めていないからです。

”一切の迷いが消え去る経験”をしたことがあります。
福音に出会い、イエス・キリストに従う決心をした時です。
これまでの人生の中で最も信仰の強かった時でした。

完全な信仰を得たときに心から迷いは消え去ります。
それが信仰の力であり、信仰のゆえにもたらされる御霊の力です。



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願い

2020-06-26 06:17:18 | モルモン書
「心は…喜びに満たされた、それで…家族にも食べてほしいと願い始めた」1ニーファイ8:12

願いの基には「心に喜びをもたらすもの」があるようです。
それを愛する人に伝えたいと望むのも、
共に喜び合うことで喜びが増し加えられるからです。

「二人はわたしの所に来てその実を食べようとはしなかった」1ニーファイ8:18
自分が喜んだことを、他の人も喜ぶとは限りません。
人それぞれ価値観に違いがあるからです。

それはときに不和を引き起こし、悩みと苦しみさえももたらします。
そのようなことが続くと「喜びを伝えること」を控えるようになり、
素直に喜ぶことができなくなることさえあります。

そのようなときには何ができるのでしょうか。
何もできずに忍耐のみが求められるとき、
「この願いは神の御心にかなわないものなのか」と疑ってしまうこともあります。
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人を幸せにするもの

2020-06-25 06:17:19 | モルモン書
「一本の木が見えたが、その実は人を幸せにする…ものであった」1ニーファイ8:10

「人を幸せにするもの」は何でしょうか。
すべての人はそれを求め、見出し、手に入れようとしていますが、
その前に”幸せとは何か”を知る必要があります。

豊かさを求めるのは、それが心を喜ばせてくれるからです。
友や愛する人を求めるのも、それが心を喜ばせてくれるからです。
誉れや財産、学びやゲーム、その他にも誰もが”心を喜ばせてくれるもの”を求めています。

それはその人の価値観となりますが、それは人それぞれに違っており、
その価値観を共有できる者同士が集まってグループができます。

教会もその一つですが、教会に集う人々が共有する価値観は何でしょうか。
わたしたちはそれが「人を幸せにするもの」であると信じていますが、
それはわたしたちの中で「喜びをもたらすもの」となっているでしょうか。
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