モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

総大会より 12月30日

2024-12-30 05:51:28 | 総大会
「現世にいる間、わたしたちはサタンの攻撃にさらされます」
(助ける用意ができておられる主の御手 ビラル長老)

主に近づこうとするとき、いつも…毎回、サタンの力を感じます。
彼はわたしの弱さをよく知っており、どこをどのように突けばいいのかも心得ているようです。
過去の出来事が心によみがえり自分の弱さ、愚かさを実感させられるのです。

その力を感じるとき、こう祈ります。
「まったく、そのとおりです。
わたしはこんな人間です。
ほんの少しも否定することはできません。
それなので主に頼ります。
どうぞ、御心のままに与えてください。」

「わたし…に一つの棘が与えられた。それは高慢にならないようにわたしを打つサタンの使なのである」2コリント12:7

高慢なわたしはきっと、サタンの力を感じなくなれば主を必要としなくなるでしょうね。
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総大会より 12月29日

2024-12-29 06:46:31 | 総大会
「主と結ばれているとき、わたしたちは生活の中で自然に主の光を映し出し、地の塩となることができます」
(イエス・キリストに結ばれて地の塩となる ティシェラ長老)

母が生前、料理を教えてくれました。
鍋の中に料理が出来上がりました。
「味見をしてごらん」
一口食べて「うん、おいしいよ」

「ここにね…」
母はそう言うと、親指と人差し指でほんの少しの塩をつまみ、料理に加えます。
「ほら、もう一回味見して」
もう一度味見しました。
「うん、さっきと味が違う、おいしくなってる」

理屈っぽいわたしは言いました。
「最初から塩を少し多めに入れればいいんでしょ」
母は応えて言います。
「そうじゃないんだよ、最後の一つまみが大切なのさ」

そんな塩の使い方を学びました。

会話をするとき、最後の一つまみを加えます。
「ありがとう」
その一言で、何かが少しだけ変わる気がします。
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総大会より 12月28日

2024-12-28 06:22:05 | 総大会
「目的をもってデジタル通信ツールを活用する」
(イエス・キリストに結ばれて地の塩となる ティシェラ長老)

インターネットに毎朝投稿します。
ブログの投稿は六年目になりました。
一日当たりの訪問数は大体100前後です。

つい先日、訪問数が600を越え、閲覧数は800ほどでした。
たまたまなのでしょうが、こんなこともあるんですねぇ。
少しプレッシャーですが、感謝です。
「継続は力なり」という言葉を思いました。

目的ですか?
バプテスマを受けたとき「神の証人になる」(モーサヤ18:9)と約束しましたから 。

(フェイスブックの閲覧数は表示されないので分かりません)
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総大会より 12月27日

2024-12-27 06:09:47 | 総大会
「奉仕は必ずしも都合の良いものではありませんが、常にやりがいがあります」
(イエス・キリストに結ばれて地の塩となる ティシェラ長老)

わたしは“やりがいを感じる”ときに行動します。
やりがいを感じなければやる気にさえなれません。
やる気になれないのはきっと信仰がないからです。

信仰のないとき、祈る気になれません。
モルモン書を読む気も失せます。
主を信じて従うなんてムダなことのように思えます。

祈りたい気持ちがあるとき、
モルモン書の言葉が心に染み入るとき、
主を心に思うとき、信仰があります。

やる気のあるとき、心に信仰を感じます。
そう思いませんか?
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総大会より 12月26日

2024-12-26 05:54:38 | 総大会
「福音の原則を生活や家庭に取り入れるために行う“一貫して意識的な努力”を通じて、家族を強めることができます」
(イエス・キリストに結ばれて地の塩となる ティシェラ長老)

わたしは家族も含めて、他の人に福音を強いるほどの信仰がありません。
自分が福音に従うだけで精一杯です。

それでも家族を強めることができるでしょうか。
わたしはそう感じています。

それ以上のことはできないし、それ以上のことは福音をゆがめてしまうような気がします。
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