モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

総大会より 1月30日

2025-01-30 05:57:30 | 総大会
「主の御心にかなう行いではなく、自分のしたいことを正当化することは目新しいことではありません」
(自分の思いを主の御心に添わせる ソアレス長老)

「世の中が自分の思い通りになれば幸せになれる」と考えていました。
他の人のことはどうでもよくて、自分さえよければと思っていたのです。

犯罪の根源にはそのような思いがあるそうです。
世界の歴史を見ると、実際にそんなこともあるみたいですね。

「自分のしたいこと」が「主の御心に従うこと」であるならどうでしょう。
“イエス・キリストを信じる”とはそういうことかもしれません。
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総大会より 1月29日

2025-01-29 06:48:07 | 総大会
「忘れられていると感じることがあるかもしれません」
(風は一度もやまなかった カバルカンテ長老)

とても難しい問題です。

ある人は「わたしはここにいます」とアピールします。
自分の存在に不安を感じているのでしょうか。
またある人は「誰にも気づかれないように」と願っているかのようにも見えます。
自分の存在に自信を持てないでいるようです。

色々なケースがありすぎて、すべてを挙げることはできそうにありませんが、たぶん共通していることがあります。
それは“信仰の問題”です。

わたし自身の経験ですが、主を感じることのできないとき、人の目が気になります。
「自分はどう思われているのだろうか?」

「忘れられている」とは、周りの愛を感じることのできない状態のようです。
心の中で愛が萎縮するとき、愛を感じることができなくなるのかもしれません。
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総大会より 1月28日

2025-01-28 06:11:11 | 総大会
「わたしたちの中で忘れられている忠実な兄弟姉妹がどれくらいいるだろうか」
(風は一度もやまなかった カバルカンテ長老)

奇妙に思われるかもしれませんが、あえて書いてみます。

「忘れられている忠実な兄弟姉妹」
それはもしかすると、長年教会に集い、何の問題もなく信仰生活を送っているかのように見える兄弟姉妹かもしれません。
誰にも優しく、親切で、責任感もあって、召しもそつなくこなし、定期的に神殿にも参入し…

「何の問題があるの?」と言われるかもしれませんね。
わたしには分かりません。
「この人は大丈夫だろう」と周りで見ている誰もが見ているかもしれません。
だから「忘れられている」かもしれないのです。

(意味不明に思える方はスルーしてください)
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総大会より 1月27日

2025-01-27 06:05:27 | 総大会
「導き、指示し、慰める、変わることのない聖霊の影響力がなければ、これから先、霊的に生き残ることはできなくなるでしょう」
(きよくなれ ゴーリー長老)

福音に出会う前、身体的な問題は何もありませんでした。
心(霊)についてはどうだったでしょう。

霊のことなど考えたこともありませんでしたが、心の内に「何かが欠けている」と感じていました。
それが何なのか、
何が不満なのか、
どうしてそのような気持ちを感じているのかさえも分かりませんでした。

友人に話しても「なんやそれ?」としか返って来ず、「まぁ、酒でも飲もうや」で終わりました。
もっとも、その気持ちをどのように表現すればよいのかも分からなかったのですが。
たぶん、それが普通だと思います。

「霊的に生きる」
多くの人にとって、意味は分からなくても、心に感じていることではないのでしょうか。
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総大会より 1月26日

2025-01-26 06:48:34 | 総大会
「あの…メッセージは…悔い改め…生活を変え…主に立ち返るよう強く勧めていたのです」
(きよくなれ ゴーリー長老)

「どうすれば、そのような勧めを感じることができます?」
わたしには分かりません。
ただ、その勧めを感じられる気持ちが神様からの賜物であることは確かだと思います。

「どうすれば…」と感じているなら、そのこと自体が賜物かもしれません。
多くの場合、その気持ちは時とともに過ぎ去って行きます。
ですから望むのであれば、その賜物(祝福)がもたらされている今、祈ってみてはどうでしょうか。

祈るときにその気持ちは強められ、どのように悔い改め、どのように生活を変え、どのように主に立ち返ればよいのか、導いてもらえるかもしれません。

「すぐに…」とは言いません。
主の定めた“とき”があるようです。
それでも祈り求めるなら、“そのときが来るまで保てるだけの信仰”は期待できそうです。

わたしはそう思いますけど、どうでしょう。
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