モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

目に見える奇跡

2020-09-30 06:05:58 | 新約聖書
「群衆は…癒され…たのを見て驚き…神を褒め称えた」マタイ15:31

目に見えない霊的な奇跡と、目に見えるこの世的な奇跡のどちらを喜ぶでしょうか。
正直なところ、目に見えるの方が分かりやすくて、喜ぶのも簡単だと思います。
そのために”霊的なものを理解”できなければ、目に見えるものを求めがちです。

モーセにイスラエルの民が従ったのは、
彼が群衆の前に多くの”目に見える驚くべき奇跡”を行ったからです。

しかし彼らは”目に見えない霊的な奇跡”を理解し、感じ取ることができませんでした。
モーセはそのことを非常に悩んでいたようです。
「主の民がみな預言者となり…その霊を彼らに与えられるのは願わしいことだ」民数11:29

目に見えない霊的な祝福と、目に見えるこの世的な祝福の、どちらにより価値を認めるでしょうか。
”より価値があると感じる方をより強く求める”のは当然のことだと思います。

この世的なものを求める気持ちが強ければ、霊的なものを感じにくくなりやすいようです。
霊的なものを求め続けるなら、それを感じ取る力は次第に増し加えられます。
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悪霊

2020-09-29 05:58:30 | 新約聖書
「悪霊に取りつかれて苦しんでいます」マタイ15:22

‟悪霊に取りつかれる”なんて、おとぎ話のように感じられる人もあるかもしれませんが、
いつの時代にもあることです。

母は教会員ではありませんが、先日「教会へ行ってみようかな」というので、
一緒に参加しました。(コロナの影響で聖餐式だけでしたけれど)

その日は楽しく過ごしたようで、「また行きたい」と言っていましたが、
翌日には「この年になって勉強する気にもなれないし…」と言い始めました。

これが悪霊の影響ですが、母にはそのことが分かりません。
さてこのようなときにどうするでしょうか。

人によって、時によって様々ですので、断言することはできませんが、
母の場合、もしも説得しようとするなら、悪霊の影響は強まることでしょう。
そうすると互いに苦しむことになります。

わたしの方法は、母の言葉をそのまま単純に受け入れて、
また母が御霊を受け入れて、教会に心を向けられるときを待つだけです。
これまでもそうでしたから。
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つまずき

2020-09-28 05:57:06 | 新約聖書
「御言葉を聞いてつまずいた」マタイ15:12

なぜ神の教え、善いものにつまずくのでしょうか。
その理由は「求めているものが別のところにあるから」のようです。

名誉であったり、地位であったり、富であったり…、
この世の宝を求める心は神の教えにつまずくのかも知れません。

天の宝を求めているなら、神の教えは「導きを与える光」となるはずです。
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言葉

2020-09-27 07:52:36 | 新約聖書
「口から出るものが人を汚す」マタイ15:11

怒りの言葉が口から出るとき、わたしたちの心には何があるでしょうか。
思いやりの言葉が出るとき、心には何があるでしょうか。

心にあるものをわたしたちの言葉は表すようです。
「あなたの内なる光が暗ければ、その暗さはどんなであろう」マタイ6:22

「口から出て行くものは心…から出てくる…悪い思い…は心…から出てくる」マタイ15:18~
同様に善い思いも心から出て、言葉に表れるようです。
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2020-09-27 07:51:08 | わたしに従って…
「総大会」と「わたしに従ってきなさい」の勉強会用資料を
はてなブログに移行しました。

リンクの張り方が分からない(できない?)ので
興味のある方は ↓ へどうぞ。

総大会
https://qxhmt.hatenablog.com/

わたしに従って来なさい
https://qxhmt.hatenadiary.com/
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