モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

総大会 8月31日

2023-08-31 06:26:29 | 総大会
「神の介在の中にもわたしたち自身が果たせる役割がある」
(四日目の後に バセット長老)

「わたしに何ができますか?」
祈りを理解しているなら尋ねます。

「あなたはこれを行いなさい」
真剣に祈り求めるなら告げられるはずです。

祈り求めるだけで何も行わないとしたら
そこに真心はありません。

‟「愛している」と言いながら
何ひとつ愛を示そうとしない”ようなものです。
そんな愛を信じることができるでしょうか。

行いのない祈りに信仰はありません。
「あぁ、愚かな人よ、行いの伴わない信仰のむなしいことを知りたいのか」ヤコブ2:20

そう思いませんか?
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総大会 8月30日

2023-08-30 05:40:07 | 総大会
「試練の中でキリストが遅すぎる…と感じ…ることがあるかもしれません」
(四日目の後に バセット長老)

楽しいときの一時間はあっという間に過ぎて行きます。
苦しみの中の一分間は永遠にも思えます。
時間の流れは同じなのに、不思議ですよね。

「どうして助けてもらえないのですか」
苦しみの中で祈ったことがあります。

「わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」マタイ27:46
十字架の上でイエスは叫びました。

それは彼にとって必要な経験だったのだそうです。
わたしにとってもそうであったようです。
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総大会 8月29日

2023-08-29 05:51:32 | 総大会
「四日目にその希望はなくなります」
(四日目の後に バセット長老)

一日目:よし、やるぞ!
二日目:決めたんだから頑張るか
三日目:仕方ない
四日目:やる気が失せてきた

こんなことってありませんか。
どうして希望はすぐに失せて行くのでしょうか。

「○○したい」から始まったはずです。
それがいつの間にか「○○しなければならない」になって、
気付いたときには重荷に…

三日坊主という言葉があります。
語源は‟半端な気持ちで僧侶を目指す修行僧は
過酷な修行(現実)を見て三日であきらめる”だそうです。

「決心したときは本気だったんです」
疑うわけではありませんが、
もしかすると「本気のつもり」だったのかもしれませんね。
わたしの場合はいつもそうです。
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総大会 8月28日

2023-08-28 05:44:36 | 総大会
「イエスは疲れた者に力を与え…力がないと感じている者を強くしてくださいます」

疲れてくると、いつも何でもなく
行っていることができなくなります。
忍耐がなくなり、気力が出なくなり、信仰も弱まり、
ひどいときには祈る気さえもしなくなります。

そんな自分を感じるとき、ガッカリして
さらに疲れが増してしまうなんてことありませんか。
完全に負のスパイラルに陥っているようです。

そんなときこそ、気力を振り絞って
信仰を表さなければならいと理屈では分かっているのですが、
それさえも思うようにならないのです。
サタンに誘惑にハマってしまっている自分があります。

「誘惑に陥らないように目を覚まして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」マタイ26:41

まさにそのとおりです。
主に頼る気力が残っているうちに助けを祈り求めるべきでした。

それを悔いているうちに、いつの間にか力が回復してきます。
この約束に感謝です。
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総大会 8月27日

2023-08-27 04:01:50 | 総大会
「信仰を持ち、不完全な捧げものを主の足元に置こうではありませんか」
(不完全な収穫 スタンフィル長老)

「どうしよう、絵日記描かなくちゃ」
小学二年生の男の子が言っていました。
夏休みももうすぐ終わりですね w

子どもの頃、絵日記が苦手でした。
日記が苦手、絵はもっと苦手、人には見せられない…
いつもそう思っていました。

考えてみれば不完全なものばかりです。
それを気にしていたら
何もできなくなってしまいます。
毎朝のこの投稿なんか、まさにそれです。

完全なものって、何ひとつ思い当たりません。
それを求められたら
主に捧げられるものは何もありません。

不完全さを非難する?
とんでもないですね。
そんな声を気にして
捧げものをできなくなっているとしたら
残念でなりません。

主に喜ばれるものは何でしょうか。
心にある素直な思いと正直な証、
信仰も不完全な捧げものです。
そうは思いませんか。

「この世の人の見方とは大きく異なります」
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