ここで必要なのは、生きる意味についての問いを180度方向転換することだ。
私たちが生きることから何かを期待するのではなく、
むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、
ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。
コペルニクス的転換が必要なのであり、
もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、
わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。
生きることは日々、時々刻々と、問いかけてくる。
わたしたちはその問いに答えを迫られている。
考えこんだり、言辞を弄することによってではなく、
ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。
生きるとはつまり、
生きることの問いに正しく答える義務、
生きることが各人に課す課題を果たす義務、
時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。
なぜ、生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える。
続く・・・
ヴィクトール・E・フランクル「夜と霧(新版)」みすず書房より引用
ちなみにご存知のとおり、「夜と霧」はナチスドイツの占領下にあった
アウシュビッツ強制収容所を経験した心理学者である著書の、静かな書だ。