風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

ニューヨークと解離と現実

2009年01月25日 20時58分57秒 | エッセイ、随筆、小説





壮大な実験ですね、と主治医は笑った。
実験に備えてだろうか、
深大寺という密教系の寺院があるので御参りしたらいかがでしょう、と提案を受け、
私はふたつ返事でその寺に向かったのは去年の年末だ。

私の精神はうまく現実を把握できなくなって久しい。
それは実験を行うニューヨークでも顕著に表れて、夢を見ているのか、それとも現実なのか、
自分でもよくわからないまま、迎えに来た友人と7年ぶりの再会を果たし、
ニューアーク国際空港からタクシーに乗り、一路、マンハッタンへ向かう。

解離という英語が思い浮かばないのだが、目に映るものすべての温度や感触が伝わってこない。
友人と交わしたハグもどこか遠い昔やこれからやってくる未来の出来事のようだし、
イーストビレッジにあるアパートメントでの時間も、
チェルシーのフレンチで食事をすることになった夜も、
ユニオンスクエアーで観たユダヤ人迫害の歴史ドキュメンタリーも、
現実か、夢か、と私は常に友人に質問をする。
現実だという決まった答えが返ってくるのはわかっていても、質問を何度も繰り返す始末だ。

私は何に恐れを抱いているのだろう、とふと思った。
それはミッドタウンにある友人宅で不時着した飛行機を目前にみたからではないし、
言語の壁に立ちふさがれたわけでもないことは自分でも理解していた。
が、今の自分を思いやれば、なぜかため息ばかりが漏れ出して
ニューヨークの街へ白い息として吐き出されていくだけだ。

7年という歳月は人を、私を、街を変えていた。
そして、その変化に戸惑いを覚えているのは私ただひとりだけだ。