風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

一番苦手な作業、言葉にこだわるということ

2010年06月11日 12時58分16秒 | エッセイ、随筆、小説




 


私がなぜ言葉にこだわるのか・・・に続き、
ある大手出版社社長が指摘した「書く本質への鋭い考察」の一部をご紹介します。


私が交通事故に遭ってから5年7ヶ月、
いまから3年半くらい前でしょうか、
友人が「読書も書く作業も好きだし、ブログで表現したら?」と提案されたのをきっかけとして、
文章を書くことへ意識するようになっていきました。

それは楽しくも厳しい道のりでもありました。
どうして厳しいのか・・・というと、まず自分の才能のなさを突き付けられる作業で、
しかも、多少でも感情を使い、動かし綴るので、
そこに記憶障害や失語という障害が追い討ちをかけ、書く作業は一層困難を極めていきました。

でも、書きたい。
書くことで、表現することで、
それが私が生きているという存在を肯定してくれる行為なのですから。
(愚文を目にしなければならない方々には本当に申し訳なく思っております。m_ _m)





私が弊社の代表になり三年が経ちました。
思い返せば就任直後初めて自費出版の世界をみて、
いちばん驚いたことはその刊行点数の異常な多さでした。
案の定、大手といわれていた一社はその後しばらくして悲惨な末路を辿り、
純粋に自費出版を望んでいるたくさんの人々に不信の芽を植え付けました。
はたしてこのような従来の自費出版の形態が健全な出版といえるのだろうか、
構造的な問題があるのではないか、
改めて抱いたそんな疑問から私たちの新たな取り組みは始まりました。
社内で議論を尽くした結果、至った結論は極めてシンプルなものでした。

「良い本を作れば、周りは必ず応えてくれる」。
そして誓ったのです。「日本一、質の高い自費出版本を出す会社にしよう」と。

その後自費出版を希望する多くの著者の方々に出会いました。
そこで改めて感じたのは
「書かざるを得ない何かを抱えて生きている人たちがこんなにも多いのだ」ということでした。
人生の終着点が死である限り、私たちはみな不安、絶望、恐怖を背負って生きています。
その思いに対処する方法は人それぞれですが、それらと向かい合い、思索し、
その痛みを少しでも和らげる行為のひとつが「表現」なのです。
逆をいえば何の不安もなく、十全に生きている人に表現は必要ないでしょう。
私たちの仕事は皆様のそんな「心の在り方」を文章という形に置き換える行為のお手伝いをすることです。

しかしこの作業は生易しいものではなく、片手間にできることでもないのです。
お互いの決意と信頼が必要であり、当然量産できる類いの仕事ではありません。
単に紙に文字が印刷され、カバーが付いたものが本ではないのです。
私が本当に残念に思うのは、安易な自費出版本が多いことです。
もう少し踏み込んだ編集という工程を加えればいいものになるのに、そこを端折る。
これでは折角の作品の芽を摘み取っているようなものです。
その証左が夥しく出される自費出版本の数です。
重ねてもう一度言います。
人の精神を形にして世に送り出すのはそんなに簡単なことではありません。