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帰宅すると同時に携帯が鳴った。
2歳年下の男友達からのものだった。
電話では泣きそうだったのでチャットでの会話ならすこし時間をつくると無理をいい、
いいよと言って、友達は快諾してチャットでのやりとりとなった。
テーブルの上に常時置いてあるものが1cm動くと気付くタイプの友達。
いくら明るく振舞っていてもすぐさま私の変調を感知したらしく、
「僕でよければ話を聞くよ・・・・・というか、吐露した方がいいよ・・・・・」と言って、
またしても私はPC前でめそめそする羽目に。
「いつの間にお前は男をあげたんだ?」と言うと、
「やっぱり・・・」とビンゴゲームの景品が当たったように喜ぶ光景が目に浮かんだ。
「もう恋はしない」と私は言った。
けれど、それは嘘だった。
交通事故後にも何度か恋に落ちそうになりながら、やっぱり身を引いてきた自分を知っている。
それは思い出もあしたも空白のノートに書き記すことからはじめる恋だからこそ、
目前に出された優しさには一切手を出さずに、
体調を理由にもせず、今は人と付き合うつもりのない心境だからと言えたのだ。
けれど今回はどうも違う。
なにがここまで私を揺さぶって、苦しめ、女にしてしまうのか。
友人は言う。
「相手の気持ちを無意識に感受しているからこそ、
今まで彼にしてきたような強気の姿勢ではいられなくなってしまったのだ」と。
今までわかってはいても3年もの間、怖くて聞けなかったこと。
好きな人がいようといまいとそんなことは私には関係なく、
ただ、女性として子供が産めない体であるか否かは、娘をもうけていることとは話が別なのだ。
正直なことをいえば、私は先に書いた手術を受けた彼の子供を産んであげたかった。
結婚をしようとしまいと、彼の子供を私も欲しいとどこかで思っていたためだ。
今回、自分でも驚くほど自然に主治医への問いとなったそれへ、
主治医の愕然とする表情を目の当たりにして、それが答えなのだと知ったとき、
椅子から立ち上がることができなくなった私に、驚いたのもまた自分だった。
大好きで大好きで仕方ないんじゃない。
だから、お見舞いにも来るな、姿をみせたくない、手紙もお見舞いの品も心配もいりません、と
味気ない返信しか送れないのだと思うよ。
僕には彼の気持ちが痛いほどよくわかる。
けど、男って馬鹿だね。
それを素直に受け止めて、そこに飛び込めばいいだけなのにさ。
男のプライドなのか、意地なのか、それとも他に理由があるのか知らないけど、
突き放すけれど、他の男と幸せになれということまでは覚悟できていないと思うよ・・・・・
私たちには思い出がある。
お互いにお互いを愛しているという事実がある。
私が交通事故に遭ったとき、障害を抱えたとき、
確かに私も遠方の彼には詳細を伝えず、ひとりで乗り越えてきた。
今でも私の抱える不具合を嘘だと彼は信じている。
お互いが愛し合っていても付き合っているわけではなかった関係では、
年に数度、食事をする程度では、彼は本当の私を見抜くことなどできはしない。
そして奇しくも私と似た場所に難病を患った。
男性としての機能も、今までの彼のものは維持できないだろう。
私はそんなことなど関係ないし、
半身不随でも一生面倒みる覚悟でいることをすでに彼へは伝えた。
日本に忘れものをしたままタイへ来てしまったと思い続けた日々、
結局、私は彼の手術日にキャンセル待ちをタイ到着後すぐさま入れ、
ゆっくりしておいでよ、と言いながらも安堵している彼の心情が
海を隔てた土地へ、電子メールから伝わってくることに便利さと彼の本心をみたようで
やっぱり帰ろうと思ったのだった。
成田で体調を崩したことも、病院へ担ぎ込まれたことも、不調であることも、
彼は私のことをなにも知らない。
救護室に横たわりながら私は「成田に着いたわ・・・・・・」と
短いメールを送ると、すぐさま返信が届いた。
「モルヒネがないと泣きが入る痛さだよ。ゆっくりしてくればよかったのに」と言いながらも
やっぱり私が日本にいる事実だけで彼の心情に変化をもたらすことが、
恐怖から解放された子供のようで、
「手術、よく頑張ったね。生きていてくれてありがとう」とその返信に宛てたのだ。
愛情とは一体何なのだろう、と時々思う。
この一生懸命さは、どこからその力が湧き出してくるのか私にもまったくわからない。
ただそうだからこそ、一度決心したことは揺るがなくなる。
一生懸命やってもダメだったのなら・・・・・・とそれは自分を納得させる材料になるからだ。
一連の経過を友人に吐露した後、
僕をこんな真夜中に号泣させた代償は大きいぞ、と言って、
友人もPC前の自分の姿を恥ずかしいといいながらも告白した。
切ないね・・・・・と何度も繰り返し、なんで僕が男泣きするんだ?
男泣きするべきは彼だろうと言った。
いつかもし、機会があって彼に会うことができたときには、
僕は彼に伝えたいことがたくさんあることをここに宣言する!
秋だ。
真夏のように蒸し暑い今日も、秋の足音は確実に近づいていることを知らせる。
となりのおばあちゃん家から聞こえる木材を切る、電動で釘を入れ込む音、
ベランダでそれを眺めていると、
すべてが新らしく、木の香りが彼の住む土地を思い起こさせる。
星を眺めたいとわがままを言う私を、彼が案内した山頂へ続く道の匂い。
なにも考えずに、ただひたすら自然と戯れていよう。
風に吹かれていれば、きっと、平静を保つことができる。
雲を眺めていれば、きっと、上空にいたような無欲な自分になれるはずだ。