勝ち組や負け組みといった言葉が大流行した後、
前向きに、ポジティブに・・・という表現が当然のごとく、そう生きなきゃならないかのように
世間にも社会にも根付いてしまった。
私はそうした言葉が大嫌いで抵抗があると何度も書いてきているのだが、
人間は空模様のように、曇りもあれば雨も嵐も、
もちろん晴天もあっての人間の本来の姿だと強く信じているために上記を嫌うのだろうと思う。
一瞬の勝ち負けは勝負の世界には存在する。
でも、一生という長いスパンで物事を考えて捉えた場合、
真の幸せとは「心の平静」に行き着くのではないか、と思うのは私だけだろうか。
勝ったといわれた人たちが、今も勝ち続けているのかといえば疑問だし、
牢獄にいる人も、自殺に至った人もいる。
でも、本当に"勝った”のだろうか・・・・・
デザイナーズホテルにしかみえない院内で誰かがふと「外が怖い」と言った。
「私もよ」と言うと、「あなたは嘘よ、だって元気そうじゃないの、誰よりも」と返答が戻った。
私は言った。
「私の問題はそこなのよ」、と。
医者も患者も友人も家族も「誰よりもパワフルで元気そう・・・」という烙印が押されているために
病者です、痛いです、のた打ち回っています、と言っても信じてもらえないことにある、と。
医者ですら「あなたのように元気な人をはじめてみました」と言うし
「○○さんなら大丈夫。根性があるもの」などと言って
慰め励ましているのだろうが、私にとってはずたずたになるきっかけとなってしまったのだ、と。
病者扱いされる私の時間は止まっている。
だから見えてくる世界があるというのは、あまりにも大袈裟な表現かもしれない。
でも誤解を恐れずに書かせていただけるとすれば
健常者と言われている人たちが病者へ烙印を押す。
病者か否か、健常者か否かと。
でも、私たちからみると、健常者の方が病者にみえてしまうときが、
棘や刃やありとあらゆる武器を体中にくっつけて、はったりでようたく立てているように見える。
それでも元気で、幸せで、健全なのだろうか・・・・・・
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