法廷で証言する前に・・・・・と切り出された。
地下鉄の改札でシエル(チワワの赤ちゃん)を抱き待っていると、
娘は何かを思い出したように「私の気持ちが収まらない」と言い、病院の所在を確認する。
改札をくぐり抜けて来る人は男性が多いせいか、それとも冬へ向かう季節というものなのか、
色彩の失せた光景が、別世界に見える。
異次元へいつの間にか紛れ込んでしまった迷子のように、
私を一瞬、戸惑いの淵へ突き落とす。
見慣れた光景が相違すると、通勤や通学の日常すら違和によって感じられる。
突き落とされた淵からジャンプして異次元の世界へ舞い戻る。
すると、娘は元主治医へ言いたいことがあるのだ、と。
それを言わないと気持ちが鎮まらない、と言う。
「卑怯な手を使うな、それも痛みと毎日格闘している人間に対して・・・・」と。
外来日を聞かれたので「殴りこみか?」と聞くと、「まあね」との返答。
女子高生、最強や黒幕という呼称に続き、私にはやっぱり苦手な響きに聞こえる。
だって、強いんだもの。
誰に似たのかはあえて問いたくないが、この強さに私はたじたじになる。
今日は「聖なる予言」を読了しそうな勢いで読み進めた。
これは「本」という前に、今の私にとっても必要な知恵がもたらされる偶然の一致の連続で
なぜ、この時代に、この両親のもとに、この家族に、この環境に誕生してきたのかを考察し、
私の過去の清算を「自分」を紐解くことで解明していくのだ。
これからの準備のために「今」があるのだという確報を。
私は過去を振り返る旅にしばしでかけることにした。
胎児の記憶、その後、弟が生まれた昭和49年まで時代は飛ぶ。
祖母のぬくもり、祖父が戦争を語るたびに流す涙の温度、伝統の技を磨く父の背中、
懇切と冷酷さが母を分断させ、私は責任感の強い小学生に仕上がっていく。
そして、報道としては最初となった中学生の自殺未遂を母校でみることとなり、
友人のバイク事故死、両親や教師という大人との葛藤の日々、
巷はバブル経済に浮かれている頃、私に宿った命を守り通す術を模索する毎日を過ごす。
その後、小さな店を経営し、海外への渡航をくり返す人生へと変換を遂げる。
人は波乱に満ちた・・・・・・との表白を私へ向けるけれども、
今回の交通事故に関しても、社会や法律や医療はもちろんのこと、この国の実情、
つまり、健常者にとってのみを考えた社会であり、
そこから逸れた人間には排除する仕組みが確固として構築されていることを学んだ。
また、前例がないことを当然のように理由にあげる構造は、
女性蔑視や被害者軽視へと被害者を追い込んでいく様を自身が経験することで、
諦観の意義、なぜ、私が選ばれてしまったのかという思考の時間へと発展した。
耐えられ、そこからの教授が、私の次なるステップへとつながるのだと確信する。
さて、話は娘の殴りこみ計画へと戻る。
高次の関係とは本来、意識を高めた者同士が構築する人間関係の呼称だそうだ。
私と娘はそのように高次ではないにしろ、彼女が私を選び生まれてきた理由が理解できる。
それは私を変えるためだ。
煌びやかな夜のネオンを前に、私は早く踊りに行ける体を取り戻したいと思い、
娘は夜カフェができる年齢になりたいと希い、シエルはぶるぶると震えている。
他人の故意によって人生を左右されるという共通事項が浮かんだ。
これが私のテーマだ。
そして、脅迫者や被害者でもなく、傍観者や尋問者でもない自分を仕上げ、
解決の糸口を見出す。
高次の関係は高次の意識を持つものをつなぎ合わせ、
驚くような結果を導くと夢見は教える。
偶然の一致がもたらす作用は、写本を紐解くように私への縁として知らせる合図が届き、
その流れに従うことが、私の今やるべきことなのだと自覚する。
さて、娘はどのような行動にでるのだろう?
そして、大人たちは女子高生を前にして、責任を問われることに耐えられるのだろうか?