自分でもよくわからないのよ、何が起こったのか・・・・・と友人に話すと、
医療過誤どころの問題じゃない、と言われた。
なんだか狐につままれたみたいな状況で、
まだ事の本質を理解できていないのかもしれない、と私は答えた。
それ以外、答えようがなかったし、
言葉が浮かんでも発する前に消えてなくなってしまうためだ。
シャボン玉みたいに存在の危ういものは、
七色に、自在に、見る者によって色彩を変化させる。
けれど、実際には何色であるかを答えられる人はいない、私の疾患のように。
本当は何の疾患で、何のために経過観察をしていたのだろう?
私は自分のことなのに、答えることができない。
医師の二転三転する説明や診断書による疾患名の変化に伴って混乱していたのだろうし、
最終的に『医療の限界』だといわれても類似する疾患を否定するための検査すら怠っていた。
沸点または氷点に達するまでの間、火にかけるわけではないし、冷蔵庫に入れたわけでも。
なぜ、怠っていた検査を棚上げし、限界などと言って物事を済ませようとしているのだ?
ひとつだけ明確なことは、交通事故外傷後の重篤な症状をみていたにもかかわらず、
医師は傍観していただけで、何も行っていなかったという事実だ。
健康を著しく脅かされた私は、すごいことになったものだと他人事のように唸った。
どうしてくれるのだ? と娘は言うけれど、
私は思う。
よくぞ1年半もの間、心を凍らせたまま、診察できたと逆に感心の的なのだ。
尋常じゃねぇ~、そして、やはり外科医は気ちがいなのか?
外科医である本人が言っていたように。
無尽蔵とはいくら取ってもなくならないこと、またはそのさまを意味している。
広くて尽きることのない徳を内包する蔵、すなわち、仏教のことだ。
慈悲の精神を求める私が間違っているのだろうか?
死と向き合わせ、生の質が低下することも覚悟しろと脅かされてきたのだ。
私は告知されたすべてが受容の厳しい旨をこの主治医と議論した過去があり、現在がある。
血をみたいだけなのだろうか?
しかも、見えない血は嗅覚を擽らず、どろどろとした緋色の血液を目にしないかぎり、
彼の興奮は、欲情は、満たし、埋めることはできないというのか?
この類の欠如は人間性に乏しいでは済まされないそれこそ重大な疾患であると同時に、
凍りついた心は、北極が解氷の危機にさらされているというのに、
ここではますます氷の層を厚くするだけで、熱湯をかけてもびくともしそうにない。
Narrativeとは物語のこと、話術、語り口とでも表現できるだろうか。
私はこの事実を語るとき、火曜サスペンスよりも出来すぎていて主人公が自分であるのに
台本を渡されなかった俳優だったのか?
いいや、渡されていた台本はいつの間にかに書き換えられてしまって、
演じる前にすでに物語は終わってしまったようだ。
しかも、終焉を迎えたことだけは理解できていても、
何が起こったのかはまだ把握しかねている。
無尽蔵のNarrative 、昨夜の夢見で大まかな明日は理解できたのだが・・・・・・