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添加物の話、フランスで日本の食を疑う

2013年04月16日 08時22分18秒 | エッセイ、随筆、小説

フェンネルとズッキーニでスープを作る。
味付けはプロバンスハーブと塩、胡椒のみ。

フランスにきて、まぁ、こちらの塩気のない家庭料理の悲惨さはまた別の機会にでも記すとして、今日は添加物や化学調味料の話を少し。

皆さんは自分がどの程度添加物を口にしているか考えたことがあるだろうか?
わたしは体を壊してからは、特に添加物や化学調味料が口の中でピリピリと弾けるようで、体が受け付けなくなった。とはいえ、もともとコンビニ弁当も冷凍品もほぼ食べたことがないに等しい食生活だったので、知人や友人宅へ行くよりも、我が家でもてなし食の大切さを話題にしたこともしばしば。実家の母も冷凍品は
苦手だったので食べたことがない。

日本人の、年配の方はここでの主題ではないので割愛するとして、若い男女の肌がなぜここまで荒れているらのかとよく思う。日本では企業と政治の関係が少なからずあるのだろうが、なんにでもポイポイと添加物が含まれている。コンビニでは塩むすびですら本来の「塩と米」が原料ではすでになく、添加物名が記されているのでわたしは食べる気が失せるのだ。当たり前になり過ぎている日本の常識を疑ってみるのも悪くはないだろう。


フランスへの幻想を持たないわたしだが、フランスで恵まれたと思うのは、無農薬野菜やオーガニックコスメを懐に優しい価格で購入できることだった。例えばわたしが日ごろ使っているオーガニック系のエッセンシャルオイルやマッサージオイルは、日本の市価より五割安い。要はすべてが半額以下で購入できる。

日本は生活費、特に日々食するための最低限の生活を維持するためのものにまで税金をかけているため、フランスにきてあらためて驚いた。しかも、収束しない福島原発の責任所在を棚上げし、電気料を値上げしたり、他の原発稼動へと国民を誘導している。

選択肢を持ち得ないことすら気付けない社会が、本当に豊かなのかと疑問を持ってしまう。フランスの家庭料理もなかなかひどいものの、日本の添加物漬け食品もどうかと思うのだ。


福島産の野菜や果物などが市場に出回っている話をしたとき、フランス人は皆一様に驚く。風評被害がどうのという議論は政府や東京電力の責任回避策でしかないわけで、国民の健康などどうでもいいのだろうか。それともわたしが無知なだけか。


ちなみにわたしの周囲には、チェルノブイリ原発事故時、ポーランドで子供時代を過ごした友人や家族がいる。皆が日本でいうところの慢性疲労症候群を発症しており、医療でできるすべてのかけとをし尽くしても、体調の変化はいまだ見込めないのだと言う。

日本にはわたしの家族がいる。友人や仲間がいる。
数年後を考えるとき、気の利いた言葉が今のところ見当たらない。



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