おととしだったろうか、コロナで中止になったとの掲示に同じ劇場前に立ち尽くし、まあそのおかけで自由学園明日館を見に行く気になれた、のは。 去年は横浜に森山のザッハ関連ダンスを見に行けた。きょうのは微妙で、つい先日ぎりぎりにチケット予約し、現地では展示演出もあり微妙から真っ当に育ったその期待が、前に居並ぶ人頭隙間から床にまとわりつくダンスのみならず見えづらい4列目最端にて秘やかに霧消した。
けれど、拍手する。設営を見た。動きは見た。見えるとこ見たたくさん見た。気もする。素晴らしい衣装を見た。淀みない科白を見た。
(むかしとーっても見づらかったピナ・バウシュ、あれはプレイハウスではなかったような気がするが、やはり池袋だったような。。。)
微かにも比較優位な印象。ホワイエと称する空間、女子トイレ先の山極壽一の映像。視線同調シンパシーからコンパッションへゴリラもチンパンジーもそれはできない類人猿にはできるそれができる人間といふものは的な前提で論が進む。私はアレを指差して利用者さんにアレの名を告げて同調を目論む都度空振りと相なっております。人間と他生物との差異、人間の優位性ならずとも特徴的なことに「思い込みの当たり前」を当て嵌めていることがなんとおおいことかと。
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