年初にテレビの外付けハードディスクを初期化し、何十という録画が霧散した。以前1件削除のつもりが全件削除を自分でクリックしたことがあった。どちらの何十もあとでゆっくり見ようと後回しにしていた。そしてわかるというかあたりまえのことだがつまりは見ても見なくても私の感情も生活もかわんない。
家、ついていってイイですか?をたまたまリアルでぼんやり見始めてイノマードキュメントにくぎ付けになった。
次の日の外出で久しぶりにモバイル音源を耳にしながら歩こうとオンすると入れてあったのを忘れていた清志郎が雨上がりの夜空にを歌い始めた。
翌日、返却日が迫ってきた凪に溺れるの文字を数ページ分拾い進むと核になるとしか思えない人物が一年前に死んでいたという。バス酔いしがちなので本を閉じ、バンド名を間違えたままツイートしたぐらいそれまで何の情報も持ち合わせなかったバンドマンの話をその1時間後に美容師に語ったりした。
さっきマックで凪に溺れるを読み終えた。何にせよ途中で放置しがちなので書いておく。苦手な節回しがなく、一人称を隠しきれない三人称ではない。
空虚という存在は
無い
わけではない
わけではない という 存在は
存在して 存在していない
だから どうした というわけでもない
生きているだけでも もうけものです
か
縦列駐車 していないんですが
なにか
なにか には意味もなく 記号
記号は 衰退
象徴 としての 数学
数学は発展すれば
それは 知能の衰退と敗北と
名誉ある フィールズ賞
夏目漱石 好きですか
彼にとって 女は記号だろう
「そうだろう」
君の持っているすべての記号が奪われても
僕はわかるよ 君のことが
だって 君と僕は深くつながっているんだ
そうだろう
それは物ではなく 君と僕だけがわかる
意識みたいなものさ
酔いどれの僕が 街をさまよっても
段ボールにつつまれて 朝を迎えても
公園のトイレで顔を洗っても
土砂降りの中で水たまりにすわりこんでも
フェンスの金網が切れそうに指でつかんでも
悲しくて涙が止まらないときも
嬉しくて涙が止まらないときも
自分が嫌で死にたくなっても
夕日が大きく大きく見えるときも
恐い夢にうなされたときも
高い波にさらわれそうになったときも
君と僕は深くつながっているんだ
そうだろう
それは物ではなく 君と僕だけがわかる
意識みたいなものさ
君の持っているすべての記号が奪われても
僕はわかるよ 君のことが
だって 君と僕は深くつながっているんだ
そうだろう
それは物ではなく 君と僕だけがわかる
意識みたいなものさ
数日前なにげにショックだったこと。
ダンスは18のとき以来無縁だと思い込んでいましたが、ひとにそれを言ってからしばらくして
三軒茶屋のサークルに入っていたじゃないか
20代後半の信じがたいモテ期だったじゃないか
記憶を消した理由がわからない。
「そうだろう」
はすこし泣きそうなきぶんにさせます。
ひとさまのおはなしや経験がじぶんに懐かしみを届けます。
ありがとう。