姉が和装の喪服をひとり着ていた。ほっとした。いつも世話を焼いてくれる向かいの親戚筋が無理やり着せたのだという。読経中その紗綾形文様の黒帯できょうも舟を漕ぐ。私が借り着でも和装の喪服を着ることはないと思っている。いつもぽんでらりんだに話しかけている。元気で長生きしてね、○○の死んだ一日あとまででいいからね。
立冬の日の下り電車の中で初夏に買った雑誌をめくっていた。これはエッセイではないなぐらいに思っていたが、女性名で書かれた次の文章は前の文章を小説として論評したもののようであり、ああそうなのか小説だったのか、と思い、小説という名の定見のなさは純文学という私にとってのわけわからなさよりはずっといいと思った。
それに続くしじゅうおんなの新幹線内3時間未満における心象風景小説とその次のまあ30代あたりだろうなと思われる小説家男子の鬱小説は、私の癖になっている言葉の尻尾踏みにひっかかることのない、つまりたぶん私が正しいと思っている語法で成り立っていた。しかしなぜこの雑誌はこんなつまらないものを載せるのか。
雑誌の最初の小説はオオエシンヤの初の小説だそうで、もしオオエセンリが書いたとしたらある意味見直したかもしれず、せっぱ詰まったその余裕をぐえぐえと尻尾を踏み続けながら音楽のように文字で追ったのだった。
母親に小遣いぐらいもらいたい気分だったのだがなぜか私がタクシー代も昼食代も出す羽目になり母親がその飯の不味さをくどいほどに言うのをものわかりのいい娘のように軽い相槌でやり過ごしたりもしたのだが、結局のところ母親の唐突な追い立て「電車何時?」に間髪おかず「ああ行かなくちゃ」と徒歩3分の駅に着くと東京行きの特急が私を待っていた。乗り込むまで待っていた。わぉぅなんとすばらしい。
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2007-11-09 18:45 昨日記加筆非加筆ほか。
小遣い云々という言葉はいまだ親がかりかと思われると気がつきましたが説明も削除も放棄。気持ちが荒むのは毎度のことなのですが今回は緩衝人材兄嫁が留守でした。改めて兄嫁に感謝し彼女の家内被害被災お喋りを遮らずかつ傾聴する態度をモチット見せるぐらいはなんてこたあないはずだと思いました。
また昨夜はある場所に二十年来誰にも言わずにきたことを深井戸に叫ぶほどの思いもなくちゃらりんと書いてしまいました。自己都合退職するまで社員でいられたこと、より以上にその会社が賠償責任を問われたり取引停止とならなかったのは。ひとえに。アリエネーことを仕出かしながらちと照れて事前作業を継続したアリエナさゆえか。書きましたが書けません。