これの前に伊藤沙莉のことを書いたが同じくらい好きなヒトはジャンル分かたずたくさんいる。その同じくらい好きとゆー好きの程度はたいしたもんではない。なさすぎる。顔も頭もセンスも鋭そうなオンナノコたちオトコノコたちに惹かれる焦点がぶれまくっているまにまた時代がするーしていくのである。
春、さる晩耳についたJ-WAVEの番組スポンサーのCMで月刊ペン井上陽水を買った。
井上陽水のアルバムが、昔富士レコードに売ってしまったLPの中にあったかどうかすら怪しい。
陽水というとイメージするのは伊集院静のいねむり先生である。たまにふしぎなたいみんぐであらわれる手塚のひょうたんつぎのようなほんわか白いカミサマのようなとてもいいキャラクター。(加筆;しまった。いねむり先生本人がギャンブルの神様だったな ややこしし)
ミカドの肖像という本の初めにあったロラン・バルトの一節、忘れちゃってるからまあそのイメージね、それを見下ろすようなビルの無駄に広い一室でのインタビューで黒子である私はテーブルの遠いかどで言葉を漏らすまいと口元から目が離せなかったのだが、そういう意味ではなくおいおいおいあのこ何なの見過ぎだろという笑み(ふと思う。どんな種類の笑みも同じようにあらわすひとではあるまいか)。
肝である歌を聴き倒したこともなく、人となりを紹介するような文章を読んだことがあるとしたら雑誌の記事断片ほど。陽水はすききらいを超えていると言えば過言かもしれないが、陽水がきらいというひとには遭遇しないというかほかのオオモノたちの載せられている座とはオモムキが異なる。長いこと陽水は陽水という座にみずから載るでもありやなしや載せられており載せられ続けてゆくからおもしろがって下界にひょいひょい顔を出す。
月刊ペン井上陽水を実際買ったきっかけは、立ち読みしたタモリの部分である。
いい。
タモリが文字になっている。
全部読むのかとっておくのかなど、わかりません。二度寝できないまま夜になりつつあります