田無庁舎女子トイレの貼紙「トイレをご利用者の方へ」ってのとハローワーク三鷹の「この書類を次回お持ちしてください」ってのをオナオシいただくよう付け文、じゃない、告げ文か、したときは腰軽でしたが、例えばAB首相宛て秘密保全法案成立反対葉書に誘うともだちのメールに、使わない腰が重いのです。重いことを重ね重ねて国慰効用なオリンピック詭弁にまつりトルネード。
「(いまの日本が)…金を儲ける、これが資本主義か? 資本主義のキャピタルというのは、何かものを造って行く元手でしょう。ぜんぜん違うというわけ。だから、日本に対する絶望をもっていた」と鶴見俊輔が10年前に語っていた。
自然災害への末端の長の対応は重いだろうけど、マスメディアが個人自体に、指導する気(げ)に責任を問うケンサツ的、ウエカラ的執拗さはむなくそわるい。
カモフラージュみたい。
カモフラージュみたい。
『福島第1原発の事故後、「脱原発」を掲げた城南信用金庫。理事長の吉原毅は先輩の口癖だった「銀行に成り下がるな」という言葉が心の支えだ。/ 元大手銀行マンの末吉竹二郎は「世界の潮流から取り残されたガラパゴスだ」と指摘する。巨額の債権が焦げ付くのを恐れ、原発の再稼動を後押しする大銀行の姿を見て、吉原は確信を深める。「私たちは勝てる」と。』(9面/略あり)
スマホ依存の子供たちには外界がある。という前提がまだある。カネ科学依存の大人たちは慌てず騒がぬ巧妙な拡詐術で地球ゲームな世界を遊ぶ。
潮騒のメモリーが随所というか余すところなくというか昭和アイドル歌謡を滲ませていると(は私は思わないが例えばの話)したら、それははなまる印。
みんな真似してオオキクなるもんだあったりまえだとは思いはするものの、まるであのひと、みたいなウタが出るたびにいちいちひっかかる。
疲れるやつだ。そのうえモトウタが思い出せないと、八つ当たりか逆ギレみたいな感覚すら抱く。それほどじゃないか。
そのひとがあのひとを意識していることを感じられれば、一転、安堵したように受け入れられる。
まるで自分ひとりで自分をつくってますみたいに歌い上げられると、それって花巻サンの、わかるやつだけわかればいいみたいに私を試してんの? それともまるで自分をわかってないの?という居心地悪さで、素晴らしいに違いない(権威ある賞を受けてるんだし)のに、もう読まなくていい人になる。
みんな真似してオオキクなるもんだあったりまえだとは思いはするものの、まるであのひと、みたいなウタが出るたびにいちいちひっかかる。
疲れるやつだ。そのうえモトウタが思い出せないと、八つ当たりか逆ギレみたいな感覚すら抱く。それほどじゃないか。
そのひとがあのひとを意識していることを感じられれば、一転、安堵したように受け入れられる。
まるで自分ひとりで自分をつくってますみたいに歌い上げられると、それって花巻サンの、わかるやつだけわかればいいみたいに私を試してんの? それともまるで自分をわかってないの?という居心地悪さで、素晴らしいに違いない(権威ある賞を受けてるんだし)のに、もう読まなくていい人になる。
けさのごいんきょ1面、三島がイマまで生きていたらと拡がらぬ思いに遊び、筆洗紹介のおじさん趣味にOKサインを出す。
社説はっ…。電気やガス、水道のない過酷な環境です。って。“私には”過酷な。だ。
社説はっ…。電気やガス、水道のない過酷な環境です。って。“私には”過酷な。だ。