映画#福田村事件。 / チラシが、来た。

2022-09-29 11:52:15 | memo。

井浦新 田中麗奈 永山瑛太 東出昌大 コムアイ 向里祐香 松浦祐也 木竜麻生
杉田雷麟 カトウシンスケ ピエール瀧 水道橋博士 豊原功補 柄本明



役者を見にいく。






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2023-08-04 チラシが、来た。






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2023-08-24 ネット書簡の一部完コピ ↓

観る側と観せる側とが言葉でやりとりする質疑応答は、作品で構築した間接話法や隠喩をぶちこわす。

だから『i-新聞記者ドキュメント-』のラストで、自分の声でナレーションを入れることを決めたときは、かなり逡巡しました。でもあのときに決断した理由は、映画ではこれまで封印してきたナレーションを使うことで、語る言葉以上の意味に多くの観客は気づいてくれるはずと考えたから。つまりナレーションを入れるという作為を示すことが、ある種のメタファーとして機能する。でもこれは、森の作品をこれまで観てきた人たちに限られる。マーケットが小さいドキュメンタリー映画だからできたこと。
ちなみに、情報はいっさい出さないという姿勢は、ジブリの今回の戦略だ。いや戦略ではない。宮崎監督は、ようやくここまで来たと思っているはず。取材に応えず情報を出さないことが宣伝になる。それはジブリだからできること。僕がそんなことをしたら、パブリシティが出ない。ならば多くの人は映画の存在すら気づかない。作ったからには多くの人に観てほしい。それも本音。だから今は、必死に取材を受けています。
でもそれも公開まで。公開が過ぎたら(いくつか断れない舞台挨拶はあるけれど)、この映画を過去にしたい。言葉を封じたい。今はそう思っています。









映画 福田村事件
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みずいろかそらいろか。

2022-09-26 08:50:59 | ■だらだら。
写真はきのう近所で。最近みずいろのクルマは多い。
   ↓似たようなやつ。
22/06/11




2回トイレに行きそれぞれこのまま起きてもいいんだけど感があったがまた寝て、そのあと何度か、もうこのまま起きられないのではないか感をいだきながら眠ったりしていた。

夢を覚えていることが減ったなかで私が近年よく見る印象の夢は、出かけたのはせいぜい首都圏だったが帰りの電車に乗る段になると北関東とか中部圏(こちらも印象)で、経費と時間で路線を決めかねている、というやつ。

けさの五度寝での夢は首都圏?のままで、ムカシの田園都市線のあたりの駅から帰ろうとしたらホームが五、六本(?基?)あって、都心と郊外に向かうものすごく複雑な路線図によるとどうも西武線にはたどり着けないらしい。簡単に来たのに、とぼんやり一つのホームへ向かう角を曲がると土を模したような焦げ茶色のややふわっとした少し下り坂になった床の先は広いホーム(ここでふとなぜホームなんだフォームだろうが出現)で、ふつうの雰囲気で電車待ちの人々がおり、周囲は明るめな広い森なのである。ほかのほーむはどこにあるのだろう。














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にほんのおかね。

2022-09-21 08:25:46 | ■だらだら。





イメージを超える金額がコロナ対応で使われてきたし使われているだろうと思う
そのワクチンやらそのまにまに要不要問わぬ戦争用具やらなにやらどれだけどんなにそんなにアメリカにお支払いしているようで
全額日本国民税金国葬
日々のおかねに窮する者以外にとって
リアルなものではないのですねおかねって。





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似てる。

2022-09-19 09:22:46 | ■だらだら。


山下良美と岸本聡子。顔が似ているかどうかはよく見もしないが着衣と居場所を交換したらだれも気づかない。わけがないけれども、関係ないけど良美さんはヨシヨシさんて読めるねと思ったら荒川良々さんがどうしたって浮かんでしまう。試しに画像を出してみたら岸本区長と荒川さん、似ていなくもない。


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おにぎりとか非躍。

2022-09-18 23:50:20 | ・たべもの。
きのう土曜日の朝、お味噌のおにぎりが食べたいと思うと同時に、陽気のことを考えて酢飯がいいかな、となった挙げ句に、すし酢とお味噌を混ぜたものを手に取ってぽろぽろするのをむりやりラップで包んじゃったらそりゃうまいもんじゃあありませんぜ。



最近たまにラジコを聴く。あえて聴きたいラジオ番組はそう多くはない。人名で検索してマイリスト登録をして、たまあに気が向いたときに「いますぐ聴ける」をクリックする。

いまふと思い出したが、リアルラジオにセットしてあるのはAMFM切り替えでTBSとJwaveで、ラジオ広告の広告はもう珍しくなくなっているけれど、きょう家人の見るテレビの音声がテレビ広告の広告を発していることにびっくりして局を見に行ったほどだった。局だけ確認して(ちなみにTBS)広告画面は見ていない。ターゲットはネットよりテレビに信をおく中高年経営者もしくはプレ起業者とかだろう。プライドをかなぐり捨てた感が少し寂しい、としたらあなたも年寄りですね。



先週木曜日、じつにめずらしく殆どブレーキなくものごとをこなしていた。殆ど、というのは、それに気づいて逆に本当はダメなんじゃないかと思ったり珍しがったりという自発ヨコヤリのせいである。
えいえんにムリそうだった地元のひとへのLINEが送れ、翌金曜日はブレーキを感じながらもおひるごはんをご一緒できた。

戻って木曜日。シゴトの古い資料を捨てたりする元気もあった。箱の下のほうにメモ用紙にかいたものが入っていた。自分の記憶に残るあれやこれやは大事にしまっていた分、捨てるときにもまとまっていたのだろう。左下は十代で、今はウチのない住所がなぜだなぜか書かれている。右上は高遠町近くの廃村にて。切れている上部左に廃屋あり。いちばん新しい右下の切り貼りは2006年だからここの画像フォルダにも入っているかもしれない。





返却期限の新書(タイトルが個人文法的に疑問符がつく)斜め読み。ある意味オムニバスのよう。坂茂氏による邸宅をちょっと見てみたい。


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「一汁一菜でよいと至るまで」 p.217

たとえ暑い日に一日中持ち歩いても、傷む心配がないことが携帯食の条件です。
そのためにやるべきことは、米はきちんと水が澄むまで洗って、何度も取り替えてから
ザルにあげること。40分ほど時間を置いて給水すること。
洗い米をきれいな水で水加減して、すぐに炊くこと。
念入りに手を洗うこと。
炊き立ての熱々をまとめること。
手塩をしてむすび、表面に塩の壁を作ること。
すず竹など通気性の良い弁当箱に入れること。
こうした先人の知恵は、目に見えないものの存在を意識した人間の振る舞いです。
こうした手順は、雑菌を「入れない」、「殺菌」、「増やさない」という、衛生管理の原則を超えた複雑な道理に適った知恵の産物です。科学的な細部の知識というより、大きなものを総合的に捉える直観的な判断で得た経験や知恵を土台とする慣習にこそ、自然と人間の関わりにある深い思想が表れるのです。 これに加えて、姿形にこだわらない、おいしく作ろうなんて思わない





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のん。

2022-09-11 17:30:32 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。
私は能年玲奈という名前が好きだった。音や字面が好きだったから、のんと改名せざるを得なかった事情はともかく、単純に残念だった。吉祥寺で上映されているデジタルマスター完全版ユリイカとさかなのこ、時間の関係もあってさかなのこを見る。

見なさい。
とは言わない。とてもよかったです。兄と弟に知らせたくなった。



ブログ内検索してみると、能年玲奈はない。のんはあった。忘れていたが、知人の息子さんがのんと自称しており、海外でnonと自称するとなかなかに微妙な反応が得られると言っていた。(下にコピペワケワカ)




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学校に行けない行かない。
07/05/18 02:47

のんちゃんは22歳。PTSDにより中学校も一日しか行っていない。キーボードも英語も独学でマスターした。独学といっても母親の力が大きいことは想像に難くないが。この春、学歴を問わないIT企業をネットで探し就職した。

今、1日7行ぐらいという超スピードアップ(やれやれ…)でなるちゃんの一冊を読了して譲ろうとしている。譲られても困っちゃうわん、かもねという不安はあるが。


のんちゃんの引っ越しまでに読了しそうもないから安心だ。(タイトな生活観ゆえ新品進呈はなし)

大多数の日本少年少女、学校生活被体験者が得る情報の、量も質も、学校へ行かなければ得られない。学校へ行けばもしかすると独特でステキな先生と相まみえるラッキーに遭えるかもしれない。


独特でステキな先生と数十人との関係の中で自分の位置が、というアンラッキーもあるし、話を戻せば、独特でステキな先生なんてそう多くはない。

んなこと言ってりゃなにごともきりないし。てなことなんだけどさ。


それはネットや書籍、TV、そこらへんの母親だけで補えるものではないと思う。と思うが、日常のどこかに、例えばときどき見かけるきりっとしたお姉さんのイメージとか隣の道楽おじさんの存在とか、自分を俯瞰させる位置からの指針とかがあれば、まあ、学校なんか行かなくたって、ネットや書籍、TV、そこらへんの母親などからの情報で、人間関係を含めた生きる知恵は得られると思う。





───
2022-09-12 05:22
昨夕、帰りのバスから降りて、そういえば2年近く話してないなと兄に電話してみた。つながらない。夜もう一度電話してみた。夜中になっても返らない。
今朝さっき電話してみた。
ごめん、起こしちゃった?。
いや、起きる時間だから。
電話出ないから何かあったかと思って。
いや、犬の散歩してた。
そっか、じゃ、またあらためて。
うん。

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にっき。

2022-09-04 07:38:34 | memo。

(画像はおとといの吉祥寺東急屋上から。)


久しぶりに新聞を手にしたら薄くなっていてカナシイ。。みたいな投稿文が新聞に載っていた。あなたってタノシイ。とか何とかこねくり回しているうちに、あそうかネット新聞購読者なのかなと気づくのがオソイ。
私はその薄い紙新聞を毎日手にしている。しっかり見るのはさらに薄く、欄外広告と番組欄とマンガ。雑誌の小見出しをそんなにいっしょうけんめい見なくても、と自分で思う。

きょうは、茂木健一郎さんの著書の広告(見出し)。日記を書く習慣をつけるとボケないとか。
ブログも「日記」として、そういえば、去年かな今年かな、何でもいいからなるべく書こう、と、ここに書いた。でもまんいちまいにち実際書いてたら、想定唯一読者の自分に完全に見捨てられるだろう。



検索してみました。
「あえて日記を公開する「公開日記」の効果とは?」というサイトがあり、その中にこんな数行が。

・未来の自分でもわかりやすい
公開日記は、他の人にもわかるように書きます。
ということは未来の自分が読むときも、分かりやすい日記が書けるということです。


わかるかわからないかをあまりかんがえない。書いたその日に読み返した場合でももうわからない自分の「日記」。去年あたりまでは、PC入力も多かったから指の運動になっていました。ほとんど右手人差し指1本入力の今、指先神経疲労が意識されております。






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