人為と天与の別なく心身への強烈な刺激の記憶を伴う得失感は他の個体とは共有できない。例えば厄災、命の産出あるいはまたさも定型的な日常の刻々。個体が個体であることによって共有できぬ共通すら共有したがりありとあらゆるすべをくしして顕しつづけるシュ。
ジジツハブンガクヨリモ貴ナリ。…… 至言を言いかえようとむりするあほ。
バッハ資料財団国際広報室長高野さんのおはなし。
バッハ資料財団国際広報室長高野さんのおはなし。
心を奪われる。
かたちと光と動き。
思えば横浜トリエンナーレでのあれやこれやも、そういやむかし都現美で見たナム・ジュン・パイクなんかみたいなストレートさではなくても、現代美術展から発光と電動をとったらサビシイでしょうなあ。どこまであたりまえの電気かなどふと思われる。
前章「あの映画(『武士の家計簿』)、倹約して猪山家の家が豊かになっただけで、本当は何の解決にもなっていない。(略)それで武士全体の問題を解決するために明治維新が起きるわけですけど。
変わってないと思うのは結局、日本人は家族の単位で利益を考え行動するのだということ。それを突き抜けて広い目で世間をみるのが苦手です。結局、家族が食べていけるか、なんですね。日本全体はどうなるのかとか、猪山家の人々に広い視点はついぞなかった。」
…………
後章「藩(仙台藩)の重臣が金を貸してくれ(殿様に年貢をとられ続けるのではなくて殿様から毎年、金をふんだくるシステムを百姓が持つ)てよくやったから褒美をやると遠藤に言う。でも遠藤は行かない。その理由は、馬にもかごにも乗りたくないからだという。人間は一番知恵の高い万物の長なんだから、人が同じ人間や馬の背を苦しめるようなことはそもそも間違いだと。」
変わってないと思うのは結局、日本人は家族の単位で利益を考え行動するのだということ。それを突き抜けて広い目で世間をみるのが苦手です。結局、家族が食べていけるか、なんですね。日本全体はどうなるのかとか、猪山家の人々に広い視点はついぞなかった。」
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後章「藩(仙台藩)の重臣が金を貸してくれ(殿様に年貢をとられ続けるのではなくて殿様から毎年、金をふんだくるシステムを百姓が持つ)てよくやったから褒美をやると遠藤に言う。でも遠藤は行かない。その理由は、馬にもかごにも乗りたくないからだという。人間は一番知恵の高い万物の長なんだから、人が同じ人間や馬の背を苦しめるようなことはそもそも間違いだと。」