北原鈴淳 琴古流尺八教室 in八王子

尺八の音色は心を癒してくれます。

演奏すれば「無」の境地になれ、演奏が終われば満足感、充実感が得られます。

飯田・木曽・昼神温泉の旅

2015-09-26 10:36:00 | 旅行
誰が名付けたのか、シルバーウィークの9/21~9/23に飯田・木曾・昼神温泉に行って来た。
中央高速バスで日野バス停から乗ったのだが大渋滞。飯田には2時間半も遅れて着いた。
大学生の頃には新宿駅から飯田駅まで急行があったのだが、今は直通が無く、中央高速バスに代わってしまった。

飯田市座光寺にリニア駅が出来るのは随分先の話であり、私としては新宿駅から今流行りの特別観光列車を1本でも走らせて欲しいと切に思う。JRの方、よろしくお願いします。



JR飯田駅。1992(平成4)年完成の3代目。リンゴのイメージデザインである。



新しく出来た飯田市庁舎。狭かった箕瀬町の道幅を広げた。



飯田最古の道標。400年以上前から大横町と殿町の交差点にある。



南は三州街道、北は甲州街道、西は大平街道を越えて木曾に通ずる旨。



馬籠にある「是より北 木曽路」の道標。木曽路はすべて山の中だね。



名勝地「寝覚の床」
実は当初、妻籠に行く予定だったが、旅行会社経営の友人T君の提案により、急遽変更した。



途中で見つけたテングタケ。毒だから食べてはいけません。写真は良いです。パチリ。



「寝覚の床」は浦島太郎が玉手箱を開けた場所という伝説で有名。
長野県歌「信濃の国」の4番に「尋ねまほしき 園原や 旅のやどりの 寝覚の床」と歌われる。



巨岩・奇石がいっぱい。右側手前の巨岩の上で撮ったのが次の写真。



まるで軍艦みたいです。手前の巨岩の上に人が小さく見える。



右上の方に浦島堂があるのだが、岩に足を滑らせ、すってんころりで退散。帰りのビューポイントでパチリ。


「道の駅」木曽福島で五平餅と信州サーモン丼が美味。残念ながら木曾御嶽山は雲で見えなかった。



開田高原。開田嫁入唄の碑。
すぐ左隣に長蛇の列があったので何かと思って行って見たら、「開田高原ソフトクリーム工房」だった。我々はバニラとトウモロコシのミックスとリンゴソフトクリームを買った。残念ながら写真は撮りそこなったが、清里の清泉寮を思い出させる、高原の新鮮な味だった。



開田高原の木曽馬は妊娠で腹がふくらんでいるのではなく、盲腸が長く大きく、草の繊維消化が十分だという。昔は農耕馬で、今は大切に保存活動をしている。体高は平均133㎝。足は短くサラブレットとは大違いだ。



非常におとなしい。触ってもほとんど動かない。乗馬体験も出来ます。


そばの花、赤そば畑。


我々が泊まった旅館・薬師館は昼神温泉郷、国道256号の右坂上にある。(阿智村)



二階建ての木造だが、露天風呂もある。朝市まで歩いて10分の所。


夕食は「自然の恵みプラン」。まずビールと前菜。右は鮭の白子。



馬刺しは柔らかく、うまい。てんぷらもおいしく、漬物は自家製。



岩魚の塩焼き、千代幻豚の鍋、女将の手打ちした蕎麦。その後にカボチャパイやデザートで腹いっぱいだった。



昼神温泉名物の朝市。6月にも来たので、顔なじみのおばさんも元気で売っていた。朝6時から。



帰りの昼食のためにパンを買う。珍しいベーコンとジェノベーゼ入りパンを買い「記念に撮影を」と言ったら、しっかりと看板まで出し、手に持ったお兄さん。アピール性のある面白い人だ。



右は信州名物「蜂の子」のビン詰め。(クロスズメバチ)「蜂の子」は私の小さい頃、正月に良く食べた。炊き込みご飯は最高のおいしさだった。蜂の幼虫とサナギが入っている。
大学生の時、遊びに来た友人に土産として高価な缶詰をあげたら、帰って「開けてびっくり」して捨ててしまったそうだ。そりゃあ誠にもったいない話だに。

早速食べたが甘露煮の懐かしい味だった。酒が進みますに。
左は「道の駅」で購入した開田高原の「黒米」である。

追記 「阿智村騒動記」 (映画の大鹿村騒動記をもじる)
妻が昼神温泉で買い物をした折、「鞄に入れた財布がなくなった」と大騒ぎになった。結局、直前に買ったビニール袋の中にあり一件落着。

第二弾は帰りのバスで、昼食として買っておいた3人分の「おやき」が無いと言われ、実家に忘れて来たかと電話するも、バスの座席下にビニール袋ごと落ちていた。

最後までとんだ騒動でした。

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