北原鈴淳 琴古流尺八教室 in八王子

尺八の音色は心を癒してくれます。

演奏すれば「無」の境地になれ、演奏が終われば満足感、充実感が得られます。

シンガポール旅行 そのⅡ

2016-07-26 18:52:00 | 旅行
7月15日(金) シンガポール1日目
朝7時30分頃、チャンギ国際空港を出てすぐにタクシー乗り場に行く。

義弟と奥さんは英語が出来るので安心である。あらかじめスケジュールを組んで私もコピーをもらっていた。

今回の旅行は機内1泊、4泊5日の旅で、宿泊は3日間ともGoodwood Park Hotel(グッドウッド・パーク・ホテル)で、4泊目はマリーナ・ベイ・サンズに泊まった。

Goodwood Park Hotelを選んだのは、義母が約40年前に夫婦で泊まった思い出のホテルで、さらに割安だったからだと言う。それでも雑誌には高級ホテルと表示があった。(亡くなった義父は戦時中シンガポールに来ていた思い出の地だった)

以下、登場人物は頻繁に出るので、義母はTEさん、義弟はTA君、その妻はKAさん、その息子はYO君とする。

5人乗れる大型タクシーを呼んでもらい、先ずはGホテル行きである。Gホテルで大型の荷物を預けて再びタクシーで、カトン地区へ向かった。

やはりシンガポールは暑い。30℃位で湿気もある。だが、ホテルもタクシーも冷房で涼しい。むしろタクシーは寒い位だった。初日は私はYシャツだったので都合が良かった。



雑誌「るるぶ」を片手に、TA君があらかじめ調べてあった「金珠」と言うお菓子の店で珍しい菓子「オンデオンデ」を買って食べたり「パイナップルタルト」を購入した。

ここで日本人初老ご夫婦に会った。三重県から2人だけのツアーだ。他の方がキャンセルでも金額が変わらなかったらしい。現地ツアーガイドに案内されていた。

写真はその隣の店で、NHKでも放送された「ルマ・ビビ」刺繍店も見学する。
ビーズの刺繍の靴は、高いもので15万円はすると言う。手作りでとてもきれいだ。

下の写真は加東古董と言う骨董屋で、陽気なばあさんと話をしたり、卓上のパイナップルタルトに又目が行き、再びそれを買って食べた。やや甘いココナッツ入りクッキーだ。





カトン地区にあるプラナカン文化の有名な建物が並ぶ。



シンガポールでの初めての昼食は、カトン地区のニョニャ料理の「チリパディ」で、先ずはタイガービールに、クエ・パイティ(タルトの中にエビなど)、フィッシュヘッドカレー、ロールキャベツ(白身魚のすり身入り)でココナッツソース、エビ入りチャーハン、アヤム・ブアクルア(ブラックココナッツとチキンを煮込んだカレー)、ケペティン・バクアン(豚ひき肉・エビの肉団子入りスープ)など。
ビールは日本より苦みがある。チキンカレーの辛いこと。

この店はシンガポール№1になって、表彰状が壁に飾ってあった。

水をもらったが全然美味くない。カビ臭いのである。やはり美味いのは日本の水である。全員が水をほとんど残して、飛行機でもらったペットボトルの霧島の水を飲んだ。



シンガポール国立博物館まで2台のタクシーで行く。何と看板に日本語表示もしてある。



大人S$10のところ、全員60歳以上で$5だった。入館時にいきなり日本人学校の生徒らが20人位出てきた。

シンガポールは赤道直下の北緯1度、東経103度。国土面積は東京23区とほぼ同じ位で回りを海に囲まれている。水はマレーシアからほとんどを、管で引いている。最近は湾を堰止めたり、海の水を淡水化しているのに日本が技術提供しているようである。

国際ランキングは教育、経済など高位置で華人が74%位と多い。最近の発表でアジアでの大学ランキングは東大を抜いて、シンガポール大学が一位になった。

言語は英語・マレー語・中国語・タミル語など平等に使用するようだ。

日本陸軍はシンガポールにも攻めて、1942年2月から1945年8月まで統治した。当時の国名は「昭南島」(しょうなんとう)と言う。
年代別に展示してあり、建国者の肖像画も多く、大変分かり易かった。



再びタクシーを拾おうとしたが、通行量が多く帰宅時でなかなか捕まえられず、あちこち歩き回ったが、ただいたずらに時間が過ぎ、結局近くの地下鉄MRTに乗った。

地下までのエスカレーターのスピードの速いこと。年寄には少し危険である。
東京と同じように左側に立っている。
駅は、完全にホームドアが天井まであるので、一見電車が着いたのか解らないが、当然ドアが開く。

途中乗り換えが解らず、声をかけると皆親切に教えてくれた。TEさんには離れた場所からも、積極的に席を譲ってくれたのは凄い。

日本のような切符はなく、スイカみたいな紙製カードを購入して、それにチャージする方法だ。使い切れば返金は無い。旅行中何回か使用して記念に持ち帰った。

午後7時30分過ぎ、ホテル近くでTA君の息子と連絡を取って合流。私は持っていないが、スマホの便利さを知る。その後YO君も全日行動を共にした。彼は4年前から現地の会計事務所に勤めて資格も取った。もちろん英語はペラペラである。大変心強かった。

オーチャード道路の繁華街の地下一階のフードコートを案内してくれて、様々な料理の中からビーフンやホッケンミー、鳥の天婦羅や、ジュース類を飲んだ。
ホッケンミーの炒め料理は旨く、気に入った。

ホテルまでは歩いて5分位だった。途中セブンイレブンで缶ビールを購入。

ライトアップで美しいホテルに入ると、案内係はブータン出身でシンガポール大在学中の美人女性だった。聞いてびっくり、まだ19歳だし、その健気さにすっかり気に入ってしまった。



私・妻・TEさんの部屋は568。5階と思いきや最上階の3階だった。これがエレベーターが複雑で、何回も違うところに出たりした。

初日はTA君・KAさん・YO君は567で、566がドアで行き来できるようになっていたから、2日目は私達を566に変更してくれた。
親切に「日本経済新聞」をくれたので、相撲の勝敗が解って良かった。

全員一部屋に集まり、缶ビールと飛行機でもらったスナック菓子で乾杯。
明日の予定の打ち合わせをした。当初の予定より毎日変更になった。

初日は軽くシャワーを浴び、私は一人早めにゆったりとした手前のベッドで、TEさんは奥のエクストラベッドに横たわった。

日本のユニット式より広い洗面所であるが、一部屋で右にカーテンのある風呂と左にトイレがあり、後日困った事が起きた。
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