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エリザベス・ベントリー:赤いスパイクイーンー2  米共産党のオルグ

2024-10-16 07:54:22 | 世界史を変えた女スパイたち

エリザベス・ベントリー(1908~1963)

 

 

エリザベス・ベントリー:赤いスパイクイーンー1  生い立ち
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からの続き

 

 

 

米共産党のオルグ

反戦反ファシズム米国連盟は共産党傘下であったが、左翼臭は意図的に薄められ、進歩派思想団体として幅広い層からの指示を狙った。

ベントリーの参加したコロンビア大学支部は学生の参加は少なく、左翼教授や卒業生がメンバーの中心であった。

 

「私は、この組織への参加を決めた。 この時から生きる情熱が再び沸いたように思う。 萎えた意志も絶望感も嘘のように消えた。 反ファシズム運動に参加することで、これまで抱えていた悩みがたちまち消えた」(ベントリー)

 

ベントリーのオルグ(勧誘活動)を担当したリーは、相当なやり手だったようだ。 ベントリーは進歩主義組織への加入で精神の高揚を感じ、薄汚い組織本部での事務作業に精を出した。 

仕事に慣れてきたベントリーに、リーは反戦反ファシズム米国連盟は米共産党を頂点とする共産主義組織であること、米共産党はコミンテルンの指導を受けていることなどを明かした。

ベントリーはここでようやく連盟がリベラルのお化粧をした極左組織であることを知った。

 

リーは、ベントリーに共産党入党を勧めた。 リー自身も共産党員であり、連盟コロンビア大学の支部の仲間も党員であると教えた。

 

「皆他者の幸せと社会の幸福(進歩)を願って活動している。 あなたも党員になりなさい」

 

と迫るリーであったが、ベントリーは躊躇した。彼女は共産主義思想を学んだことがなかった。 ハート(こころ)は仲間と共にあったが、頭がついていかないのである。 そんな彼女を見たリーは、突然ベントリーに冷たくなった。

それがベントリーには辛かった。 せっかくできた仲間から離れたくなかった。 彼女は入党を決断した。

「社会主義のために立ち上がれない弱虫」と非難していたリーが嘘のように優しい女に戻った。

 

入党後、しばらくして職がみつかった。 ニューヨーク市家庭緊急支援局に採用されたのである。 彼女の所属組織も支援局支部に替わった。 共産党員として徹底した教育を受けたのはこの支部であった。

共産党は自らの頭で考える党員を嫌った。 「党員は一人では何もできない小さな存在。 だからこそ党の指示に徹底して従え」。  これが指導方針であった。
支援局支部の緊急の活動目標は、支援局労働組合の結成であった。 ベントリーは、オルグのためビラ印刷を任され、謄写版(ガリ版印刷)の前で汗を流した。

 

党員仲間の信頼を得た彼女は、党加入申請者二人のインタビューを任されたことがあった。 その一人は日本でのキリスト教伝道から帰ったばかりの若者であった。彼は既成キリスト教会への不満を語った。 協会は貧者救済の理想を捨て、富める者の玩具になったと嘆いてみせた。


「共産主義について調べましたが、これこそ新しいキリスト教です。 本来の宗教(the Christianity of the furure)です。 だからこそ共産党に入党して人々のために尽くしたいのです。 命を落とすかも知れませんが、それはそれで構いません。 信念のために生きたいと言う僕の気持ちを、あなたが否定することはないと思っています」  

彼女は彼の入党を推薦した。 ハーバート・フーバー大統領はその著書『裏切られた自由』の冒頭で、連邦政府に潜入したおびただしい数の隠れ共産主義者をリストアップした。 そのうえで、「共産主義は悪しき宗教である」と喝破した。

 

入党後しばらくして、彼女はコロンビア大学教職課程に戻った。連盟の活動は大学支部に再加入して継続した。 1937年春、ベントリーはジョゼフ・エクハルト(Joseph Eckhart )なる人物から電話を受けた。 一度だけ大学支部の幹部からビジネスマンとして紹介されたことがあった男だった。 彼は彼女を食事に誘った。

 

ニューヨーク市内の『ロンシャン』(注:当時マンハッタンにあったレストランチェーン)でエクハルトは重大な秘密を明かした。  「コミンテルンのメンバーであり、ビジネスマンは表向きの顔である。 実際は航空機用部品の買い付けが任務で、購入した部品は内戦下にあるスペイン共和国軍にメキシコ経由で送っている」。  

連盟支部を通じてベントリーの身辺を十分に調査し、彼女には秘密を明かしても大丈夫であると自信があったに違いない。

 

1938年に入ると、共産党員の幹部クラスに大きな変化があった。 ソビエトやヨーロッパ諸国からやってきた党員(工作員)が、本国への帰国命令があるのを極端に怯えるようになった。 この時期にソビエトではスターリンによる粛清が大規模に始まっていたのである。

スターリンは、とりわけ西洋諸国で外交活動やスパイ工作に当たっているものを警戒した。 任期終了を理由に呼び戻されると行方不明になったり,公開裁判にかけられて処刑されるものが増えた。

 

エクハルトも呼び戻された。 彼はそこから二度ばかりベントリーに絵葉書を送って来た。 スペイン共和国軍支援工作の仕事を続けていたようだったが、しばらくして消息が途絶えた。

 

 

 

エリザベス・ベントリー:赤いスパイクイーンー3 工作員の愛人にhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/870500333779a38b8413afe412175729

に続く

 

 


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