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欧州極右の源流、過激さ貫く ジャンマリ・ルペン氏死去

2025-01-08 17:05:01 | NATO・ウクライナ・ロシア・中国・中東情勢


極右RNを率いるマリーヌ・ルペン氏㊨と、父で同党の前身FNの党首だったジャンマリ氏
(2010年5月、パリ)=AP

 

【パリ=北松円香】

フランスの極右政党、国民連合(RN)を率いるマリーヌ・ルペン氏の父、ジャンマリ・ルペン氏が7日死去した。

RNの前身となる極右政党の党首で、2002年に仏大統領選の決選投票に進出した。欧州の現代政治史における極右の伸長を象徴する人物だ。

 

ナチスのガス室を「歴史上のささいな点だ」と述べるなど、反ユダヤや人種差別の過激な発言が多かった。外国人の排斥を望む有権者から一定の支持を得たものの、主流派の政治家にはなり得なかった。

ジャンマリ氏は1928年に仏西部の町ラトリニテシュルメールで漁師の家に生まれた。パリ大学で法学を学び、インドシナ戦争に従軍。帰国後に国民議会(下院)議員に当選した。

 

アルジェリア戦争への従軍を経て、72年に結成された極右政党の国民戦線(FN)の党首に就任する。同党は80年代以降、欧州議会や仏議会で徐々に勢力を拡大した。

フランスで極右の浸透がはっきりしたのが2002年の大統領選だ。初回投票ではジャンマリ氏がジョスパン首相(当時)に競り勝ち、予想外の決選投票進出を果たした。

もっとも当時現職のシラク大統領との一騎打ちとなった決選投票では18%しか得票できず、この時点では極右大統領の誕生はまだ現実的なシナリオではなかった。

後継で三女のマリーヌ氏は移民抑制などの主張を受け継ぎつつも自党から父を排除し、反ユダヤ主義も封印。より穏健なイメージの確立に成功した。その結果、今やマリーヌ氏が次期大統領候補として最も人気だという世論調査の結果もある。

 

11年にFN党首に就任したマリーヌ氏は党名をRNに変更するなど、支持層の拡大に努めた。過激な発言をやめない父から名誉党首の肩書も剝奪した。仏メディアによると父娘の関係は一時期悪化したが、最近は和解していたという。

仏大統領府は7日にジャンマリ氏の訃報について声明を発表した。同氏が仏社会で「70年近く役割を果たした」と認めつつ、その意義は「歴史が評価することになる」とした。

 

 
 
 
 
日経記事2025.1.8より引用
 
 
 
 
 


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