のぽぽんママとのぽぽん兄弟

その名の通り、のぽぽんとしたママと兄弟の日記もどき。

壮絶な出産の記録。

2008-05-06 | Weblog
そうだそうだ、こっちの日記にはどんな出産だったか書いてなかった!
私の出産ドラマは、金曜の夜、ファインディングニモを見ていたときに始まりました。

始めは単なる便秘の腹痛だったのに、それが段々別の痛みに。
15分間隔の痛みに耐え、ニモが終わる頃には5分おきに…

陣痛だ!
病院に電話をし、土曜日に日付が変わってから病院へ。
潮の関係か、病院は大混雑。
LDR(分娩、回復等を同じ部屋で行う)は満室で、予備の部屋(しかも相部屋)で待機。
でも…陣痛が不規則になり始め…

結局月曜の朝まで、陣痛が規則的になるのを待つ羽目に。
本陣痛でないにしろ、痛いには痛い。昼は義母、夜は旦那に付き添われ、うめき続けていました。
ほぼ眠れず。食べれず。
子宮口も開かず、焦りも出てくる。
浣腸をするといいと言われ、試したけど、陣痛の痛みと浣腸のダブルパンチは辛すぎた。

それでも陣痛はバラバラで、結局薬で陣痛を誘発することに。
これがまた…きついんだわ(><)
吐くわ、叫ぶわ、効かないのでどんどん薬は足されていくわ。
規則的でないにしろ、痛みは本陣痛MAX!
酸素不足になり、酸素マスクをつけられ、あげく足が固くつり始め。
体の体勢も変えられなくなりました。
薬を使っても全く規則的にならず、そんな状態でさらに1日苦しみ続けました。
その後、ようやく子宮口が全開になったけれど、子供が大きすぎて下がってきておらず、自分でいきんで下げなければいけなくなり…
いきみに格闘すること数時間、先生が現れ、
「お母さんの体力の限界が近づいてる。三時間様子を見て、ダメだったら帝王切開しよう」の言葉。
だったら最初から…と思ったし、正直、もう余力はなかったけど、その時私に出来るのは一人頑張り続けることだけで…
(これは本当に孤独な戦いでした…)
でもその頑張りが通じたのか、10分後、再び先生が現れ、内診したら、事態はガラリと変わり
「ここまで下がってくれれば…。よし、手伝うから、自分で生みましょう!」の言葉。
手伝うって? と思っているウチにたくさんの機械が姿を表し、なに?と思っていると、何やら機械が私の中に!
そりゃあもう、痛いなんてものではなく、断末魔の悲鳴をあげました…。
その上、助産師さんがお腹に乗っかり、赤ちゃんを押す!
「りくちゃさんは、私を押し返して、かつ、つかんだ棒を使って、吸引を押し返してください!」
そうです、吸引分娩が始まったのです。

ええええええ押し返す?! 
でもでもやるっきゃない!!!!!!

…文字にできないほど、過酷でした、この行為。

そして、やっと…
「出ましたよ!」

出た?
何が?

遠くで聞こえる産声に、
(…生まれたの…?)
ぼんやり思うことしかできず。
次に私がしたのは時計を見て、まだ旦那が病院にいる時間だと言うことの確認でした(どうしても仕事を休めないので、タイムリミットがあった)。

(間に…合ったぁ。一番に抱かせてあげられる…)

私の産後の処置が終わり、旦那が病室に。
「生まれたよ…」と声をかけると、
突然旦那は号泣し始め…
その場に泣き崩れました。
「もう生まれないかと思った…」

三日三晩、睡眠を削り、私の悲鳴と戦い続けてきた彼も、私同様弱気になっていたのでしょうね。
あまりの泣きっぷりに思わず笑ってしまった私ですが(笑)

痛みは体験した人のものであって、真には伝えられないけど。

4月22日火曜日、5時42分。私たち夫婦に、長男が誕生しました。
大変だったけど、今は愛しくて仕方のない存在です。

余談ですが、私の頑張りを、助産師さんがあとからえらくほめてくれたのが
泣けるほど嬉しかったです。
みんなもう、私が疲れ果ててるから自力分娩は無理だと思っていたらしいです。
「感動しました」の一言に、思わず涙腺が緩みました。
出血も少なく、産後もケロリとしてるので「ホントたくましいですねー」と二人で笑い合いました。
さすがに、立って歩けなかったですけどね。

女は強し。母は強し。ですね。