3日目からの続きです。
● 朝の北陸本線
11月26日。旅の最終日になりました。
6時に起床。宿坊ではないので、朝のお勤めはありません。
朝温泉に入りに行くと、先客が2人いました。
この日は岐阜へと向かいます。
朝食をとり、8時半にチェックアウト。
いい天気。青空を背に長浜城がそびえていました。
シックなステンドグラスが埋め込まれた長浜駅から北陸本線に乗り、南へ向かいました。
東側の窓から朝日が射し込み、車内がまぶしく輝きます。
電車からヤンマーミュージアムの建物が見えました。
ほどなくして、湖畔に立つ巨大な銅像が見えてきました。
こういう場合、湖を眺めていそうですが、その像は湖に背を向けて、こちら側を向いています。
高さ28mの、長浜びわこ大仏だそうです。
120mの牛久大仏にははるかに及びませんが、18mのガンダムよりはずっと大きいです。
次に、中華鍋を逆さにしたような巨大なドームが見えてきました。
前日の琵琶湖フェリーから見えた、長浜ドームでした。
湖畔にはいろいろビッグなものがあるんですね。
走る電車の中からだったので、写真は撮れませんでした。
米原で東海道本線に乗り換え、大垣へ向かいます。
東に方向転換したため、朝日の射し込む向きが変わりました。
● 関ヶ原駅
滋賀から岐阜に入り、岐阜県最西端の駅、関ヶ原駅に着きました。
近江の国よ、さようなら~。美濃の国よ、こんにちは~。
いつも新幹線で通りすぎるばかりで、この駅に停車したのは初めて。
関ヶ原といったら、天下分け目の戦い。
戦国ファンが目指す場所です。
この駅のコインロッカーに武将たちの家紋が描かれているというのは、歴史好きにはよく知られるところ~。
ホーム沿いに大きな横広の看板があり、関ケ原の合戦で戦った、東軍西軍の主な武将たちの家紋と名前が一堂に並んでいました。
わあ、これは撮らなくちゃ!
「夏草や兵どもが夢の跡」と芭蕉が詠んだのは、夏の平泉でのこと。
秋の関ヶ原だっていいだろうと、その句を思い出しながら、古戦場をあとにしました。
● 一両の樽見鉄道
大垣駅に着きました。ここから樽見鉄道に乗り換えます。
目指すは華厳寺という、西国三十三所のお寺。
ここからローカル線に乗り、さらにバスを乗り継いで山の中へと入っていきます。
樽見鉄道のホームはどこかなと探すと、JRのホームを間借りするように、端の方にちょこんと停まっていました。
大垣駅のロッカーに荷物を預けるつもりでしたが、改札を出ずに乗り換えになるため、近くにロッカーはありません。
「じゃあ、降りる谷汲口駅のロッカーに入れよう」と母と話していると、発券売り場の人に「無人駅なので、ロッカーはありません」と言われました。
「えー、どうしよう」
発券売り場の人は「平坦な道なので、荷物があっても大丈夫でしょう」と言います。
(そうかなあ。山の中にあるお寺はそんなに甘くないのでは)と思いながらも、発車時間が刻々と近づいているため、そのまま持ち運ぶことにしました。
一両編成のワンマン運転。
母が「車両の中に電光板の料金表示があるのね。バスみたい」と珍しがっています。
「田舎に行けばけっこう見るわよ」
四国の電車を思い出しました。
出発時刻になると、電車の中は乗客でぎっしり埋まり、立っている人も大勢いました。
「次は二子玉川(ふたこたまがわ)~」みたいな駅名のアナウンスがあったので、駅名を確認すると「北方真桑(きたがたまくわ)」でした。
ふたこたまがわ、きたがたまくわ。マイクを通すと、けっこう似て聞こえるんですよ~。
乗客の年代は幅広く、老いも若きもいます。
みんな私たち親子と一緒に華厳寺に行くのかなと思っていましたが、途中の「モレラ岐阜」駅で、乗客の半数が下りていきました。
10代の学生たちは、全員降りました。
駅のそばには、郊外イオンのような大きなショッピングモール。あれがモレラのようです。
まだ朝なのに、みんなここに繰り出して、一日遊ぶんでしょうね。
あたら花の青春をね~。まあそれも青春ですけど。
● 淡墨桜と作家
車両内は、一気にシニア度が増しました。
残っているのは、華厳寺に行く人たちでしょう。
電車は、ますます自然豊かな奥の方へと入っていきます。
「この辺りの桜は、淡墨桜として知られているのよ」と母が言いました。
「伊勢湾台風で桜の木が大被害を受けた時に、宇野千代が働きかけて、復活させたのよ」
へ~、宇野千代が桜が好きで、桜モチーフのグッズを出していることは知っていましたが、実際にそういう活動もしていたとは。
「色ざんげ」の作家と言うイメージでしたが、立派だわ。
単線列車なので、本巣駅でしばし停車し、反対側から来る電車を待って、すれ違いました。
この駅に、樽見鉄道の会社もあるそうです。
電車の外一面に柿がたわわになっています。
岐阜は、日本で5本の指に入る、柿の一大産地だそうです。
本巣駅を過ぎると、ぐっと民家は減り、電車は自然の中へと入りこみます。
「遠くへ行きたい」の素朴なメロディが頭の中を流れ始めます。
● 谷汲口駅
谷汲口駅に到着すると、私達を含め、車内のほとんどの人が降りました。
なにもない無人駅の前に、華厳寺行きのバスが一台、ぽつんと待っており、降りた人は改札を出た順番のまま、全員が乗りこみます。
10分も乗らずに、終点に着きました。
バスを降りてから先の道のりは、事前によくわかっていませんでした。
そこからお寺までは、門前町の通りが続いています。
ゆるやかな坂道を、ガラガラとキャリーを引いていきます。
ほかにもキャリーを引いている人がいて、ちょっと仲間意識。
● 大きな仁王門
門前町の通りはけっこう長く、10分ほど歩いて仁王門に到着しました。
古くて立派です。
仁王像はそれほど大きくありませんが、運慶作といわれているそう。
門を抜けてからも、さらに石畳の道が続きます。
紅葉で黄色や赤に染まった、きれいな参道。
辺りの景色を楽しみながら向かいます。
参道の落ち葉も、黄色と赤が混じってカラフル。
本堂が近くなると、とたんに参道は急な石段となりました。
やっぱりそうですよね。だって山中の古刹ですもの。
ここは、西国三十三所の満願寺であるとともに、私にとって百観音巡礼の最後となるお寺でもあります。
どんなに坂がきつくても、ラストの観音様にお祈りしなくては!
謎のパワーと共に、ハーハー息を荒げながら登り、参拝しました。
● 台風の爪痕
本堂横の鐘楼の前に大木が倒れたままになっていました。
大変な状態のままの光景に驚きます。
先月の巨大台風によるものだそう。
岐阜は、台風があまり上陸しない県と言われていますが、ここまで大きなことになるなんて。
それでも大木が鐘楼に直撃せず、鐘楼の石段が少し壊れた程度ですんだのは、不幸中の幸いです。
倒木の角度によっては、本堂も破壊されていたかもしれません。
きっと観音様パワーですね~。ゴゴゴ・・・。
やはり寺社には秋が合いますね。趣深さ抜群です。
● 巡礼最後の満願寺
このお寺の御朱印は3種類ありました。
本堂(観音堂)・満願堂、笈摺(おいずる)堂を参拝した証で、現世・過去世・未来世の印だそうです。トリロジー。
そんなわけで、本堂で御朱印を頂いてから、満願堂と笈摺堂に向かいます。
西国巡礼最後の満願寺なので、巡礼者たちがこれまでまとっていた自分のおいずる(巡礼用白衣)を脱いで奉納する笈摺堂。
その他にも、金剛杖や草鞋などがびっしりと奉納されていました。
カラフルな色は千羽鶴です。
それからさらに石段を上り、本堂の奥の小高い場所にある満願堂へ。
ここで、参拝の納め札を納めました。
● 百観音コンプリート
これでとうとう、私の百観音巡りが終了しました。
夢の百観音コンプリート。
石段を踏み外さないように気をつけながらも、頭はぼーっとしています。
ここ数年間、こつこつと参拝し続けてきたため、もうその状態に慣れきっていて、全部制覇したという実感はまったく沸きません。
でも、達成感は少しずつ、じわじわと押し寄せてきます。
帰りの参道も桜並木の紅葉がきれい。
どこもかしこも明るく輝いていて、満願を祝福してくれるようです。
西国三十三所の地図。改めて眺めても、やっぱり広いですねえ。
一つ一つ思い出していくと、どっと疲れが出て動けなくなりそうなので、まだポーッとしたままでいます。
ではここで喜びの舞をひとつ(笑)。
この辺りの谷汲踊(たにぐみおどり)の格好。
地元の若人が、4mの竹で鳳凰の羽をかたどった重さ5㎏のシナイ(竹飾り)をせおい、太鼓を叩きながら踊るそうです。
迫力あるでしょうね。見てみたい~!
● 栗ぜんざいと鬼饅頭
途中の茶屋に入りました。
満願祝いだといて、母に栗ぜんざいや鬼饅頭をごちそうしてもらいました。
いただきまーす。右は、西国巡礼用のヒノキの御朱印帳です。
鬼饅頭は、名前の重さとは反比例するような軽い食感の蒸しまんじゅうでした。
私は紫芋、母はヨモギと安納芋。
それでもまだ実感が湧きません。
ただ、参道のお店に巡礼用のおいずるが売られているのを見て、(もう縁がなくなったな)と少し寂しい気持ちになります。
● たわわな柿
参道には、柿がたくさん売られています。
先ほど、鉄道に乗りながら眺めた、広大な柿農園を思い出します。
どれもおいしそうー。でも重さを考えて、買うのはやめておきました。
そろそろお土産も増えてきたことですしね。
揖斐川町のマンホールは、天然記念物のギフチョウ。
子供の頃にまるっと覚えた名前なので、岐阜の蝶だとは考えませんでした。
● 山の中の駅
帰りのバスを待って、乗り込みました。
行きのバスで一緒だった面々と再会します。
途中、車内から谷汲昆虫館と名鉄(名古屋鉄道)の旧谷汲駅が見えました。
旧駅ホームが今ではそのまま電車の博物館になっており、外に赤い電車が保存されています。
昆虫館には、もちろんギフチョウがいるそうです。
● 鮎のつり革
終点の樽見鉄道谷汲口駅に着き、先ほどと逆の下り鉄道を待ちます。
とはいえ単線なので、ホームは降りたところと一緒。
一日5本しかこないため、貴重です。
帰りの車両は、観光列車でした。
何が違うのか、すぐにわかりませんでしたが、よく見るとつり革が鮎の形をしていて、ゆらゆら揺れます。
空飛ぶ魚のようで、かわいいです。
帰りはワンマンではなく、観光列車をPRする社員、老人福祉のパンフを配る人、そして車掌さんのスリーメン体制でした。
本巣駅に着くとそのうち2人が降り、車掌さんのみのワンマンに戻ります。
またもやここで反対の電車と交差するために時間調整が行われ、5分待ちます。
帰りはやはりみんな明るい雰囲気。
巡礼地をひとつ訪れたという達成感があるし、行きとほぼ同じメンバーなので、なんとなく見知った感がでてきたところもあります。
● 織部の里
途中の織部駅に到着しました。
安土桃山時代に信長と秀吉に仕えた茶人、古田織部の出生地(本巣市)です。
へうげもの~。
この駅は「道の駅 織部の里もとす」のためにできたそう。
順序が逆ですが、モレラ岐阜駅もきっとそうだし、まあ気にしない。
織部焼の好きな母は「古田織部ゆかりの地ね」と喜んでいました。
その2に続きます。