その1からの続きです。
○ ツーリングクラブ
出流への道の途中、車よりもたくさんのバイクと出会いました。
バイク日和ですからね。ものすごいバイクばかりで、単体ではなく集団でツーリングしているようです。
蕎麦店の前にも、人里離れた山の中には不似合いなほど、ピッカピカの大きなバイクが停められていました。
裏の小川は澄んでいます。見ているだけで心が癒されます。
蕎麦屋を出てすぐのところに、満願寺の仁王門がありました。
江戸時代、享保20年(1735)に建立された古い仁王門。
ここは坂東三十三観音第十七番札所。アコリンが「巡礼途中のお寺なのに、満願寺っていうのね」とつぶやきました。
ほんとだわ。私の巡礼の旅も、まだまだ途中です。満願したーい。
中には顔を引いた大きな赤い仁王様がいます。
迫力があるなあと、じっと見ていたら、屋根になにかが下がっているのに気づきました。
わっ、蜂の巣じゃないですか!ギャー!
しかもいくつも下がりすぎー!ぶら下げておいていいんですいかいぃ~!
蜂の巣に動揺しながらも門を眺めると、木彫りの彫刻がとても精巧でした。
芸術だわ~。
いやでもしかし、これからここのお寺の仁王門を映像や画像で見るたびに、仁王さまや彫刻よりもきっと蜂の巣を探してしまうに違いありません。
境内の駐車場には、ハーレーやイージーライダーが大集結していました。
みんな、このバイクで参拝しに来たのでしょうか。
それとも、門前の蕎麦を食べに来ただけなのでしょうか。
考えているうちに、御一行様がブンブン音を立てて、去って行きました。
○ 満願寺大御堂
山の中腹まで来たため、外にでるとひんやりと肌寒く、防寒をして満願寺を参拝します。
なんだかとってもエキゾチックな感じ。香港風と言いましょうか。
広い境内を歩いて行くと、鐘楼と鐘がありました。
変わったデザインの屋根に引かれて近くに寄ろうとしたところ、手前の池に目が留まりました。
とても水が澄んでいて、泳いでいる鯉が、影までくっきりと見えます。
素手でも捕まえられそう。本当に、水がきれいなところです。
「弁天講」と書かれたマイクロバスが駐車場に止まっており、境内には弁天様を祀る祠もありました。
かっこいい龍の手水舎を、角度を変えて激写。尻尾が長ーい。
徳川末期の代表的建築様式で作られた古めかしい八間四面の本堂が、正面に見えてきました。
筑波山・奈良興福寺と一緒に日本三御堂と呼ばれているそうです。
森の緑に包まれた、静かな古刹。
弘法大師作と言われる千手観音像がご本尊ですが、観音扉が閉まっていて観られませんでした。
お堂には、千社札がびっしり貼られていました。
いつも思うんですが、これ、どうやって貼ったんでしょうね?
きゃたつを持ち歩いていたのか、誰かに肩車してもらったのか、いずれにしても「貼ってやるぞ!」という並々ならぬ情熱がなしでは不可能な場所にでも、たくさん貼られているものです。
この超絶技巧の木彫り!宮大工さんの本気が見えます。
千社札といい、柱の木彫りといい、お寺って昔の人々の本気っぷりが今なお感じられる場所ですね…。
○ 奥ノ院トレッキング
それから、山の中の奥ノ院へと向かいました。
片道20分くらいと聞きましたが、歩き出して早々に、倒木があって、(大丈夫かな)と心配になります。
前日までの雨で、山道はぬかるんでいそう。ほかにも行く手を阻む木が行く手に倒れているかもしれません。
ゴツゴツの石が顔をのぞかせる急な険しい道で、登って行くのはなかなか大変。
こういう時こそ金剛杖があればいいのにと思いますが、入り口にはありませんでした。
(が、戻ってきた二人連れの手にはありました。あれ?)
奥の院への山道は整備されておらず、自然にまかせているまま。
仁王門の蜂の巣からして、そういうポリシー?なんでしょう。
何本もの倒木をくぐるようにして進んでいきます。
ずっと傾斜が続くため、女人堂の辺りからだんだん息切れがしてきましたが、途中の石仏の微笑みに、励まされます。
間隔を置いて、なにか墨で書かれた板が立っています。
「一切の 煩悩消えゆく 森林浴」
これ標語?
五・七・五かと思いきや、まるで守っていないフリーダムなものがどんどん登場しました。
極めつけは「ん?」明らかにネタが尽きたとしか思えません(笑)。
しかもこれ、御詠歌だったなんて、神様もビックリ!
○ 鍾乳洞の観音様
ようやく奥ノ院の建物が見えました。
鳥取の三徳山三佛寺にある、国宝の投げ込み堂に似ていると言われています。
私は、京都の清水の舞台を思い出しました。
修復したてなのか、新しい感じがあるのが、ちょっと残念。
さらにきつくなった段差の階段を上がっていきました。
ハーハーいいながら、ようやく堂内に入ります。
お賽銭箱の奥に周って、中に入れるみたい。え?どうなっているの?
なんと、奥ノ院は鍾乳洞だったんです。
礼拝堂になっており、蓮座の上に立つ、高さ4mくらいの十一面観音像の後姿が見えました。
長い長い年月をかけて、形が出来上がっていく鍾乳洞。
今でも水が絶え間なく流れて、形を作り続けています。
これほどの大きなものはめったに見ません。
これぞ、長年続いてきた、出流の水の力。
神秘的なその姿に胸を打たれて、すぐには動けませんでした。
誰もが立ち尽くすほどのこの感動は、私の撮影力では伝えられませんね~。やはり実際に行ってみることをお勧めします。
出流の源泉と言われる滝は、10mほどの大きさ。
不動明王と2童子の像がありました。
帰りは下りで楽ですが、少し前を歩いていたおばさまが、バランスを崩してお尻からしりもちをついてしまいました。
私もしょっちゅう転ぶので、足元注意です。
本堂で行う座禅体験の時間に、ちょうど間に合いました。
○ お坊さんのライトなお話
先ほどお参りした日本三御堂の本堂に入ります。
座禅を申し込んだ人は、どうやら私たち二人だけのよう。
黄緑色の法衣をまとったお坊さんが登場し、マスクを外して気さくに話かけてくれました。
「花粉症は大丈夫ですか?ここは杉林に囲まれているし、本堂は杉材で建てられているので、逃げられないんですよ」
つまりこの方は花粉症なんですね。マスクで修行をしているとは、お気の毒な。
「最近は、若い女性に滝行が人気なんですよ」と聞いて、驚きました。
みんな、そんなに人生を思いつめているのかしら?それともなんとなく?
「奥ノ院の滝で行うんです」
さきほど見てきた滝を思い浮かべます。
滝行は、寒暖の差以外はどの季節も同じ感じかと思いきや、月によって水量が違うと教えてもらいました。
春は、雪解けで水が多く、台風時期には、打たせ湯のような一本の流れが、ナイアガラの滝状態になるそうです。
「なので、滝行をするときには、その辺りのことも考えて時期を決めて下さいね」
「は、はい」雰囲気的に、うなずいてしまう私たち。
今のところする予定はないけど・・・。
○ 緊張の座禅体験~違いがわかる女、知りすぎた女
ライトな話の後で、「では座禅をしましょうか」ということになりました。
片足だけ胡坐を組む半跏趺坐(はんかふざ)の姿勢を取ります。
手は、法界定印(ほっかいじょういん)の形を取ります。
目は閉じず、床を見つめて半目で。
「座禅といえば、居眠りをする人の肩を警策でバシッと打つイメージですよね。あれは禅宗の座禅法なんです。
バシッと打たれて痛い思いをしたことは、ずっと身体で記憶しているものですね。
うちは真言宗ですが、今回は体験ということで、禅宗のやり方を取り入れていきます」
そう何気なく言われて、(えっ)と顔を上げた私たち。
真言宗の座禅は禅宗とは違うということは知っていました。
だから、「バシッ!」の痛い思いはせずに済む、そう考えていました。
だから申し込んだのに、まさかの展開ー!
聞いてないよー!
お坊さんは、長ーい警策(けいさく)の棒をにこやかに私たちに見せます。
「これですよ」ギャー!
2人とも、声にならない心の叫びを上げましたが、もはや逃げられません。
まさに、まな板の上の鯉状態。ひんひん。
お寺側にしてみれば(座禅は、一般的にパシッと打たれるものと思われているので、期待されているのかも。期待に応えて、体験者には警策を使おう)とのはからい(?)なのかもしれません。
でも私たちは「違いがわかる女」なんですよ~(笑)!
(真言宗の座禅といったら、阿字観だろう)と思って申し込んだんです。
禅宗の座禅だったら、こわくて申し込まなかったかも~。
むしろ「知りすぎた女」になってしまいました。消される~!
でももう、流れに飲まれるしかありません。
まさにアリジゴクの穴に立たされた、崖っぷちのアリ二匹。ひんひん。
瞑想の教室を開き、阿字観関連の本も出しているアコリンは、専門家の域で座禅も手慣れたもの。
ビギナーの私ばっかりバシバシ叩かれまくられるかもー。
自分の身を護るためには、微動だにせず、座禅を行うしかありません。
「はい、でははじめ!」
「私は女優!」ならぬ「私はマネキン!」として、瞬きと呼吸以外の動きを停めました。
お坊さんは、私たち二人の周りをゆっくり周ります。
背後で警策の棒を「シュッ、パシッ!」と立てながら!
あれは威嚇射撃ならぬ威嚇棒ふり?
目に見えないところで、何が起こっているのかわかりませんが、首を回したらそこでアウト。
こわいよ~。なんという恐怖体験でしょう。
50人くらい一緒にいたら、目立たずに済むんですが、2人きりですからね!
2人とも微動だにせず、お坊さんが風を切る「シュッ、パシッ!」の音だけが堂内に響き渡りました。
マネキンと化して微動だにしなかったのに、しばらくしたらお坊さんに棒を当てられ、おごそかに「では参ります」と言われました。
うわっ、き、キタ~!
観念して受ける体制を取ります。
ここでは、肩ではなく、腿に受けました。
パシッ! あ、痛っ。
(動いてなかったのに~)と思ったところで、お坊さんは続けて隣のアコリンにも、打つ声掛けをしていました。
もしやこれは、どんなに完璧に座禅を組んでいても、体験として一度は必ず叩かれるっていうシステム?
え~、うっそ~ん。不条理~。
そう思い始めると、雑念が生じて、身体が揺れそうになりましたが、まだお坊さんはアコリンの方を向いていたため、そこはバレずに済みました。
お坊さんは、私たちの周りをひたひたと行ったり来たり。
もう、どれだけ時間がたったかわかりません。
とうとう「はい、終了です」と声がかかりました。
終わったぁぁぁ~。
「どれだけ座禅をしていたと思いますか?30分間です」と言われました。
そんなに長い間だったのかと2人で驚きます。
もはや時間の感覚がなくなっていたのです。
座禅が目指すところの「無我」の状態で瞑想できたのとは、なんだか違う感じ。
集中というより、恐怖で硬直していたという方が近いです。
瞑想に至るリラックス状態とは違う、必死の修行でした。
恐怖と緊張に疲れ切って、2人でよろよろしながら本堂を出ます。
予定外の、身体を張った濃い体験をしてしまいました。
木像の本堂は寒く、座禅でじっとしてたらすっかり冷え切ってしまったため、甘酒でも飲んで温まろうと境内の売店をのぞきましたが、めぐすりの木やお土産などしかありません。
門前に並ぶのは蕎麦屋ばかりなので、山を下りることにしました。
いろいろと堪能できたお寺。いろんな意味で、非日常感を味わえました。
ここに至るルートは一本のみなので、行きに通った道を戻ります。
山桜の咲く無人のところを過ぎました。保母さんのポスターをまた確認しました。
そういえば近所に「武者」さんという名字の人がいます。関係ないか。
桜の咲くのどかな辺りを過ぎると、雰囲気はがらりと変わり、再び工場地域に入りました。
これは、石灰岩の採掘場。
辺り一面、石灰の粉をかぶってモノトーンになっています。
立ち入り禁止のロープが張ってありました。
自然いっぱいのお寺とはがらりと違う世界。
そしてつい先ほどの、桜咲くみずみずしい場所とは正反対の、荒涼とした場所。
前を走る車がいるので、行きよりもちょっとだけ安心感があります。
辺りじゅう静まり返っており、緑はあるのに生気が感じられません。
休日で工場が動いていないためか、ゴーストタウンのような空気が漂います。
スターウォーズの砂漠の惑星タトゥイーンみたい。
ゴジラやゼットンが工場の後ろから顔を出しそう。
不思議な感覚でした。
その3に続きます。