その1からの続きです。
元いた家を探した後、Laさんにお願いして、さらにもう一箇所の思い出の場所につきあってもらいました。
それは、じゃじゃーん、パラボラアンテナでーす!
父親に連れて行ってもらった、巨大なパラボラが、記憶に焼き付いています。
日本中で見られるかと思っていましたが、鹿島を離れて以降、全く見ることはありませんでした。
当時は郵政省のものでしたが、何度も所管が変わり、今では(独)情報通信研究機構の鹿島宇宙技術センターとなっています。
パラボラアンテナは、やっぱり今でもまぶしいほどに真っ白く、そしてギガンティック。
記憶している姿そのままに、宇宙に向かって大きく開いていました。
鹿島サッカースタジアムの前も通りました。
日産スタジアムよりもはるかにモダンなデザインの、新潟ビッグスワンに匹敵するようなアートな建物でした。
ボウリング場のピン看板の横にはサッカーボールまであり、ちゃんと赤なのが鹿島らしかったです。
昼食には(紅茶に浸したプチット・マドレーヌではなく)お寿司を食べて、再び霞ヶ浦沿いをドライブしました。
鹿島灘海浜公園で、休憩かたがた少しお散歩します。
汐風が心地よく、海には波乗りサーファー、海辺には親子づれの姿を何組も見かけました。
途中、通行止めの橋を発見。
震災で倒壊してしまったのでしょう。
真ん中が落ち、生々しい爪痕がまだ残っていました。
ロンドン橋状態ですが、それでも短期間で、すぐ横に代わりの丈夫な橋を作り上げた日本の建築技術はすごいものです。
出発地点の土浦を通り抜け、次に向かったのは牛久。
だってここまで来たら、牛久大仏を見ずには帰れませんもの!
話題にすると誰もが笑う牛久大仏。
どれだけトンデモ名物なのかと思いましたが、思ったほどケッタイはありませんでした。
突然視界に入ってきてびっくり。聞きしに勝る大きさです。
でも、大きさの感覚が、よくわかりません。
見えてからかなり近づいて、ようやく到着しました。
もう閉園していたため、外から眺めました。
バブル期にどこかの大金持ちが道楽趣味で作ったものかと思いましたが、所有者はれっきとした浄土真宗のお寺。
一応、観光仏ではなく、宗教仏なのです。
中で写経ができるそうな。すごいぃ~。
仏さまの中で写経するなんて、シュールすぎ。
魚の餌になった気分になりそう。
自由の女神がちょんと片手に乗るほどの大きさです。
穏やかなお顔で、品もあるし、笑いのネタになるものでもなさそう。
しかし120mという、その大きさに実感がわきません。
全体的にバランスがよさそうですが、数えてみると実は五頭身。
下から見上げることが前提となっているため、遠くから見上げた時に、バランス良く見えるよう、計算されて、頭を大きく作ってあるんだとか。
へえ~。
「確かに自由の女神像は、服の方に迫力があって顔にそれほど目が行かない感じ。だから冠をつけてバランスを取っているのかも」と私。
「自由の女神は、見上げるというより、舟で遠くから眺めることを想定して作られているからでしょう」とLaさん。
映画『下妻物語』で、牛久大仏だけが立つだだっ広い広場(畑?)での果たし合いのシーンがあり、なかなかシュールな光景でしたが、人の噂で聞いていた、イタイ感じのものではありませんでした。
とにかく大きい!感覚がつかめず、最後までその大きさにピンとこないままでした。
この大仏を日々見て暮らす牛久の人たちは、心穏やかになれそう。
ただ、この大きさに慣れてしまった子供たちは、修学旅行で奈良の大仏を見た時に「小さ~い!」と言って、周りを驚かせそうです。
大仏のユニバーサル規格が必要かもしれません。
途中で、風車も見かけました。
えっ、ここはオランダ?と見まごうほど、辺りの緑と相まって雰囲気たっぷりでした。
霞ヶ浦総合公園だそうです。
夜は、ホテルマロウドの上階のヴォジュールで、フレンチコース。
暮れなずむ霞ヶ浦を眺めながら、乾杯しました。
Laさんとおしゃべりするのは、本当に久しぶり。
車内でBGMをかける必要がないほど、たくさん話したいことや聞きたいことがありました。
今回の行程のガイド解説も、一手に引き受けてくれました。
気心の知れた、懐かしい人と旧交を温めるのは、本当に嬉しいことです。
食事もとてもおいしく、堪能しました。
カモ肉のローストがあんなに出てきたのは、初めてでした。
名残を惜しみつつ、駅でお別れ。
穏やかで優しいLaさんとゆっくり過ごせたし、記憶の彼方のルーツを辿るような『失われた時を求めて』体験ができたし、鹿島神宮と牛久大仏という、系統は違えどどちらもビッグな神仏に参拝できた、いい一日でした。
いつか、宇宙技術センター見学もしてみたいです。
パラボラアンテナのように、宇宙からの電波を受信できるようになれるかも!?
元いた家を探した後、Laさんにお願いして、さらにもう一箇所の思い出の場所につきあってもらいました。
それは、じゃじゃーん、パラボラアンテナでーす!
父親に連れて行ってもらった、巨大なパラボラが、記憶に焼き付いています。
日本中で見られるかと思っていましたが、鹿島を離れて以降、全く見ることはありませんでした。
当時は郵政省のものでしたが、何度も所管が変わり、今では(独)情報通信研究機構の鹿島宇宙技術センターとなっています。
パラボラアンテナは、やっぱり今でもまぶしいほどに真っ白く、そしてギガンティック。
記憶している姿そのままに、宇宙に向かって大きく開いていました。
鹿島サッカースタジアムの前も通りました。
日産スタジアムよりもはるかにモダンなデザインの、新潟ビッグスワンに匹敵するようなアートな建物でした。
ボウリング場のピン看板の横にはサッカーボールまであり、ちゃんと赤なのが鹿島らしかったです。
昼食には(紅茶に浸したプチット・マドレーヌではなく)お寿司を食べて、再び霞ヶ浦沿いをドライブしました。
鹿島灘海浜公園で、休憩かたがた少しお散歩します。
汐風が心地よく、海には波乗りサーファー、海辺には親子づれの姿を何組も見かけました。
途中、通行止めの橋を発見。
震災で倒壊してしまったのでしょう。
真ん中が落ち、生々しい爪痕がまだ残っていました。
ロンドン橋状態ですが、それでも短期間で、すぐ横に代わりの丈夫な橋を作り上げた日本の建築技術はすごいものです。
出発地点の土浦を通り抜け、次に向かったのは牛久。
だってここまで来たら、牛久大仏を見ずには帰れませんもの!
話題にすると誰もが笑う牛久大仏。
どれだけトンデモ名物なのかと思いましたが、思ったほどケッタイはありませんでした。
突然視界に入ってきてびっくり。聞きしに勝る大きさです。
でも、大きさの感覚が、よくわかりません。
見えてからかなり近づいて、ようやく到着しました。
もう閉園していたため、外から眺めました。
バブル期にどこかの大金持ちが道楽趣味で作ったものかと思いましたが、所有者はれっきとした浄土真宗のお寺。
一応、観光仏ではなく、宗教仏なのです。
中で写経ができるそうな。すごいぃ~。
仏さまの中で写経するなんて、シュールすぎ。
魚の餌になった気分になりそう。
自由の女神がちょんと片手に乗るほどの大きさです。
穏やかなお顔で、品もあるし、笑いのネタになるものでもなさそう。
しかし120mという、その大きさに実感がわきません。
全体的にバランスがよさそうですが、数えてみると実は五頭身。
下から見上げることが前提となっているため、遠くから見上げた時に、バランス良く見えるよう、計算されて、頭を大きく作ってあるんだとか。
へえ~。
「確かに自由の女神像は、服の方に迫力があって顔にそれほど目が行かない感じ。だから冠をつけてバランスを取っているのかも」と私。
「自由の女神は、見上げるというより、舟で遠くから眺めることを想定して作られているからでしょう」とLaさん。
映画『下妻物語』で、牛久大仏だけが立つだだっ広い広場(畑?)での果たし合いのシーンがあり、なかなかシュールな光景でしたが、人の噂で聞いていた、イタイ感じのものではありませんでした。
とにかく大きい!感覚がつかめず、最後までその大きさにピンとこないままでした。
この大仏を日々見て暮らす牛久の人たちは、心穏やかになれそう。
ただ、この大きさに慣れてしまった子供たちは、修学旅行で奈良の大仏を見た時に「小さ~い!」と言って、周りを驚かせそうです。
大仏のユニバーサル規格が必要かもしれません。
途中で、風車も見かけました。
えっ、ここはオランダ?と見まごうほど、辺りの緑と相まって雰囲気たっぷりでした。
霞ヶ浦総合公園だそうです。
夜は、ホテルマロウドの上階のヴォジュールで、フレンチコース。
暮れなずむ霞ヶ浦を眺めながら、乾杯しました。
Laさんとおしゃべりするのは、本当に久しぶり。
車内でBGMをかける必要がないほど、たくさん話したいことや聞きたいことがありました。
今回の行程のガイド解説も、一手に引き受けてくれました。
気心の知れた、懐かしい人と旧交を温めるのは、本当に嬉しいことです。
食事もとてもおいしく、堪能しました。
カモ肉のローストがあんなに出てきたのは、初めてでした。
名残を惜しみつつ、駅でお別れ。
穏やかで優しいLaさんとゆっくり過ごせたし、記憶の彼方のルーツを辿るような『失われた時を求めて』体験ができたし、鹿島神宮と牛久大仏という、系統は違えどどちらもビッグな神仏に参拝できた、いい一日でした。
いつか、宇宙技術センター見学もしてみたいです。
パラボラアンテナのように、宇宙からの電波を受信できるようになれるかも!?