風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

奥大和・京の桜の少し前 2-2

2018-03-30 | 近畿(京都・滋賀)
その1からの続きです。 

● 上賀茂神社へ

北野天満宮を訪れた次は、上賀茂神社に向かいました。
道路の渋滞で、思ったよりも移動に時間がかかり、神社に到着前にすでに14時を過ぎました。
この日は、仙洞御所の見学も申し込んでおり、15時半の回に間に合うか、気になり始めます。

仙洞御所に到着する時間を見越して考えると、この神社での滞在時間は20分弱。
短いですが、京都に来た折にはいつも訪れる場所なので、少しでもご挨拶していこうと参道に入りました。

まず、長い参道の途中で遊んでいる二人の子どもに目が行きました。
それから、見慣れない特設会場と黒山の人だかりに気がつきました。
和楽の音色が聞こえてきます。
一体なんでしょう?

看板もなく、何が起こっているのか分からないまま、近づいてみました。
係の人が立ち、厳重な撮影禁止令が敷かれていました。
特設舞台では、演奏に合わせて誰かが舞っています。

● 謎の特設会場

奉納歌舞伎のようですが、さて何のためかなと思います。
梅が咲いたから?桜が咲くから?でもどちらにもタイミングが違います。

舞台の白塗りの舞手が誰かはわかりませんが、おめでたい奉納舞なので、人々と一緒に見学しました。
舞手は宙を舞い、足を踏み鳴らして、大熱演。
大技を決めた時に、すかさず「高麗屋!」と呼び声がかかりました。



(松本幸四郎なのね)と思います。
ということは、十代目襲名を記念しての奉納舞ですね。
偶然ながら見ることができて、ラッキーでした。



実際の舞台はこのように行われました。
演目は、五穀豊穣を願う「三番叟」でした。



こいつは春から、縁起がいーい。
上賀茂神社の2600年の歴史(すごい!)の中でも、歌舞伎の奉納は初めてだそうです。

● 舞が終わって



舞が終わり、のどかさが戻った境内の馬場苑。
芝生の上で、巫女さんが子供たちと交流していました。



本殿をお詣りします。ここも桜はまだですね。
でも、花のように華やかなものを見られました。



● 白馬の神山号

普段なかなか見られない神馬、神山号も、この日はいました。
テンションが上がります。ここも人垣ができて、大人気。
あまり知られていませんが、現在7代目となるこの神山号は、JRAでメダイヨンとして活躍した元競走馬。
馬主は作家の浅田次郎氏です。
競走馬から神馬になるなんて、普通の人間よりもドラマチックな人生、いえ馬生!



美しい白いサラブレッドに、参拝者たちの目は釘付け。
常に人々に注目されて、人慣れしているからか、特に警戒している様子はありません。
うやうやしくニンジンを奉納されるたびに、ムシャムシャと食べていました。



● バスから鴨川デルタ

予定通り20分弱で参拝を済ませて、14時40分の京都駅行きバスに乗り込みます。
道が渋滞していたら、間に合わないかもしれませんが、こればっかりはわかりません。
奉納歌舞伎と神山号を見られたので、それでも後悔はありません。



道すがら、バスが鴨川を渡った時に、鴨川デルタが見えました。
亀の石橋を渡っている人はいますが、橋げたに土嚢がたくさん積まれていましした。
年度末の予算消化の土木工事中でしょうか。

● 京都御苑と仙洞御所

いつの間にかバスの中は大混雑していました。
後ろの方に座っていたため、あっぷあっぷしながら最寄りのバス停で降り、大急ぎで御苑に向かいます。
広い京都御苑内にある仙洞御所。入り口の場所がわからずにはらはらしましたが、ちょうどいい時間に到着できました。
ほっとひと息。

見学者はやはり外国人が多いです。みんな情報つかんでますね。
ここでもガイドさんに連れられて、中に入ります。
わけありで30代で上皇になった後水尾天皇のために、1627年(寛永4年)に造営されたものだそう。
つまり江戸時代のものです。

もともとは、後水尾天皇のお后さまの屋敷だった女院御所が、隣の敷地に作られ、それぞれ独立していたのが、今では一つの御所となっているのだそう。
夫婦別居だったんですね。
とびきり小さく見える茶室は、帯刀を入れないためだとのことです。

● 松竹梅の庭



「ここのメインは庭です」とガイドさん。
こちらは松竹梅の庭と言われるところ。
同じ梅の木なのに全く違う性格を持っていそうな紅梅白梅。



八ッ橋という変わった形の石橋を通ります。
藤棚で、季節になると頭上が藤の花に埋め尽くされるそう。



南池の南端にある醒花亭(すいかてい)。
趣深い石灯籠がありました。

● 丸石集めプロジェクト



ここは洲浜と呼ばれる場所。
砂浜ではなく石が敷き詰められています。

小田原の殿様が、丸い石一個を米一升と引き換えるというお触れを出し、民衆はみんなこぞって石を探して持って行ったのだそう。
集まった丸い石を船で京都に運び、ここに敷き詰めたそうです。
その数なんと10万個以上。
みんながニコニコになったプロジェクトだったんですね。



ふたたび松竹梅の庭の紅梅白梅。
御所には右近の橘と左近の桜が植えられていますが、ここは違うんですね。
紅白の梅が咲いている、一番いいタイミングでした。

● 府立病院の古建築

見学を終えて、最寄りのバス停のある府立病院前へ。
そびえたつ大病棟に囲まれるように、クラシカルなゴシック窓が建物がありました。
教会のようですが、京都府立医科大学の旧附属図書館だそう。



昭和初期のこの建物は、以前取り壊しが決まりましたが、OBたちが保存運動を起こし、今では府民が利用できる場として再活用されているそうです。
古きを守る京都の心意気がいいですね。

● 着物姿の女性たち



京都の町なかは、こんな風に着物姿の女性がたくさん。
素敵で華やかなのでいいのですが、どうもみなさん薄手の着物なので、浴衣を着ているように見えます。
寒くないのかしら~。
着替えたら、テンションが上がって、気にならないのかも~。


● 八坂神社の舞妓さん

ランチを食べ損ねているうちに夕方になったので、軽く食事を取りました。
宿に戻って少し休憩し、夜になってから、再び町に繰り出します。

この日は「京都東山花灯路」のライトアップ最終日。



八坂神社では、京都五花街の舞妓さんの奉納舞いを見ることができました。



よく舞妓さん姿の人が日中の街を歩いていますが、御座敷遊びでもしない限り、本物にはなかなかお目にかかれません。



暗い中で舞台の上の舞妓さんに照明が当たり、闇から浮かび上がるように見えます。
眼福やわ~。



● 光と闇の別世界

ねねの道をそぞろ歩き。
さまざまに意匠を凝らしたライトアップがなされ、辺りはとても幻想的です。



江戸時代へと続いていそうな高台寺への道。



絵の中に入ったみたい。うっとりしながら歩きます。



大きな生け花がところどころに飾られており、鮮やか。
間接照明を受けて、におい立つような華やかさです。



石塀小路は普段からすてきな道ですが、夢の世界に入ったような気分になりました。




ぽーっとしながら宿に戻り、一日の行程を満足しながら眠りに就きました。

3日目に続きます。



奥大和・京の桜の少し前 2-1

2018-03-29 | 近畿(京都・滋賀)
1日目からの続きです。 

● 京都は混んでいる

2日目の朝。
ゆっくり寝ていたい気持ちをこらえて起き、出発。
外はとてもいい天気。
古めかしい京町屋風の家屋。趣があります。



まず京都駅に向かいました。
朝から大混雑している駅のバス乗り場を見てびっくり。
この時期は混んでいないのかと思ったら、そんなことはありません。
今は春。やっぱりみんな京都にやってくるのです。



なんと前日から、京都市バスの1日乗車券が、500円から600円に値上がりしていました。
ワンコインじゃなくなっちゃった!
その代わり、これまで範囲外だった嵐山方面にも行けるようになったので、便利です。
外国人観光客には、パス適用範囲を理解するのは難しかったんじゃないでしょうか。
今までも、1日乗車券で嵐山で降りようとして「これだと追加料金が必要ですよ」と運転手さんが英語で一生懸命説明する場面を何度も見かけて、大変だなと思っていました。

● 桂はすいている

京都の中心部は大混雑していますが、桂は落ち着いていて、人もまばら。
西京極から桂大橋を渡ると、離宮が広がっています。
向こう側を阪急電車が通っていきました。



「一生は旅の山路と思うべし. 平地は少し峠たくさん」
桂大橋の近くのお寺で見かけたお言葉です。



● 念願の桂離宮

この日は、初めて桂離宮を見学します。
この辺りは、平安時代に観月の名所として貴族たちが「月の桂」と呼んだ場所。
約5万9400㎡の広い敷地に、桂川から引いた苑池を作り、その周囲に書院やいくつもの茶亭を置いています。
日本庭園美の集大成といわれるこの離宮は、紅葉の時期には倍率がはね上がり、申し込んでも一度も当たったことがありません。
庭園好きの母に、さんざんうらやましがられました。



離宮の周囲は、竹の葉でできた垣根に囲まれています。
これは桂垣(かつらがき)といって、生えている竹をしならせて作っているのだそう。
この離宮でだけ見られる生垣だそうです。



集合時間が来るまで、門の外でしばらく待ちます。
事前申し込み済みの人たちのほかに、当日受付を待つ人たちも、列を作って待っています。
天気がいい日ですが、それでも外に並んで長時間待つのは寒そう。

● 見学ツアー参加

参観時間になり、初老のガイドさんに連れられて、園内に入りました。
参加者32名の半数近くが外国人です。
建築家のブルーノ・タウトが絶賛した庭園なので、外国でも有名なのでしょう。
前に高崎の少林山達磨寺で、タウトが暮らしていた洗心亭を見たことを思い出しました。

小道は、小さな石の自然石と大きな石の人工石で作られています。
この二つを組み合わせて使うことで、茶室に向かう時のリラックスした中に多少の緊張感を持った気持ちを引き起こす効果を上げているそうです。
さりげない中にも計算された、日本の美の奥深さ。



「春になり、虫が増えてきましたね」と参加者の一人が言うと、すぐ「ムシできませんね」と返したガイドさん。
関西では、宮仕えの人でもダジャレを忘れないのね~。



「ザ・桂離宮!」という雰囲気の築池が目の前に広がります。
静かな水面は鏡のよう。

● 茶席の数々

奥に見えるのは茶席「笑意軒」です。
桜のつぼみはもう膨らんでいますが、う~ん、花開くにはまだあとちょっと。



離宮内で最も格式が高い茶席「松琴亭」。
青が美しい茶室、二の間。
モダンな色合いですね。



目に鮮やかなチェッカーフラッグ、いえ市松模様の障子。
越前和紙でできており、青色は露草で染めたものだそう。
2週間前に張り替えたばかりだという、新鮮で深みのある青色でした。



シンプルな石橋を渡る前に、先を歩くガイドさんがくるっと振り向いて「これまでこの橋の上で写真撮影中に橋から落ちた人が、知る限りで26人います。ですから橋の上での撮影は禁止です」と言いました。
確かに橋から見える池越しの景色は美しく、カメラを構えていなくても足を踏み外しそうになりました。



梅とかやぶき屋根の温かさ。



ガイドさんに「庭師は何人いますか?」と質問すると「2人専属がいるほか、いろいろな人が協力してくれています」とのことでした。

● 代表的な日本庭園

あずまやから池越しに茶室を望みます。
風流ですなあ。



茶室で見かける止め石。
「ここから先は入らないでね」のサインです。
でも外国人参加者たちには通じておらず、気にせずに建物に近づこうとするので、ガイドさんが「ストップ!アーンド・カムバック!」と声をかけていました。



いろいろ説明してもらいながら、ぐるりと中を散策した1時間の見学が終了。
「5月には霧島ツツジが池に映えて美しいので、またぜひいらしてください」とガイドさん。
また訪れたいわ~。次回はジェラシーに燃える母も一緒に(笑)。



足元のマンホールには、「宮」の字がついていました。
宮内庁マンホール!初めて見ました。

● 橘逸勢の神社

桂離宮の周りも散歩してみると、古そうな神社がありました。



御祭神は三筆の橘逸勢(たちばなのはやなり)。
嵯峨天皇、空海と並んで日本三筆と称された、平安前期の能書家です。
きれいな字ばかりさらさら書いて過ごした雅な人かと思ったら、政治の陰謀に巻き込まれて流罪となり、その道中で死亡した人で、悪霊とならないように神として祀っているのだとか。

字が上手になるように、お祈りしました。



境内には、日本の歴史を眺めて来たかのような古木がありました。
樹齢400年のムクロジの樹。大きなうろがありました。



離宮のそばにある老舗和菓子店中村軒で一休みしようかと思いましたが、離宮の見学を済ませた人々で、お店は混んでいました。
そこでバス停へ向かい、30分に一本のバスを待ちます。
ふたたび終点の京都駅に戻ると、先ほどよりもっと人が増えていました。

前日の吉野、そしてこの日の桂離宮を見るに、まだ京都と奈良の桜が咲くには早そう。
残念ながら、お花見のタイミングではありません。
そこで急きょ予定を変更し、梅で知られるところを訪れることにしました。

● 梅の天満宮

まずは北野天満宮へ向かいます。
駅の、驚くほど長いバス待ちの列に並びます。
ぎゅうぎゅうのバスの中、ほかの乗客も大勢天満宮前で降りました。
バスの混雑は、北野天満宮渋滞だったというわけです。



ここの飛梅は鮮やかなピンク色なので、驚きました。
太宰府天満宮の飛梅は、たしか白かったはず。
えーっ、どうして~? きっと同じ株じゃないのね~。



普段だと、ここに来ると、あちこちにいる牛の像に目が行きますが、さすがに今回は境内に咲き乱れる梅の方に引きつけられます。



春らんまん。紅白織り交ざってきれいですね~。



北野天満宮は紅梅の方が多い感じ。華やかな印象です。



境内は、梅を見に来た人々でにぎやかでした。



● 早咲きの平野神社

「京都で一番早い桜が咲く」といわれる平野神社に行きました。
桜で有名なところなので、提灯も桜マーク。



それでも、境内の桜はまだ咲いていませんでした。
淡い黄色のうこん桜もこれから。この時は、白い雪柳がきれいでした。



その2に続きます。


奥大和・京の桜の少し前 1-3

2018-03-28 | 近畿(京都・滋賀)
その2からの続きです。 

● バスで再び山中へ

吉野から乗った電車を下市口駅で降りました。
次はバスに乗り換えて、天河大弁財天社に向かいます。
天川村へのバスは、一日たった3本のみ。
乗り損ねないようにしなくてはなりません。



バスを待っている間、マンホールチェック。
吉野と同じく、鮎がデザインされています。



バスは定刻通りにやってきました。
小さめのマイクロバスの中は、ほぼ満員。
駅前商店街を超えると、どんどん山の方へと分け入っていきます。
(乗り過ごさないようにしなくちゃ)と思いながらも、右に左にと揺られているうちに、眠気に負けてうとうと。
ハッと起きた時には、かなり乗客の数は減っていましたが、まだ天川村には着いていませんでした。

● トンネルの向こうの村

バスに乗ってから1時間。長い長~いトンネルを抜けると、そこは天川村でした。
異世界にやって来たような気分になり、なんだかドキドキします。
すると「ここからは乗り降り自由区間になります」とアナウンスが入りました。
「降りたい人は、ブザーを押してください。乗りたい人は、バスの左側に立って手を上げてください」
今でも、そういう場所ってあるんですね!



乗降自由区間では、一応バス停はありますが、(カッコ)づけになっていました。

気がつけば、バスは川沿いを走っていました。
これが村の名前にもなっている天ノ川(てんのかわ)。
ロマンチックな名前の川を渡り、天河大弁財天社の朱門をくぐります。



この村のことは「天河伝説殺人事件」で知りました。
浅見光彦シリーズですが、知っているのは映画の主題歌だけ。
ミステリアスな歌ですが、物語も結構怖そうです!

● 天河大辨財天社

バスはいよいよ目指す神社までやってきました。
ほかに4、5名がバスを降りました。



神様に呼ばれないとたどり着けないと言われるところなので、無事にここまで来れたことに感激します。
以前、十津川の玉置神社を訪れた時にも、同じことを言われました。
この辺りは、それだけアクセス困難な場所ということです。



大きな朱鳥居をくぐると、横広の境内が広がります。
境内にいる参拝者は若者が多い印象。知る人ぞ知るといった場所に、皆さん何かを求めてやってきています。



● 祈祷の声を聞きながら

朱橋を渡り、さらに石段を上がったところに本殿があります。
ここの神社の神器は五十鈴。



ちょうど神主さんが御祈祷中で、朗々とした声が響き渡っていました。
本殿から見下ろした参道。



最後に書かれている宮司さんのお名前にびっくり。
みきのすけさんというのは本名?
それとも宮司ネームって、あるのかしら?



参拝後、ここを一緒に訪れようと計画したものの予定が流れ、目下病院通いをしている友人への健康守りをいただきました。
社務所で御朱印を書いていただいていると、「このおみくじ、ちょっと意味がわからないんですが」と男性がやってきました。
神社の方は「宮司さんしかわからないので、ご祈祷が終わるまで待っていて下さい」と言われました。
ここには、普通のおみくじのほかに古代言霊御託宣(古代みくじ)があるようです。

● ここも吉野

なんというか、無重力のような感覚を覚えながら神社を出て、村を散策しました。



通り向かいにあるお寺、来迎院には、県の天然記念物に指定された樹齢約700年以上の大銀杏の木がありました。
雌雄一体で、弘法大師のお手植えといわれています。



見渡せば、まっすぐ伸びた吉野杉。
ここも吉野郡。先ほどと同じく吉野の山奥になります。

● あまのがわ・てんのかわ

道に沿って歩いて行くと、天の川(てんのかわ)温泉郷に入りました。
ほー、天の川(あまのがわ)は空にあるものと思っていましたが、ここにあるんですねー。



橋の下には天ノ川が流れ、数名の人が釣りをしていました。
とても澄んだ水。手でも魚をつかえられそう。
川を汚さないために、河川でのバーベキューは禁止されているそうです。



貴重な1日3本のバスがやってきて、乗り込みました。
村の入り口にある天川村総合案内所。
ここの交差点は、村に一つだけの信号。たしか石垣島も一つでしたっけ。



パネルを見て(おや、せんとくんがここまで)と思いましたが、ここもしっかり奈良でした。

● 奈良の梅林

見晴らしがよく、遠くに下界が望めます。
かなり標高が高いところまでやってきたんだなあと実感。
下に広がるのは大和平野。



広橋梅林は、月ヶ瀬、賀名生とならぶ奈良県三大梅林の一つ。
ちょうど次の日には「梅の里山まつり」が開催されるようです。



車道沿いにも白梅が植えられていて、きれい。



日射条件がいいため、のびのびと咲いています。



● 近鉄電車を乗り継いで

終点の下市口駅まで戻り、そこからふたたび近鉄線に乗り換えます。
小さい駅のベンチに、バスから降りた乗客のほぼ全員が座り、電車が来るのを待ちます。



またもや福神駅を通りました。やっぱりいい名前です。
隣は薬水駅と大阿太駅。どちらもインパクトの強さでは負けていません。



橿原神宮駅に到着すると、一気に町の空気に変わりました。
ここで、吉野線から京都行きの京都線に乗り換えました。

● 天川から京都まで



天川神社を出たのが15時半くらい。それからバスと電車に延々揺られ、京都駅に着いたのは19時近くになっていましした。
3時間以上の時間をかけて、京都までやってきたことになります。
今回は、駅から近い七条の宿に連泊します。
早朝から動き始め、吉野、天川村、そして京都と降り幅大きく移動したため、部屋に通された時には、疲労困憊でくたくた。
でも、この日の予定をつつがなく終えられて、満足しました。

2日目に続きます。


奥大和・京の桜の少し前 1-2

2018-03-27 | 近畿(京都・滋賀)
その1からの続きです。 

● 勝手神社のしだれ梅

吉野山の門前町の散策を続けます。
魚の置物と梅がさりげなく飾られたお店。
柚子香桜鮎すしという看板が出ている、枳殻屋(きこくや)というお店です。



勝手神社は建物がなく、ススキが生い茂る寂しい光景でした。
不審火で本殿が焼失してしまい、目下復興中とのこと。



無人の境内。
誰に見られることがなくても、しだれ梅がきれいに咲いていました。



勝手神社って、京都の大原三千院の奥の方にもあって、どんな神様が祀られているのか気になっていたんですよね。
ここが、その大原含む、全国に28社ある勝手神社の総本社だそう。
主祭神の天之忍穗耳命(アメノホシホミミ)は、当座は吉水神社で祀られているとのこと。
台所(お勝手)の神様の、竈神かなと思っていたけれど、どうやら違うようです。



● サクラ花壇

それからさらにテクテク歩いて行くと、「サクラ花壇」とレトロな文字で書かれた建物がありました。
これを見た人はみんな(お花屋さんね)と思うことでしょう。



ところが、建物の前には「天皇御泊所」という石碑が立っています。
さらに、著名な作家たちが宿泊し、谷崎潤一郎が「吉野葛」、吉川英治が「新平家物語」、内藤康夫が「天河伝説殺人事件」を執筆した宿だという説明板もありました。
えっ、お宿なの?



お花屋さんではなく、「櫻花壇」という歴史ある旅館のようです。
この時は閉まっているようでした。
いつか、桜の時期に泊まってみたいものだわ~。



● 五郎平茶屋あと

さて、吉野の門前町通りからそれて、山道の方へと分け入ります。
この辺り、あと一週間もすれば、中千本、上千本桜が一望できるあたり。
しかしながら、今は全く咲いていません。
単なる山の中の小道です。さびし~。

迷い込みそうな細道ですが、ぽかぽかと暖かく、クマもイノシシも出そうにないので、ハイキング気分で散策。
この辺りは、五郎平園地といって、かつて五郎平茶屋があったそうです。
今もあったら、山の中で一服できるのに。

次第に道は下りになり、どんどん降りていきました。
両側に山がそびえる中千本の谷へ。



● ゴダイゴ天皇

いったん谷に下りてから隣の山に登ると、後醍醐天皇が眠る如意輪寺があります。
後醍醐天皇は、不屈の倒幕精神を燃やし続けた人。
天皇家で唯一人、京方面の北を向いた墓陵に眠っているそうです。
お寺への道に「後醍醐天皇も歩いた道」と看板がありましたが、鎌倉びいきの私は、お寺を下から眺めてよしとします。

人っ子一人いない山の中、谷沿いの道を歩いていきます。
小川が流れ、せせらぎの音が聴こえ、鳥のさえずりも聴こえてきます。
自然がいっぱいで、政治とか勢力とかどうでもよくなりそうなぽかぽか陽気。

こんなにのどかで風光明媚な場所にいながら、平和に落ちつくことなく、最後まで都での権力を求めた後醍醐天皇は、すごい精神力の持ち主ですね。
空ではトンビがゆっくりと旋回していました。



● ささやきの小径

谷沿いの道はささやきの小径と言われますが、人がいないのでささやくこともありません。
風や小川の流れのことを言っているかな?



せせらぎの向こうには、杉林がずっと続いています。
先ほど参拝した脳天大神でお坊さんが「今日も花粉がすごい。車のフロントガラスにびっしりつく季節です」と話していました。
吉野は桜も多いけれど、杉もたくさんあります。
谷一帯に広がる杉林を見て、マスクをつけました。



● 野生と理性

のぼり旗がはためいており、裏側の方が見えました。
「野」なのか「理」なのか、一瞬わかりません。
野生のコーヒー? 理性のコーヒー?
「野生」の、エチオピアコーヒーの宣伝でした。



これが「理性のコーヒー」となると、ぜんぜん話が違ってきますね。
ちなみにどちらの文字も私の名前の中にあります。
野生と理性かあ、気が付かなかったわ。

● 二匹のわんこ

なおも歩を進めていくと、ちらほら民家が見えてきます。
一件の家の縁側で、2匹の犬がくつろいでいました。
(あ、目が合った)と思ったら、すぐに立ち上がって、一目散に私のところへ駆け寄ってきました。



(えっ、つながれていないの?)とびっくり。
(噛まれる!)と思いましたが、尻尾をぶんぶん振っているし、ほえないし、飛び跳ねてじゃれついてきます。
首輪をつけているので、この家のペットなのでしょう。
後醍醐天皇と同じ場所に、自分のお墓ができるのかと思った!



ジャック・ラッセルテリアと柴犬が混ざっているような犬種。
首輪はあるのに、つながれていません。
都会では考えられませんが、ここだとありなんでしょうね。

● 道先案内犬

とても人懐こいので、「よしよし」とワサワサ撫でてあげます。
ひとしきりじゃれついた後、また家に戻っていくのかなと思いきや、2匹の犬は私の先にたって歩き出しました。



えー、どこに行くのー?
止めようにも、紐がないのでどうにもなりません。
声をかけても、会ったばかりですからね。
立ち止まっていると、こちらを向いて「はよ来んかい」みたいな顔をします。
これはきっと、案内してくれようとしているのねー。
じゃあよろしくお願いしますー。



川沿いの一本道を間違えることはなさそう。
でも、山上の門前町通りを離れてからずっと一人きりだったので、旅は道連れということにしましょう。



といっても、犬たちも気まぐれ。
ふんふんと道端で匂いをかいでは私に追い越され、また駆けぬいていったりします。



私も、マンホールや道端のお地蔵さんを見つけては、立ち止まってしげしげと見ています。
わんこたちが先に行っても、急いで後をつけてはいません。



お互いのペースで、お互いが好きなように歩いていきました。
吉野のマンホールは、桜に鮎。



けっこうな距離を歩いています。
わんこたちは、相変わらず先導してくれています。



このシチュエーションは、まるで山中で迷える空海を導いた、狩場明神の白黒2匹の犬みたい。
犬について行くなんて、空海先生もなかなかの好奇心の持ち主だったのね。
と、弘法大師気分になったりしますが、それにしてもどこまでも案内してくれる犬たちのことが気になります。



● わんこたち帰る

地図で見ると、あと少し行くと車道に合流して、駅前に出るもよう。
できれば危ない車道に出る前に、犬たちを家に戻したいなあ。

そう思っていると、車道から一台の軽トラがやってきました。
私が道の端によると、軽トラはスピードを落とし、窓を開けて、犬に向かって口笛を吹き始めました。

運転席と助手席には、エプロン姿の女性が2人。
(きっとこの犬たちの飼い主さんだわ)と思います。
犬たちが口笛に気を取られている隙に、こっそりトラックの横をすり抜けて、一人車道に出て歩いていきました。

数十メートル離れた辺りで、わんこが「ワオ~ン」と遠吠えする声が聞こえてきましたが、2匹とも、それきりやってはきませんでした。
わんこたち、バイバイ。お家に帰ってね。
人懐こく親切な犬たちとの、なんとも不思議な道行き。
ガイドしてもらったので、森の中も寂しくありませんでした。



● 青の交響曲

吉野駅に戻ると、クラシカルな外装の電車が停まっていました。
大阪と吉野を1日2往復する観光特急、青の交響曲(シンフォニー)号。
賑やかな大阪阿部野橋と山奥の吉野を結んでいるというのが、対照的でいとおかし。



落ち着いた深みのある青い車体。絵になります。
乗りやすそうなオリエント急行という雰囲気です。



写真を撮りまくる鉄っちゃんたちと一緒に、パチパチ。
シンフォニー号が旅出った後に、私の乗った電車がのんびり出発しました。



その3に続きます。


奥大和・京の桜の少し前 1-1

2018-03-26 | 近畿(京都・滋賀)
● prologue

3月中旬に、京都に行く用事ができました。
桜を見たいけれど、ちょっと早いかな。
去年、奈良の天川村行きを計画したものの、お流れになっていたので、再びトライしてみることにします。
せっかくなので、吉野にも行きたいなあ。

ガイドブックにあまり載っていない奥大和(奈良南部)のことは、情報収集が難しいものです。
そこで、奈良が好きなあまりに奈良に移住した、奈良博士のサチコさんに相談して、いろいろとアドバイスをいただきました。
アクセス困難な場所ですが、詳しい人に教えてもらったので、なんだか行けそうな気がする~!

前に十津川村に行った時には、レンタカーだったので自由が効きましたが、今回は全て公共交通機関を使います。
そして、目指す天川大弁財天社は、呼ばれなければたどり着けない場所と言われているパワースポット。
どうぞ、つつがなくいきますように。

● 大和郡山スタート

今回の旅は朝の近鉄郡山から。郡山というと福島で、こちらは大和郡山市になるんですね。
金魚の養殖で有名ですが、今回は金魚ちゃんには会わず、近鉄に乗って橿原神宮駅まで行き、そこから吉野行き電車に乗り換えます。



乗り換えてからが長いです。そういえば吉野って、ものすごく山の中にあるんだっけ。
急行なのに途中駅で数分停車したりしながら、電車はのんびりと進んでいきます。

葛駅に着く時に「くずー、くずー」とのアナウンスが流れて、ちょっと楽しくなりました。
ホームの駅名板を見て(次は「大田」ね)と思ったら、「六田」でした。(目が悪い)
「福神」を通り(とってもいい名前。でも「漬」をつけたら福神漬になるのねー、そういえばどうして福神漬っていうの?)などとつらつら考えながら、電車に揺られていきます。

● 乗客は顔見知り

はじめは混んでいた車内でしたが、一人降り、二人降りして乗客は少しずつ減っていきます。
全身登山スタイルできめたおじさん3人組とは、吉野まで一緒かと思いましたが、皆さん下市口で下車。
車掌さんは、乗り込んできた人と挨拶を交わしているので、乗客の顔を把握しているみたい。
私はいちげんさんですが、すでに「吉野駅までICカードが使えますか?」と質問しているため、行先は知られています。

一人の若者が、座席に横になって寝こけていました。
(まだ朝早いからねー)と思っていましたが、車掌さんは数分間の停車時間の時に、その人を揺り起こそうとしています。
「お客さん、どこまで行かはります?」
「ここで乗りかえんと、吉野まで行ってしまいますわ」
「今、ムタ(六田)いうところですわ」

大声でそう話しかけても、なんの反応もなかったため、一旦車掌席に戻って発車したものの、次に数分停車した下市口駅でも、再び同じように揺さぶりながら、話しかけていました。
ちょうどそこが下りる駅だったらしく、乗客はようやくのことで起き上がり、寝ぼけながら電車から降りていきました。
車掌さんがそこまで頑張るなんて、きっとここから先は、後戻りするのも大変なほどのへき地になるんだろうなと、想像しました。

● ターミナル駅吉野

そこから先は、電車はガラガラ。
結局、終点の吉野まで行ったのは、私と別の車両にいたもう一人だけ。
まるで999状態です。アンドロメダ終着駅~。



まあまだ8時台なので、早すぎますね。
人が増えるのはこれからでしょう。



● 七曲り坂

吉野山に上がるには、現存する日本最古のロープウェイに乗っていきますが、車両故障のため今は運休中。
でも、すでにサチコさんに教えてもらっていた情報なので、動揺しません。



すでに、七曲り坂を歩いて上る覚悟はできています。
とはいえ、なかなか急な坂道。
ハーハー言いながら(そういえば朝ごはん食べてなかったなあ)とか(旅の荷物を全部しょってるんだっけ)など、現実を思い出します。



息切れしながらも、傾斜のきついショートカットの道を選びます。
追い込まれてこそ人生。エッジを効かせなくちゃね。(意味不明)



坂をのぼりつめると、朱塗りの欄干の、吉野の大橋のところに出ました。
ただ、ここは山の上で、川は流れていません。丸い穴があるだけです。



不思議です。きっとなにか意味があるのでしょう。

● 金峯山寺蔵王堂

緑深い吉野駅に着いた時には、肌寒くて震えましたが、坂を上りきった頃には暑くなり、コートを脱いでシャツ姿で歩きます。
さらにゆるやかな坂を上がり、黒門をくぐり、仁王門を通っていきます。



そこに姿を現したのが、大伽藍。
修験道の総本山である、巨大な金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂。


どどーん!


檜皮葺きの本堂は、東大寺大仏殿に次ぐ大きな木造建築だそう。
大きいというよりも巨大という方が合っているような威圧感で、すくみ上るような気分になります。
人が少ないため、さらに迫力たっぷりに見えるような気もします。
しばらく外観を眺めて、目が慣れてから、お参りしました。



● 岩組

堂内は撮影禁止でしたが、拝殿の両脇に大きな奉納提灯が天井から下がっており「岩組」と書かれていました。
岩組ってなにかしら?
気になって、御朱印を書いていただいたお坊さんに聞いてみましたが、わからないとのことでした。



境内の天満宮の梅が咲いていました。



少し遠くから蔵王堂を眺めます。
石柱に彫られた寄進者の名前の中に、再び「岩」の字を発見。



大峰山寺の管理の役割を担う、大阪の大きな八講、大峰山寺阪堺役講の一つ、岩組役講のようです。
岩組は、今でも毎年秋に総講中の大護摩供を行っているようです。

● 脳天大神龍王院

さて、お次のお目当ては、脳天大神さん。
奈良のサチコさんに教えてもらった神様です。
一度聞いたら忘れられない、その名前!
首から上の守り神ということで、ポンコツ頭の私はぜひともお詣りしておくべき場所!

(でもどこにあるんだろう~)と、蔵王堂の敷地内をうろうろと探し、しばらくして蔵王堂横の看板に大きく書かれているのを発見。
まだポンコツ頭ですからね。
でもお詣りすればきっとクレバーになれるはず!(なれたらいいな)



それにしても、450段の階段を下りていかねばならぬとは!
首から上というより、足腰の神さまじゃない?
しかし「挑戦・修行しよう!」と書いてあるならば、やるしかありません。
百観音を巡礼した後は、すっかり修行という言葉に反応するようになっています。



下へと続く階段を覗き込むと、ずっと先まで続いていて不安になります。
いえいえ、気にしてしまっては先に進めません。どんどん降りていきます。



ひたひたと歩いて行きますが、早朝タイムなので、前にも後にも人の姿はありません。
どこまで下っていくんだろうと、心細くなるほど。

ようやく階段が終わり、朱橋を渡ったところに拝殿がありました。
参拝してお坊さんに御朱印をお願いすると、ゆで卵を手渡されました。



「ここの神さまは蛇で、参拝者の方が奉納された卵を茹でたものです。よければ食べてって下さい」
休憩部屋でお茶も出してもらって、お接待していただきました。
ありがたや~。

● 帰りもスイスイ

さて、神様の卵もいただいたことだし、帰りの石段をがんばって上らなくては。
お坊さんに「上まで戻るのにどのくらい時間がかかるでしょう」と聞くと「私なら15分くらい」と言われました。
(じゃあその倍くらいかな)と覚悟を決めて、登り始めます。



修行の階段の途中で出会った修行大師。
頭に生えている苔のパヤパヤ具合が、かわいらしかったです。



上ってみると、思ったよりも大変ではなく、本当に15分ほどで蔵王堂の前まで戻ってきました。
先ほどのゆで卵で、蛇神様からパワーをもらったのかもしれません。



いいえ、修験道の開祖、役小角(えんのおづぬ)にいただいたのですね!
銅像がありました。両側に前鬼と後鬼の鬼夫婦を従えています。
蔵王堂に負けない迫力~!

● 吉野朝宮跡

吉野は後醍醐天皇が拠点とした南朝があった場所。
今でもその色合いが色濃く残っています。



蔵王堂から続く門前町の通りを歩くと、両側に昔ながらのお店が並んでいます。
ちょうど開店し始める頃で、まだ通りもまったりとした空気。



わんこも日なたぼっこをしながら、すやすやと寝ています。
南北朝時代とはうって変わって、いまは平和な世の中~。



ほら貝が売られていたので、テンションが上がりました。
1,2個ならわかりますが、細かく大きさが違うものがずらりと並んでいるなんて、さすが修験道の山です。
山伏が買いに来るんでしょうね。

門前通りに韋駄天山という山を見つけました。
韋駄天好きなので、名前に引かれて上ってみると、そこは小高い見晴らし場所になっており、蔵王堂と南朝宮跡の建物の屋根が見えました。

● 歴史たっぷり吉水神社

次に、吉水神社を訪れました。
南北朝時代に後醍醐天皇の行宮になったところで、主祭神は後醍醐天皇。
南朝方の忠臣、楠木正成公も祀られています。



でも私は、それよりも時代をさかのぼって、源頼朝に追われた義経が静御前や弁慶と身を隠した場所だということの方に興味津々。



境内には、弁慶が追っ手を散らすために、素手で2本の釘を石に埋め込んだと言い伝えられる「弁慶の力釘」があります。
釘というよりも、刀を突き刺したかのような穴が二つありました。
う~ん、弁慶じゃないとできないことですね。



豊臣秀吉が、家来5000人をひき連れて吉野の花見をした時に「弁慶力釘から力を貰おう」と言ってこの釘に触ったそうです。
秀吉も弁慶に憧れていたんでしょう。



ここの手水舎にも、大きく「岩」と彫られていました。
岩講、かなり勢力が強かったんですね。
その向こうには、小さめながら、美しい築山庭園がありました。

● 一目零本

秀吉が花見をしたのは、この辺りでしょうか。
「一目千本」と書かれた場所がありました。



目を凝らして見回しましたが、桜で有名な吉野の山も、この時は残念ながら「一目零本」。
つぼみが膨らんでいるのですが、吉野の桜が花開くのはは、まだこれからです。



その2に続きます。