風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

秋の京都ときどき登山 3-(1)

2016-01-27 | 近畿(京都・滋賀)
2日目からの続きです。

○ 登山の朝

京都3日目。いよいよ今回の旅のハイライト、愛宕登山の日となりました。
6時半に起床。寝不足ですが、そんなことは言っていられません。
登山は朝が肝心。手早く支度をすませて、宇治から京阪に乗って、出町柳へ向かいました。

かねがね気になっていたものの、どうしても勇気が出ずに、実行に移せなかった私。
そんなに登山慣れしていないため、ちゃんとした山に一人で登るなんて、私にとってはハードルが高いです。
ということで、友人のチカラくんと一緒に登ることにしました。

○ ヒッチハイカーのチカラくん

旅先の別府で出会った彼は、ヒッチハイクで日本一周旅行をしている最中でした。
ヒッチハイクって、度胸がいりますよすね~。勇者だわ。
私は海外で一度しかやったことがありませんが、「外国でやる方がすごいよ!」と言われました。
いえいえ、ヒッチハイク文化がない日本でやる方が難しそう。

めでたく日本一周を終えて地元の京都に戻った彼と、出町柳で再会しました。
「ちょっと久しぶり!」

チカラくんの車に乗せてもらいます。
たくさんの人の車に乗せてもらって日本一周を成し遂げた彼に、逆に乗せてもらっているというのが不思議。
世の中、持ちつ持たれつね。何もしてない私が言うセリフじゃないけど!

京都人の彼は、3歳の時に愛宕山に登ったそうです。
やっぱりこの土地の風習なんですね。
「親にそう教えられたけれど、まるで覚えてないんだよね」
うーん、3歳はまだ小さいですからね。親の心、子知らず!

その時以来、登ったことはないため、やっぱり見知らぬ山になるとのこと。
似たようなレベルなので、足を引っ張らずに済むかもと、ちょっと安心します。
ビギナーなりに、お互い情報収集してきたので、愛宕山は相当ハードだとわかっています。
「登れるかなあ…」
自信がない者同士、ちょっと不安感もあります。

「でも夕べはめっちゃ寝たから、睡眠は十分とったよ!」と元気そうな彼。
対する私は、寝不足なので、そこも不安。

道路は全く混んでおらず、ほとんど車通りもありません。
スイスイ進んで、昨日の大渋滞にはまった私はびっくり。
朝早いし、地元の人なので混まない道を知っているのでしょう。
快調に車は進み、20分ほどで清滝に着きました。

○ 清滝トンネル

「怖いもの見たさで、前に深泥池に行ってみたことがあるけれど、やっぱり怖かった」と話したら「京都にはいくつか心霊スポットがあるよ。たとえばこの清滝トンネルもそう・・・」と言われて、ハッと思い出します。
そういえば聞いたことがありました!

狭い一車線の清滝トンネルは、信号で調整していますが、通る時に青になっていたらまずいんだそうです。
「どうまずいの?」「もう長くはない的な」
地獄への片道切符ね、ひええ。



運良く、私たちは赤で止まりました。よかった、でないと遭難しそうでした。
それでもこのトンネルは、暗くて狭くてじめじめしていて、本当に怖いです。
前に、愛宕山に登りたいあまりに、バス終点の清滝トンネルまで来てみたことがありますが、暗いトンネルの中で、おもむろに窓の外にぼやーっと白い顔が写ったので「ギャア!」とすくみあがったら、それはバスとトンネルの細い隙間を歩いていく通行人の顔でした。

バス停から先は、本格的な登山道となるため、以前は引き返しました。
ここからは私の知らない世界です。
「駐車場があると思うから」と、ぐっと急坂を下がっていったところに、果たしてPを発見。
ここから歩き始めます。なるべく荷物を減らして。
汗をかくことはわかっていたので、薄着でいこうかと思いましたが、上に登ったら気温が10度違うということで、ダウンコートを持って行くことにしました。





車を降りて、さあ出発です。
お互い、緊張で顔が少しこわばっています。
「き、清滝って、どこにあるんだろうね?」
「まさかあれじゃないよね、ハハハ」



なんていいながら橋を渡って。



鳥居でお辞儀をして、歩き始めたとたんに、急な坂が目に入って、うわあと気持ちがへこたれそうになります。



ここからお宮のある山頂までは、ひたすら山道を4キロ?登っていくことに。
ずっと山の中の道で、途中見晴らしの良い場所や休める場所がほとんどないために、きついのだそうです。

登り始めて早々に、大きな看板がありました。
さっそく脅し文句のような注意書きを読んで、ブルブル。



こういう胸突き八丁の坂は、黙々と登るのが一番体力の消耗が少ないのですが、私たちは車の中でもずっとおしゃべりをしていて、そのまま喋り続けながら坂を上っていきます。
「そのうちしゃべる所じゃなくなるかもね」と言いながら。

チカラくんとは、話したいことがたくさんあるからです。お互い登山は苦手だと言っているし、無理せず休み休み行こうと話しているので、気楽なものです。

そもそも、私が前々から愛宕神社に参拝したいと思っていました。
日本随所にある愛宕神社の総本山である愛宕山。なのに参拝したという話を全然聞きません。

京都では愛宕参りはメジャーらしいのですが、行き方は急な山道をひたすら登っていくほかなく、往復5時間の道のりだと聞くと、相当ヘビーな登山だろうとしり込みします。

その割に、京都では3歳になる前に愛宕詣でをした子は、火事に遭わないと言う言い伝えがあるとのこと。
登るのがひどく大変な神社なのに、京都人はせっせと登っているんでしょうか。
うーん、よく情報がつかめずに、気になっています。

子供でも上れるくらいなら、私も参拝したいもの。そこは明智光秀が、本能寺の変?の戦勝祈願をしたところ。光秀好きとしては行っておきたいところでもあります。

また、日本三代愛宕の東京と福岡は参拝ずみなので、最後に残した本家本元にもいよいよ参拝したいと思ったのです。

ただ、一人ではなかなか決心が付きません。そこに京都人のチカラくんと知り合ったので、話をしてみたら、一緒に行こうと言ってくれました。
そんなわけで、いよいよ今回実現したのです。

彼は、自分が登ったか、全く覚えていないそうですが、ご両親に確認したら、3歳の時に登ったそうです。
つまり一生火事に遭わない魔法をかけてもらっています。親の愛ですねー。本人は全く覚えていないそうですが。
そんなわけで、一緒にいるこの日は、私も火事に遭わずにすむでしょう。

前日「足慣らしにちょっとマラソンした」と。
「ちょっとってどのくらい?」と聞いたら、「10キロ」
そんなにー!私は、歩くのなら一日最多5万歩いったことがありますが、1キロも走れません。

あまりに本格的な登山になるため、自分も登ると自発的に言ってくれる人でないと、とても誘えません。
私につきあうというレベルでは、申し訳ないからです。

これまで「京都の人はいけずや」といわれてきたので、ちょっと構えていましたが、チカラ君はまったくいけずではありません。
「前に聞いたんだけど、京都で"お宅の坊ちゃん、ピアノうまくなりましたなぁ"って言われたら・・・」
「ああ、うるさいってことでしょ」
即答です。
「やっぱりそうなのね。喜んじゃいけないところなのね」
「人によるけどね」
うーん、関東の方では、そういう言い方をする人はいなさそう。

「いけずじゃないけど、京都の人はプライド高いね」
やっぱりそうなんですねー。

ヒッチハイクは200回以上したそう。
そのうち、一番ピンチな思いをした99回目と最高だった100回目の話を教えてもらいました。

道は、石段になったり坂になったり、根っこ道になったりするので、下を見て足場を探していかないと危険です。
また、ずっと話をしているので、顔を見ながら進んでいくと、そんなに前方を見ることがないため、延々と続く坂道を眺めて絶望することはなくすみました。



すぐに暑くなって、Tシャツ1枚になります。
なんと、私のIPODが「容量がいっぱいです」という表示が出て、撮影できなくなりました。
アルバムからかなりの枚数を削除しましたが、それでもまったくカメラ機能が動きません。
「うーん、これは愛宕の神様が"撮ってはならん"って言っているのかしらね」
「参拝したらとれるようになるんじゃないかな」



そう言っていましたが、いくら消しても無理なので、困り果ててしまいました。
旅の途中なのに、とれなくなるなんて。なんかフリーズして、指定がきかなくなったのかしら。
そうしたら、チカラ君が直してくれて、使えるようになりました。
助かったわ!



そんなカメラ騒動があり、山道を進みながらも画像を消去していたりしたため、ますますどこの坂を上っているのかわからなくなっています。

壱岐と隠岐に言ったということで、興味津々。
隠岐というと島流しのイメージくらいしかありませんが、いまでは町をあげて教育に力を入れて、レベルの底上げに成功しているということ。
教育の勉強をしているため、いろいろとおしえてもらいます。
しかし旅では、横浜はほぼスルーしたそうです。

初めて会った時には、和服を着ていました。京都出身という気持ちの表れだとのこと。
私も、最初に見かけたときには、その風貌にびっくりしてなにもいえませんでしたが、そこで顔を知ったので、二度目に会ったときには会話ができました。
そろそろ冬服もほしいそうです。

日本一周は海岸沿い。京都人の海へのあこがれはかなり強いそうです。
京丹後は海沿いですが、遠いですからね。

朝なのに、ふたばはもう人が並んでいました。
「あー」と言ったら、「僕は一度も食べたことがない」そんなものですか。



聞きしに勝る大変なルートですが、かなり子連れ参拝が多いです。
「3歳までの参拝」は、いまでもみなさん守っているようです。
子供はすぐに疲れてしまうから、しょって登るパパが大変ですね。

淡路島の沼島 伊勢エビ漁
喋りながら登るのは大変で、ハーハー言いながら。
途中ちょこちょこと休憩して。
チョコを食べながら。
ほかに登る人は周りに結構多いと思ったら、ふと気がつくと誰もいなくなっていたり、またちょっとすると大勢いたり。不思議です。
この日も京都の中心部は、観光客でごった返していると思いますが、ここには観光客はほぼいないでしょう。駐車場の車もほぼ京都ナンバーでした。



みんな、降りてくる人とすれ違うたびに「こんにちは」と挨拶し合っていきます。
やっぱり京都の人はいけずではないですね。(こだわりすぎー)

これまでのハードな登山参拝として思い出されるのは、大山阿不利神社の奥の宮。もうあの大変さは味わいたくない、と思っています。
阿不利神社への道でも、子供を背負って登っていくパパがいて、大変だなあと思っていましたが、もしかするとこの愛宕参りを踏襲していたのかもしれないと、いまになって思います。



途中で太い枝が落ちていました。
「これ、杖にいいんじゃない?」と持ってみます。




でも、水をたっぷり吸っているのか、結構ずっしりと重かったので、そんなに持ち歩けず、再び塀に持たれかけさせておきました。
きっとほかの誰かが杖に使うでしょう。



途中、木々が少し開けたところから、京都市街が見渡せました。
高くまできていることがわかります。遠くに見えるのは桂川。
すばらしい光景です。

黒門


ようやくようやく、黒門が見えてきました。それからさらに進んでいくと、最後のだめ押しで、すごい石段がありました。
でも、四方山話をしていったら、上れます。





もう、先が見えない山道をひたすら登って行きます。
これは精神を鍛えられそう。私は一人では無理だわ~。気持ちが参りそうです。



ようやく、鳥居が見えてきました。
ゴールが近くなってきたのかしら。




この鳥居をくぐる時にふと目をやったら、イノシシが描かれていました。



着きました~。あうう、とうとう・・・





二人で感激のあまり、変なテンションになっています。
神様にご挨拶。
愛宕の神様は、イノシシに乗った天狗のようだとわかりました。
神様のお使いなので、先程の鳥居のモチーフになっていたんですね。



狛犬のしっぽがなぜかなくて、はめるものもありませんでした。

社務所には長い列。並んで御朱印をいただきます。
行列は、ほかに「火の用心」とかかれたお札を求める人も大勢いました。
私もそれを買って帰ろうと思っていましたが、実際見てみるととても大きくてびっくり。



しわを付けずに家に持ち帰る自信がなかったため、急遽違うお札に変更。



神主さんは2名いました。ここまで、神主さんも下から登ってくるのでしょうか。だとしたらすごいことです。
阿不利の奥の宮には、紙の書き置きしかありませんでしたが、ここは手書きしてくれました。
これでミッションクリア。
明智光秀はここで、大吉が出るまで何度もおみくじを引き直したと言われています。
さしあたり、私はお寺に攻め込む予定はないので、おみくじは引かずに置きました。
光秀の霊が乗り移って、延々とおみくじを引き続けるのも怖いですからね。

その2に続きます。


秋の京都ときどき登山 2-(2)

2016-01-20 | 近畿(京都・滋賀)
その1からの続きです。

上賀茂神社参拝後、神社の境内から流れ出る明神川に沿って歩き、大田神社に向かいました。



山住神社のような古代神殿ではありませんが、いつ訪れてもほとんどひとけがなく、風の通り抜けるようながらんとした神殿が好きな私にとって、居心地のいい場所です。
境内に咲くかきつばたが有名で、見頃の5月にはとても賑わうそうですが、いつも訪れるのは秋なので、花が咲いているのを見たことはなく、なおさら閑散とした感があります。

○ 瀬織津姫ふたたび



ふたたび川沿いに戻りながら、明神川沿いの樹齢500年の古木の下にある小さな祠を参拝しました。
すると、ここも瀬織津姫がご祭神でした。
まあ、姫づいているわ。
水の神様なので、水際に祀られているのでしょう。

小さいながらも藤木社という上賀茂神社の境外末社だそうです。



○ 社家の町

上賀茂神社に隣接した辺りは、かつて神官の住まいが並ぶ集落で、いまは上賀茂伝統的建造物群保存地区となっています。
落ち着いた雰囲気のいい界隈で、屋敷には細い水路に架かった橋を渡って入ります。
この家は、すすきが生い茂っていますが、これも橋。下には川が流れています。
苫の庵という感じ。雨宿りに駆け込んだら、狐が美女に化けて迎えてくれそうですね。(住んでいる方、すみません!)



再び鴨川を通ります。秋の桜(秋桜ではありません)の葉がきれい。



○ ここにも愛宕社が

上賀茂神社参拝後には、鴨川の流れに沿って下鴨神社へ。
西参道から入ると、手水舎の向かいに愛宕社がありました。





ここでも会いましたね、愛宕の神様。今回京都に来てから、これで3箇所目です。
瀬織津姫といい、愛宕の神様といい、意識してみるとよくよく巡り合うもの。
神様の方から、近づいてきてくれるのかしら。
「明日、本殿をちゃんと参拝できますように」とお祈りしました。



○ カラフル八咫ガラス

境内には見慣れぬ巨大なカラフルな鳥がいて、ビックリ。あ、あれはなに?
京都造形大学の学生さんが作成した、八咫ガラスだそうです。



カラフルなので、カラスというより極楽鳥のよう。
あっ、でも極楽は神道ではなく、仏教の世界ですからねー。
数えてみたら、きちんと脚が3本ありました。



下鴨神社も、上賀茂神社と同様に式年遷宮の年です。
いつ訪れても整った美しい境内。
黄金が降り落ちたようでした。



○ 糺の森の馬車

糺の森を通り抜けたら、馬車が走っていました。



式年遷宮だからだそうですが、洋風クラシカル。
牛車の方が雰囲気が出ると思うんですけれど。
このお馬さんたちは、神馬ではなさそうです。白馬でもありませんでした。(やっぱり…)



ぱっかぱっかと馬車が駆けて行った後を追うように、糺の森の瀬見の小川沿いに歩いていきます。
参拝帰りの和服の人もいて、すてき。



○ 美人のお宮に灯がともる

美人の宮、河合神社へ。
ちょうどぼんぼりに明かりがともったところでした。



境内の鴨長明の方丈も、さりげなく中がライトアップされていました。



初めてこちらを見た頃には、
「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」
と、学校で習った『方丈記』の冒頭を思い出して、ひたっていましたが、そうは言っても目の前を川が流れているわけではないので、最近では
「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」
の歌を思い出しています。
天智天皇の歌ですが、こういう光景なのかなあって。
百人一首をちゃんとおさらいしたいなあ。『ちはやふる』も最近読んでいないなあ。

○ 鴨川デルタ

そのまま表参道を通って糺の森の先まで行き、なおも進むと鴨川デルタ。
夕暮れ時になっても、亀石をつたって川を渡っていく人たちは大勢います。



○ ふたば行列

せっかく近くまで来たのだからと、おいしい出町ふたばの豆饅頭を買おうとお店に向かいました。
道の向こうの、お店の前にずらりと並ぶ、恐ろしいほどの行列を見て、びっくり。
(ブレた画像で済みません。動揺のあまり...)
信号が青になると、私の前を歩いていた人も、後ろの人も、みーんなふたばに向っていたと判明。
これはもう無理ですね。あきらめました。



日が落ちて、風が冷たくなってきたので、中心部に戻ろうと、やってきたバスに乗ります。
バスは京都駅に戻りたい乗客でぎゅうぎゅう。ようやく乗れたものの、足の置場もありません。

あまりの混雑に耐えかねて、京都市役所前で降り、地下鉄に乗り換えました。
学生2人が同じように移動しながら「あの混みっぷりはないわ。あかんわ~」とぐったりしていました。
今回の旅で、京都人の「あかんわ」を聞いたのはこれで2回目。昨日の東福寺の紅葉に続く、ダメ出しです。

○ 夜には別の顔

一旦駅に戻り、日中ロッカーに預けていた荷物を取り出しました。
朝の光景。なんのへんてつもない木でしたが・・・



夜になると、こんなにきれいなイルミネーションがつきました。
ファンタスティーック!



○ 喧騒の四条河原

次の目的地は四条河原町。
四条駅で地下鉄を降りて、再びバスに乗り換えます。
バス停2つ目なので、3分くらいで着くだろうと思いましたが、行楽シーズンの大渋滞で道路が全く動かず、バスの中に籠城状態。
そういえば四条は町の中心。京都で一番道路が混んでいる場所でした。
普段は避けてなるべく通らないようにしているんですが、今回はその中心部に用があるので、人混みの中に向かっていかなくてはなりません。

乗客はみんな地元の人風で、慣れているのかイライラしているような人はいません。
急いでいたら、バスを降りて歩くところでしたが、待ち合わせにはまだ時間があったので、私ものんびり行くことにします。
結局、20分くらいかかって着きました。

○ 阪急から丸井に

夜は、先月京都に赴任になったばかりの友人タッキーと、夕食の約束をしています。
待ち合わせ場所は京都一目立つ場所、丸井の前。
ここ、ほんのちょっと前までは、阪急のビルだったのに、気がついたら変わっていました。
見慣れたHankyuの大きなロゴが、いつの間にか丸井マークに変わっていました。
友人はこのオープンしたての丸井京都店に呼ばれたのです。



ボケた画像で済みません。
丸井のビルではなく、外で写真撮影をしているモデルさんを遠目に撮ってみたものです。
寒風が吹く中、肩を見せたウエディングドレス姿でにこやかにポージングしており、プロ根性を見ました。

○ 三角球のモニュメント

店の前の植え込みの中には、三角すいと球体の形をした、不思議な標識がありました。
京都市が北緯35度に位置しているというモニュメント。
ニューヨーク、パリ、ロンドンも北緯35度上にあるんだとか。
じゃあ東京はいくつ?横浜は?と調べてみたら、どちらも北緯35度でした。
あら同じ。みんな仲良くしようね。



○ 先斗町は人だらけ

仕事上がりのタッキーと会って、先斗町に繰り出しましたが、すごい人でどの店にも長い行列ができています。
ハイシーズンの土曜日の夜。混んでいるはずですね。
タッキーごひいきのお店をいくつか周ってみましたが、どこもいっぱい。
「先斗町の店はどこも無理そうだね。こっちの人が行く普通の店でいい?」と聞かれました。
もちろん。



歩きながら撮ったので、先斗町の画像はどれもブレてしまいました。
「平日の日中はここも閑散としてるから、チャリで走ってたら、店のおかみさんに”ちょっと、自転車に乗ったらあかん”と怒られちゃってさ」とタッキー。
ひえっ、先斗町を自転車で駆け抜けたと?
京都人はしないだろう、驚きのフリーダムっぷり!
またまた京都人の「あかんわ」が出ました。ピリッと叱られたんでしょうね~。



○ ・みんみん

観光客がいない通りに移動して、(みんみん)に入りました。
店内は、見事に空いています!加えて観光客っぽい人は誰ひとりいません。
見るからに地元の人ばっかり。やった(笑)!
店名から「ここ、宇都宮餃子で有名なところ?」と聞いたら「こっちオリジナルの店だから、別なんじゃないかな」との返事。
たしかに宇都宮の方は、ひらがなで「みんみん」でした。ほかにカタカナの「ミンミン」というお店もあるみたい。
どれも響きは一緒の餃子屋さんなので、何か関係がありそうですね。



前にも別の友人と、鴨川沿いのレトロな東華菜館本店で、食事をしたことがあります。
駅前東塩小路の、ディープな中華そば店に入ったこともあります。
親と一緒の時には、懐石料理かおばんざいですが、京都では案外中華を食べる機会が多いような気がします。



お店自慢の餃子をたっぷり食べました。
赴任してまだひと月の上、引継ぎなどで毎週東京本社に出向いているというタッキーですが、忙しい合間を縫って、京都ライフを楽しんでいる様子にほっとします。

お酒が入り、話が弾みます。
高校生の頃、私がのほほんと女子とばかりつるんでいた間に、彼は7人の女の子から告白されたそう。
えー、7人? ラッキーセブンね!
じゃなくて、すごすぎる~!そんな人もいるんですねー。(ひとごと)
言われてみれば、確かにモテそうな人です。
それなのに、誰とも付き合わず、高校では部活に明け暮れていたんだそう。
もったいない!でもそれも青春ね。

そういえば、別の丸井勤務の友人に「うちは接客業だから、職員は男女ともキラキラした人ばっかりだよ」と言われたことがあります。
その人は「私は店頭に立たないシステム担当だから、見た目で選ばれてないの」と笑っていましたが、十分きれいな人でした。

当時、8番目にフラれていたら、今こうして笑いながら餃子をつついてなんていられなかったでしょうから、彼の魅力に気づかなくてよかったわ~(笑)

モテモテだったというほかに、彼が鉄ちゃんだということも知りました。
梅小路公園に京都鉄道博物館ができる話で盛り上がります。

「いまでも現役で使われている古い電車が好き」と聞いて「群馬の高崎から下仁田までの電車とか?ええと、なんだったかな」と言ったら、間髪おかずに「上信電鉄上信線だね、いいねー」と言ったので、鉄ちゃん宣言は嘘ではないと証明されました。

いろいろな四方山話をしていたら、あっという間に終電近くなりました。
阪急電鉄に乗って帰ります。マルーン。



○ 明日が心配

一駅だけ乗り、烏丸駅でタッキーとお別れして、電車を乗り換えて宇治に帰りました。
宿に着いたのは真夜中過ぎ。辺りはシーンとしています。早く寝ないと明日に響きそう。

明日はいよいよ愛宕山に向かいます。
一緒に山に登るチカラ君から、メールが届いていました。
「明日のために今日はトレーニングをしておきました!」わあ、爽やか~。
対する私は、夜遅くまで食べて飲んでの遅い帰宅。
まずいわ、山で差を付けられてしまいそう。

急いで寝る準備をしましたが、ベッドに入った時にはもう2時でした。
明日が心配だわ。でも神様にお願いしておいたから、まあいっか。(ザ・神だのみ)

3日目に続きます。


秋の京都ときどき登山2-(1)

2016-01-18 | 近畿(京都・滋賀)
1-(1)からの続きです。

○ 宇治ではゆっくり

2日目。
前日はぐっすり寝て、十分睡眠をとりましたが、翌朝も早起きはしません。
京都市内に泊まる時よりも、宇治ではいつも朝ゆっくりします。
この辺りはのんびりしていて居心地いいですし、京都市内に行くにはちょっと時間がかかるので、早朝からの活動はあっさりあきらめています。

前日かなり歩いたので、この日は筋肉痛になっているかと思いきや、足は平気でした。
数日遅れて来るのかも・・・!

滞在中、借りた自転車に乗って出かけました。
うん、快適。JR黄檗駅に向かったら、思ったよりもすぐに着いたので、もう少し先の六地蔵駅までサイクリングしました。

そこから電車に乗り換えて京都市内に着いた頃には、けっこう日も高くなっていました。
京都駅八条口は、大掛かりな工事中。
この観光シーズンに、車が駅まで入ってこられないのは大変そう。何台ものホテルのマイクロバスが右往左往していました。



○ 大原の里景色

まずは大原に出かけます。
三千院には去年も訪れたので、今回は里景色を見るために。
あの辺りの、昔の日本らしい、ちょっとひなびた村の風景が好きなのです。
先ほど見た京都駅前とは、ずいぶん変わりました。



コスモスが風になびき、秋らしさを感じますが、この辺りも、あまり紅葉は進んでいませんでした。



京都の中心部よりも北だし山間なので、普段ですと紅葉も少し早く訪れるんですが。



なぜか気になる、石のすべり台。
ゆるやかなカーブがなめらかそうでいいな、と思いますが、石ってあんまり滑らないですよね。
子どもの時、よく途中で動かなくなって「・・・」状態になったことを思い出します。



大原行きのバスは乗客でぎゅうぎゅうづめですが、みんな寺院に向かうため、辺りを散歩している人はいません。
着いてしまえば、静かなひとときを堪能できます。
のんびり散策した後で、ふたたび混んだバスに乗り、大原を離れました。

○ 古来のままの神社

次に向かったのは、実相院の近くにある山住神社。
神殿がなく、古来のまま巨石を磐座(いわくら)として祀っている神社です。

前に実相院のライトアップを見に、夜間参拝に訪れたことがあります。
帰り道の途中で、暗闇の中に神社の鳥居を見ましたが、真っ暗だったのでそのまま通り過ぎました。
どうやらそこのようです。再び呼ばれている感じ。

場所ははっきりわかりませんが、岩倉駅まで行けばわかると思って、岩倉駅前バス停で降りました。
でも、きょろきょろ辺りを見回しても、駅は見えません。
困っていると、通りの向こうからおばあさんが歩いてきたので、「岩倉駅はどこですか?」と聞きました。
すると「ここだよ」と返事が返ってきました。
えー、ここ?(キョロキョロ)駅も線路も見えない、車道ぞいだけど。

なんかこのやりとり、去年もありました。
伏見稲荷のバス停を降りた車道ぞいで「伏見稲荷はどこですか?」と聞いたら、「ここだよ」と言われたことが。
地元の人にとってはそういう感覚なんでしょうね。「叡電の駅はどこですか?」と言い直して、教えてもらいました。



柿がなっている、川沿いの御屋敷。

山住神社に着きました。今では遺跡のような扱いとなっていますが、昔はどの神社もこうした造りだったんですね。



無人の境内。古い神様と向き合う私。
祠の横にある大木の根っこがすごいです。年季を感じます。



近くに行くことはできましたが、なんとなくこれ以上はそばに行ってはいけない気がして立ち止まり、そこで参拝をすませました。
神殿などない、こういったプリミティブな形式の方が、風通しがよくて私は好きかも。

○ 鴨川の秋の桜

そうして、京都中心部へ戻りました。
京都のシンボル、鴨川を見ると、嬉しくなります。少し沿道の桜の木が、赤く紅葉しています。



○ 神馬に会えず

次は上賀茂神社へ。今年は、この神社の21年ぶりの式年遷宮の年。
奈良時代から続いているといます。京都最古の神社ですからね。

ここの御神馬の神山号は、なんとかつては競走馬。
そして馬主は、作家でギャンブラー(!)の浅田次郎氏だったそうです。
白馬の御神馬がそんな驚きの過去を持っていると知ったら、改めて会いたくなります。
でも、京都に来るたびに、この神社に寄っているのに、今まで一度しか見たことがありません。
縁がないのかしらー。

白馬に縁がないから、白馬の王子様にはなおさら…いえ、なんでもありません(^_^;)



○ すぐきって?

境内には「すぐき」がダイナミックに奉納されていました。
去年、親と訪れた時にもこんな風に重石を載せてあり、「これはかぶらの一種よ」と母に教えてもらいました。
関東ではなじみがありませんが、千枚漬・しば漬けと並んで、京都三大漬物と呼ばれているそうです。

すぐきは、上賀茂・西賀茂地区の農家でしか漬けていないため、京都の外にはあまり流通していないのだそう。
それで、よそではあまり知られていないんですね。
はもや水菜も、かつては京都でしか食べられなかったそうです。



○ 境内散策

優美な形の朱楼門。
お寺とは違う、神社としての和を感じます。



昨日は、あちこちで新郎新婦がウエディングアルバム用の撮影をしているシーンを見かけましたが、今日は本当の結婚式を多くみかけます。
ここでも、御朱印に並ぶ列ができていました。
前はこんなことなかったのに。本当にはやっているんですね。



御祈祷が続いて、神主さんたちは忙しそう。
境内に何人もの姿を見かけました。

○ 紫式部も恋愛祈願



縁結びの神様、片岡社(かたおかのやしろ)の絵馬はハート型。飾るところも立体的なハート形。
紫式部がここで恋愛成就の祈願をしたそうです。
『源氏物語』を書き切った、今で言う恋愛のカリスマのような彼女でも、やっぱり恋には悩んだんですね。

ちょっと話がずれますが、中学生の時の歴史のテストに
「紫式部は、○○小説『源氏物語』の作者である。空欄を埋めよ」
という問題が出て、意気揚々と「恋愛」と書いたら、×でした!
「長編」が正解でした。

確かに教科書には、長編小説と書かれていましたが、恋愛小説でも当たっていませんか~?
「中学生なのに、まだ早い、却下!」と思われたのかしら?
でも当時すでに、女子はみんな『あさきゆめみし』を読んでいました。
ものすごーくめずらしーく100点が取れるかと思ったら、その減点で95点になったので、グレようかと思いましたよ!
今でも腑に落ちないままです!(根に持ってる)



神殿の屋根の上に、若木が生えているのを発見。
そのうちにどんどん伸びて、ジャックと豆の木風に大木になるのかしら。ありがたやー(?)



○ 瀟洒な庭園

境内奥の方にあるひとけのない美しい場所に、今回入ることができました。
渉渓園(しょうけいえん)という庭園だそうです。



作庭家の中根金策氏によるもので、平安時代末期の様式を真似て造られたそう。
自然な苔の感じがすてき。



水の流れが曲線に作られており、曲水の宴をやったら絵になりそうだなと思ったら、毎年4月に「賀茂曲水宴」が行わるそうです。
桜の下で行われる歌会。さぞ風流でしょうね。



奥には、渉渓園の舞殿がありました。



○ 瀬織津姫の祠

楢の小川のせせらぎに沿って歩いて行きます。
小川沿いにいくつかちいさな神様のほこらが並んでいます。



見るともなく目を向けると、そのうちの一つに「末社17 梶田神社 ご祭神・瀬織津姫神」と書かれてありました。
まあ!
私が一番気になる神様が、瀬織津姫(せおりつひめ)なんです。
思わぬ出会いに嬉しくなって、お参りしました。



○ 縁の下の力持ち

式年遷宮だからか、日がよいのか、神主さんや巫女さんも外に出て神事を行っており、結婚式や七五三の人々で境内は華やかでしたが、境内の塀の目立たないところでは、左官屋さんがせっせと塀を白く塗り直していました。
こういう人たちがいてくれるから、神社もきれいになり立っているんですね。
まさに、縁の下の力持ちです。



その2に続きます。


秋の京都ときどき登山1-(2)

2016-01-15 | 近畿(京都・滋賀)
その1からの続きです。

どんどん混んできた嵐山を抜けて次に向かったのは、東山。
この日は平日ですが、すでに大勢の観光客がいます。
翌日からの連休はさらに人で膨れ上がりそう。

○ OSKってなに?

南座の前を通りました。今は何を公演中なのかな。
「OSKレビュー in Kyoto」?宝塚かしら。

私、浅学にして知りませんでした。OSK日本歌劇団とは、宝塚歌劇団・松竹歌劇団(SKD)と並ぶ三大少女歌劇のひとつだそうです。
大阪松竹歌劇団(Osaka Shochiku Kagekidan) の略なんだとか。



へ~。宝塚だけだと思っていたので、それ以外にも少女歌劇団があったなんて驚きです。
ヅカファンなら常識のことでしょうけれど、女性の歌劇団は私が思っているよりも根強い人気があるんですね。

○ ボギー?シャア?

ふと車内に目を向けると、バスの運転手さんの名前がとってもかっこよくて、びっくりしました!
なんか名字にピッタリ。
「だいすけ」さんと読むんでしょうね、とあとで賢い友達が教えてくれました。なるほどー。



大佐殿が動かすバスの中から見た八坂神社。
車道に面しているので、車が入らない写真はなかなか撮れないんです。



○ 全てが大きな知恩院

目的地は知恩院。バス通りからすぐに門が見えますが、門の前に行くまでに、そこそこ歩きます。
歩いても、歩いても、たどり着かないー。
とても巨大な三門なので、いつも遠近法がわからなくなります。



ようやく三門をくぐり、男坂石段をふうふう上がりました。
上から見下ろします。下りも急でこわそうで、降りる人たちは、おっかなびっくり一足一足踏みしめていました。



御影堂は工事中で、すっぽり幌に覆われていましたが、普段とは違う横の入り口から入れました。
中ではお坊さんがお経を上げています。
柱には、こんな表示が貼られていました。

皆さん、分かりますよね?念のためですが、正解は3番ですよ。2番は神社ですよー。
でも10回「なむあみだぶつ」と声に出して唱えるのが浄土宗の正式参拝法だとは、知りませんでした。



4番がちょっとデンジャラス。
最後なんて、マンガの一休さんならやりそうですね。「ひと休み、ひと休み~」

それから、御朱印をいただける小屋に行きました。



小屋の前には長い行列ができていました。
並んでいる人は、年齢層がまちまち。
今や御朱印集めは、すっかりブームになっているようです。

○ おばけ大鐘

御朱印と母親に頼まれた御朱印帳をいただいてから、石段を登って、さらに小高い場所にある大鐘のところへ行きました。
人との大きさの差にびっくりします。
知恩院にあるものは、だいたいが大きなものばかりですが、中でもこの鐘は想像をはるかに超えた大きさ。
見るたびに圧倒されます。



大晦日には、この大鐘が17人がかりで打ち鳴らされます。
お坊さんが身体をなげうって、全体重をかけて鐘を打つ様子は、アクロバティックでかなり見がいがあります。
年末の「ゆく年くる年」で紹介されるかしら。

○ 青龍院の大楠

知恩院を離れ、青龍院前を通りました。
門前の大楠のすばらしい枝っぷりを眺めます。
この日は新日吉神宮のシダジイに始まり、大木づいています。



三条通に、坂本龍馬の結婚式場跡の石碑がありました。
昔の結婚式は、普通は花婿の屋敷で行ったものですが、脱藩した龍馬は根無し草状態。
かといってお龍さんの勤めていた伏見の宿でもありません。

調べてみたところ、龍馬とお龍は、青蓮院塔頭の金蔵寺で結婚式を挙げたそうです。
なにかゆかりがあったんでしょうね。
この石碑は、金蔵寺跡ということのようです。



○ 白川散歩

昔の面影を残す白川に沿って歩いてみました。
浅瀬がきれい。日の光を受けてキラキラしています。



ひとけがなく、とても静か。
趣があって、CMポスターのよう。



とてもいい雰囲気の中、流れに沿ってしばらく散策しました。
大混雑の京都中心部にいながら、さらさら流れる白川をひととき独り占めできたなんて、幸せだわ。



○ 光秀の首塚

この白河通りから細道を少し入ったところに、明智光秀の首塚があります。
彼の家来が、知恩院に首を運ぼうとしたものの、夜になったので埋めたとされる場所。
光秀の墓はあちこちにあり、いくつかはお参りしたことがあります。
首塚と聞くと多少はぎょっとしますが、ここもお参りしました。



小さい祠ながら、地元の人にきちんとお祀りされていました。
光秀好きなので、本能寺の変前に彼がお参りした愛宕神社にも、参拝したいのですね~。

○ 太閤ご満悦

それから少し歩いて、満足稲荷神社をお参りしました。
バスの中から見かけるたびに、名前が気になっていたのです。
豊臣秀吉が出世をして満足したお稲荷さんという由来だそう。
鳥居のたくさんある、立派な神社です。



○ 満足稲荷のクロガネモチ

ここにも巨木がありました。胴回りは4mほどもある、樹齢400年のクロガネモチの木。
これは、あの「モチモチの木」のこと?だったらこわいよ~。(幼少時の記憶)
やはりこの日は、巨木デーのようです。

木の前には「岩神さん」といわれる岩があります。
岩神さんをさすった手で頭を撫でると、頭が良くなるのだそう。
もう両手でさすっちゃいました(笑)。



あれ、前にいる狐のところに、何か書いてありますね。
「足を怪我しながらも、岩神さんとご神木をけなげに守るコン吉」。
コン吉!名前をもつお狐さんに初めて出会いました。
神社の人による手描きアピールなんて、珍しいです。

たしかに、前脚をぐるぐる包帯巻きしており、かわいそう。
コン吉のことを褒めていても、補修はしてあげないんですね。。。



手水舎の上に「危ないからこの辺りで遊ばないで」という注意書きがありましたが、その横に「加藤さん」の名札がついており、どう見ても加藤さんを名指ししたメッセージのように思えます。
うーん、これでいいんでしょうか。
ほほえましいというかなんというか。まあ昔ながらの庶民の神社なんでしょうね。



○ 京都市内の熊野三山巡り

ふたたびバスに乗り、丸太町の熊野神社前で降りました。
しょっちゅう前を通っていますが、便利な場所にありすぎて、逆に参拝の機会がなかった場所。
創建時には、そばにある聖護院が管理したそうです。



この日の午前中には、新熊野神社を参拝しました。
哲学の道にある熊野若王子神社には、何度も訪れています。
これで、京都市内の熊野三山を全て巡ったことになります。

○ 哲学の道から法然院

それから哲学の道を通って、法念院へ向かいました。
小ぢんまりとした境内ですが、ここはいつ来ても落ち着きます。



ただ、年々参拝客が増え、人の切れ目を狙ってシャッターを押そうとカメラを構える人がずらりと沿道に並んでいるため、最近は残念ながら、あまり長居できない感じになりました。



白川通りに出る途中、重そうな聖護院大根(?)を片手にぶら下げたおばあさんが、よその家の呼び鈴を押していました。
おすそ分けでしょうか。



○ 紅葉はまだまだ永観堂

お次は永観堂へ。紅葉で有名なお寺ですが、この年はまだほのかに色づいている程度。
東福寺もまだまだでしたから、今回は全体的に、京都市内の紅葉は遅いようです。



あまり写さないようにしていますが、周りに人が多いことがお分かりになるでしょうか。



大文字山から下りてきたようなこの細い水路が好きで、いつも立ち止まって見ます。
誰もいないようですが、紅葉狩りの人々でかなりざわざわしており、私の背後を大勢の人が行き来しています。

○ 神々しい南禅寺山門



南禅寺の山門が、ちょうど夕焼けを受けて輝いていました。
普段は真っ黒で重々しい大門ですが、神々しかったです。

○ 黄昏のインクライン

日が陰ってきた黄昏時。インクラインを初々しいカップルが歩いていきました。
うーん、青春だわ~(#^.^#)



日が沈んだので、この日の散策はここまで。
去年と同じ、宇治の宿に向かいました。
オーナーのケンジさんと1年ぶりに再会し、部屋に案内してもらいました。
辺りはとても静か。
夜になり、冷え込んで寒くなってきたので、この年初の暖房をかけて、ゆっくり過ごしました。



初日にして、結構歩きました。京都にくると、知らず知らず歩いているので、いつもこんな感じです。

2日目に続きます。


秋の京都ときどき登山1-(1)

2016-01-11 | 近畿(京都・滋賀)
○ prologue

毎年恒例の秋の京都旅行。ここ数年は、家族旅行も兼ねていましたが、今回は久しぶりにまるまる一人旅。
もう11回目の行脚になるので、(そろそろいいかな)という気になりますが、やはり秋が近づくと、京都の紅葉を見たくなってくるんですね~。

いつも同じ場所ばかりを巡るのもなんなので、今回は愛宕山登山という大きな目的を掲げてみました。
愛宕神社は日本のあちこちにあり、山の神様を祀っているため、たいてい小高い山の上にあります。
その大本は、京都にある愛宕山。
「明智光秀が本能寺の変を起こす前に参拝した神社」だと、日本史で知りました。

よその土地のことは、たいてい観光情報から知るものですが、愛宕山のことは京都のガイドブックに載っていません。
つまり観光地ではないのです。
それでも京都では、3歳までにこの神社をお参りした子供は一生火事に遭わずにすむと言われているらしく、地元の人々はみんな結構お参りしているようです。
ただ、その行程は楽ではなく、かなりのハードな登山だと言われています。

ほとんど情報がないこの山。ずいぶん前から気になっていました。
静岡の秋葉山に行ったんですから、同じ火伏の神様として、愛宕山にも登っておきたいもの。
山登りは全く得意ではありませんが、体力がまだあるうちに登っておきたいし。
そんなわけで、すっかりなじんだ気持ちの中に、初めての登山に緊張する気持ちを抱えながら、京都に向かいました。

○ 11月20日朝

朝一で京都に着きました。宿に行く間も惜しんで、荷物を駅のロッカーに入れ、さっそく早朝の京都巡りを始めます。
ピカピカの駅ビルに、雲がきれいに写っていました。



○ 今年はあかんわ~

まずは東福寺へと向かいました。京都市内で一、二を争う紅葉の名所で、この時期はとにかく殺人的に混みますが、まだ人もほとんどいない時間です。
お寺の紅葉がよく見える橋まで行ってみました。
さぞかし、美しい錦色の光景が広がっているだろうと思いきや、今年は時期が早いらしく、まだ葉は青々としていました。
(あら~・・・)と思っていると、私に続いて様子を見に来た、近くに住んでいる風のおばさまが「今年はあかんわ~」といって去っていきました。
あかん紅葉がこちらです。これでもきれいですが、ここは京都市内で一二を争うもみじの名所ですからね。
もはや紅葉コメンテーターになれそうなほど、毎年見ている身には、ちょっと物足りないわ~。



○ 女学生といまひえさん

次に新日吉神宮へ向かいます。
京都女子大学や付属高校の斜め前にあり、ちょうど通学時間と重なったので、制服集団に囲まれながら、一人だけ私服姿で女坂を登っていきました。
一人旅の時には(男性の方が旅しやすそうでいいな)と思いますが、こういう時は(女性でよかった~)と思います。
男性だったら、こういうシチュエーションでは、学校ガードマンに警戒されそうですからね。



ここ、「しんひよし」ではありません。「いまひえ」と読みます。
新がついているということは、ただの日吉神社もあるのかしら?
おそらく、比叡山の麓にある日吉大社を指すのでしょう。
それよりも新しいという意味で、実際には850年以上の歴史を持つ古~いお社です。



大きな鳥居をくぐります。境内は広々としていますが、無人です。
私一人きりなんて、ぜいたく~。あやしい者じゃありませんよ~。



神域へといざなう、朱色の楼門。
立派な神社なのに、ここを参拝するのは初めて。
それだけ京都には、寺社が多いということですね。



本殿に向かう石段の途中で振り向いた光景。
神楽殿もある、立派な神宮です。



○ 来年の主役

狛犬のほかに、本殿の両脇に狛猿がいました。そういえば、日吉神社と日枝神社は、読み方からもわかるように、もともと同じもの。
そして、日枝神社の神徒は猿なのです。

  


申年の来年には、例年以上に参拝客が訪れて大賑わいすることでしょう。

○ さっそく愛宕さん

いい神社なので、境内をぐるりとまわってみます。
摂社には、豊臣秀吉を神様とする豊国社、そして山の神様の秋葉社と愛宕社が、仲良く並んで祀られていました。



わ~、今回目指す愛宕神社に、初日の朝にさっそく出会うなんて。
これは愛宕の神様からの「山の上で待っとるけん」というメッセージでしょうか?
「ぶ、無事に登れますように!」と念入りにお参りしました。
本殿の新日吉神社の神様よりも、じっくりお願いしていたかもしれません。
だって、本当に登れる自信がないのですから…。



○ スダジイじいさん

神殿の裏側には、樹齢500~800年のスダジイがありました。
椎の木の、のびのびと生命力に満ちた自由な枝伸ばしっぷりが好きです。



地球の秘密を、何でも知っていそうな貫禄。まさにすだじいさん、ですね。
「イインダヨ、グリーンダヨ」って言ってもらってるみたい。



○ ミサイル発射台?

なんだかちょっと風変わりなものを発見。
あれはなに?
考えてもわからなかったので、近寄ってみると、それは京都市旧午砲の台座でした。



大砲?と思いましたが、午砲とは正午を知らせる号砲のことだそうです。
神社に置かれていたんですねー。
真ん中に貼られていた当時のモノクロ写真です。



我が家のそばでは、お寺が正午の鐘を鳴らしてくれますが、京都ではかつてお昼になると、毎日「ドカン!」と大砲が鳴っていたんですね。
もちろん空砲でしょうけれど、今聞こえてきたら、びっくりしそう。

○ お坊さんと朝の挨拶

参拝後は、先ほど上ってきた女坂を下りますが、今度は女学生たちの通学集団と逆流することになります。
その流れをかき分けるのが大変だったので(男性にはうらやましい悩み?笑)、途中で道をそれて、智積院の敷地内を通ることにしました。
ここはいつ訪れてもきちんと整った、風格のあるお寺。



ここの宿坊に宿泊して、朝のお勤めに参加したことがあります。
その勤行帰りでしょうか。法衣姿の僧侶とすれ違い、挨拶を交わしました。



境内を掃いている作務衣姿の僧侶もいました。
早朝の静かな光景です。

○ ニューとナウ

それから、東福寺方面へ戻って、先ほどバスで通り過ぎた新熊野神社へ。
お寺→神宮→お寺→神社の順で訪問しています。
こんな混ぜこぜのお散歩ができるのも、日本ならではですね。



先ほどの神社は、新日吉と書いて「いまひえ」と読みましたが、ここも読み方は「しんくまの」ではありません。「いまくまの」です。
「新」なのに「いま」。あれ、NewとNowって同じだったっけ?
不意に考えるとなんだかわからなくなります。英語のスペリングもかなり似ているんだなあと気づいてみたり。
まあいっか。(深く考えない)

バス通りにあるこの神社は、いつもバスから眺めて見慣れていましたが、特に参拝しようとは思いませんでした。
去年訪れた今熊野観音寺が、この神社とつながっていると知って、興味を持ったのです。
名前からして、元は一緒だったのでしょう。
ちなみに、お寺の方は「今」と書いて「いま」と読みます。ややこしや~。
境内に大きな能面の絵があって「!?」と驚きました。ここは能楽発祥の地だそうです。

○ 今度は楠

この神社にも、大木があります。今度はスダジイではなく、オオクス。
境内入口にある大樟は、神社が創建された折に、紀州熊野より運ばれたもの。
推定樹齢900年の京都市指定天然記念物。
「樟大権現」「樟龍弁財天」として熊野の神様や弁天様の化身とされているそうです。
弁天様は、普通は水辺がテリトリー(?)の仏様なので、木になぞらえているのは新鮮。
まさに神仏習合の木なんですね。



「健康長寿」「病魔退散」、そしてなぜか「お腹の神様」としてあがめられているそうです。
周りをぐるりと回れます。ありがたや~。丈夫なお腹でいられますように。(しょっちゅう壊す)



○ 京都で熊野詣で

京都市内には3つ熊野神社があり、それぞれが熊野三社を勧請しているのだそう。
気がつきませんでした。まだまだ京都通は名乗れません。



そこで、矢印に従って、本殿の裏側に登って熊野三山ご利益巡りをしました。
これは、市内の熊野三社巡りもしないといけませんね。

○ 大人気の琳派展

バスに乗って京都国立博物館の前を通ると、長い列が通りにまで続き、大勢の人々が開館を並んでいました。
いまは琳派展が開催中のようです。
時間は開演15分前の8時45分。
私はこの時すでに、7千歩近く歩いていました。
今日はどのくらい歩くことになるのかな?

○ 青々とした嵐山

京都駅から、嵐山へと向かいます。
9時になり、駅前のバスロータリーにはあふれかえるばかりのバス待ちの人々が並んでいたので、地下鉄を選びました。
1年ぶりの渡月橋。山はまだ青々としていて、毎年見慣れた紅葉色ではありません。



覚悟はしていましたが、嵐山はビッシリ混んでいました。とにかく中国語と韓国語の声ばかり聞こえてきます。
家族連れやツアーの団体客が多く、竹林の道も大混雑でした。



東京以上の人ごみの中、ようやく野宮神社にたどり着きます。
ここは動物OKのようで、真っ白い大きな犬がいました。スマートなジョリィ。



人の波にもみくちゃにされようとも、ここの苔庭を見ずしては帰れません。



高台に登って、保津峡を眺めます。
いい天気ですが、山全体的に、紅葉はこれからといったところです。



日曜画家の方が大勢いました。いすぎ・・・?
絵を仕上げた後で、みんなで品評し合うんでしょうね。



○ 髪の神様

小倉池のほとりまで降りていきました。側には、日本唯一の頭髪の神社、御髪神社があります。
やはり参拝客でいっぱいでした。
必死にお願いに来る方もいるだろうと慮って、遠巻きにするだけにしました。



どんどん歩いて行ったら、そのうち観光客は少なくなるかなと思いましたが、特に減る様子もなく、清涼寺まで行きました。
どこもかしこも人でいっぱい。



○ 愛宕さんふたたび

お昼時間に近づくにつれ、嵐山の観光客はどんどん増える一方なので、身動きが取れなくなる前に離れることにします。
バス通りに向かう途中に、紅い鳥居がありました。
愛宕神社御旅所でした。ここも愛宕さんだわ~。
意識しているせいか、今回はやけに愛宕づいています。
神様に「今回は登りはるのやろな?」(なぜか京都弁)と念押しされているようで、プレッシャーを感じるわ~。



○ お酒の神様

バスに乗り、次に向かったのは松尾大社。
以前訪れた時は曇りだったので、晴天の時に訪れたくなりました。

鳥居のしめ縄に、榊の枝を束ねたものがぶら下がっています。
珍しいですね。これは「脇勧請(わきかんじょう)」というもの。
大昔には、参道の両側に二本の神木を植えて神様を迎え、柱と柱の間に縄を張ってその年の月の数だけ細縄を垂らし、月々の農作物の出来具合の吉凶を占ったそうです。
それで、束は12つ(閏年は13)と決まっているのだとか。



それが鳥居の原型と言われており、これはその様子を伝えたものだそうです。
境内には無数に亀の像があります。たくさんの撫で亀を、一つ一つ撫でてまわりました。



ここは酒造の神として、全国の蔵元より崇敬を受けている神社。
境内には、奉献された飾り樽がずらりと飾られていました。
ここではどうお祈りすればいいのかしら。美味しいお酒が呑めますように?(下戸だけど)



○ 月の神様

次に、まだ訪れたことのない月読神社まで歩いて行きます。
ここまで来るともうほとんど人はいません。
ようやく嵐山の喧噪から離れられた気分です。



無人の境内をお参りしてきました。
いい月食を見られますように?あれ、日食の方?
まあいっか。(またもや深く考えない)



その2に続きます。