風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

鎌倉で侯爵邸と流鏑馬を見る index

2020-01-24 | 神奈川
[2019.10.6]
 
◆ 鎌倉 1←旅行記へ
 10月、鎌倉にある侯爵邸を見学しました。
 年に2度の公開のため、大勢の人が集まります。
 静かな公卿の山荘に移り、一息入れました。
  ● prologue ● ガラ空きの小町通り ● 流鏑馬の準備
  ● 旧華頂宮邸 ● 年に2度の内部見学 ● 季節の生け花
  ● 茶室「無為庵」 ● 一条恵観山荘 ● あちこちにカニ
  ● ヤマモモカフェ ● 金蘭の花
 
 八幡宮で、流鏑馬神事を見守ります。
 みなぎる緊張、静と動を走り抜ける馬と射手。
 目の前ですばらしい光景を見ることができました。
  ● 鶴岡八幡宮へ ● 参道封鎖 ● 流鏑馬の流派
  ● 拝殿神事 ● 流鏑馬とは ● 流鏑馬の行われ方
  ● 「射手」の読み方 ● 立ち見のつらさ ● 流鏑馬の声
  ● 危なくないの? ● 神事は3人 ● いったん解除
  ● 射終えた射手たち ● フル堪能 ● 遅いランチ
  ● キャラウェイ● モータープール ● epilogue

 
 

鎌倉で侯爵邸と流鏑馬を見る-2

2020-01-24 | 神奈川

その1からの続きです。

● 鶴岡八幡宮へ

一条恵観山荘を出て、再びバス通り沿いの細い歩行者通路を歩き、八幡宮へ向かいました。
徒歩で30分ちょっとかかります。
バスに乗る人が多い距離ですが、私たちは元気に歩いて行きました。

横浜国大付属小学校の前の道から神社の敷地に入ります。
門には白黒の幕が張られて、中に続く道に馬場が整備されていました。

時間は12時20分。流鏑馬が始まる40分前です。
観る場所を探して、本殿正面で時間になるのを待ちました。
開始10分前には、本殿へと続くすべての参道は閉鎖されました。
閉鎖されることってあるですね!初めて見ました。

その頃になると、辺りは大勢の人でごったがえしていまました。
かつて、元旦の初もうでに来たことがありますが、その時の途方もない激混み状態を思い出します。
私たち一般人は、立って陣取っています。ご招待席もすべて満席。

● 参道封鎖

開始少し前には、参道に縄が貼られて全面閉鎖され、ムシロの覆いを取って馬場にしました。

● 流鏑馬の流派

招待席のところに、小笠原流の特別席がありました。
作法かな?と思ったら、流鏑馬の流派でした。

鶴岡八幡宮で年に2度例大祭で開催される流鏑馬。
4月の鎌倉祭りでは武田流、9月の例大祭では小笠原流。
今回は小笠原流なんですね。

神官が、馬場と見学者たちをお祓いします。
この後、こちら側のお祓いもしていただきました。

● 拝殿神事

さあいよいよ始まるわと思いましたが、そういうわけではありませんでした。

本殿で、神事である流鏑馬を行うという宣誓が述べられます。
射手の装束姿の駐日イタリア大使、ジョルジョ・スタラーチェ氏が、流ちょうな日本語でを奏上していました。

 
拝殿に向かう人々

その様子が、日本語と英語のバイリンガルアナウンスで流れ、馬場で待つ人々のもとにまで届きます。
流鏑馬を英語で言うと、horseback archeryなんですって。
喋っているのは巫女さんでした。
見学者には海外の人も多いんですね。
確かに馬場の向こう側には西洋人のご夫婦、そして私の後ろには、大柄の西洋人男性がいました。

 
馬場へ向かう射手の行列

神殿で参拝を済ませ、馬に乗った射手が次々にやってきます。
当時の装束に身を包み、絵巻物から飛び出てきたよう。

● 流鏑馬とは

さて、流鏑馬(やぶさめ)の説明をします。
流鏑馬とは、疾走する馬に乗りながら、的に矢を射る、日本の伝統的な騎射儀式。
馬を馳せながら矢を射ることから、初めは「矢馳せ馬(やばせうま)」と呼ばれていたのが、「やぶさめ」になったといわれています。

 『吾妻鏡』には源頼朝が西行に流鏑馬の教えを受けて復活させたと記されており、鎌倉時代には武士の嗜みとして、盛んに稽古・実演されました。
執権・北条時宗(元寇を退けたあの人ですよ)の時代までに、鶴岡八幡宮では47回の流鏑馬が納められたとされています。

そういったわけで、ここ鶴岡八幡宮での流鏑馬神事は、かなり大きな意味を持っています。

● 流鏑馬の行われ方

馬を疾走させる直線の道が馬場で、長さは2町(約218メートル)かそれ以上。
進行方向の左手に、間を置いて3つの的が立てられます。
的は方1尺8寸、厚さ1分ほどの檜の板。
馬場から的までの距離は5m前後、的の高さは2m前後。
狩装束を纏った射手は、馬を疾走させ、連続して的に矢を射かけます。

● 「射手」の読み方

ところで、「射手」は『魔弾の射手』のように「しゃしゅ」と読むと思いますが、流鏑馬では「いて」と読むそう。

「射手座の"いて"ね!」と言ったら、射手座の友人は「私は『魔弾の射手』を”まだんのいて”って読んでたよ」と言いました。
いて座あるある?

● 立ち見のつらさ

すべてが整うまでに1時間かかり、実際に流鏑馬が行われる時には、2時過ぎになっていました。
その間ずっと立ちっぱなしなので、脚はかなりだるくなってきています。
しかし、前には馬場、後ろにはびっしりと人垣ができており、もはや離脱はできません。
いよいよ始まりました!馬場の端から、馬が疾走してきます。


砂を蹴散らして疾走する馬

速い!



速すぎてよくわからない間に、初めの一巡が終了。

● 流鏑馬の声

みんな「イーアオ~!!」など大声で雄たけびを上げながら走ってくるので、びっくりしましたが、それもまた作法の一つなんだとか。

流鏑馬を行う際に、射手は声を掛けます。
掛ける声も、決まっているのだそう。
一の的手前・・・「インヨーイ」と短く太く掛ける
二の的手前・・・「インヨーイインヨーイ」と甲声でやや長く掛ける
三の的手前・・・「インヨーイインヨーイインヨーーイ」と甲を破って高く長く掛ける。
略式的には「ヤアオ」「ヤーアアオ」「アラアラアラアラーーッ」などと掛けるそうです。

● 危なくないの?

馬場の両側に観客はいます。
皆さん訓練を積んだ優れた射手のため、的に当たる成功率は高く、外しても惜しいレベル。
間違っても、人に当たることはありません。
当たったとしたら、もはや、故意的な事件のにおいです。

● 神事は3人

馬は全部で6頭いるのに、3人だけでいったん終了しました。
え、どうして?ほかのお馬さんは?

流鏑馬神事として行われるのは、3人と決まっているそう。
それにのっとり、3名の射手は鎌倉時代の狩装束姿、18名ほどいたその後の射手は、江戸時代の軽装束姿と、着ている衣装の時代も異なっていました。
細かい決まりがあるのでしょうね。

● いったん解除

流鏑馬は3回に分かれて行われます。
1クールが終了した時に、短い休憩時間があり、参道が通れるようになりました。
この行事があるとは知らずに来た参拝客も大勢いるでしょうから、あまり閉鎖しておけないのでしょう。
それでも、またすぐに閉鎖になり、さらに神事は続きました。

TVで見ることはありましたが、実際に見ると、馬の速さはまちまちだと気がつきました。
割とゆっくり目の人から、激走していく人まで。
速く走る人は、腕に自信があるんでしょうね。

爆走していく馬は、馬場の砂を蹴散らしていくため、通った後、辺りはモウモウとします。
まさに砂かぶり席。相撲以外にもあったとは。


外国の射手もいました。「ジャン・ドナデュー射手」とアナウンスされていました。
あれ『のだめカンタービレ』に出てくる人?聞き間違っちゃったかも?


まさに、矢のような速さ

(動画)2019.10.6 鎌倉鶴岡八幡宮での流鏑馬-1

(動画)2019.10.6 鎌倉鶴岡八幡宮での流鏑馬-2


● 射終えた射手たち

射終えて馬場末から馬場元に戻る射手と馬たち。
馬場の両側から惜しみない拍手が注がれます。

 
射手は本殿前で一礼します


● フル堪能

全てが終了したのは3時でした。
もう脚がくたくたですが、少しずつ見学者が減っていったため、最初は前から3列目だったのが、終盤には最前列になり、かぶりつきで見ることができました。 

ローカルニュースなどでは、上手な人の映像を流すので、結構な頻度で的に当たらないということも、実際に見てわかりました。
それでもすごいことですが。

 友は「やぶさめは知っていたけど、流鏑馬って字は読めなかったので、一人で来てたら表示を見てもわからずスルーしてたと思うわ」と喜んでいます。よかった。

● 遅いランチ

しかし、おなかが空きました。
大勢の人の波の中、ゆっくりと若宮大路を歩いて、キャラウェイに向かいます。

 

ランチタイムを過ぎた変な時間でしたが、それでも外で待っている人がいます。
順番を待って中に通されました。

女性からの人気一番というチーズカレーを注文。
周りの人が食べているご飯の量にびっくりして、ライスは少なめをチョイス。
それでもけっこう盛ってもらいました。大盤振る舞いが人気のお店です。

ルーをライスの上によそった段階で、濃厚な粘りを感じて、期待感が高まります。
うん、おいしい!チーズ入りカレーって、食べるの初めてかも。
とろっとろチーズでカレーのコクが深まって、う~ん、止まらない~!
これは通えるおいしさです。

● キャラウェイ

 (店名のキャラウェイって何だろう?)と気になっていたら、帰りのレジのところでわかりました。
ヒメウイキョウ(姫茴香)というセリ科の香辛料だそうです。
答えがわかって頭がスッキリ~。数粒噛んだら、お口がスッキリ~。
ニッキのような味でした。

次に、友人は白玉の茶房でデザートを食べたかったようですが、ラストオーダー時間の4時を過ぎていたため、あきらめました。

● モータープール

駅に向かう途中で、ホテルニューカマクラの前を通ります。
「ここは、映画のロケ地にもなったんだよ」
「えー、観てみたい」
(V6の岡田くん主演の『おと・な・り』(2009)という映画でした)

ホテルの前の駐車場には、「MOTOR POOL」と書かれています。
「プールっていうのにプールじゃない」とつぶやいたら、友人は
「えっ、何言ってるの?」とあきれ顔。
「モータープールって、車停めるとこやん!」
そう、友人は関西ルーツなのでした。

関西では、駐車場はモータープールと書かれると聞いて、ビックリの私。
通りに「P」の標識が出ているのを見て、
「ほら、Pってプールじゃない!」と自信満々の友。
「パーキングでしょ!」と食い下がる私。
「あ、そうか、気づかんかった」

私が知る限り、関東でここ以外では、モータープールの表示は見ないですね。
思わぬところで、関東と関西の違いを知りました。

満足感いっぱいだし、脚がくたびれていので、薄暗くなった6時近くに帰途につきました。

● epilogue

この日のメインは旧華頂宮邸の見学で、合わせて一条恵観山荘も見学しましたが、思わぬ偶然から流鏑馬を見ることができて、とてもラッキーでした。
ずっと生で観てみたかったのです。
帰宅しても、興奮冷めやらずにポーッとしていました。

流鏑馬神事で射手によって射抜かれた板は「的中的板」といって、家運隆昌・商売繁盛の縁起ものとされます。
若宮大路や小町通りのお店に寄ると、店内に的中的板が飾られていることがあります。
これまでその板を見かけて、どんなものかお店の人に教えてもらったりしていたので、(これなのね)と実際に分かったのも、また嬉しいことでした。

普段は観られないものを、この目にしっかりと焼きつけられた一日でした。

◆ 鎌倉で侯爵邸と流鏑馬を見る index ◆


鎌倉で侯爵邸と流鏑馬を見る-1

2020-01-23 | 神奈川

● prologue

歴史的な寺社が立ち並ぶ古都鎌倉には、由緒ある洋館も残されています。
竹寺の奥にある旧華頂宮邸の前を通るたびに、(中を見学したいな)と思っていました。
いつも門は締めきっており、公開されるのは春と秋の年2回のみ。
(まあ、いずれ)と思いながら何年も過ぎていましたが、目下鎌倉にハマっている友人が「行こう!」とグイグイ計画してくれたので、今回晴れて行くことになりました。

● ガラ空きの小町通り

友と横浜駅で待ち合わせて、鎌倉駅に9時に降り立ちました。
私が訪れる頃はたいてい10時過ぎていますが、友の鎌倉愛に圧されて、今回は少し早め。

 
ここ・・・どこ?


小町通はとっても空いていました。
ここはいつも激込みで、人の流れにのらないと前に進めないほどごった返しているのに、あまりに人がいないため、逆に怖くなります。
「こんなにがらんとした小町通、見たことない!今日はどうしたんだろう?」

すると友は
「私が来る時間帯は、いつもこうだから」と言いました。
早くから鎌倉観光を始めているのね。
まだ通りのお店が開店していないので、通りが広く見えました。

● 流鏑馬の準備

鶴岡八幡宮の入り口鳥居の下に「流鏑馬 一時」と書かれていました。
えっ、今日流鏑馬をやるの?

毎年春と秋に行われますが、秋は9月中旬だったはず。
おや?終わったんじゃなかったかしら?
でも、堂々と掲示されているので、この日も開催されるんでしょう。

確認したところ、どうやら今回は、八幡宮の「槐(えんじゅ)の会」に関する行事として開催されるようでした。

 

本殿を東西に横切る直線の道に、馬場も整備されています。
周りの踏み固められた砂道よりもやわらかい砂。
ここを馬が駆け抜けるのね。

 

的も設置されていました。
馬場からまでの距離は5mほど、的の高さは2mほど
近くから見ると、的って小さいんだなと思います。

着々と作り上げられていく様子を、立ち止まってしばらく眺めましたが、今回の目的は、旧華頂宮邸
流鏑馬は午後に行われるとのことですし、まずはそちらに向かうことにします。

 

舞殿の周囲にはテントが張られ、大勢の人が着席していました。
槐の会の方々でしょう。これから式が行われるようです。

八幡宮の敷地を抜けて、浄明寺方面へ、バス通りを歩いて行きます。
昔ながらのこの辺りの道は狭くて、一列にならないと反対から来る人とすれ違えません。

● 旧華頂宮邸

杉本寺を過ぎて、「竹の寺」の報国寺の前の道をさらに奥に進んだところに、目指す旧華頂宮邸(きゅうかちょうのみやてい)がありました。

昭和4年に華頂博信侯爵邸として建てられたもので、現在は鎌倉市が所有。市の景観重要建築物、国の登録有形文化財(建造物)に指定され「日本の歴史公園100選」にも選ばれています。

屋根は銅板ぶき、外壁は木骨モルタル塗り。敷地面積は約4500平方メートルで、建物の延べ床面積は約580平方メートル。

 
正面は人で混んでいたため、庭から見たお屋敷

開場時間の10:00ピッタリに到着。待ち構えていた人たちの、長い行列ができています。
並んでいる人たちめいめいが募金箱に募金しました。
これからも、建物保存に役立てて下さい。

● 年に2度の内部見学

混んでいるためか、拝観ルートが決まっており、コースアウトはできません。
また見たい部屋があったら、戻らずにいったん建物の外に出て、再び順を追っていくことになります。

内部は、横浜の洋館よりも小ぢんまりとしている印象。
(横浜の洋館は、外国人の邸宅だったので、大きめなのかもしれません)
洋室のほかに和室もあり、さらに洋室に畳を入れた和洋折衷部屋がありました。



ランプで照らされる、赤い絨毯敷きの階段。
江戸川乱歩の舞台になりそうな雰囲気たっぷりです。

● 季節の生け花

内部公開に合わせて、近所の生け花会の人たちの作品が展示されており、どの部屋にもきれいな花が飾られていました。


一階はカフェになっており、コーヒーのいい香りが漂っていました。
洋館の裏のフランス式庭園
には、秋バラが咲いていました。
春の公開日には、もっとたくさん咲いていることでしょう。

● 茶室「無為庵」

庭園の奥には、茶室「無為庵」がありました。
昭和初期以前に造られ、東京・上大崎から移築されたもの。


小さなにじり口から中をのぞくと…


この小部屋がありました


ふすまと畳のシンメトリーな美しさ


母屋は洋館ですが、こちらは完全に和の世界。
にじり口から中をのぞくと、さりげなく花が飾られていました。

● 一条恵観山荘

屋敷の見学を終えて、再び竹寺の前を通ってバス通りに出ます。
友人のリクエストで、そう遠くない場所にある、一条恵観山荘(いちじょう えかん さんそう)に行きました。

一条恵観山荘は、後陽成天皇の第九皇子で、摂政・関白を務めた一条恵観が建てた別荘。
約370年前の江戸時代初期に建てられ、京都の西賀茂から移築された、国指定重要文化財の歴史的建造物です。


桂離宮を建てたのは恵観の叔父の八条宮智仁親王、修学院離宮は恵観の兄の後水尾天皇。
いい建築物を残した皇族ファミリーだったんですね。

 

ゆったりとした枯山水庭園。
人もまばらで、風景に溶け込んでいます。
一昨年から一般公開を始めたという、まだ新しいスポットです。


● あちこちにカニ

つくばいには、澄んだ水が張られていました。
(中にカニがいる!)と、脅かさないようにゆっくりのぞき込んだら、置き物でした。
リアルで、いまにも動き出しそう。

別のつくばいにも、カニ。
井戸の上にも、カニ。
なぜにこんなに? 宮さまはカニ好きだったのかしら?


「出口に“カニは何匹いたでしょう?”とかクイズがあったりして」と友人が言うので、途中から数え出しました。

5匹は確認済みです。当たっているかな?


敷地内を流れる滑川のほとりで一休み。
先ほどの旧華頂宮邸は大勢の見学客で押すな押すな状態だったので、ここでのんびりできました。


● ヤマモモカフェ

身体が冷えてきたので、敷地内の甘味処に入りました。
名前は、かふぇ楊梅亭。「やまももてい」と読むそうです。
ヤマモモの漢字は山桃じゃない?と思いましたが、漢名が楊梅なんだとか。

 


ここで、抹茶と和菓子のセットをいただきます。
秋らしく、柿を模した和菓子が出てきました。

小さい秋、見つけた。


● 金蘭の花

ここには、絶滅危惧種の金蘭という花があるとのこと。
帰りしなに、係の人に聞くと、入口にあると教えてくれました。
春に咲く花で、今は葉っぱのみだとのこと。

3本ほどありました。

竹のそばに咲く植物で、なにもしないでいたのに、種が飛んできたのか、根付いて花を咲かせたのだそう。
分けてほしいという人がいたものの、うまく根付かなかったそうで、なかなか育てるのが難しい花なのだとのことです。
それでレアなんでしょうね。
春になったら、また見に来たいなあ。


キンラン

一条恵観山荘と旧華頂宮邸とは、江戸時代初期と昭和初期とで造営時期が300年ほど違いますが、どちらも宮様が建てたもの。
たまたまでしたが、たて続けにロイヤルでエレガントなお屋敷見学ができました。

その2に続きます。

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