バスで島内を周っている途中、気になる看板を見かけました。
「生島新五郎の墓」と「為朝の打ち抜き岩」です。
生島新五郎とは、もしや「絵島事件」の歌舞伎役者でしょうか。
彼が流罪となったのは三宅島?
為朝とは、源為朝?頼朝と関係ある人かしら?
歴史博士のイルカさんに聞いたら、その場ではわからなかったと、翌日教えてくれました。
生島新五郎は、やはり絵島事件で三宅島に流されたそうです。
源為朝は、源頼朝の父の弟で、お互い保元の乱で戦い、為朝は負けて伊豆大島に流されたそうです。そこで三宅島、八丈島の長となり、勢力を盛り返して平清盛にたてついたところ、北条氏らに負け、今度は八丈島に流罪となったそうです。
その子孫が琉球王国を作ったと言われているそうな。
「詳しくはWikiに」と締めくくったイルカさん。
早起きして持参PCをネットにつなげて調べてくれたそうです。どうもありがとう!
為朝の打ち抜き岩とは、弓の名手だった為朝が、距離のある場所から矢を放ち、 一矢にして打ち抜いた岩のことだそうです。
アクセスしづらい海辺の岩場にあるそうですが、いつか見てみたいものです。
三宅島は、その昔、島流しの場所とされましたが、流されたのは当時の風潮に合わない政治犯やお公家様で、そういう人々が文化を広めたため、伝統的に高い教養が保たれている島です。
日本のオーストラリアと呼ぼうかな。
今回は、観光ではなかったため、私が島でお気に入りの、長太郎池やメガネ岩に訪れる機会がありませんでしたが、逆に観光では訪れることのない場所を見学できたので、とてもためになりました。
自然災害の猛威はかくも激しいものか、と、人間の小ささを思い知らされましたが、それと同時に、被災から立ち上がり、一歩一歩、再興へと着実に歩みを進めている人々の努力が感じられて、安心しました。
豊かな自然に恵まれた三宅島。島民の人にとっては唯一の故郷です。
一日も早く避難勧告が全島解除され、住み慣れた家へ戻れるようになれることを願ってやみません。
行きにミーティングで撮り損ねたレインボーブリッジ。
帰りも船酔いで寝ていたので、気づきませんでした。
これはノルさん撮影です。みんなタフね。。。
帰宅して、ペンション・サントモのサイトを開いたら、あつこさんと私との2ショット写真が掲載されていました。
迅速!私たちが6時間船に揺られている間に、載せてもらえたのでしょう。
嬉しかったです。また三宅島に行った時には、お邪魔しまーす!
三宅島には、島の東側に三宅港、西側に錆ヶ浜港という大きな港が2つあり、火山ガスや風の強弱でどちらの港に接岸するかが決定されます。
この日は、風が強く波が荒いため、どちらの港にも接岸できず、年に1%しか船が接岸しないという伊ヶ谷港からの出港となりました。
見送りには、村長・副村長はじめ、市庁の関係者、村議会議員、宿泊先の方々などおおぜいが来てくれました。
ペンション・サントモのアツコさんと、スタッフの女の子の方の姿を見つけて、再会を喜びました。
まさかこの港からの出港とは思わず、三池港でしばし待ち、慌ててこちらに来たそうです。
色とりどりの紙テープを持ってきてくれていました。
これは、見送りのテープでしょうか。今まで映画などで見たことはありましたが、実際に自分が体験したことはありません。ワクワクします。
「今日は、風が強いから、テープはだめかなあ」と気にしつつも、アツコさんは村長さんにかけあって、直々にテープOKの村長許可をもらっていました。
私もテープの束をもらって、みんなに分けて回ります。
船内に入り、甲板に上がりました。みんな、手に手にテープを持っていますが、実は誰もやり方を知りません。
「たぶん、こちらがテープの端を持って、芯の方を投げるのよね」と言っているうちに、出向のドラが鳴りました。
次々に、テープが岸へと投げられて行きます。
私も見送りの人たちに向かって投げましたが、あまり遠くに行かず、海の間際に落ちたため、風で海中に落ちないよう、村代表の方が慌てて取りに行ってくれました。
見送りの人は、四方八方にどんどん投げられるテープを拾うのに大忙し。
送る側は、けっこう大変なんですね。
別れを惜しむ人々の背後で、クレーン船がテトラポットを吊り上げていたのが、なんだかシュールな光景でした。
ひとしきり投げ込みが終わり、船と岸を色とりどりのテープがつなぎました。
とてもきれいです。
私の赤いテープを持ってくれているのは、村代表のサクマさん。
運命の赤い糸のようで、好きになってしまいそうです。(冗談です)
そのうち、船はゆっくりと動き出しました。
テープは、どんどん伸びて行きます。
風にはためく無数のテープが、海の上を舞います。
お互い、ちぎれるほど手を振って、大声で「さよなら」「ありがとう」を言い合いました。
そのうち、テープが手から離れて行きました。
とてもとても美しい、別れの光景でした。
こんなきれいな別れを体験したことは、初めてのような気がします。
感動が胸にせまって、自然と涙があふれてきました。
ウルウルしていたら、隣にいた女子学生たちが私を見て「えっ!?」と驚いていました。
ノル氏には「また来ますよ」と言われました。
みんな、クールだわー。
忘れられない、美しい思い出になりました。
余韻に浸っていたら、あっという間に太平洋の荒波に揉まれ、フェリーは激しく揺れ出し、ようやくのことで中へと入りました。
帰りの航路もまたハードで、ずっと寝て過ごしました。
この画像はイルカさん撮影です。乗船中、私はぐったりしていましたが、こんなきれいな夕日を取る元気があったんですね…。
三宅島出身の政治家で、社会党委員長となった浅沼稲次郎氏の銅像。
前に訪れた時には、もっとうっそうとしたジャングルの中に立っている感じでしたが、草もきれいに刈り込んであり、こざっぱりした公園の中に銅像がありました。
1960年10月12日、彼は日比谷公会堂で右翼青年に刺殺され(浅沼稲次郎暗殺事件)、その様子が国会中継中のTVに映し出されて、人々に衝撃を与えたそうです。
一緒に銅像を見上げていた青山先生が、「暗殺者は当時16歳の少年で、その時、僕も16歳だったんだよ」と仰いました。
同い年の凶行に、十代の先生は大きなショックを受けられたことでしょう。
彼の生家がここにあり、保存されています。
東京都三宅支庁を訪問しました。三宅島と、隣の御蔵島を所管しています。
この日は日曜日でお休みだったので、ロビーで災害復旧の説明を受けた後は、災害用脱硫装置を見学しました。
三宅市庁に設置されている災害用脱硫装置。
人の頭が入りそうなほど太い管に圧倒されます。
レジャープールにあるウォータースライダーを連想させるような、太いパイプ。
高濃度火山ガスを除去するためには、このくらい巨大なものが必要なんですね。