風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

まだ見ぬバルト三国へ 6-2(ヴィリニュス)

2017-06-01 | 海外
その1からの続きです。

● 駅前マック

トゥラカイ城から公共バスに乗ってヴィリニュス駅に戻りました。
バスの中で暖まるどころか、暖房の効いていない(外気が入ってくる)車内にいたので、寒くてブルブル震えたまま。
全身冷え切ったままでは、街の散策にはとても繰り出せないので、そばにあるマックでティータイムを取ることにしました。

駅前なのに平屋の1階建てマック。土地があるんですね。
店内には、最近日本でも見かけるマックカフェも併設されていました。
巨大なケーキが2ユーロしません。安いわー。
温かいドリンクを飲んで、一息つきます。
お客さんは大勢いて、リトアニアのマックは大繁盛。
日本に比べて、カフェが格段に少ないからかもしれません。

店内を見回すと、やはり男女ともに、きれいな人が多いです。
ああ、目が癒されるわ~。
ちょっとぶれちゃって、ごめんなさい。



トイレは暗証番号制。買い物レシートに印字された番号を入力すると、トイレのドアが開く仕組みです。
なかなか厳しいですね。
「ちょっと借りるね」ができない仕組みなんですね。



温まって、目の保養をして、ゲージ回復。
気合を入れて街の散策へ。
線路沿いに歩いてみす。機関車が停まっていました。
あ、ミカド形だわ。(鉄子じゃないですよ)

● 夜明けの門



まずは夜明けの門へ。ロマンチックな名前ですね~。
通ったら人生が開けるのかしら?

かつてヴィリニュスは、旧市街の周囲を城壁が取り囲む城塞都市でした。
城壁の門は9つあったそうですが、ほかはロシア帝政下の時代に破壊されてしまい、現在残っているのはこの門だけだそうです。

人々が夜明けを思って通った門。裏側から見ると、がらりと雰囲気が変わりました。
表側は堅牢な城壁門といった感じですが、反対側は門というよりも瀟洒な宗教建築っぽくなっています。
実際門の上に教会があるのだそう。
攻撃から街を守り旅行者を祝福してくれているそうです。
まあ、祝福してもらえるなんて、ありがたいわ。



● ヨハネ・パウロ二世

横の壁にさりげなくかかっていた横顔の胸像。
よく見ると、元ローマ教皇のヨハネ・パウロ二世ではありませんか。
きっとゆかりがあるんでしょう。

あとで調べたところ、1993年に彼が夜明けの門の中のチャペルでロザリオの祈りを捧げたのだそう。
チャペルのミサはリトアニア語とポーランド語で行われるそうです。
ヨハネ・パウロ二世はポーランド人でしたから、お手のものだったでしょうね。



● 琥珀の店

通りには琥珀アクセサリーのお店がありました。
この辺りの名産です。



以前ロシアに行った時、琥珀のネックレスを母へのお土産にしましたが、残念ながら喜ばれませんでした。
まあ、自分がもらっても、うまく使いこなすのは難しそう。
そこで今回は過去を学習して、琥珀は買わないことにしました。
チョコでいいよね!(やす~)

● 教会がたくさん

ヴィリニュスの城壁内を散策すると、とにかく教会がたくさんあることに気がつきます。
美しい聖霊教会、諸聖人教会、聖カジミエル教会、聖母マリア教会など。
ロシア正教会、カソリック、プロテスタントと、宗派が分かれているからかもしれません。



これは、聖三位一体教会。教会と修道院として使われていた、バロック様式の東方帰一教会です。
聞き慣れない宗派ですが、ロシア正教の儀礼とカソリックを兼ね備える、珍しい宗派の教会だそうです。

● 国立フィルハーモニー



夜明けの門から石畳の細い一本道をまっすぐ進んでいくと、格調高い建物がありました。
リトアニア国立フィルハーモニー協会です。ここでクラシックコンサートなどが行われているのでしょう。
ずいぶん後ろまで下がりましたが、全貌をファインダーに収めるのは難しいほどの大きさでした。

● 円形城塞

円形城塞は、17世紀前半に設計されたものの、北方戦争(1655-1661)で破壊され、現在は復元したものとなっています。
丸屋根の建物は博物館になっています。



結構高台まで登って来たので、町がよく見渡せました。
ええと、これから向かうのは、どっちの方向だったかな。



● ウジュピス共和国へ

坂を下りて向かったのは、ウジュピス地区。
2002年に共和国宣言をしたウジュピスは、時が止まったかのようなレトロなアートの界隈です。



橋には数えきれないくらいたくさん、鍵が掛かっていました。
どこでも同じね。
学生時代、フランスはアヌシーの愛の橋に行った時に、じゃらじゃらとぶらさがった鍵を見て(なぜ?)と驚きましたが、それから日本でもやるようになりましたからね。



● 幸せの人魚

橋からヴィリニャ川を眺めます。
ウジュピスとは川向こうという意味。
この川を渡れば、共和国に入りますが、この川のどこかに幸せの人魚像がいるんだそう。



人魚像を見つけると、幸せになると言われているそうです。
「見つけられるかなあ」「見つけたいね」
そう言いながら視線を下にすると・・・
「あれー、あれじゃない?」「ほんとだね!」
ハッピー・マーメイドは、私たちのすぐそばにいました。青い鳥みたい。



● 天使像

橋を渡って共和国内に入ると、すぐに広場に出ます。
その真ん中に立つ大きな円柱の上には、ラッパを吹き鳴らす天使の像が。



共和国の独立記念碑であるこの天使像は、ウジュピスのシンボル的存在です。
後ろからの姿もすてき。



雰囲気のある静かな街並みを歩きます。
街並みに溶け込んでしまいたいわ。



ところが、少し道を行った先では工事を行っており、その光景に驚いて立ち止まりました。
大きなクレーンの先に荷物がついたまま、静止しています。
作業員は休憩中なんでしょうか?
そのクレーンの下には、車が並んでいます。
つまり、うっかりその荷物が落ちたら、車を直撃しそうです。
これ、すっごくこわくないですか?



黄色い機体には赤文字で「ZEPPELIN」と書かれていました。
ツェッペリンという名前が、なんだか飛び道具的!
リガで食べたのはおいしかったけど、そういえばあれはリトアニアの伝統料理でしたっけ。



わあ、近くで見たらますますこわい~。
惨事が起きないことを祈って、私たちも下敷きにならないよう、上を見たままカニ歩きでその場を離れました。

● 見知らぬ日本車

道端に並んでいる車は、ほとんどがヨーロッパ製でしたが、たまにトヨタやホンダがあり、嬉しくなりました。
そんな中で気になったのが、この車。
三菱のようですが、こんな車、日本で見たことありません~!
ヨーロッパ限定デザインなのかしら?



気になって、SNSに画像を載せて、聞いてみました。
すると、20分もしないうちに、車関係の友人から反応がありました。
 
  三菱の「トライトン」という名のピックアップトラックです!
  タイランドで作っているんですよ🔧
  確か5年くらい前までタイから輸入して、日本でも販売しておりました。

そうなんですね。詳しい友人もすごいし、ネットの力もすごいわ!

さらに歩くと、何やら大砲が飾られた建物がありました。
なんだろう?
KARO TECHNIKOS VILNIAUS SKYRIUSと書かれていますが、案の定、英語表記はありません。

あとで場所検索をしてみたところ、戦争機械と交通博物館のようです。
なんだか物騒ですが、戦いを経て自由を勝ち取った国は、平和な島国とはちょっと感覚が違うのかもしれませんね。



● 聖ペテロ&パウロ教会

そこからさらに足を伸ばして、旧市街の東の外れにある聖ペテロ&パウロ教会へと行きました。
聖ペテロ&パウロ教会って、クリスチャンで知らない人はいない大聖人2人。
それの2人の名前をもらうなんて、よくばりー。
ちなみに、別の場所には聖フィリポと聖ヤコブ教会もありました。
リトアニアは、まとめるのが好きなのかな?

ここはロシアからの解放を記念して17世紀後半に建造された、バロック様式の建築物。
外観は一般的な教会です。



教会の前には大型バスが停まっており、Indonesiaという文字だけ読み取れました。
(バルトにインドネシアからのツアー客って、ずいぶん珍しいなあ)と思いながら中に入ると、人々がカシャカシャと撮影をしていました。
普通、教会内は撮影禁止なので、あれ?いいの?と思いますが、そばについている教会の人も、何も言いません。

静かに祈りを捧げている現地の人たちも数名いますが、やはり何も言いません。

服装から判断するに、彼らはツアー客ではなく、ビジネスで訪れた視察団のよう。
もしかすると、この人達だけ特別に撮影OKにしているのかもしれないなとちらっと思いましたが、私たちも便乗して、一緒に撮影させてもらいました。
やっぱり何も言われませんでした。
こちらの人たちにとっては、日本人もインドネシア人も、区別はつかないのかもしれません。
ラッキー。

なぜかというと、この教会の内装は、それはそれは美しくて、まるで天国に来たかのようだったからです。

たくさんの真っ白な漆喰彫刻は荘厳な美しさをたたえ、呆然としてしまうほどに圧倒されます。
その数は2000に上り、1つとして同じものはないのだとか。
それだけの彫刻を整えるため、内装に30年も費やしたのだそうです。

メレンゲの芸術品のようにどこを見てもきれいな教会。
自然光が差し込むと、白い教会内が輝きます。
これまで数えきれないほどたくさんの教会を訪れてきましたが、その中でもおそらく一番美しい教会だと思います。

この中吊りにされた帆船。未来への船。夜明けの門。

天使のレリーフの裏面には、骸骨と死神の彫刻がありました。メメント・モリ。

もう、多くは語りません。
ただただ、美しかったです。
私がネロだったら「パトラッシュ、もう疲れたよ」ごっこをするのはここがいいわ。

十分に堪能し、インドネシア視察団と一緒に教会を出ると、門の内側両脇に年配の女性がいて、こちらに向かって何か話しかけてきました。
教会の人かな、と思いましたが、身なりで乞食だとわかりました。
教会の敷地内で、施しを乞うことに、ちょっとしたカルチャーショック。

普通は道端でやるものじゃないの?と思いましたが、そもそも教会は助けを求める人に施しを与える救護院だと考えると、まあ間違っていないのかなとも思います。
バルト三国で物乞いを見たのは、これが初めてでした。 
いそうでいないのは、国が豊かというより、単純に寒すぎて、外にいられないからでしょう。
まあ、教会にいる限りは、彼女たちもきっと大丈夫でしょう。















夢のような教会を訪れたことは、思い返しても夢のよう。
本当に、すてきなところでした。

余韻に浸りながら、その3に続きます。


まだ見ぬバルト三国へ 6-1(ヴィリニュス)

2017-05-31 | 海外
5日目からの続きです。

● ホテルのレストラン 

この日は6時に起きました。外はまだ真っ暗。
7時の朝食時間を待って、ホテルのレストランへ。
リトアニア屈指のいいシェフがおり、オーガニック料理で有名なんだそう。

夜のような採光ですが、外はそろそろ明るくなってきています。



ミューズリーとドライフルーツの多さにびっくり!
バルトはどの国でもドライフルーツが豊富。
ここでは大きなボトルにたっぷり入っていました。冬眠前のリスなら有頂天になりますね。



整然と配置されて清潔さにあふれ、見ているだけで新鮮な気持ちになる、ピカピカの調理器具。
朝から気持ちがいいです。



● トースターマシン

食パンを焼こうと思い、トースターらしきマシンのところに行きましたが、使い方がわかりません。



どこをどうすればいいんだろう?と、マシンの前で悩んでいたら、お店の人が教えてくれました。



左側のコピーの手差し口のようなところからパンを滑り込ませると、焼かれながらベルトコンベア式に移動し、右側からトーストになって出てくるという仕組み!



ザッツ・マジック!手品みたい。
見ているとワクワクして楽しくなれますが、マシンが大きいのが残念なところ。
わが家のキッチンには、置く場所がなさそうです。



パンケーキがなく、ギョーザが出たのは、この旅でここが初めて。
焼き餃子でしたが、リトアニアでも普通に食べているようです。まあロシアでも水餃子がありますからね。

● コンセプトホテル

ここはビジネスホテルでありながら、スタイリッシュさを追求したこだわりのコンセプトホテル。
ファッション畑のモコのチョイスです。
全館あげてのロケンロールぶりには驚きました。
ちなみにヴィリニュスの町には、普通の内装のコンフォートホテルもあるので、地味好みの方もご心配なく…。



壁にかかった絵は、マドンナのような、フランク・シナトラのような。
ほかにもビートルズっぽい絵など、何枚か飾られていました。



朝食を取っている人たちは、お一人さまの男性が目立ちます。
なぜかしら?
泊まりやすいリーズナブルな料金なので、みんなふらりと泊まるのかしら。それとも長期滞在しているのかしら。
出勤前の腹ごしらえに立ち寄ったようなビジネスマン風の人は、見たところいませんでした。




● クラシカルでパンキッシュ

食事を済ませ、さあ外出です。
しっかりと防寒をして出掛けましたが、朝からとても冷たい風が吹いています。
うう、寒い。



通りの左右には重厚でクラシックな建物が立ち並んでいますが、近づいてみると立派な神殿のような建物に、堂々とサイケデリックなイラストが施されていたりします。
下のパルテノンのような建物、通りの反対側から全景を撮っているので目立ちませんが、近くで見るとパンキッシュな落書きだらけ。
ホテルの外も、街全体がロックなのかなと思いましたが、ここはアートの学校のようでした。



● トゥラカイ行きのバス

まずは、近隣の古城へ行くことにして、昨日降り立ったコーチステーションへ行き、トゥラカイ行きのチケットを買いました。
やってきた小さなバスに乗り込みます。



バルトはwi-fiがとても充実しており、バスの中でもサービスがあります。
ただ、運ちゃんがオンにするのを時々忘れているようで、今回も使えませんでした。

● 車内禁止事項

車内には、禁止事項のサインがありました。
禁煙サインの隣の一番左の絵ってなんでしょうね?
モコは「他人の顔につばを吐くな、じゃない?」といいますが、それってバスの中に限らず、人としてのモラルなのでは?
逆にそんな国民性だったら、近寄れないわ!



帰国後、周りにも聞いてみました。
「告白禁止じゃない?」という子がいて、「なんでダメなのかな?」「運転手が動揺するからじゃない」などと話が膨れ上がりましたが、バルトに詳しい先生曰く「運転中に運転手に話しかけないこと」が正解だそうです。
なるほど、言われてみれば、そうですね。
それでも運ちゃんは、運転しながらしょっちゅう大声で話をしていますが。

● トゥラカイ到着

30分ほど乗って、トゥラカイ到着。アナウンスが一切かからないため、運ちゃんに「ここがトゥラカイ?」と確認しないとわかりません。
降りてからも地図や標識はなく、どっちに進めばいいのかもわかりません。
かんたんな地図なら持っていますが、この辺りは湖に囲まれた地区なので、どこを向いても水辺ばかりで、方角がわからないのです。

お城はこちらとか、表示があればいいのに。
まだ観光国になるためには立ち遅れている点が多いなと、改めて感じます。
「外国からの観光客の誘致に乗り出す前に、改善しなくちゃいけないところが多いね」
私に相談してくれたら、色々と提案できるんだけどな。


餌を探すカラスさん


● お城への道

ここからお城までの2キロの道のりを、30分ほどかけてテクテク歩いていきます。
長そうですが、かわいらしい北欧調の家々を見ながら歩いていくので、昨日の十字架の丘へと続く荒涼とした道ほど、つらくはありません。



ただ、両側を湖に囲まれているので、水面を渡ってくる風が吹きつけて、容赦なく体温を下げていきます。
北欧に来た気分。

なのにソフトクリーム屋がありました!コーン部分よりも長い盛り盛りのもの。
本当にこんなに長いのかしら?
身体がかじかんでなければ、食べてみたいところなんですけどね。



● リトアニア大公国

イラストだけで判断するに、こちらは昔この地で戦った王様についての紹介板。
この辺りにはかつてリトアニア大公国があり、ベラルーシやウクライナも含む広大な国土を持っていたそうです。
下にはラトビア語・ポーランド語・英語の三か国語で説明が書かれていました。
英語は通常「E」とか「Eng」と訳されますが、ここでは「GB(グレートブリテン)」と書かれていたのが新鮮。



この辺りは、今では湖畔のリゾート地ですが、トゥラカイはカライム人、タタール人、ロシア人、ユダヤ人、ポーランド人といった異なる民族が作った町。
また、独自の文化を守る先住民のカライメ族(ユダヤ系少数民族)が住む地域でもありました。



壁にギョーザの絵が描かれたレストランがありました。
キビナイというこの辺り独特の食べ物だそうです。
もしかすると、朝食に出てきたのは、このキビナイだったのかもしれません。
おいしそうですが、朝食をとったばかりでお腹が空いておらず、そのまま通り過ぎます。



● 三角屋根の家

カラフルでかわいらしい家々が並ぶ通り。私にとってのバルト三国のイメージそのものです。
3連窓の家は、カライメ族の伝統的な住居です。



ここはお土産屋さんがずらりと並ぶ場所なんでしょうけれど、寒いからか朝だからか、まだ一カ所しか開いていません。



● トゥラカイ城

じきに、オレンジ色ののとんがり屋根のお城が見えてきました。
かわいらしいわ。



島の上に建てられており、湖に浮かんでいるように見えるお城。
「ジブリの世界みたい」とモコ。
たしかに、湖に護られた湖上のお城なんてとってもすてきです。



木の橋を渡って、湖を越えます。パノラミック。
このお城は中世期のリトアニア大公国の中心的な場所だったとのこと。
入り口の門楼をくぐって城内へと入ります。



数百年の歴史があるお城ですが、のちに廃城となり、さびれてしまいました。
今では保存と修復が進み、往時の姿を取り戻しています。



まるで中世の時代にタイムスリップしたかのよう。
建物の中は博物館があり、かつてトラカイに住んでいたさまざまな民族について学べるようになっています。




● 湖畔の城壁

ぐるりと城壁の回りも一周し、お城の近くにある別の城壁も散策しました。
季節はすっかり秋。この時期は観光客も少なく、辺りはとても静かです。
落ち葉の上を歩くとカサコソと音がします。



この辺り一帯は湖水群になっているため、この町に着いてからずっと湖畔ばかり歩いています。
リトアニアの湖水地方ですね。
夏なら絶好の避暑地でしょうけれど、この時は四方八方から湖を渡る冷たい風が吹きつけてきて、寒さにもう身体中の感覚が無くなっています。



とてもいい散策道でしたが、雨がいつしかみぞれに変わり、とうとう雪が降ってきたので、観光を切り上げて急ぎ足で元来た道をバス停まで戻ることに。
特に待合室もなく、震えながら外でバスを待ちました。



やってきたバスに乗り込み、暖房がきいた温かい車内で一息つけると思いきや、バスの暖房は殆ど聞いておらず、寒いまま。
見ると、運転席の窓が開いていて、そこからピューピュー冷たい風が吹き込んでいます。
運ちゃん、あなたはなぜ寒くないのー?

その2に続きます。


まだ見ぬバルト三国へ 5-2(シャウレイ)

2017-05-30 | 海外
その1からの続きです。

● どこを見ても十字架

雨の降る中、十字架が立ち並ぶ丘をさまよい続ける私たち。



キリスト教にはさまざまな宗派がありますが、この丘は特定の宗派に属さないため、誰でも自由に出入りして十字架を建てることができるそうです。
日本の神社だったら、そうした決まりはなさそう。
伏見大社のエンドレスに続く鳥居を思い浮かべます。



丘に行く前には「せっかく来たから、私たちも十字架を置いていこう」と話しており、売店で小さなクロスを購入するつもりでした。



でも、実際に丘を巡ってみると、ひとつひとつの十字架の重みに圧倒されるばかり。
クリスチャンにとってここは聖地。彼らの本気度と観光気分の私とでは、この丘に立つ意味合いが違うなあと思ったので、見学するにとどめました。



雨が降る中、ほとんど人はおらず、数人いてもすぐに十字架の陰で見えなくなります。
どこを見ても、重なり合って立ち並ぶ十字架だらけ。
現実とは思えない光景です。



● また一つ新しい十字架が

十字架の向こうに人が数名いたので、人恋しくなって近づいてみたら、丘の上に新しい十字架と像を立てようとしているところでした。



穴を掘って、セメントを流しこむ準備をしています。
大きなキリスト像を据えるようです。



丘の上は十字架でもうギッシリ、通路以外は足の踏み場もありません。
それでも木製の十字架は、いずれ摩耗していきます。
するとそこに、新たにまた別の十字架が立てられるのです。
このキリスト像は、長い間立ち続けると思いますが。

十字架は木だけではなく、真鍮でできたものや石、陶器など、素材はさまざま。
十字架にかけられたメッセージはラテン語のものが多く、よくわかりません。
これだけたくさんあると、世界中の言葉が見つけられそう。
日本語のものもありました。敬虔なクリスチャンの方のようでした。



見ている間に雨がどんどん強くなってきました。
雨に濡れると木の色が変わり、ずっしりとした重厚感が出ます。



十字架を備えている人がいました。
どこを見てもびっしりすき間がないので、置き場所にしばしためらい、置かれている十字架を少しずらして場所を作り、置いていました。



正直、遠くからこの丘を見た時にはうす気味の悪さも感じましたが、丘を歩くと、十字架の多さに圧倒され、これを置いた人々の祈りが伝わってきて、何も言えなくなりました。



日本では、これほどの十字架を見ることはありません。というより、バチカンでさえ見ることはないでしょう。世界一、十字架が集まっているところではないでしょうか。
半ば呆然としたまま、すごいものを見たなあと思いながら帰途につきます。

途中、アジア人のツアー客とすれ違いました。この旅で初めて見た中国系の人々。
私たちのように自力でではなく、観光バスでサックリと来ていました。
旅慣れてない人にとってフリーでここを訪れるのは相当大変でしょう。

先ほど日本人かもしれないカップルとすれ違ったし、この旅でほとんど会っていないアジア人を、ここに来てやけに見かけています。
ここはとみにアジアに知られた場所なのかしら。



● 濡れそぼる帰り道

丘を離れて、歩いてきた道をまた戻ります。
雨はどんどん強くなり、気温も下がる一方。辺りには荒涼とした景色が広がります。

リトアニアは、ここを観光地として捉えていないのかもしれません。せめて立て札を立ててほしいわー。
車道までようやく出たら、道路わきに大きな十字架が二つありました。
文字はありませんが、これが十字架の丘のサインかしら。
さっきバスを降りてからのルートでは見えない位置になったので、気がつきませんでした。



雨はどんどん強くなってきて、風の冷たさに今にもこごえそう。
雨風が強く、遮るものは何もありません。収穫後の畑の中の一本道ですから、あおられ放題です。
体温はどんどん奪われていき、震えながら歩いていきます。



さっき十字架を備えていた人もやってきました。
青い折り畳み傘の柄が真っ二つに折れていて、直そうとしていましたが、どうにも修復不可能な状態でした。
雨はともかく、傘の柄が折れるほどの突風が吹いたかしら。いったい何があったの?

バスは、あまり時間に正確でないということで油断がならず、早めにバス停に行きました。
雨よけも、椅子さえも、何もない、吹きっさらしのバス停。
やっぱり観光地として整備する様子は今のところなさそうです。風に吹かれ、雨に降られながら、じりじりと待ちました。
ようやくやってきたバスは、行きに乗った時と同じ運ちゃんでした。
靴も雨で濡れてしまい、凍えた体で温かいバスの中に入り、ぼーっとしているうちに、再び先ほどのシャウレイコーチステーションに到着。

● シャウレイの町

バスターミナルで、ベンチで休憩しながら次のバスを待ちます。
こちらの女性は美人揃い。金髪率が高いなあ。



ベンチの横のドアは閉鎖しており、何人かが開けようとしては諦めて別のドアに向かって行きましたが、一人の男性が渾身の力を込めて開けようとしたら、なんと持ち手が壊れてしまいました!
こちら側の取ってがだらんと下がっているのがわかりますでしょうか。
ちょっと画像ではわかりづらいので、見やすい位置に直そうかなと思いましたが、取っ手に触ったら「あなたがやったのね!」と私が冤罪を受けそうなので、やめておきました。



● ハロー・コティ

十字架の丘に行くのが今回の旅の中で一番難度が高いプランだったので、予定通りに行けてホッとしました。
バスターミナルの隣にはショッピングモールが併設されています。
そこになんちゃってキティちゃんの遊具を発見。



ハロー・コティ・・・??
サンリオさ~ん!類似品ですよ~!



預けていた荷物を引き取って、16時10分発のヴィリニュス行のバスに乗ります。
カリーニングラード行がかなり来ていたので、今回もまたすごいバスなんじゃないかと身構えていましたが、今度は大きなバスでした。
ドリンクサービスはありませんでした。

乗客は、先程とは打って変わって、全員とても静か。
バルト三国の人々は寡黙ですが、ロシア人はおしゃべりなイメージ。
でも運転手と切符係の人が、大声でずっと喋っていました。

バスの中は暖房がきいています。身体がすっかり温まり、傘をさしていても濡れてしまった衣服が乾いていくにつれて睡魔に襲われ、乗客がぞろぞろ通りていく気配でハッと目が覚めました。
終点ヴィリニュスに着いていました。

● コンフォートホテル・ロックンロール

寝ぼけ眼でバスを降り、方角がわからずにキョロキョロ。
すぐそばに駅があったので、地図を頼りにホテルへ向かいます。



ヴィリニュスの宿は、コンフォートホテル・ロックンロール
モコお勧めのホテル。たしかにロック調の、はじけた内装です。
黒とピンクが基調のロビーは、ヘアサロンのよう。
私が「ヴィダル・サスーンっぽいね」と言ったら、モコは「ゲイっぽいね」と言いました。
視線の先には、黒づくめのモード系のホテルスタッフがいました。



レストランでは女性たちが食事をしていました。
上の男性の絵が気になるわー。みんな同一人物かしら。



ロビーの天井には、大きな方向表示がありました。
トーキョーはあっちにあるのね。



壁絵も面白かったです。
こちらはロビーのもの。アア~~ッ!



こちらは宿泊階の壁絵。階ごとに絵が違うようです。



● ロックスターの身長計

背を計るボードがあったので、並んでみました。



スティングが思ったよりも大柄で(182cm)、ボノが思ったよりも小柄(168cm)。
私はマドンナ(164cm)とレディ・ガガ(155cm)の間でした。



1Fのフリードリンクコーナー。黒とピンクでオサレ。



なぜかポーターさんの顔はめパネル。



● 細長ベッド

部屋に入ると、やっぱりベッドは細めサイズ。
バルト三国のホテルは、どこもベッドが細長いなあと思います。
シングルベッドってユニバーサルサイズじゃないんでしょうか?
まあ、それでも私たちには十分の大きさです。



ベッドの前には大きなパネル。ヴェルサイユ宮殿のようなところで群衆を前にヒップホップを踊っているダンサーの写真です。
誰?



部屋で温まって、ようやくひと心地つきました。
外は相変わらず雨が降り続き、すっかり暗い夜になっています。
この日も外のレストランにディナーに行こうかと話しながらも、寒い中をお店まで行くのが億劫で、さらにホテルのレストランよりも部屋でのんびり過ごす方を選んだ私たち。
ホテルの向かいにあるスーパーに、お惣菜を買いに行きました。

● リトアニアのスーパー



日本のような水槽がありました。
新鮮そうなお魚!バルト海の魚でしょうか。



お惣菜も充実しています。どんなものか、書かれている言葉はさっぱりわかりません。
売り子さんが「ポテト」や「ミート」と簡単な英語で教えてくれたので、ざっくりと量り売りのお惣菜を買ってみました。
もうこの際、風味や味付けは食べてからのお楽しみです。



スイーツもおいしそう。そして安ーい!



この国の伝統菓子、シャコティス。
ツリーみたいにとげとげのバームクーヘンです。
美味しそうですよね。食べてみたいのですが、量り売りはしていません。
売られていたのはどれも大きすぎるので、あきらめました。



● お惣菜とアイス

買い物を済ませて部屋ごはん。
リトアニアはバルト三国の中で一番物価が高いと聞いていましたが、食べ物はほかの二国よりも安い気がします。
バナナのような形に引かれて、中身はよくわからないまま買ってみた揚げ物。
中には挽き肉が詰まっていました。おいしい!



この日もアイスを食べました。
今回は、カクタスアイス(左)。
サボテンが入っているそうです。
モコはキウイ(右)。



カクタス、美味なり!
本当にヨーロッパでは、アイスの味に裏切られることはありません。

● エコロジーホテル



かなりエコロジーを意識しているホテルです。
部屋にあった冊子には、サメを殺さない方法などが書かれていました。



ところで今回宿泊したホテルの部屋は、全てシャワーのみで、バスタブはついていませんでした。
4つ星ホテルでさえ、浴槽ナシ!
「こっちではバスタブつきの部屋はわざわざそう明記されていて、ホテルの部屋全部についていることはないよ」
そうなんだあ。サウナがある国だからかもしれませんね。

でも、寒い日中を過ごしたら、やっぱりお風呂にはつかりたいものです。
シャワーだけは味気ないなあと思うのは、やっぱり日本人だから!



● いいアイデアは流しちゃダメ

シャワールームの壁にはこんなメッセージもありました。
モダンでオシャレ。北欧に近いセンスなんでしょう。



この日は移動日でしたが、十字架の丘の辺りでは大雨に降られて濡れネズミになり、なかなかハードな思いをしました。
食後は部屋でのんびり、まったり。
うたたねをしながら、ロックMTVを延々と見ていました。

さて、捻挫した右足はどうなったかな。
前日は画像を下げましたが、この日は上げておきます。(すみません)
タリンの石畳で転んで作った青タンは、前日よりも色が濃くなっていました。
触ると泣きたいほどの痛さ。熱も持っているので、そっと自然治癒を待っています。



6日目に続きます。



まだ見ぬバルト三国へ 5-1(シャウレイ)

2017-05-29 | 海外
4日目からの続きです。

● 雪の夜

昨晩は、外の寒さを避けて日が落ちた頃からホテルの部屋にこもり、うたたねしながらゆっくり過ごしたので、夜になってもなかなか眠くなりません。
音もなく降り積もっていく窓の外の雪を、2時半ごろまで眺めていました。

翌朝起きてカーテンを開けると、夜の間に積もった雪は減り、土が見えていました。途中から雨に変わって溶けたようです。



前の日より遅い時間に朝食を取りに行きましたが、この日もアーミーの人たちが数人いました。
彼らがなぜここにいるのかは、相変わらず謎のまま。
防衛大学のように、外出時には制服必須なんでしょうか?それとも慰安旅行中?



バルト諸国に来てから、アジア人を見る機会はほとんどありません。
たまに小柄な黒髪の人を見かけて(あの人そうかな?)と思っても、中央アジア出身ぽい顔つきの人ばかり。
中国人は世界中にいるだろうと思っていましたが、住んでいる人も観光客も見かけません。
こんなに華僑の影が薄い場所があるなんて!
そしてアフリカ人に至っては、全く見かけません。
つまりヨーロッパか中央アジア風の人ばかりです。
まだまだ観光客が少ない地域なんでしょうね。

● 朝のカジノ

夜は部屋に引きこもっていたため、ホテルにカジノがあったことを忘れていました。
「せっかくだし、ちょっと見てみよう」と、カジノの階まで行ってみます。
エレベーターが開いても、すぐに逃げられるように(?)降りずにそこから首だけ出して、一瞬だけ覗いてみました。
入り口の前に黒服さんもバニーちゃんも立っておらず、フロア自体がとても静かでした。朝だから、お休み時間なのかしら。

外国でカジノに入ったことがあるというモコ。
「おもしろいよ。ドリンクとか無料で飲ませてもらえるよ」
そうなんだ~。私の知らない世界です。



● リガ中央駅時計塔

チェックアウトをして外に出ると、雪はもうすっかり雨に変わっていました。
駅の前を通りかかると、建物に「STACIJA」「BOK...(キリル文字)」「TERMINAL」と書いています。
ターミナルはわかりますが、ほかはさっぱり。
ラトヴィア語とロシア語で「駅」という意味なのかな?



部屋からまっすぐ見えていた、リガ中央駅の高さ43mの時計塔も、これで見納め。
昨日、上まで上ろうと試みたけれど、レストランバー専用のエレベーターしかなくて断念したタワーです。
でも、私たちのホテルの部屋からの見晴らしと、そんなに変わらなかったかも。



● 国際バスターミナル

向かったのは、鉄道駅を越えたところにあるリガ・インターナショナル・バスターミナル。
乗り場が多岐に渡っている大きな建物です。
中央駅と中央市場に隣接しています。


中央市場


ベンチに座って、バスが来るのをしばし待ちます。
キオスクとは万国共通の名前だと思っていましたが、ここではそれ以外の文字が書かれており、さっぱりわかりません。



これから10時発のバスに乗って、リガから145キロ離れたシャウレイという町に向かいます。
隣の乗り場に、同じ10時発のタリン行きLUXバスが停まりました。
タリンからリガに来るときに乗ってきた、贅沢な国際路線です。
その時に外観を取り損ねてしまったので、ここで撮影。



● カリーニングラード行き

電光掲示板を見ると、シャウレイは私たちが乗るバスの終点ではなく、カリーニングラード行きになるみたい。
カリーニングラードは、ロシアの飛び地で、哲学者カントがその生涯を過ごした町。
飛び地好きとしては、地名を聞いて、ひそかにテンションが上ります。
ロシアより西にあるということしか知りませんでしたが、リトアニアの向こうにあるんですね。



タリンから乗ってきた便もこれから乗る便もLUXバスなので、今回も同じような大型豪華バスで行くものとばかり思っていたら、そばで待っていた人々がわっと小さなバスに押し寄せました。
えっ、これ?まさかね?うそ!?
マイクロバスレベルの小さな車体を見て呆然と立ちすくみますが、どうやらこれみたい。
しかも座席は自由、つまり早い者勝ち。トランクに荷物を預けてから行列に並んだら、まったく勝手がわからないために最後の方になり、席はもう数個しか残っていません。
モコと離れて、座ることになりました。
なんてことでしょう。みんなの迫力に気圧されて、弾き飛ばされそう。
ご年配の方が多く、皆さん男女ともに大柄でどっしりとした体型です。



私は、黒づくめの服を着たおばあさんの隣に座りました。
おばあちゃんは私のふた回りほど大きく、腕は私の座席の方に余裕で越境しています。
日本では、私よりもかさがあるおばあちゃんって、なかなかいませんが。

30人定員のバスが乗客で満席になり、運転席の横にも乗客2人が乗り込みました。
この路線はすぐに埋まるから早目の予約が必要だと聞いており、、日本で予約は済ませていましたが、こういう状態だからか~と納得。
運ちゃんはダニエル・クレイグのようないかついイケメン。英語はしゃべりません。
一番後ろの席になったモコは、腕っ節の強そうなメンズにはさまれて、小さく座っています。

(大丈夫かな~、つぶされないかな~)と心配しましたが、後で「イケメンに挟まれてラッキー!」と喜んでいました。
ええと、彼らはイケメンなのかなー?好みの違いが。



● ロシア語が飛び交う

通路向こうの男性はロシア語の新聞を読んでいます。みんなが喋っているのはラトヴィア語ではなくロシア語だと、なんとなくわかります。
ロシアの飛び地のカリーニングラードに行く人達だから、乗客はみんなロシア人なのかしら。

初日のモスクワ空港での災難を思い出しました。
今回の旅では、行きと帰りの経由の時にしかロシアは関係しないからと、ほとんどロシアのことは考えずにきましたが、ロシアの呪縛からは逃れられず、予定よりも長い滞在となりました。
そしてここではロシア人たちがみっちり詰まったバスに揺られています。

ダニエル・クレイグ風運ちゃんは、顔に似合わずひょうきんな感じのラジオ音楽をガンガンかけています。
小さな子供は、かん高く響くおもちゃのラジオを付けています。
それに乗客たちがひっきりなしに喋り続けるロシア語会話が飛び交い、バスの中はいろいろな声が混ざり合って、カオス。

カリーニングラードまでは結構な距離があります。国を2つ超えていくようなところなのに、こんなミニバスで行くなんてびっくり。
シャウレイにはすぐには到着しないため、揺られながら眠っていきたいところですが、大柄の人々が密接しすぎているため、日本に比べてバスの中の人の密度が高くて、とても安心して眠れません。
うっかりもたれかかって、おばあちゃんに怒られたくないしし。



● なぞの停車数回

時々バスが停まり、人々が立ち上がります。
ここ?着いたのかな?でも時計を見るとまだ時間になっていません。
人が降りていったと思ったら、また戻ってきました。タンジェリンのようなフルーツを買っていました。
単に休憩タイムだったみたい。

外を見ても、いまどのあたりなのかわかりません。
ちなみに「ISSUE DE SECOURS」というのは、バスの窓についている文字で「非常時の際には(ここから逃げて)」という意味。
この旅の途中で唯一目にしたフランス語です。
AUTOOSTAという表示があり、あとで調べてみたら、バスターミナルという意味でした。

さらに1時間バスは走り、また途中で停まりました。ふたたびみんなが降り始めます。
後ろの席で「シャウレイうんぬん」と話していた女性がおり、きっと同じ場所で降りる人だと思ったので、ここかと聞きましたが「ニエット」と答えが帰ってきました。
まだなんだー。じゃあここはどこ?

となりのおばあちゃんも、バスの外に出ていきます。目的地に着いて、降りたのかな。
私には黙って降りちゃうのね。
席にストールが置いたままになっていたので、忘れ物だと思って、追いかけて渡そうとしたら「いいのよ」と身振りで伝えられました。
置いていっていいのかな、ゴミにするのかなと思っていると、モコが「ここもトイレ休憩みたいだよ」と教えてくれました。

「なあんだ、じゃあ私たちもちょっと降りてみようか」と、みんなの後をついて行くと、たしかにトイレがありました。
なかなか試される感じの、ハードボイルドなトイレでした。
バルト諸国ではまちなかのトイレは有料なので、無料のところは推して知るべしといったところです。
最後の方に並んだため、バスに戻ったのも最後になり、置いていかれたらどうしようと慌てましたが、ひとりも減ることがなくバスは再び出発。

この環境に少しずつ慣れてきて、ウトウトしていたところに、とつぜん上からハードケースのカバンがドスンと降ってきました。
これがとても重くて、工具でも詰まっているんじゃないかと思うくらい。
私の頭に当たったので、ありえないほどの痛みに、呆然としました。

これ以上馬鹿になったらどうしてくれるのーー?
でも、だれの荷物かわからず、全く謝られる気配もありません。
(うそでしょう。基本的人権が尊重されてないわ)と固まっていたら、隣のおばあちゃんが、しわくちゃの顔の奥で気遣わしげに私を見つめ、そっと手を握ってくれました。
励ましてくれたのね、ありがとう、おばあちゃん。
気持ちを込めて、手を握り返しました。

● リトアニア・シャウレイ着

そのうちに都会っぽい場所に近づいてきました。
今度こそシャウレイに着いたようです。
なかなかハードな2時間半のバス旅だったなあ。

いつの間にか、リトアニアに入国していましたが、パスポートチェックは無し。
バルト三国間はいいんでしょうか。
隣のおばあちゃんと手を振りあって、お別れしました。



ここで一旦、スーツケースを預けますが、大きなバス乗り場なのに、ロッカーがありません。
画像左のドアを入ったところにある一時預かりコーナーに委ねます。
荷物はひとつ一律86セント。1ユーロしません。

ここからは、町のバスに乗り換えて、ドマンタイという場所に行きます。
でもどうすればいいんだろう?
チケット売り場の前で立ち尽くしていたら、お上品なカーディガンを着たマダムが近づいてきて、英語で「どうしたの?」と聞いてくれました。
ここのガイドさんのようで、私たちが乗るバスの発着ゲートを教えてもらいました。



リトアニア第4番目の都市、シャウレイはけっこう大きな街。
この日も外は4度。吐く息が真っ白です。



いまにもバラバラに分解しそうなオンボロのバスがやってきました。
あれっと思いましたが、気がついてみると、どのバスも不安になるほど古いものばかり。
日本では考えられません。
タリン‐リガ間のバスはとても近未来的だったので、あまりの落差に並べてみたくなりました。



● 町バスに乗り換えて

いよいよヨニシュキス行きのバスがやってきました。おそらくこれです。
降りるバス停名のほかに、バスの終着駅もわかっていないと乗れません。
バスがドアを開けると、人がわらわらと押し寄せてきました。運ちゃんに降りる停留所名を言って、切符を切ってもらうシステムです。



日本よりもバスの天井が高いのは、やはり平均身長に合わせてのことでしょう。
モコがつま先立ちして手を伸ばしても、天井のブザーには届きません。



バスは走りだし、町の中を通っていきます。
街並みは割と整っていて、栄えているなあと思います。



でもこのバスターミナルは町の中心から外れたところにあるため、町の様子は車窓から楽しむのみ。
すてきな教会の前も、通り過ぎていきます。



バスでは放送がかからず、次のバス停の紹介もありません。
降りる場所に何か目印があるのかも、わかりません。
つまりは人に教えてもらわないと、全く手がかりがないという状態です。
そろそろじゃないかと二人でざわざわしていたら、前の席のおばあさんが気配を察してくれて「ドマンタイはまだよ」と教えてくれました。

● おにぎり注意?

気になったのが、画像のピンクの注意書き。
「あれ、なんだと思う?」
「おにぎりが飛んでくるから、気をつけろってことかな?」

ほかの場所でも何度となく見かけましたが、分かりませんでした。



● ドマンタイ到着

20分ほど乗り、バスの乗客に「次だよ」と教えてもらい、無事に降りることができた私たち。降りた辺りには、なんにもありません。
バスの窓からおじいさんやおばあさんが私たちに「そこの道を曲がっていくのよ」と身振りで教えてくれました。
私達が、十字架の丘に行くって、わかっているんですね。

教えてもらって、良かったです。表示や地図がいっさいなかったので、この道を歩いていって間違いないのか、手掛かりを探してしばらくうろうろしてしまったことでしょう。ありえないわ~。
まったく情報のない私たちは、乗客のアドバイスを守って、道路を一旦少し戻ってから道を変えて歩きます。そこからは一本道ですが、約2キロの道をてくてく歩いていかなくてはなりません。
時々雨がちらつく日。容赦なく体温が奪われていきます。







● 珍しいアジア人

なにもてがかりがないまま、ただひたすら一本道を歩いていきます。
人に聞こうにも全く歩いていません。
と、向こうから人影が見えてきました。
珍しいですが、どうやらアジア人のよう。英語で聞いてみると「ここを10分くらい歩いて行ったところにあります。まっすぐだから迷わないはず」と英語で教えてくれました。
お礼を言って別れたあとで、モコが「あの人達、日本人じゃないかな」と言いました。
雨に濡れていたせいか、そうは見えなかったのですが。

モ「昨日、ライマのお店で見かけた気がするんだよね」
そういえば、私たちが店内にいた時に、アジア人カップルが入ってきて、珍しいなと思ったんです。あの人たちだったとは。でもてっきり中国人か台湾人だと思っていました。

「昨日おみやげを選んでいたみたいだったし、ハネムーンかなあ?」
「バルト三国を?うーん」
「なかなか渋い好みのカップルなのかもね」



雨の中、水たまりとぬかるみに気を付けながら、ひたひたと一本道をただ歩いて行くと、エンジェルのワイヤー人形がいました。
「わあ、かわいい。すごいね」と近寄ってみると、それは奥にあるペンションの宣伝だったよう。芸術的です。



じきに、十字架でこんもりした丘が見えてきました。あそこね。
丘を目指して向かいます。



● 十字架の丘【無形文化遺産】

雨の中、バスを乗り継ぎ、人にもまれながら、シャウレイから12キロ離れたところにあるリトアニア最大の巡礼地にやってきました。



ここは十字架の丘。ロシアの圧力で処刑された人たちを悼んだ人々が十字架を持ち寄って立てたのが、次第に規模が大きくなっていきました。



2001年にユネスコ無形文化遺産に登録された後も十字架の数は増えに増え続けて、今ではもはや数え切れないそうです。



日本でいうと、星の数ほどの鳥居が奉納された伏見稲荷大社のような感じでしょうか。



とはいえ、ここはお墓ではなく、人は埋葬されていません。
ただ、おびただしい数の十字架が立てられているだけです。



ヨハネ・パウロ二世の十字架もあるとのこと。ローマ法王も訪れたんですね。



雨の中訪れたので、どんよりとした空の下、重苦しさに圧倒され、言葉少なになる私たち。
だってこんなにたくさんの十字架、産まれてこの方見たことがないのですから。



訪れる人々はまばらでしたが、手にはそれぞれ十字架が握られています。



家から特別な十字架を持ってくる人もいるようですが、たいていは近くにあるお土産屋さんで十字架を買い、それを丘に立てていきます。



十字架のサイズはさまざまで、トラックサイズの巨大なものがあるかと思えば、手のひらサイズの小さいものもあり、お値段は1ユーロからありました。
各種取り揃えているし、オリジナリティに富んだものもあるところは、伏見大社以上です。



丘に立つモコ。ひたすら十字架が続き、なんだか天国に続く道のようにも見えてきます。

その2に続きます。



まだ見ぬバルト三国へ 4-3(リガ)

2017-05-25 | 海外

その1からの続きです。

● 午後の散策

先ほどまでは、売れないマッチ売りの少女のような気分で、震えながら観光していましたが、ゆっくりとランチをとったので、凍っていた手足が温まり、再び外に出る元気が出てきました。
雪がやんだので、今だとばかりに再出発。
旧市街の石畳の道を車椅子を引いている人がいました。
古い石畳なので、ごつごつとしてあまり平坦ではなく、車椅子に座っている人はガクガク上下に揺れています。
中世の時代にはバリアフリーなんていう言葉はなかったわけで、身障者に優しい道ではありません。
足首の捻挫がまだ痛む私にも、なかなか響く石の道です。



ショッピングモールの前にいたわんこ。
飼い主を待ちぼうけて、不安そうにキューンキューンと鳴いていました。

● ギルドとハンザ同盟

ランチをしながら通ってきたルートをチェックしたところ、雪と寒さに凍えかかっていた私たちは、見たい場所をいろいろ飛ばしていたことがわかったので、取りこぼした場所を訪れることにします。



上の画像の真ん中、下の画像の右側が、「大ギルドの会館」です。
ギルドとは、中世ヨーロッパの商工業者たちで結成された組合のこと。
ハンザ同盟って学校で習ったなあ。リューベックに行ってみたいなあ。



上の画像の左側は「小ギルドの会館」。先ほど見たリガ城よりもお城っぽい外観です。
この辺りに建っているのは、宮殿のような建物ばかり。
仲良く隣同士に並んでいる大ギルドと小ギルドの会館。今はコンサートホールになっていました。

● 猫の家

その近くに建っているのが、とんがり屋根の上の黒猫が目印の「猫の家」。



当時、ギルドはドイツ商人専用でした。
ギルドに入れてもらえないことに腹を立てた一人のラトヴィア商人が、屋敷のてっぺんに猫を取り付けて、仲間に入れてもらえるまでギルドの建物に背を向けさせたそう。
かわいい!それって仕返しになるのかしら?
まあ、「ドイツ商人はイケズだった」ということがこうして後世まで伝わっていますから、息の長~いリベンジになっているんでしょう。



リーヴ広場にて。
リカって書いてあるー!と思って寄っていきましたが、よーく見たらリガでした。(残念)

目下ハロウィンの時期。日本ではファンキーなコスプレ祭りが展開されている頃ですが、ここではさりげなく、カボチャ。
なぜそんな場所にあるのかが謎ですが、日本よりもワビサビをわかっていますね!



● アーミーと再会

「リーヴ広場」に、朝ホテルで一緒だったアーミーたちがいました。
なにをするでもなく立っているかと思えば、雑貨屋から買い物を済ませて出てくる兵士たちもいます。
みんな警備しているの?観光しているの?
やっぱりよくわからないままでした。



市庁舎広場の前の「市庁舎」。
立派ですが、この辺りはきらびやかな建物がずらりと立ち並んでいるため、あまり目立ちません。
リガの街並みってすごいんだな、と再認識します。



● ブラックヘッド

市庁舎広場を通って、その先の「ブラックヘッドの会館」に行きました。
昨日のタリンにもあったものの、よく探しきれなかったブラックヘッドの会館ですが、
ここの建物は華やかで目立ちます。



ブラックヘッドは独身男性たちのギルド。
やけに暴走族っぽい響きですが(笑)、メンバーは将来有望な若き商人たち。
まだ白髪じゃない人たちだから、ブラックヘッド(黒い頭)なのかな?と思いましたが、黒髪の守護聖人、聖マウリティウスに由来する名前だそう。
入口の門柱の右側にいるのが聖マウリティウスです。

もともとは1334年に建築されましたが、第二次世界大戦で破壊され、1999年に再建。
美しい大時計がかかり、その下には、ハンザ同盟の4都市(左からリガ・ハンブルク・リューベック・ブレーメン)の紋章レリーフが飾られています。

● I LOVE BEER!



ふたたび繁華街へ。なんとなく気になった店内のヘルメット。
I LOVE BEERと書かれた旗が立っています。
「分かった!」とモコ。
「ヘルメットにビールタンクとストローがついていて、歩きながら飲めるようになってるんだ!」
「え~!飲み続けたいの?」
ここはドイツの影響が色濃い都市。だからといって、そんな装置つきのヘルメットを作っちゃうなんて!
寒いからか、残念ながら実際にかぶっている人は見かけませんでした。



通りを逆方向に真っ直ぐ進むと、大通りをパステルカラーのカラフルな市電が横切っていきました。
まっすぐ塔に向かう道。交差点のところには、チョコレート店ライマの塔がありました。


● ラトヴィア版自由の女神

再び運河を越えて、今度は新市街の方へ。

旧市街のはじ、新市街との境界の自由大通りの真ん中に、「自由記念碑」が立っていました。
高さ42m。ラトヴィア版自由の女神が、空に向かって細長く両手を伸ばし、星を掲げています。
1935年にラトヴィアの自由を象徴して作られ、ラトヴィア独立戦争(1918-1920)で殺された兵士に捧げられているもの
その前には、ロシア帝国併合200周年記念のピョートル大帝像が立っていたそうです。
みんな嫌だったでしょうね。



塔の両脇には衛兵が2人、直立不動の姿勢でピクリともしません。
1時間毎に衛兵交代が行われるそう。



● アーミーと衛兵

アーミー(画像右側)が塔を見ています。
衛兵たちを守っているのか、監視しているのか?みているこちらがちょっと緊張します。



兵士に見つめられても、どこ吹く風といった平常心の衛兵たち。
何があっても微動だにしないって、本当にすごいことです。

ライマの本店のようなお店がありました。
メイド・イン・ラトヴィアのお土産って珍しいので、チョコレートを買いました。



トーキョーシティという日本料理屋があちこちにあります。
バルト三国では、中華料理店はさほど見かけません。それよりも日本料理店の方が多いように感じます。
華僑は世界中にいるはずなのに、どうしたことでしょう。
あるいは、目下バルト三国は日本食ブームなんでしょうか。
「でも、オーナーは中国人だったりするよね」とモコ。
そう、どこも日本人がやっているとはあまり思えない雰囲気のお店ばかりです。

● バルトのパリ



ロマンチック―。もはやパリですね。
そういえばリガは「バルトのパリ」とも言われています。
さまざまな表現をされるこの町。とにかくきれい!!ってことですね。



枯葉をカサコソと踏み、「枯葉よ~♪」とシャンソンを歌いたい気分になりながら、運河沿いを散策します。



● 中央駅のホーム

ホテルの部屋からも見えるリガ駅の時計塔が気になる私たち。
上まで登れないかと、二人で探してみました。
すると、展望台行きの専用エレベーターを発見。どうやら時計塔は展望台になっているようです。
上階は格式が高そうなバーになっている様子。気楽には行けなさそうなので、やめることにしました。



リガ中央駅からあちこちの場所に電車が走っていきます。
このホームに停まっている電車は、ホテルの部屋からも見えます。
「世界の車窓から」みたい。



本日のリガの気温は4度。寒い~。
はるか遠くの東京では、この日13度まで下がるので風邪に注意とネットニュースのトピックになっており、冷え込みに大騒ぎしているようです。
(ふっ、そんなに寒いわけでもないのに。)と、北の人の気分を味わいました。



駅の中にはかわいらしい絵が描かれたお店がありました。
服のお直しなどを行う、お針子の修理屋さんでしょう。
読めそうで読めないんですよね~。

● バルトのアイス

宿に戻る前に近くのスーパーに寄って、アイスクリームを購入。
いくら寒くても外で食べている人がいるため、自分も食べたくなりました。
材料表示などバルト三国の三か国語が載っているため、裏は文字でびっしり。
なのにかけらもわかりません。



ヨーロッパのアイスは、裏切りません。
安くて美味しかったでーす。明日も買おうっと!



お腹はまだ一杯で、夕食は無理そう。
スーパーの向かいの日本(アジア?)料理店に、この日はスタッフの姿が見えました。
営業中のようですが、スタッフに日本人らしき人、そもそも東アジア人っぽい人はいませんでした。



● 部屋でのんびり

ホテルに戻り、部屋に入ったのは4時半くらい。
まだ夕方というには早い時間でしたが、雪が降ったりしたため暗くなるのが早く、5時になるともう夜のような暗さでした。

朝にホテルを出発する時に受付にお願いしていたシャワーの排水口も直っていて、お湯はスイスイ流れていきます。
さっそくシャワーを浴びて、冷え切った身体をあたため、ガウン姿で二人でのんびり。
私は、タリンで捻挫した足首が、関節に沿って大きな青タンになり、日に日に色が濃くなっているのを、ため息をついて眺めます。
あまりに青タンがすごいので、写真に撮ってみましたが、足首の痛そうな画像を見せるのもあんまりなので、掲載するのはやめにします。



ホテルの目の前は駅の時計塔、右側は旧市街などの繁華街。
夜景を眺めながら、ベッドの上でゴロゴロと過ごしました。



左側は先ほど訪れた中央駅。電車が停まっています。

● カープ女子 in ラトヴィア

ネットをチェックしていたモコが「あ、広島負けちゃった...」とつぶやきました。
今年は広島カープが25年ぶりにリーグ優勝して、盛り上がっていることを思い出します。
野球に疎い私でも、日本シリーズで日ハムとの決勝戦に挑むことを知っていました。

はたと思い出しました。そういえばモコは広島出身。
あわわ・・・。
彼女は騒がず、多くを語りませんが、肩を落とし、目に見えてがっかりしている様子。
あわわ・・・。

モ「カープってスポンサーがついてないから、みんなで支えてる意識が強いんだ」
「そうなんだ」
知りませんでした。Jリーグだと、清水エスパルスと一緒。
なるほど、それはファンは盛り上がりますね~。

「貧乏球団だから、いい選手はみんなよそに取られちゃうんだよね...」
「それでもカープ愛がある選手が戻ってきてくれるから...」
「黒田がかわいそう。これで引退だから、花を持たせてあげたかったな...」
ぽつぽつと語る彼女に、かける言葉がありません。
「・・・そっか。ドンマイ」
私も、せっかくだから広島に勝ってもらいたかったな。
ラトヴィアで、カープ女子を慰める夜。

● 雪の夜



気温が下がり、雪が降り始めました。



夜が深くなるにつれ、雪がどんどん積もってきます。



この分だと明日の朝は、解けずに積もったままなんじゃないかと思ってドキドキしながら、寝につきました。

5日目に続きます。