風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

2019京都の初春 4-2(七条)

2019-05-28 | 近畿(京都・滋賀)
その1からの続きです。

● 阿闍梨餅本店

大学の近くに阿闍梨餅の本店があると聞いて、向かいました。
確かに百万遍交差点からそう遠くない場所にありました。



外観からは想像できない、天井の高い、クラシカルな建物です。
額になんて書かれているのか、はじめは読めませんでしたが、「阿闍梨餅」って書かれているんですね。



おみやげのほかに、阿闍梨餅を単品で頼むと、暖かいお餅にお茶が添えられて出てきました。
暖かい阿闍梨餅をいただくのは、初めて~。


暖かいともっとおいしくなりますね。ごちそうさまでした。

● 京阪で解散

駅に歩いていく途中に、気になる建物を見つけました。
ビルの上にある小屋です。ペントハウス?
見晴らしがよさそうですが、雷が近くに落ちたらさぞや怖いだろうと思います。



出町柳駅から京阪に乗りました。
連れの一人は四条、私は七条、もう一人の連れは東福寺と、それぞれ降りる駅が違います。
そこでホームでお別れしました。

● 七条散策

ひとりになって七条駅で降りると、まだ外は陽が沈む前。
暗くなるまで、辺りを散策してみることにしました。



七条大橋。鴨川に架かる最古の橋です。
こうしてみると、かっこいい橋脚ですね。

● 旧任天堂本社

正面橋というおもしろい名前の橋を渡ってほどなくの場所に、クラシカルな建てものが立っています。



そこは、任天堂のかつての本社でした。



今でこそゲーム会社として有名ですが、昔はかるたやトランプを作っていたんだなあと思います。
そういえば、我が家にある花札も、任天堂のものです。



それにしてもなぜ日本語だけ「たるか」など右から左読みで、「トランプ」だけ左から右読みなんでしょうね?

● 道端のミステリー

正面橋のすぐ近くの電信柱の下に、釣鐘が置かれていて、ビックリしました。



見えますか?これですよ。
道ばたに鐘ってー!なぜ?どうして?



弥生時代期の銅鐸かと思いましたよ!
あまりに無造作に置かれているのに、ビックリです。

誰かが捨てたの?とすると不法投棄!?
謎は深まる一方です。京都では、見慣れた光景なのかしら?

● 豊臣神社の正面

正面橋から眺める鴨川。
渡ってまっすぐ道を歩いていくと、豊臣神社にたどり着きます。



この道も正面通といいます。
もうおわかりでしょうか。「豊臣神社の正面」という意味で、この名前がついているそうです。



ここも刀剣乱舞ゆかりの場所。
御朱印の受付は終了していましたが、とうらぶグッズはまだ配布中で、刀剣女子風の人が、夢中でグッズを選んでいました。



夕日を浴びてなにやら神々しい拝殿。
西向きなので、こうした輝く効果も考えての建築だったのでしょうか。



梅ごしの拝殿。
もう扉は閉まっていますが、夕暮れ時はとても静かです。

● 大仏殿跡の公園

豊臣神社の隣の方広寺へ。



いつ見ても大きい、方広寺の鐘。



お寺の横に細道を見つけて通ってみます。
すると、豊臣神社の裏側の開けた場所に出ました。



「大仏殿跡緑地公園」という名で、かつて大仏殿があった場所だそう。



少し奥まった場所にあり、街並みに溶け込んでいます。
犬の散歩をしている人がいて、のどかでした。

● 智積院の夕日

そこから東山通に出て、智積院の前を通ります。



七条東山の交差点からまっすぐ見える夕日が、とてもきれいに輝いていました。
この日は朝からとてもいい天気でしたからね。



立ち止まって写真を撮る私の横で、帰宅途中の京都女子高の生徒たちが「ちょっと、やたらきれいじゃね?」と口々に言って、スマホを取り出していました。



青春群像に混ざって夕日を眺めるの図。
明日もきっと、いい天気。

5日目に続きます。


2019京都の初春 4-1(京大、吉田)

2019-05-27 | 近畿(京都・滋賀)
3日目からの続きです。

● 東山通ウォーキングふたたび

学会2日目。この日も大学まで歩いていくことにします。
前日、バス通り沿いを思ったより負担なく歩けたので、今回はちょこちょこ横道にそれながら向かいます。



寄り道したくなるような青空。
知恩院の辺りから車道をそれて、白川沿いに歩いてみました。



朝なので人がおらず、人道橋は渡り放題です。



● 吉田寮

京大キャンパス内の吉田寮にふたたび行ってみました。
この日、来年度からの新寮生が発表されるようです。
入寮面接はすでに済んでいるのだそう。
こうしてまた寮の歴史は続いていくんでしょうね。



● 京都大学

それにしてもいい天気です。
目的地に着いたけれど、もっとお散歩したい気持ちでいっぱい。



しかしここはぐっとガマンしなくては。
まずは午前のセッションに参加します。



鹿鳴館かと思うようなクラシックな部屋が会場。
さすがは天下の京大です。



● 吉田神社

ランチタイムになりました。
昨日の2人と落ち合って、大学のすぐそばの吉田神社へ向かいます。



万城目学氏の『鴨川ホルモー』に、重要な場所として登場したこの神社。
撫でられて、胴体がテカテカに光っている神鹿像がありました。
私たちも3人で、せっせと撫でました。
つるつると気持ちよくて、相当なでなでしたため、鹿の口が利けたら「もう十分じゃない?」と呆れられたかもしれません。



● 神前結婚式

お日柄がいいのか、これから結婚式が挙げられるようです。
新郎新婦、そして親族が神主さんの後をしずしずと歩いていきました。



神殿に入り、神主さんは祝詞を朗々と挙げ始めました。



駐車場には、「寿」と書かれた扇のついた、黒塗りの車が停まっています。



慶事用のタクシーかなと思いましたが、宣伝文字が入っていないうえに、カメラマンが運転していたので、ウエディング撮影隊の乗用車のようでした。
祝詞を背中に聞きながら、さらに坂の上の方へと登ります。

● 料理の神様



山蔭神社は、藤原山蔭(ふじわらのやまかげ)卿を庖丁の神、料理の神として祀るところ。
山蔭さんは四条流庖丁式の創始者で、平安時代前期に日本で初めてあらゆる料理に味付けをしたお公卿さまです。



八百万の神々が祀られている大元宮は、お参りすると日本すべての神社を周ったことになるという、太っ腹なお宮です。



さらに山の中へ入っていき、鳥居の続く竹中稲荷神社、宗忠神社を参拝しました。

● 吉田山を散策

目的地は、吉田山中にあるカフェ茂庵ですが、予想に反して全く標識がでておらず、どの山道を通っていけばたどり着くのかわかりません。
土地勘のない者だけだと、永遠に山の中をさまよっていることになりそうなので、地元の人に尋ねました。
「もう少し登っていくと、二股に分かれるから、怪しい方の右側の山道を通るとあるよ」と教えてもらい、歩いてみると、確かに道が二股に。
そして確かに、右側の道はなんだか怪しげです。



地元の人から教えてもらわなければ、右は本能的に避けて左を選んでいたことでしょう。
やあ、助かりました。
ようやく緑に囲まれた、山の中のカフェにたどり着けました。



● 茂庵でおあずけ

11時半の開店に合わせる予定が、少し迷って20分後に付いたら、なんともう満席になっていました。
1階の待合室で待っている間にもどんどん待ち客が増え、十客ほどあった椅子はあっという間にいっぱいに。



不便な場所にあるのに、人気なんだわ~。
前にドラマ『ふるカフェ系 ハルさんの休日』で採り上げられていました。
待っていると、いい匂いが漂ってきて、おなかがペコペコに。切ないわ~。
ようやく番がきて、2階に上がります。



窓が多く、明るく広い部屋。
天井には太い木の梁が渡っています。



山荘をリノベーションしたようで、静けさをうちだした設計。



2階は3面がガラス張りになっており、山の中の環境を生かした開放感があります。
うーん、ただそこにいるだけでも気持ちいいわ~。



大文字山がまっすぐにの位置にあります。
五山送り火の時にはさぞかしよく見えることでしょう。夜だからもう閉まっているかしら。



ランチメニューは2種類のみなので迷いません。
ピタパンサンドランチセットにします。



ゆず茶をつけると、手作りっぽいコースターの上に載ってきました。
可愛い!赤いダルマと大文字山が刺繍されていました。



● お菓子の神様

帰りには、吉田神社敷地内にあるお菓子の神様の菓祖神社をお参りしました。
御祭神は 田道間守命(たぢまもりのみこと)と林浄因命(りんじょういんのみこと)。
田道間守命は不老不死の霊菓(今のミカン)を日本に持ち帰った人で、林浄因命は日本で初めておまんじゅうを作った人だそうです。



石塀に出町柳のふたばの名前を見つけました。
旅の初日にさっそく豆餅をいただきましたよ!



ふたたび大学に戻り、午後のセッションに参加しました。
学会終了後は、百周年時計台記念館内の歴史展示室を見学します。



1930年ごろの京大生の下宿が再現されていました。
わあ、太宰治みたいなトンビコート。着てみたいなあ。

その2に続きます。


2019京都の初春 3(京大、四条、錦市場)

2019-05-17 | 近畿(京都・滋賀)
2日目からの続きです。

● 東山通を歩く

3日目-4日目は、京都大学で行われる学会に参加します。
朝早く起きると、気持ちのいい天気。
そこでバスには乗らずに、七条から京大まで歩いてみようと思いました。

京都の中心街を東西に横切る通りは、一条から十条まで数の名前がついています。
私が歩くのは、智積院~清水寺~八坂神社~熊野神社~京都大学を結ぶ、いつも車が混雑するルート。
その京都府道143号、別名東山通(東大路通)を歩いて行きます。

距離は5キロ、歩くと1時間ほどかかる予定。
バス通り沿いなので、途中で無理だと思ったら、そこからバスに乗ればいいですね。
では出発~。思ったよりも歩きやすい道で、嬉しくなります。
出発地点の智積院付近は、京都駅から緩やかな坂を上った小高い場所にあるため、祇園まではゆるやかな下り道が続いて楽なのです。

● 朝の消防訓練

東山消防署では朝から隊員たちが訓練をしていました。



ここ、いつも通るたびに大がかり練習をしています。
消防隊員は常日頃、訓練を重ねているのかしら?バス通りだから目に留まるのかな?


知恩院の参道



琵琶湖疎水と十石舟


朝なので、車道も歩道もまだ混んでいません。
快適に歩き始めてからちょうど30分で、東山駅前に着きました。

● 京都大学吉田寮

さらにまっすぐ道を進み、熊野神社前を越えて、1時間ほどで京都大学に到着。
撤去問題で噂になっている学生自治下の吉田寮は、思ったより新しい感じ。



希望者は見学もできるようです。
建物を眺めながら、森見登美彦の小説『四畳半神話大系』のカオスな空間を連想していると、学生が寮から出てきました。
神話大系に取り込まれそうになったので、そろそろと後ずさって元の通りに戻りました。

● 京都大学の時計台

京都大学に到着。1年ぶりの百周年時計台記念館。



去年も京大の学会に参加しましたが、今回はポスター発表をします。
受付の人に「先生」と呼ばれて、慣れない呼び名にドキドキしました。

● カフェ・コレクション

午前中は口頭発表に参加し、昼には顔見知りの人たちとランチ。
森見登美彦の小説にも登場する、農学部前のカフェ・コレクションに行きました。



森見さんはたらこパスタが好きだったようですが、私は名物のオムライスを注文。
巨大なオムの登場にビックリ。これで680円というコスパの良さに、二度ビックリ。



店内はシックですが1Fは喫煙OKというのが、古くからの喫茶店ぽい感じ。
みごとに愛想がない店員ばかりで、塩対応の洗礼を受けます。
これもまた学生街っぽい感じ。



カフェの本棚にあったのは坂口安吾作品集で、森見作品はありませんでした。
モリミー、がんばれ!

● ポスターセッション

ビッグなオムでおなかいっぱいになって大学に戻ります。
午後はポスターセッション。
始まるまではガチガチに緊張していましたが、いざ発表時間になってみると、大勢の人に説明をし、受けた質問に答え、意見交換をしているうちに時間が経ちました。
終わってみればあっという間の体験。
A1サイズのポスターをしょってきた甲斐がありました。
結果オーライでよかったよかった。
(でも写真を撮る心の余裕はありませんでした!)

● モダンな大学寮

発表が無事に終わり、その後の参加者セッションに参加して、この日のプログラムは終了。



もう日が暮れかかる時間になっていました。
帰りのバス停には、参加者たちの長い行列ができていたので、連れの参加者2人と出町柳駅まで歩いていくことにします。

レトロモダンな建物がありました。
京都大学YMCA会館の地塩寮です。
大正2年、ヴォーリズの設計。
素敵ですね。吉田寮よりもこちらに入りたいなあ。



連れのリクエストで、鴨川の土手道を少し歩いてみることにしました。
「神田正輝がいるかもしれない!」と言うので
「え、カッパみたいに?」と驚いて聞くと
「いやいや、棲んでるわけじゃないから!」と笑われます。

なんでも2時間推理ドラマで、事件解決後に神田正輝と片平なぎさがのんびり鴨川のほとりを歩くエンディングシーンが多いんだそう。

でもこの日は風が強く、とても寒い日。
ピューピュー吹きすさぶ川風に、身体の芯から冷えます。
「寒くて無理!正輝もなぎさもいないよ!」
地下の京阪ホームへの階段に避難しました。

● 繁華街で遭難

そのまま京阪に乗って四条駅で降り、新京極へ向かいます。
歩いている途中、ふと足を止めました。
あの居酒屋は、たしか池田屋だった場所に建ったもの。
前に「坂本龍馬 遭難の地」を訪ねたことがあったのです。



京都を歩いていると、ところどころに「●●遭難の地」と書かれた碑があります。
遭難とは、山奥で方角を見失って力尽きることだと思っていましたが、こんな街の中でも遭難するものなんですね~。
「難に遭う」という文字通りの意味なのでしょう。

● インパクトパフェ

そして、パフェ専門店のようなカフェ、からふね屋珈琲を見つけました。



一見おしゃれなお店ですが、パフェに、エビフライが載ってる~~!!??
よく見ると、ほかにもたこ焼きとか、アメリカンドッグが載っています。
あれやこれや、スゴすぎ~!



こちらの画像は一見マトモに見えますが、右上はかぼちゃ、右下は大学芋。
どうしてこれでパフェを作ろうと思ったの…?

● ナイトミュージアム

錦市場に着きました。タコ焼きを食べようと、カリカリ博士に行きましたが、お店は少し暗い照明になっていました。
「材料がなくなったので、今日は閉店です」と言われてがっかり。
周りにはまだたこ焼きを食べている人が大勢います。
あと5分早く着けば、食べられたかもしれないと思うと、なおさら残念。

早い時間から賑わう錦市場。夕方には多くのお店が店じまいしています。
賑やかな時にばかり歩いているので、夜になるにつれぐっと寂しい通りになるとは知りませんでした。
ところで、さまざまなお店のシャッターに伊藤若冲の絵が描かれていることに気がつきました。


「鳥獣花木図屏風」


まあすてき!彼は錦市場の八百屋のボンボンだったんですよね。
これなら、お店に入れなくても、シャッター通りを楽しめます。まるでナイトミュージアム。


「竹虎図」



「樹花鳥獣図屏風」


● ディナー難民

お次に、錦市場を突っ切った先にある讃岐手打ちうどんの英多朗に行きました。
ところが行列ができており、「50分ほどかかります」と言われたので、あきらめました。
うどん屋さんで50分待ちってー!飲みタイムになっているのでしょうか。



さて、それならどの店に行こう。
土曜日の夜なので、町は賑わい混んでいます。



からくり時計が上がっていくところでした。
調べてみたところ、ここは四条堺町通りにある野村証券京都支店。
そのビルにからくり時計が掛かっています。
最後の一瞬しか見られませんでしたが、定刻になると、和のBGMが流れて、祇園祭のシンボル、長刀鉾が登場するのだそう。
2時間おきに見られるそうです。

● 玉さま公演

3人で何を食べようかと考えながら、人混みに揉まれて四条大通りを東へ。



鴨川を渡ったところにある南座では、坂東玉三郎特別公演が開催中。
玉さま~!チケットがあったら、観に行きたーい!

● おかるのうどん

「おかる」といううどんやさんに入りました。
場所柄か、店内には外国人のお客さんもちらほら見かけます。



舞妓さん行きつけのお店だそうで、ずらりと舞妓さんの名前が書かれたうちわが並んでいます。



逆側の壁には、有名人のサインがびっしりと飾られていました。
そのほとんどが芸人さん。
本気か冗談か、ジャルジャルの色紙には「おかるさんへ」ではなく「かおるさんへ。あ、ごめんなさい」と書かれていました。



その中に、ピスタチオのサインを発見。
イトコがファンなので、パチリ。(でもここでは割愛します、笑)

祇園名物、ちーず肉カレーうどん(キツネ入り)をいただきました。
辛口が苦手な私は、外でカレーを食べると、思わぬ辛みの洗礼を受けることがありますが、ここのは出汁がおいしく、濃すぎずマイルドな味で食べやすかったです。



店員さんたちは全員男性で、近くに出前もしていました。
外国人客の「相席じゃなくて2人席がいい」といった注文もちゃんと理解していました。英語理解力ばっちり!

● 夜カフェの巨大スコーン

食後のお茶をしに、再び鴨川を渡って四条通りを西に戻り、ティーハウス リプトンに入りました。
ここはロイヤルミルクティーを日本で初めて提供したサー・トーマス・リプトンのティーハウス。
京都のみ、3店舗しかないようです。東京にはありません。



英国クリームティセットを頼むと、紅茶とスコーンが出てきました。
そのスコーンの大きさにびっくり。
ちょっとこれ、相当巨大じゃない?
イギリスで食べたスコーンも、こんなに大きくなかったけど?



でももちろん嬉しいことです。ほかほかの暖かいスコーンに、この店オリジナルのマスカルポーネとクロテッドクリームを混ぜたクリームとイチゴジャムをつけて、いただきました。
連れは、ケーキも頼みましたが、これでもうおなかいっぱい。



ケーキと比較すると、大きさがわかるでしょう。

10時近くまで夜カフェを楽しんで、宿に戻りました。
部屋のこたつの中で、のんびり温まってから寝に着きました。
明日はもう発表はないので、気楽です。

4日目に続きます。


2019京都の初春 2-2(大原、山科、東山)

2019-05-16 | 近畿(京都・滋賀)
その1からの続きです。

● 春を待つ大原へ

修学院から京都駅方面には戻らず、さらに北の方へ向かうバスに乗りました。
国際会館駅前で、大原行きのバスに乗り換えます。
空には雲がたちこめて、冬に戻ったかのように寒さが増してきています。



大原は、京都中心部以上に寒く、まだ春は遠い感じですが、この辺りののどかな山村田園風景が好き。
ここに来ると、リフレッシュできるのです。



周辺のお寺はすでに参拝済み。
今回は細道をてくてく歩いて、行き先を決めずに散策しました。



自然豊かで、とっても気持ちいい散歩道。
「遠くへ行きたい」の郷愁あふれるテーマソングが頭を流れます。



「乙が森」の木々に囲まれるように、龍王大明神の碑がありました。
ここは大原の大蛇伝説に根差した場所です。

● のどかな山村風景



水が張られた田んぼ。とても静かな光景です。
美しいなあと、立ち止まってしばらく眺めます。



電線が全くありません。この辺の人は、電気はどうしているのかしら。
川べりで、子供たちが遊んでいるのが遠くに見えました。



三千院や寂光院など、お寺のイメージが強い大原ですが、ちゃんと神社もあります。
車通り沿いの小ぢんまりとした梅宮神社を参拝しました。

● 再び山科へ

大原を後にし、バスから地下鉄に乗り換えて、京都駅に出ました。
八条口から、昨日と同じ山科急行便に乗ります。



ふたたび高速道路に乗り、大石神社バス停で降りました。
向かったのは、なかとみ保育園。

昨日探せなかった中臣神社ですが、あとで調べたところ、少し離れた場所にあるようだと判明。
そこで、再訪してみることにしたのです。

● 中臣神社を発見



辺りは観光地色の全くない、普通に人々が暮らす界隈。
周辺住民の方々に怪しまれない程度にうろうろ散策していると、児童公園の片隅に小さな祠の中臣神社を見つけました。
やっぱりあったわ。調べ方が足りなかったようです。
もっと粘り強くいかないとね!



ご祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と天児屋根命(あめのこやねのみこと)。
倉稲魂命は稲荷神で、天児屋根命は中臣氏の祖神です。

小さい祠ながら、山科神社の神輿の「御旅所」になっており、関連性を感じます。
中臣神社と中臣遺跡や藤原氏先祖の古代豪族中臣氏との関係については、まだよくわかっていないそうですが、地元ではこの辺りは「藤原鎌足の没した地」と伝えられているとのことです。

● 扇子・仏具団地

前の日に標識を見かけて(えっ?)と思いました。
扇子・仏具団地ですって。
東京の浅草にも仏壇ストリートはありますが、団地ってすごくないですか?
一大集合地ですね。



近くに清水焼団地もあることですし、この辺りは団地ばっかり?
気になって、歩いてみました。
たしかに、仏具に関連するような会社の看板が通り沿いに続いていました。

「京都伝産仏具工芸協同組合」のサイトに、説明がありました。
約40年前に、優秀な技術者が山科に集まり、佛具団地の歴史が始まったそうです。
木地師、彫師、漆塗師、箔押師、錺金具師、総合組立といった伝統的工芸品の製作を12社で行っており、日本の主な寺院や神社の神佛具はこの団地で造られたと言っても過言ではないのだそう。

● 花山稲荷神社

それから昨日気になりつつも訪れなかった、花山稲荷へ。
少しわかりづらい場所にあり、何回か道を迷いながらたどり着きました。



狛犬と枝垂れ桜。桜が見られてうれしい!
ここだけ一足早く春がやってきたようでした。



「花山神社」が正式名称ですが、「花山稲荷神社」と言われています。
903(延喜3)年に醍醐天皇の勅命により創建され、宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)・神大市比売大神(かむおおいちひめのおおかみ)・大土御祖大神(おおつちのみおやのおおかみ)をお祀りしています。

神社建立前は、ここに弥生時代後期の円墳があったのだそう。
この地は中臣遺跡の北端であるため、円墳は中臣遺跡と関係があるといわれています。
山科に、中臣氏は切っても切り離せない存在なんですね。

ここは「とうらぶ(刀剣乱舞)」ゆかりの神社です。
平安時代中期の代表的な刀工、三条小鍛冶宗近は、ここで一条天皇の宝刀「小狐丸」を鍛え上げたとされています。

● なるほどザ・ワールド鈴

参拝しようとガラガラを鳴らす時、鈴になにか文字が書かれていたので(なんだろう?)と目を凝らしてみました。
「なるほどザ・ワールド」と書かれていました。



なぜ?どうして?びっくり。
番組に登場したとか、なにかつながりがあるんでしょうね。
いきさつをご存知の方は、どうぞ教えてください!



ぐるりと回ると、裏は竹林。
本殿の後ろには、「大石良男公奉納の鳥居」と書かれた木札がかかっていました。



江戸時代には、大石良雄(内蔵助)が山科隠棲時、この神社にたびたび参詣して仇討ち計画の成功を祈願したと伝えられています。

● 粟田神社

前の日に行けなかった二つの神社を参拝できたことに満足して、また京都の中心部に戻りました。
「とうらぶ」つながりで、三条小鍛冶宗近の「三日月宗近」、粟田口藤四郎宗近の「一期一振」のゆかりの地、東山の粟田神社にも行ってみることにします。



長い石段参道を通っていった先に、立派な拝殿がありました。
ご祭神は建速素戔嗚尊(たけはやすさのおのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)で、厄除け・病除けの神と崇敬されている神社。



絵馬には、とうらぶのイラストがずらり。
神社の辺りには、平安時代から室町時代にかけて著名な刀の名工が多く住んでいたそうです。



● 鍛冶神社

帰りがけに、石段下の駐車場内にも末社があることに気づき、参拝しました。
その姿を見た辺りの女子たちがあっという間に駆け寄ってきて、参拝後に振り向いた私の後ろには長い行列ができていました。
その勢いにビックリ。
ここは鍛冶神社。刀の神様天目一箇神(あめのまひとつのかみ)と共に、名刀の匠、三条小鍛冶宗近と粟田口藤四郎宗近が、刀剣の神様として一緒に祀られている、とうらぶで最も大切なところだそうです。



アクセス至便のこの神社には、見るからにファンという感じの、ハートの目をしたうっとり女子がたくさん。
お父さんや彼氏がそれにつきあってあげていて、(優しいなあ)と思います。
ゲームがもととはいえ、刀剣や神社巡りをしている、ヘルシーな趣味ですね!

あとになって、鎌倉在住の知り合いのお姉さまも、とうらぶファンだと判明。
AKBならぬ「AWT48」(AWT=粟田神社!)なるアイドルグループがあることを、教えてもらいました。
うは、すごい。奥深い世界です。
帰ったらいろいろ教えてもらわなくちゃ!

● 最後の白川小学校

神社を出てバス通りに出たところにある、京都市立白川小学校。
貼られていたポスターにふと目をやると、なんと廃校が決まったそうで、「さよならの会」が昨日行われたばかりだとわかりました。
まあ、寂しいわ。京都東山駅のそばなので観光客は増えているはずですが、在住の子供は減っているのでしょうか。



もう子供が通わない学び舎。跡地には、ホテルやミュージアムなどを備えた複合施設ができるそう。
すっかりなくなってしまうんですね。
形が残っているうちにと、記念に一枚撮りました。

● 六孫王神社

そろそろ日が傾いてきました。
京都駅の南側に移動し、東寺そばにある六孫王神社へ向かいます。
駅から近い割にバスの便が悪くて、これまで訪れたことはありませんでした。



「清和源氏発祥の地」といわれ、「源氏三神社」の1つに数えられる由緒ある神社。
「六孫王」と呼ばれた清和天皇の孫が祀られているのが、名前の由来です。



ちなみに、源氏三神社のほかの二つは、多田神社(兵庫県川西市)と壺井八幡宮(大阪府羽曳野市)。
どちらも訪れたことはありません。



境内の神龍池の側には、六孫王(ベイビー清和天皇)の産湯に使ったと云われる、誕生水弁財天社がありました。

● 優しい京都の人

昨日、山科で「ここはバス通りですか?」と女性に尋ねたら、「そう。バス停の場所を教えてあげる」と、大石神社バス停のそばまで一緒に着いてきてくれて、丁寧に乗り方を教えてくれました。
今日、六孫王神社のバス停時刻表と時計を交互に見ていた私に、立って待っていた女性が「もうすぐ来ますよ。ほら」とスマホのアプリ見せてくれました。
今回の京都では、毎日親切な地元の人に助けてもらっています。
京都人は筋金入りのイケズと言われますが、そんなことありませんね。



日が落ちたので、この日の観光はここまで。
寒さが増して凍えてしまう前に帰ります。
京都駅のタワーの明かりを眺めて宿に戻り、こたつにもぐりこみました。

3日目に続きます。


2019京都の初春 2-1(修学院)

2019-05-15 | 近畿(京都・滋賀)

1日目からの続きです。

● 前乗り後降り方式

前日は結構動き回ったため、夜は疲れてぐっすり寝ましたが、2日目も早く目が覚めました。
夕べから吹いていた強風は、朝起きてもまだビュービューとうなり声をあげています。

朝、100系統のバスに乗ろうとしたら、オレンジ色のビブスを着た市バスの人に「前から乗ってね」と言われました。
京都市バスは、後ろから乗って前から降りる方式ですが、一週間前から「前入り後出方式」の導入を始めました。
私が普段使っている横浜市内中心部のバスは前乗り方式。
一律料金なら、そちらの方が断然いいと思います。



ただ導入し始めたのは、いつも混んでいる人気の100系統のバスのみ。
それ以外のバスは、従来通り後ろから乗車します。
乗客の混乱を避けるためですが、前乗りと後乗りの両方の乗り方があるのがややこしい。
走り込んで乗ろうとした外国人が「ノーノー」と係員に止められて、乗車自体を止められたと思ってあきらめて去っていく様子をバスの中から眺めていました。
英語で説明しても、乗車拒否されたのかと焦る人の耳には、届きにくいかもしれません。

● 震える寒さ

東京はぽかぽか陽気ですが、京都はこの日も震えるほどの寒さ。
ダウンを着ている人も多く見かけます。
持ってきた服を着込みましたが、それでも足りないくらいです。



途中で一回バスを乗り換えて、修学院離宮道で降りました。
これから、初めて修学院離宮を見学します。
張り切って1時間も前に到着したものの、20分前にならないと受付が始まらず、中に入れてもらえません。
北風が寒い~。
じっとしていると冷え切ってしまうため、赤山禅院の方まで散策して、時間がくるのを待ちます。



離宮の前には、素晴らしく立派な蔵がありました。
重厚な観音開扉。梅窓がおしゃれ。中に入ってみたーい。

● 修学院離宮

時間になり、ガイドツアーが始まりました。
ガイドの野村さんは、奈良出身の自称ギバちゃん似の男性。
よくとおる大声の関西弁で、少し離れていても説明が聞こえてきます。
毎朝京都御所から自転車で通っているとのことです。


馬車が通れるように広げて両側に松を植えたという道


とても広く、見学ポイントは3つのエリアに分かれています。
私たちの最後尾から、皇室警察官がついてきます。



桂離宮では、茶室の縁側や柱以外のあるものほぼすべて、おさわり禁止でしたが、ここではエリアの境となる門や扉を開け閉めして移動します。
後ろの人のために扉を開けておいてあげる時も、(さわってる...)とちょっとドキドキ。



● 広大な敷地

ここは面積54万平方メートル。
「辺りを見渡す限りの景色は修学院の敷地ですよ。向こうに見えるあの山も」と教えてもらいます。
「一番遠くの山は比叡山なので、さすがに別の管轄ですが」
借景を利用して、さらに広々と見せる効果を出しているそう。



広い~。
でも那須の御用邸はここの20倍あるんだそうな。
もう想像できませんね。上には上があるものです。



日本庭園ランキングで毎年第1位に選ばれる足立美術館も、ほぼ同じ広さだそう。
桂離宮も庭園の評判高い場所ですが、足立美術館には勝てず、万年2位なのだそう。



客殿一ノ間の飾り棚は、大小5枚の棚板が霞がたなびいて見える「霞棚(かすみだな)」。
桂離宮の桂棚、醍醐寺三宝院の醍醐棚とともに「天下三棚」の一つとして知られています。

● 桂離宮との違い

ここは後水尾上皇が(桂離宮のような別荘を自分も持ちたい)と願って作ったもの。
桂の8倍の広さを持つのは、うらやましかったから?

小堀遠州がデザインしましたが、斬新すぎていまいち気に入らず、結局上皇自らが作り直したとか。
かなりの凝り性ですね。
造園状況が気になってたまらない上皇は、休みの日も女装までして庭の様子を見に来たんだそう。
天下の上皇がそこまで・・・。すごすぎる・・・。
変装してもバレバレだったため、作業員は手を抜けないと思ったのか、5年という異例の速さで完成したそうです。



桂離宮の庭園は細かく計算されて作られた緻密なもので、ファンも多いそうですが、修学院は自然をベースに作られており、かなりタイプが違います。
また桂離宮には宿泊施設がありますが、修学院にはなく、日帰り用の施設なんだとのこと。
大変ここが気に入っていた上皇は、年に数回は滞在し、40回近く訪れた時もあったそうです。


階段の先には行けません



進入禁止の石が置いてあります


敷地内に田圃があり、耕す人の姿が見えました。
8万平米の田畑を、近所の農家の人20名に貸して耕してもらっているそうです。



地名について教えてもらいました。
勉学にいそしむようなイメージの「修学院」ですが、元々修学寺(しゅがくじ)というお寺があり、それが地名になったそうです。

● かずかずの雑学

いろいろな雑学も教えてもらいました。
菊の御紋を使えるのは、天皇のみですが、桐の御紋の使用規制はないのだそう。



「みなさん、輿(こし)と籠(かご)の違いって言えますか?」
うーん、なんでしょう?
「輿は上に乗るもので、天皇の乗り物。籠は下にぶら下げるもので、将軍以下武士の乗り物です」
なるほど、そうなんですね。



ここには日々山に生息する様々な自然動物がやってきて、動物園状態なんだとか。
敷地内にはあせび(馬酔木)がたくさんありますが、鹿が食べないので繁殖しているそうです。

● 美女の話

ガイドさんが、宮内庁施設に訪れた大勢の見学者の中でも印象に残っている、美しい女性の話をしてくれました。

茶室

まずは女優の夏目雅子。
本名で申し込まれ、肩書を聞いたところ「舞台女優」と答えられたそうです。
「ここに座って、池を眺めていたら、風が吹いて、彼女の髪を揺らしていきました」
映画のワンシーンのようだったことでしょう。



チャールズ皇太子とダイアナ妃が皇太子に案内されて見えたこともあるそうです。
小さなあずまやにダイアナ妃の帽子が当たって日差しが落ちた瞬間、一斉にマスコミがパシャパシャとシャッターを押したそう。
「もちろん、そうした写真はお蔵入りになりますけどね」



● 龍が泳ぐ池

一番絵になる場所は、やはり池のあたり。
浴龍池といって、龍が泳ぐ様を模しているのだとか。
池の中の小島には茶室もあります。







1時間45分 たっぷり説明してもらい、いい時間を過ごせました。
桂離宮を見学した時には、前後にほかの見学グループが見えましたが、ここは全く見えません。
きっと違うエリアに行っているのでしょう。



● 鷺の森神社

その後、道を教えてもらって鷺の森神社へ向かいました。



「お旅所」になら何カ所か訪れる機会がありましたが、なかなか参拝できずにいた場所。
高い樹々の林の中にある、静かな神社でした。



そのまま林を抜けていったら、くねくね道になり、方角がわからなくなってしまいました。
困って、近くの家の前にいた人に尋ねて、バス通りへの行き方を教えてもらいました。
京都の人はイケズだと聞いていますが、右も左もわからなくなった私にとても親切でした。

その2に続きます。