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風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

初夏の九州・南に北に1-2(宮崎)

2019-09-11 | 九州

その1からの続きです。

● 鵜戸神宮へ

この日の東京は朝から大降りの雨。
羽田空港に着いた時には傘はずぶぬれになっていましたが、宮崎に来てから急速に乾いています。
そもそも、こちらのみなさんがさしているのは日傘。
ピーカンの下で雨滴がしたたる傘を持つ私は、突然どこかから時空を超えてきた異星人のようです。

バスは堀切峠を越え、サンメッセを抜けました。
鵜戸神宮で途中下車します。
前々から、ここに参拝したかったんですよね~。

最寄りのバス停についてから本宮までは、山をひとつ越えていく、かなり大変な道のり。
階段を上って鵜戸岬隧道を通り、八丁坂を下っていきます。


茅野輪があったので、ぐるぐる周ってお参りします。
海からの強い風にあおられ、眼下の岩には荒波が打ち付けます。



太平海の荒波が打ち付ける岩壁の上に建つ神宮。
こんなに海際に立っている神社も、ダイナミックで珍しいですね。
朱塗りの橋の欄干から、広々とした太平洋を見渡せます。

 

● 洞窟の中の本殿

本宮入口に着いてからも長い参道が続き、かなり歩いた末に、本殿にたどり着きました。
海辺の崖にできた狭い洞窟の中に、こっそり隠れるかのようにありました。


薄暗い中、周りをぐるりと一周します。
頑丈な岩に守られているので、保存状態もよく色彩鮮やか。
全面に立派な彫刻が施されています。 

● 運玉投げ

洞窟内の本殿だけでなく、海に面した亀石そばのお社も鮮やかな朱色。
潮風や波による色落ちが早い場所で、この美しい色を保つのは大変だろうと思います。


霊石の亀石に向かって、大勢の人たちがワイワイと運玉を投げています。
場内ピッチャーが多すぎだし、一人旅だし、なにより球技がすこぶる下手な私は、静かに見学に徹します。
亀石の背中の桝形の窪みはとても小さく、そこめがけて運玉を投げるなんてどだい無理そうでしたが、皆さんかなりの確率で、入れていました。
すごいわ!さすがはプロ野球チームのキャンプ地!(関係ないか)


うねるように押し寄せてくる荒波が、お宮前の岸壁に当たり、しぶきが辺りに飛び散ります。
ごうごうとした海の音と強風にあおられ、(長居は危険)という警報が心の中に鳴り響きます。
脚を踏ん張って海を眺めるだけでも、激しい自然を前に、ドキドキが止まりません。


いつか言ってみたいセリフ:「ご武運を」

● ウとウトウ

鵜戸(うと)神宮の名前に、青森にある善知鳥(うとう)神社を思い出します。
ウもウトウも、どちらも海鳥ですし、響きが似ているので。


鵜戸神宮は、聞きしに勝るすばらしい場所でした。
青島神社も、鵜戸神宮も、かなり危険と隣り合わせの、ワイルドな自然の中にあります。
さすがは神話のふるさと、宮崎県の聖地は、シチュエーションがダイナミックですね~。

韓国・中国の人たちが大勢参拝に来ており、日本人よりも多いようでした。
にぎやかな団体行動なので、そう感じたのかもしれませんが。

● 日南市のマンホール

メジロと梅の花がデザインされた、きれいなマンホール。
これは2009年に合併された新・日南市の鳥がメジロだからだそう。

 

旧・日南市の市の鳥はカワセミで、市の合併に伴ってマンホールの鳥が変わったことになります。
新・日南市となった旧・北郷町町の鳥がメジロで、そのまま市の鳥に格上げになったようです。

メジロとカワセミ、どちらのマンホールもあったら、道を歩くのが楽しくなりそうですが、行政上はそういうわけにもいかないんでしょうね。
カワセミバージョンは、どんどん減っていき、もうなくなっているかもしれません。
市町村合併があると、マンホール好きは生き急がなくてはならないのです・・・!

● 九州の小京都、飫肥

ここから再びバスに乗り、日南海岸沿いにさらに南下します。
海岸沿いのカーブ道をバスは結構なスピードで走り続け、荒々しい波をずっと眺めていきます。

次は終点まで乗っていきました。
降りたのは、飫肥。・・・読めませんね。オビです。


ここは藤原氏南家の子孫、飫肥藩・伊東氏の5万1千石の城下町として栄えた町。
武家屋敷を象徴する門構え、風情ある石垣、漆喰塀が残る町並みは、昭和52年に重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。


城跡を訪ね、武家屋敷を巡ります。
昔ながらの町並みが残されていて、時が止まったままのようないい雰囲気。
その美しさから、「九州の小京都」と呼ばれています。


朝ドラ「わかば」(2004年)の舞台にもなったそう。

● かつおめし

気がつけば3時になっていたので、飫肥天で知られる「蔵」でランチにしました。


飫肥の名物、おび天と宮崎の郷土料理、かつおめし。
カツオのお刺身茶漬けにゴマと海苔をまぶした、素朴な味です。

● 鯉と城下町

食後、はらごなしにまた町を散策。
遊泳地には、鯉が泳いでいました。
鯉が泳ぐ城下町を散策した場所は、島根の津和野、長崎の島原、そしてここ飫肥になります。
忘れている場所はなかったかな?とネット検索しましたが、ほかの場所はヒットしません。
ということは、もしかするとこの三カ所だけなのでしょうか。なんだか貴重な気がしてきました。

「鯉と城下町」という言葉から「恋とマシンガン」の歌を思い出して、LaLaLa~♪と口ずさみました。
フリッパーズ・ギター、なつかしい!


予定より1時間遅れのバスに乗ってきたため、ここの観光を1時間減らして、帳尻を合わせます。
ゆっくり過ごしたいすてきな場所なので、後ろ髪を引かれる思いですが、
4時発の宮崎駅行きの最終バスに、どうしても乗らなくてはいけないのです。



● 木のバス停

ところが、帰りのバス停が見つからずに、車通りをうろうろ。
どっちに行けばバス停があるのか、わかりません。
刻々とバスの時間は近づいてきています。
乗れなかったら、どうしよう・・・!

地元の人に聞きたくても、通りには誰も歩いていません。
困って、間口の狭い洋菓子屋さんに飛び込み、「すみませ~ん」と奥に声をかけて、たずねました。
「普通のバス停よりも背が低くて、木でできているから、見落とさないでね」
と三角巾姿のおばさんに教えてもらいます。


今度こそ見つけなくちゃと、目を皿のようにして探していくと、それらしいものがありました。
探し求めていたバス停です。ああよかった。
たしかにうっかり通り過ぎてしまいそうなほど、目立たちません。

通りの向こうからバスがやってきます。それになんとか間に合いました。

● 二つの駅


渋いJR日南線の日南駅の駅舎。駅前に銅像が立っていました。
服装から、伴天連さんかと思ったら、遣欧天正少年使節の伊東マンショでした。
彼の名前は伊東さん・・・そう、飫肥藩の日向伊東氏一族だったんですね。

次に、真っ赤な駅舎の前を通ります。
ここはJR日南線の油津(あぶらつ)駅。


駅名よりも大きく書かれたCarpの文字。壁にはカープ君も描かれています。
カープの赤が駅舎の色になっているんですね。
日南市は広島カープのキャンプ地。
「キャンプ地最寄りの油津駅を日本一のカープ駅にしたい!」という地元カープファンの夢を、JR九州が実現したそうです。

● 波乗りサーファー

終バスなのにしばらく私一人の貸し切り状態でしたが、鵜戸神宮前からは満員バスになりました。
あいかわらず波は高く、行きにはいなかったサーファーの姿もちらほら見るようになりました。


黒い点がサーファーです。今日の波の荒さは特別かも。

 
まるでイメージ画像。日南海岸は、絵になりますね~。

普段見慣れた横浜や湘南の海とはまた違う、宮崎の海。
もっとワイルドで荒々しい感じがします。
この辺に住んでいたら、サーフィンをやりたかったなあと思います。
湘南はサーファー人口が高いし、ファッション化されているし、人の目も現地ルールもありそうですが、こちらではそういうことは気にせず、のびのびやれそうなので。


● 平和台公園

宮崎空港でバスを降り、ここから路線バスに乗り換えます。
橘通り二丁目で乗り換えて、終点の平和台で降りました。
ここにある巨大な石の塔を、見たいと思ったのです。

1940年の建造当時は日本一の高さだったという、37メートルの塔。
見ようによっては蟻塚に見えなくもありませんが(!)、塔の四方に4人の巨人の像が立ち、各方角を守っています。
「勇」「親」「愛」「智」の四魂を表している、4.5mの像だそう。


塔には『八紘一宇』と書かれています。
日本書紀に見られる世界平和を意味する造語ですが、当時は大東亜共栄圏のための戦争スローガンとして使われた言葉でした。
第二次世界大戦終了後、GHQは八紘一宇の碑文と塔の像を撤去したそうです。
今はどちらも変換されて「平和の塔」として静かに存在しています。

平和の塔というにはかなり厳めしい武骨な形ですが、歴史(戦争)遺産として重要な建築物です。
謎めいた巨大な遺跡は、メキシコのピラミッドのようでもあります。


塔から宮崎市街を眺めると、地球が丸く見えました。

● はにわの森

公園の奥には、はにわの森がありました。
辺りに点在する無数のはにわたちは、400体くらいいるそうです。


ユーモラスなはにわがたくさんいるエリア。
ファンシーですが、夕暮れ時に彼らと向き合うのは、ちょっとこわいです。

 
少しずつ光が陰っていく、うっそうとした森の中。
「こっちだよ」と彼らに引っ張られたら、このまま人間の世界に戻れなくなりそう。


同じ形のものが集まって、ゲシュタルト崩壊しているところもありました。
(だるまさんが転んだをしているみたい)と思って彼らを見ると、みんな同じ格好をしたまま、ピクリとも動きません。
なんだかゾ~ッとしました。
かといって、彼らがガサガサと動いたら、もっと怖かったはずですが!

先ほどの塔の広場まで、ほんの数十メートルしか離れていないのに、ここは私と埴輪たちしかいない異世界。
(暗くなる前にこの森から出よう)と、早足で人のいる方に戻りました。

● すみません、回送中です

公園発のバスに乗ったのは、中国人の観光客と私の3人だけ。
町の中心部で乗り換えます。


走ってきた回送中のバスには「すみません、回送中です」との表示が出ていました。
これまで「回送中」の3文字しか見たことがありませんでしたが、謝ってくれてる!
優しいですね。宮崎の人のイメージが高まります。

● ボンベルタ

町の中心部の道路はとても混雑していました。
「ボンベルタ」というバス停の響きがとても引っ掛かります。
(猪木ボンバイエみたい)と愉快な気分になりました。
ここでほとんどの乗客が降りたので、町の中心地なのでしょうか。
周りの建物を見ても、ボンベルタなる店名は見つけられませんでした。


後で調べたら、「ボンベルタ橘」という百貨店がある場所だそうです。

● フェニックス号

日暮れ近くなってきました。観光できない夜の間に長距離移動をしようと、宮交シティから19時発の福岡行きフェニックス号に乗りました。
ここでいうフェニックスとは、不死鳥のことではなく、ヤシの木のことですね。もうわかりますよ。


宮崎駅、夜空に浮かび上がる満月とフェニックス。

バスに揺られて4時間半。眠っているうちに23時半に博多に到着し、寝ぼけまなこで駅前のホテルにチェックイン。
一日バスに揺られて、GWの神奈中バスの日々を思い出した一日になりました。

2日目に続きます。

◆ 初夏の九州・南に北に index ◆

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初夏の九州・南に北に1-1(宮崎)

2019-09-10 | 九州

● prologue

瀬戸内旅行から2週間後、再び旅に出ることにしました。
ふたたびJALから「マイルの期限が近づいています」というメッセージが届いたのです。

現在の手持ちは6007マイル。
「どこかにマイル」は6000マイル必要なので、ぎりぎりもう一度トライできます。
もうこれはやるしかないでしょう!と、再挑戦することにしました。

今回の候補地は、三沢(青森)、長崎、宮崎、那覇。
私にとっては、どこでもいいなあと思います。
前回は、4つの都市のうち一番距離が近い岡山に決まったので、今回もきっと、最短の三沢になるんだろうと思っていました。

フライト時期は、7月末まで選べますが、申し込める最短の週末を選びました。
すると、フライト先の決定に通常3日かかるところが、翌日結果通知が届きました。

● 行き先決定

行き先は、宮崎でした。
(あれ、三沢じゃないの?)と思いましたが、それは私が勝手に予想していただけで、最短都市になると決まっているわけではありません。

宮崎は、前に一度、バスツアーで訪れたきり。
新幹線も通らない、ちょっと行きにくい場所にあります。
一度しか行ったことがない南九州への旅。これはいい機会をもらいました。

出発までそれほど日がないため、さっそく旅のプランを練ります。
宮崎といったら高千穂峡かなと、アクセスを調べましたが、宮崎市内からはかなり遠いとわかりました。
北部の延岡が最寄都市。むしろ熊本市から行く方が近そうです。
そして、宮崎駅から延岡経由で行くのは、けっこう時間がかかることがわかりました。
雨が強いと、高千穂峡のボートも出ず、あの透明な水も見られなくなります。
高千穂循環バスはハイシーズンのみの運行で、今は出ておらず、公共手段で行くのは相当大変なことがわかりました。
前はツアーバスでスイスイ連れて行ってもらったので、まったく大変さがわかりませんでしたが、どうやら車でないと難しそうです。

高千穂は以前訪れたことがあるので、今回は無理に行かないことにしました。
それよりも、日南の方に行ってみましょう。まだ行ったことがない鵜戸神社や飫肥(おび)が、気になります。

● SUNQパス

調べていくうちに、九州内のバスが乗り放題になる「SUNQ(サンキュー)パス」があるとわかりました。
学生時代、ユーレイルユースパスでヨーロッパを巡ったことを思い出します。
また、今回のGWに神奈中フリーパスを使い倒したことも。
じゃあ、これを使ってみましょう。
長距離バスだと、別の県も行くことも可能になります。

さて、気になるのは天気です。
6月の梅雨のハイシーズンなので、滞在中ずっと大雨が降る可能性もあります。
しかも九州は、国内でも台風の規模が巨大な場所。
天気予報は毎日めまぐるしく変わっていきますが、予報をみる限りは雨は大丈夫そうです。ラッキー!

● 当日の空港にて

当日は、6時に出発。
朝から本格的に雨が降っています。関東は一日降り続くそう。
リムジンバスで羽田空港に向かうと、保安検査所には長い列ができていました。

フライト30分前とまだ時間があるので、焦らず列に並びますが、電光板の8時発のところには、帯広行きと青森行きの表示しかないのが気になるところ。
(宮崎行きも飛ぶのよね?)と何度も自分の券を見直します。うん、確かに今日だわ。

列はなかなか進まず、そのうちに「7時50分発のフライトの方はこちらの優先コースに」という声がかかります。
それでもまだ中に入れません。こんなに動かないなんて。
とうとう「8時発のフライトの方は優先コースに」と声がかかりました。

(30分前から並んでもこうなっちゃうの?)と驚きながら、優先ラインに移動します。
グランドスタッフさんにチケットを渡すと「宮崎便は連絡バスになったので、ご案内します」と早口に言われて、ついて行きました。
電光板に表示されていないわけを聞くと、連絡バスになったので、搭乗時間が早まったんだとか。
質問と答えが合っていない気がしますが、お互い小走りしながらの会話なので、まあ仕方がありません。

● 空港内を走る

歩いていると「宮崎行きの方、あと11名お待ちしております」と放送がかかります。
とほほ、私はこの中に入ってしまったのかしら。
ゲートの前までつれてきてもらい、そこを抜けると連絡バスが待っていした。
中には、20人近くの人が乗っていました。
あれ、数が合わないわ。11人って何の数だったの?
さらに2、3人がやってくるのを待ち、バスは出発。
この旅客ターミナルと航空機の間を行き来するバスは、ランプバスというそうですね。初めて知りました。

● 積み荷問題

雨に濡れながらタラップを上がり、飛行機の中に入ります。
まだ8時前なので、予定通りのフライト時間になりそうでしたが、全員が着席してからも、飛行機が離陸する様子はありません。
「荷物を積むのに手間取っている」と放送がかかり、結局予定時間よりも35分遅れての出発となりまました。

前に航空貨物会社の人の本を読んだことがあります。
航空機のバランスを調整するため、積み荷の計算をする仕事で、力士のような重量のある人たちが団体で乗り込んだりすると、計算し直しになるんだとか。
力士っぽい人たちは見なかったけどなあ。

今回は、直前のフライト予約になったので、三列シートの真ん中の席しか空いていませんでしたが、両側は細身の人たちだったので問題なし。
息苦しさは感じませんでした。

● 宮崎ブーゲンビリア空港

遠いイメージの九州ですが、1時間半乗っていると着くんですね。
東京は朝からジメジメとした雨が降っていましたが、宮崎に着いたら、明るい空になっていました。
わあ、きれいに晴れ上がってる。



こちらも雨が降っていたようですが、もう道路はすっかり乾いています。
宮崎ブーゲンビリア空港。スゴイ名前ですが、ちゃんとブーゲンビリアが咲いています。



インディアン、嘘つかなーい。ブーゲンビリアも、嘘つかなーい。
一気に南国にきたなあという感じ。

空港スタッフもみんな南国仕様のアロハな制服。
トイレの男女の絵は、ハワイアンでいい感じです。


成田や羽田のトイレ表示も、舞妓さんと侍みたいな絵にすれば、外国人にウケるんじゃないかしら。

● サンキューパス

ここでサンキューパスをゲット。
これがあれば、これからの3日間、九州全土の公共交通機関がほぼ乗りこなせることになります。
強力な旅の助っ人がつきました。


さっそく青島に向かいたいところですが、フライト到着が遅れたため、乗りたい便はもう行ってしまっていました。
時刻表を見ると、次の便は1時間半後。けっこうありますね。
その間じっと空港で待つのも退屈だし、町を走る青島行きバスに乗ると、予定より1時間遅れで行けます。
少しは時間を挽回できるので、いったん繁華街に出て青島行きのバスに乗りました。
パスがあると、こういった変更が気軽にできるのがいいところ。

● 2つのスタジアム

バスの前からも後ろからも、外国語が聞こえてきます。
外国人乗客がずいぶん多いようです。

アナウンスも、日本語に続き英・韓・中と4カ国語流れて、インターナショナル。
韓国や中国に近い九州は、アジアからの観光客が多いんですよね。

川向こうに球場が見えてきました。
サンマリンスタジアムです。



その近くにある、白い木の花ドーム。
カブトムシの幼虫チョコレートを思い出します。(なぜかチョコの方)



どちらも名前の始めに「KIRISHIMA」とつくのが正式名称。
霧島酒造がネーミングライツを持っているからだそうです。

● 日本のチンタオ

バスに乗ると、外国人が多いことに気づきます。
前も後ろも外国人。
アナウンスも、日本語に続いて英韓中と4カ国語流れてインターナショナル。
九州は韓国や中国に近いので、アジアからの観光客が多いんですよね。

青島に近づいたとき、中国語で「チンタオ~!」とアナウンスされました。
チンタオビール、中華街でよく見かけます。

● ボタニックガーデン

バス通りから青島まで続く商店街参道に気づかず、隣のボタニックガーデンの中に入っていきました。
南国の花々が咲いてきれい。

 
美しいアガパンサスの群生


マンホールは、宮崎市の花「ハナショウブ」のデザイン。
ここはブーゲンビリアじゃないんですね。

 

● 幸せの黄色いポスト

島に渡るところには、幸せの黄色いポストがありました。
ここ青島は、山幸彦と豊玉姫が恋文を交わした、ラブレターの始まりの地とされているんだそう。
黄色くても、郵便屋さんがちゃんと集配に来るそうです。



若山牧水の歌碑もありました。


「檳瑯樹(びろうじゅ)の古樹(ふるき)を想へ
その葉陰 海見て石に似る男をも」

熱帯樹林と鬼の洗濯岩を歌っているのかなあと思いましたが、なかなかどうして、熱烈な愛の歌でした。

 

かつての青島は神域とされ、神官など限られた人しか渡ることは許されていませんでした。
人々は、陸側から島に向かって祈りをささげたそうです。


● 鬼の洗濯岩

雨が上がったばかりだからか、風が強くて、足元からあおられます。
帽子は飛ばされる前に、バッグにしまい込みます。
ごうごうと高い波が、しぶきを上げて岸に打ち付けられます。


鬼の洗濯岩は、相変わらず広々として、端まで行くのも大変。
洗いがいがありそうです。


こういった岩がずっと並んでいるのが、鬼の洗濯岩。
長い年月をかけて海底が隆起し、砂岩と泥岩が積み重なってできた砂岩泥岩互層です。


正式名称は「青島の隆起海床と奇形波蝕痕」。
天然記念物として登録されている、よそでは見ない独特の波状岩地質になっています。

 ● 青島神社

以前にも訪れたことがある青島。
島全体が聖域となっている緑深い南国の神社の印象は強く、いつか再訪したいと思っていました。


青島に渡り、ジャングルのような鬱蒼とした神社の境内に入りました。
現実感が薄れる、独特の雰囲気に包まれた場所です。


深い緑に囲まれた中に、ひっそりと神社が鎮座しています。
ここには「海幸彦山幸彦」伝説の彦火火出見命(山幸彦の方)とその妃神の豊玉姫命が祀られています。


黄色いパチンコ台のようなものを見つけました。
ピンボールかなと思ったら、これはれっきとしたおみくじ。
御魂神事です。どうやるのかしら?
自分と共鳴した運魂を投げて、運魂を占うそうですが・・・はてさて??


前に訪れた時に拝受されたしあわせお守りが、今もちゃんとありました。


青島にいる間に正午の12時になり、町の放送が流れました。
ただ、そのメロディが「エーデルワイス」だったことに、なんだか違和感を感じます。
だってここ、まったく、かけらもスイスっぽくないんですもの。

南国っぽく「レロンレロンシンタ」とかを流してほしいわ~。
♪ パパイヤの木が 風に揺れて おいでおいで~ ♪
そうそう、そんな感じ。


● 荷台付きバス

ふたたびバスに乗ると、今度のバスは空いていました。
青島で、入れ替わりに大勢の観光客が降りていったためでしょうか。
バスの中では、大きな荷物置き場が幅を利かせています。
渋滞ラッシュが起こる都心のバスでは考えられない、大胆なスペースの使い方。
おそらく、大きなトランクを持った観光客が多いからでしょう。



バスは海岸線沿いに走ります。
多少雲が厚めですが、時折青空が顔をのぞかせます。


● 堀切峠

バスは坂をどんどん上っていき、見晴らしがよい場所までやってきました。
日南海岸の絶景が一望できる、堀切峠です。

宮崎県の木は、このフェニックス。

 

青島だけでなく、ところどころに鬼の洗濯岩っぽい場所が見えます。
ところで鬼は、洗った服をどこに乾かすんでしょう?
ワイルドに、そのまま着ちゃうのかな?


こちらのアジサイは色鮮やかできれいなですね。
梅雨の季節の旅行は、雨が降らないかと心配ですが、6月にはあちこちで大輪のアジサイが歓迎してくれるのがうれしいところです。


その2に続きます。

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がんばれ熊本・5か月後の町 index

2017-04-13 | 九州
[2016.9.3-6]

◆ 熊本 1-1 ←旅行記へ
 9月に震災後の熊本の友人を訪れた時の話です。
 まだ地震の爪痕が深く残る町。崩れ落ちたお城の石垣に心が痛みます。
 それでも再興に向けて人々は動いており、青森からは復興ねぶた、千葉からはふなっしーが応援に来ていました。
  ● prologue ● テイクオフ ● まずはいきなり団子
  ● さっちゃん宅 ● 嵐の前の外出 ● 崩れた石垣
  ● ふなっしーのエール ● 熊本でねぶた ● 加藤神社へ ● 陣太鼓ソフト 



◆ 熊本 1-2
 お城のそばに、タヌキの像がたくさんある一角がありました。
 「あんたがたどこさ」の歌の舞台なんですね。
 日が落ちてからの復興ねぶたの運行に、地元の人たちも私も大興奮。
 おいしい太平燕を食べて、一日目が終わりました。
  ● タヌキだらけ ● 熊本の武蔵 ● 洗馬橋停留場
  ● 長崎次郎書店 ● こわれた石橋、蛇口から湧き水 ● ふたたび城内へ
  ● 夜の復興ねぶた運行 ● ハーメルンの笛吹きのよう ●  紅蘭亭の太平燕
  ● 金龍堂のカッパ像 ● がまだすばい!



◆ 熊本 2
 この日は台風が熊本を直撃するということで、外出せずに一日家の中で過ごしました。
 それでもやることは盛りだくさん。スピッツのDVD鑑賞に、さっちゃんのおもしろコレクション鑑賞、そしてたくさんのお喋り。
 気がつくと夜になっており、台風は長崎に上陸していました。
  ● 台風接近中 ● スピッツ強化合宿・第2弾 ● いきなり団子
  ● あやしい日本語グッズ ● マツケングッズ ● 直撃回避



◆ 熊本 3-1
 台風から免れた翌日は、からりと晴れた上天気。
 鉄砲小路の緑の生け垣を通って、読めない名前の古い神社を参拝します。
 地震直後に無くなった水前寺公園の池の水が、無事に戻っていました。
  ● 台風一過 ● あとぜき願い ● 階段だけど県道
  ● 無人の原水駅 ● 緑の鉄砲小路 ● 蘇古鶴神社
  ● ゆるい狛犬、こわい門番 ● すだれがけのトラック ● 飛んでゆけ、のぼり
  ● カフェランチ ● いきなり団子の店だらけ ● 水前寺成趣園
  ● 戻ってきた湧き水 ● 武士とくまモン ● 出水は泉 ● そこそこ幸せ


◆ 熊本 3-2
 市電に乗って、清正公を祀るお寺へ行きました。
 立派な長い参道の、おびただしい数の石灯籠が崩れ落ちており、胸が痛みます。
 本堂裏の山にも登り、清正公像と一緒に、市外を見下ろしました。
  ● くまもと「水」検定 ● 熊本の市電 ● 巨大な白楼門 
  ● 参道を歩く ● 痛ましい石灯篭 ● 日参50年記念 
  ● モンスターとのご縁 ● お馬さんの堂 ● お猿さんの堂 
  ● ネバーエンディング石段 ● 市内を見守る清正像 ● 市内一望 
  ● 帰りもつらい ● 昭和なサーティーワン ● あるじの帰還 


◆ 熊本 4-1
 最終日は、福岡との県境にある三池炭鉱・万田坑へ。
 前年に世界文化遺産に登録されたところです。
 日本の産業は、ここで採れた石炭パワーで急発展したんだなあと、明治期に思いを馳せました。
  ● モーニングコーヒー ● 阿蘇か万田坑 ● 三池炭鉱 万田坑【世界遺産】
  ● 2度のガイドツアー ● 山の神だのみ ● 第二堅坑坑口(国重要文化財)
  ● 巻揚機室 ● デビーポンプ ● 三池港・旧長崎税関【世界遺産】
  ● 国内唯一の閘門港 ● 石炭産業科学館 ● 団琢磨と三池港



◆ 熊本 4-2
 三池炭坑見学は続きます。別の坑口にも行きました。
 「月が出た出た」ゆかりの煙突は、ほんとに月まで届きそう。
 自然豊かな熊本の復興を、心から願うばかりです。
  ● 月と煙突 ● 坑内マシン ● 三池炭坑・宮原坑【世界遺産】
  ● 炭都アイス ● 大牟田から熊本空港へ ● 熊本で博多ラーメン
  ● スコールか狐の嫁入り ● epilogue




がんばれ熊本・5か月後の町 4-2(Last)

2017-04-13 | 九州
その1からの続きです。

● 月と煙突

三池港から内陸に入り「月が出た出た~♪の煙突も見なくちゃね」と、モデルとされる煙突を見に行きました。
盆踊りで流れる歌だという認識しかありませんでしたが、タイトルは「炭坑節」。
三池炭坑のことを歌った民謡だったんですね。

 月が出た出た 月が出た(ヨイヨイ)
 三池炭坑の 上に出た
 あまり煙突が 高いので
 さぞやお月さん けむたかろ(サノヨイヨイ)

出だししか歌詞を知りませんでしたが、ちゃんと「三池炭坑」って歌詞にも出てきました。
「高校の文化祭の時にみんなで炭坑節を踊ったじゃない」と同窓のさっちゃん。うーん、覚えてない~。



ここは「宮浦石炭記念公園」として整備された「三池炭鉱宮浦坑跡」。
ここも宮浦鉱という炭鉱だったのです。
遠くからも目立つ高さ31.2mの煙突。明治21年建造の立派な煉瓦作りです。



● 坑内マシン

一見普通の公園のようですが、近づいてみると、見慣れない大きな機械が置かれています。坑内で使われたもののよう。
辺りは無人ですが、外に置きっぱなしでも、いたずらされないんですね。
治安がいいのはいいことです。



斜坑坑口には炭鉱へと続くレールが保存されており、その上に滑車が置かれていました。
斜坑人車というドアなしオープンケーブルカーのような乗り物に、乗ってみましたよ。



私が座ったのは、車掌席です。ピー!出発進行!



「炭坑節」といい、初日の「あんたがたどこさ」といい、熊本に来てから懐かしい歌リバイバル。
「あんたがたどこさって民謡じゃないね」「なんの歌だっけ?」と3人で考えて、手まり歌だと思い出しました。

● 三池炭坑・宮原坑【世界遺産】

万田坑・三池港・石炭産業科学館・宮浦鉱と見てきましたが、まだ三池炭坑巡りは終わりません。どれだけ回るんでしょう。
今度は、最初の万田坑から見えた宮原坑へ行きました。
あれ、今訪れたばかりの煙突の公園は?
あれは宮浦坑。こちらは宮原坑。ちょっと紛らわしいです。



これなんだと思います?
旧炭鉱専用鉄道を模したトイレなんです。一見それとわからないアートな造りがいいですね。

こちらの炭坑は、広々とした万田坑と違い、ふつうの人家の中にありました。
近所の人たちは、そばにある寂れた廃屋が世界遺産に選ばれ、一気に観光客が増えたので、驚いていることでしょう。



まださっちゃんの具合は思わしくなく、今回も車内でお休み。
ヒロポンと私で、またガイドツアーに参加しました。今回はほかにおらず、2人のみ。
ここではガイドを申し込むと、タブレット端末を借してもらい、ガイドの解説を聞きながら、映像を見られるようになっています。かつての写真が360度のパノラマで再現されていたので、目の前の光景がいまのものでも往時の様子がわかります。
汽車の汽笛や滑車の音なども再現されていました。
便利でわかりやすーい。4か国語に対応するそうで、海外からの人にも使えます。
こういったガイド方式が、これから主流になるのかもしれません。

第一竪抗はもうなく、現存するのは第二竪抗のみ。
三井三池炭鉱の遺構の中で、この宮原抗第二竪抗櫓と捲揚機室が、万田抗と共に国指定重要文化財に指定されています。



万田坑は274mの深さがありますが、ここは160m。
ここも万田坑同様に地下水問題があり、当時世界最大の排水力を持っていたデビーポンプで汲み上げたそうです。

第二竪坑の櫓は高さ22m。



横には万田抗跡まで続く炭坑列車、三池鉄道が走っていた廃線の跡がありました。

テントの下にランドセルが固まっておかれていました。
賑やかな声が聞こえ、小学生たちがスケッチに来ているようです。水色ランドセルが人気なのね。



ここは近くの収容所の囚人や中国人捕虜も働かせて「修羅坑」としておそれられたのだそう。よっぽどきつい労働だったのでしょう。

● 炭都アイス

ガイドさんに熱心に教えてもらい、ツアーはとてもためになりましたが、外で解説を聞いていたので、暑さにちょっとフラフラ。
さっちゃんに次いで、具合が悪くなりそう。
血糖値が下がっているかもしれないと、ガイド終了後、日陰で涼みながらアイスを食べることにしました。



売られていたのは炭都アイス。タント?
初めて見る名前に注目していると、売り子のおじさんが「おいしいですよ」と勧めてくれました。
ここオリジナルの「MIIKE COAL MINE」Tシャツがいいですね。



ここだけにあるアイス。多分このチョコが炭がわりね。
なめらか~で、クリーミー。
宮原抗櫓を眺めながら食べる炭都アイスは、格別でした。



アイス売りのおじさんに「どこから来たの?」と聞かれたヒロポン、「うちは熊本だけれど友人は横浜から」と答えると「まあ・・・そんな遠くから・・・!」と、スタッフ一同感激してくれました。
世界遺産に登録されて日が浅いためか、まだ遠くからの観光客は少ないのでしょうか。
そのうち、世界中から人がやって来ますよ~。

小学生たちがスケッチを終えて帰っていき、ランドセルはきれいになくなりました。



この日は平日ということもあり、ほかに観光客はいません。
小学生たちが帰ると途端にがらんと広く感じます。
アイスをなめながら、スタッフの方とお喋りしました。
「世界遺産に認定されたばかりの炭坑が、地震で倒壊しなくてよかった」と話すと、「この辺りはそれほど揺れなかった」との話。
ヒロポンが「自分たちのところは震度6で、かなり大きな被害を受けた」と話すと、「まあ、大変だったのね」とスタッフ一同で同情してくれます。
帰りがけにアイスおじさんが袋をとり出し、「さっき買ったパンだけど、一つどうぞ」と、手作りの大きめ有機パンをひとつ分けてくれました。

「えっ?」と驚きましたが、勧められるがままにありがたくいただいたパン。
「パンもらっちゃったねー」「ビックリだねー」と言いながら、昼食をとらないうちに4時近くになっていたので、車に戻って3等分していただきました。
デニッシュだったので、なにもつけなくてもおいしくいただきました。
優しいわ~。大牟田の人は、みんなこんなに優しいのかしら?

● 大牟田から熊本空港へ

一日つかってあちこち訪れた三池炭鉱巡りもこれで一段落。そろそろ帰途につくことにします。
それにしてもたくさんの世界遺産を訪れました。

途中の神社の石灯籠のてっぺんに狛犬発見。でも車窓からだったので、詳しいことはわからずじまいです。



すっかりおなかが空きました。さっちゃんの具合もようやく快復してきたようです。
私のフライト時間があるため、空港に近づいてから食べることにします。

県境とはいえ隣の福岡から熊本空港までの距離は結構あり、車でも1時間ほどかかります。
そこで、手っ取り早く食べれるラーメン店に入りました。

● 熊本で博多ラーメン

「さすがは地元、熊本ラーメンの店が多いね」と言いながら、入ったのは金龍という博多ラーメンのお店でした。
あれー?まあ私は特にこだわりありませんが。

ここの油そばを勧められたので、頼んでみました。
出された器を見て、びっくり。つゆがなくて、具と麺だけ。
具と麺に醤油ダレを絡めて混ぜるとんこつラーメン。こういうの見るのは初めてです。
今まで食べたことありませんでしたが、食べやすくておいしかったです。



● スコールか狐の嫁入り

お店から空港までは10分ちょっとの距離でしたが、その間にぽつぽつきたかと思ったら、ザーっと大粒の雨が降ってきました。
あっという間のことで、スコールに遭ったみたい。



でも、降っているのは進行方向のみで、両側と後ろの三方向は晴れており、西にはきれいな夕焼けが見えています。
変なの。狐の嫁入りでしょうか。



「虹がでるかなー?」と言っていたら、ゴロゴロピカッ!と雷が鳴り出して、さらに強まる雨足。
道路から雨粒が跳ね返り、車道にもどんどん水たまりができていきます。
もう虹どころではなくなりました。

土砂降りの中、空港に到着。ドライバーのヒロポンとの別れもそこそこに、さっちゃんと建物内に駆け込みます。
車のトランクからバッグを取り出すだけで、かなり雨に濡れました。

さっちゃん、ヒロポン、どうもお世話になりました。
彼女たちは、実はあさって、つまり2日後に、神奈川にお引っ越しをします。
たった2日後ですよ。次の次の日!
そんな土壇場の時に、こうして2人で相手をしてくれたのです。もう頭が上がりません。
数日後には自分たちが大きい荷物を運びこむだろう空港まで、お見送りしてくれました。

今度は近場で会えるね!一人チューチュートレインをして歓迎するわ!
単に屈伸運動しているようにしか見えなそうだけど。

ピカッ!ゴロゴロ!と空では雷が光ったり響いたりしているところで、お礼を言ってお別れしました。
ちょうどぴったりの時間に到着できたわ、と思ったものの、電光板を見ると、私のフライトは、今落ちたばかりの雷の影響で、30分出発が延びるとの表示。
あらま~。でもその分、空港でゆっくりできます。

からしれんこんと太平燕とドーナツ棒をおみやげに買ったあと、自分用にいきなり団子を買いました。
よもぎ味です。
プレーンと紫芋、よもぎ、これで3味コンプリートしたわ。





飛行機は出発が遅れたものの、それ以外はつつがなく東京に戻りました。
雲の上に出てしまえば、天気は関係なくなりますからね。

● epilogue

プライベートで1年ぶり、仕事を含めると2ヶ月ぶりの熊本。
今回の来熊は、大型台風12号とかち合ってしまい、なにも観光できないかもしれないと覚悟していました。
結局台風は熊本に上陸しなかったため、杞憂に終わりましたが。

仲良しの友が住んでいたため、何度も訪れる機会に恵まれた熊本。
美しい自然に囲まれたとてもいい県で、すっかり好きになりました。
だからこそ、5か月前に起きた震災の爪痕が今なお残る現状を見るのは、とてもつらいものがありました。

今回の熊本滞在中にも、なんどか小さな揺れがあり、まだまだ余震が続く、予断を許さない状況でした。
これ以上は揺れに悩まされないよう、祈るばかり。
失われてしまって元に戻らないものはたくさんありますが、たとえ時間がかかっても、元に戻せるものはきちんと復旧してほしいもの。

♪ 幸せは歩いてこない だから歩いてゆくんだね ♪
水前寺公園の名をもらったチータの「365歩のマーチ」。
改めて聴くといい歌。これを口ずさんで勇気を出して、みんなで明日を作っていきたいです。


がんばれ熊本・5か月後の町 4-1

2017-04-13 | 九州
3日目からの続きです。

● モーニングコーヒー

翌日はまず、ヒロポンが台風に備えて私たちが移動させておいたバイクを駐輪場に戻し、それから星乃珈琲でモーニング。



コーヒーが飲めない私。コーヒー好きにはそのことはなかなかわかってもらえず、よく質問されます。
夕べもヒロポンに「なぜ?どうして?」と聞かれて(ううむ)と返答に困ってしまいました。
コーヒー、香りはとっても好きなんですけれど、苦手なんですよね~。

そんなやりとりもあったことだし、せっかくカフェに入ったので、たまにはコーヒーに挑戦しようかなという気になりました。
ウインナコーヒーならクリーム入りで平気だろうとチョイス。
でもやっぱりコーヒーは本格的で、私には刺激的。
これからドライブで、私は車酔いしやすいなのに、しまったと反省しても、あとのまつりです。
急いで中和用のお茶を買い込んで、出発しました。

● 阿蘇か万田坑

3人で家を出発。ヒロポンの運転で、遠出ができます。
行き場所は、阿蘇か万田坑の2択。
「どっちがいい?」と聞かれて「阿蘇は行ったことがあるから、現状が気になるけど、万田鉱は行ったことがないからわからない」と答えます。

阿蘇の地震の状況はとても気がかりですが、まだ通れない道が多く、迂回通路ばかりだそう。
今はまだ、復興トラックの迷惑になるかもしれないため、万田坑に向かいました。

● 三池炭鉱 万田坑【世界遺産】

ここは熊本県荒尾市。熊本市内から40キロ近く離れた、福岡との県境の場所にありました。
まずは入り口で、スタッフの方に顔はめパネルを撮ってもらいました。
大真面目な顔つきの3人の炭坑野郎を見て、吹き出しました。



まずはステーション内で、紹介ビデオを鑑賞します。
日本の近代産業を支えてきた動力、石炭。中でも三池炭鉱の「万田坑」は日本最大規模で、明治の技術が集められたものとなっています。
時代の移り変わりで、エネルギーが石炭から石油に移行し、1997年に万田坑は閉山。

そののち、万田坑は、近代産業遺産として国の重要文化財と史跡に指定され、2015年7月に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界遺産に登録されました。

ビデオを鑑賞した後は、いよいよ三池炭鉱万田坑へ。
去年の夏にユネスコ世界文化遺産に登録されたばかりです。
天気がよく、じりじりと暑い夏日。熱中症になりそう。
少し体調不良になったさっちゃんは、見学の時間、風通しのいい木陰で休んでいました。



● 2度のガイドツアー

1日に何回かガイドツアーが催されますが、この時は時間が合わず、誰もいません。
そこで前にガイドさんの説明を聞いたというヒロポンに解説してもらいながら、建物を見て回ります。
レンガ造りの重厚な建物は、当時そのままに保存されていました。
高さ約19mの鋼鉄製の櫓。



ざっくり個人で敷地内を周り終えた頃、ガイドツアーの開始時間になったので、改めて教えてもらうことにしました。
参加者は、私たちのほかに女性2名。
旅行者っぽくなく、近所の友達同士で「世界遺産になったし行ってみようか」と気軽にやってきたという風情です。



近代遺産の知識はほとんどありませんが、5月に3人で訪れた島根の石見銀山は、予想を遙かに超えて大いに楽しめました。
ガイドさんは詳しく、いろいろと教えてくれました。

● 山の神だのみ

炭坑内での作業は、落盤、火災、ガス爆発などの災害の危険と常に隣り合わせ。
人々は、常に命を張って仕事をしていたわけです。
入り口に大山祇神社から分祀した祠があり、鉱夫たちは毎朝山の神に手を合わせて安全祈願をしてから、めいめいの作業に入ったそうです。



● 第二堅坑坑口(国重要文化財)

坑口には、ケージ(昇降用エレベーター)が吊り下げられ、炭鉱マンが坑底まで下がって行きました。
現在は埋め立てられているため、覗きこんでも下は見えませんが、炭鉱が稼働していた頃には深さ264mもある竪穴があったとのこと。
人だけでなく、馬も炭坑内に連れて行ったそうです。

ここでは、坑内の排気と排水も行っており、隣には扇風機室がありました。
換気のために5600台の扇風機がフル回転していましたが、それでは飽きたらず、8500台が増加されたそうです。



ここから264m下の坑底で作業をし、堅坑の中からトロッコいっぱいに石炭を積んで地表に出てくると、トロッコ1台分の石炭の賃金が支払われたそうです。



坑口の中には信号所がありました。
ここから鐘・ベル・電話などを使って、巻揚機室や坑底と連絡をとっていたそうです。



最盛期は1日3500人が働いていたとのこと。石炭が産業振興を支えたころ、ここは全盛期で毎日フル回転していたでしょうね。

敷地内には浴室もありました。
女性も男性に交じって働いていたそうです。



昭和45年には出炭量が年間657万トンとなり、1日2万トン以上の採掘がおこなわれました。その一方で、昭和38年と昭和59年に、ここで戦後最大の一酸化炭素中毒事故が起こったそうです。

明治35年に出炭を開始した万田坑は、昭和26年に石炭発掘を終え、1997(平成9)年に閉山するまで、坑内水の排水を行っていたそうです。

石炭を採るだけでなく、万田坑などで採掘した石炭を専用鉄道で三池港まで運び、船で輸出するという運搬システムも整えられ、三池炭鉱は石炭化学コンビナートとして発展しました。

戦前から戦中に年間平均86万トンの石炭を運び出し、日本の近代化に大きく貢献した産業遺産です。



ここで採れる石炭。大柄のヒロポンの手よりもずっと大きいですが、見た目ほど重くはありません。

● 巻揚機室

次に建物内部見学。
櫓の前にあるレンガ造りの巻揚機室に、ヘルメットをかぶって入りました。
ここには、先ほど第二堅坑坑口で見た、作業員用ケージ(エレベーター)を巻き揚げる機械があります。


36mmのワイヤロープを巻きつける直径4mの巻胴


同じガイドツアーの女性2人は、はじめは興味がなさそうにボーっとしていましたが、あれこれ少しずつ気になってきたようです。
炭坑野郎が増えそう(笑)。


運転台を説明するガイドさんとそれを聞く女性たち


ここではほかに、深度計や空気圧によるブレーキ装置などの解説をしてもらいました。



● デビーポンプ

炭坑からは、石炭の十倍くらいの地下水が出てしまうため、構内排水のために英国デビー社製の巨大なタービン(デビーポンプ)が4基設置されていたそうです。
デビーポンプ室跡には、もう何も残っていませんでした。

動力が蒸気から電気に移行するにつれ、建物は変電所に代わっていきました。
かつて炭鉱夫たちがもぐっていた炭坑は、いまは埋められています。
採掘時の地下の状態がわからないのは残念な気がしますが、排水を行わなくなると、地下水がしみ出して炭坑がひたされてなってしまう上に、毒ガスも発生するのだそうです。

第二堅坑があるということは、もちろん第一堅坑もありましたが、今では立ち入り禁止となっており、見学できません。
第一堅坑の穴はふさがっていませんが、深さ271mの穴の230mまでは、やはり水没しているそうです。

敷地内には専用鉄道式跡もありました。石炭はここから三池港を経由して、日本中に運ばれていったんですね。


ここのお土産、炭鉱野郎の黒ダイヤカリー


三池炭鉱の宮原(みやのはら)坑の櫓が、山の向こうに見えます。
同じ炭坑名ですが、ここ万田坑は熊本県荒尾市、あちらは福岡県大牟田市と県が変わり、少し距離も離れています。
三池炭鉱は、2万m2という日本最大規模の広大な敷地で、最大の出炭量を誇っていました。

ガイドツアーを終えてさっちゃんの元に行きましたが、彼女はまだ体調がすぐれず、青白い顔をしています。
水分補給のペットボトルを握っていてもらいながら、みんなでそろそろと移動。
熱中症でなければいいんですが。

● 三池港・旧長崎税関【世界遺産】

万田坑を見学した後、車を走らせて、三池港に行きました。
私たちもかつて採掘された石炭と同じような道を通って、海までやってきたのです。
旧長崎税関(三池税関支署庁舎)がありました。
明治41年に開庁した、明治期の税関庁舎遺構。
もうここは、熊本じゃなくて福岡なのね。



● 国内唯一の閘門港

ムツゴロウが干潟に住む有明海は、遠浅の海岸が続く、大型船の停泊が難しい地形になっています。
大型船は沖に停泊するしかなく、石炭はまず小さい船に積み込んで、沖まで出てから大型船に移し替える必要があったため、船への積み込みには多大な手間とコストがかかっていました。

この課題を解決するため、大型船に直積みできる港を大牟田に築港するという一大プロジェクトが持ち上がりました。
指揮をとったのは團琢磨氏。6年間の歳月をかけて水深8.5mの港が作られ、明治41年に竣工したそうです。

そうして作られた三池港は、日本で唯一、閘門(ロック)を持つ港。
今も使われている現役の港ながら、世界文化遺産に登録されました。日本の稼働資産としては初の登録だそうです。

「石炭山の永久などということはありはせぬ。築港をしておけば、いくらか百年の基礎になる」とは團さんの言葉。
まさにその通りになりましたね。

● 石炭産業科学館

大牟田市にある石炭産業博物館へ。
さっちゃんには車で休んでいてもらい、2人で中に入ります。
鉄の塊のようなものものしい外観。



ジオラマを動かすなどして、炭鉱の中の仕組みを見学。
結構充実していて、楽しめました。



炭鉱トンネルの中に入っていくような見学ルートになっており、入り口で写真をパチリ。
上着は借りもの。炭鉱服を着た、炭坑野郎です。



炭坑の中に入って、いろいろな機械を見ました。
見たこともないようなすごい砕石マシンの数々。テクノロジーの粋!





そして蒸気機関車。まさに近代産業日本の幕開けですね。



炭坑の中に入った時には、エレベーターで400m下りたはずですが、炭坑の外に出た時には、再び下る前の地上階に立っていました。
あれ?なぜ?
首をかしげながら、科学館の一番上の展望台に上ってみました。
目の前には有明海が広がっている…と思いきや、今では帝京大学の校舎やイオンモール、コメリの大きな建物が立ち並び、視界は狭まっていました。

● 団琢磨と三池港

団琢磨は、13歳で旧福岡藩主・黒田長知のお供として岩倉使節団に参加したエリート。
MIT(マサチューセッツ工科大学)の鉱山学科に進み、20歳で卒業したというエリート。
政府から三井に払い下げされた三池港を26歳で任されたそうです。

港がめざましい発展を遂げたのちも活躍を続けていましたが、73歳で右翼の凶弾に倒れたという驚きの最期。
明治の近代化に貢献したすごい日本人だったんですね。
出光創始者の人生が『海賊と呼ばれた男』になったように、この人の人生も小説化されてよさそう。



彼のシルクハットが展示されていました。ジェントルマン~。
あとでわかりましたが、団琢磨の孫が作曲家の團伊玖磨でした。
名前が似ているのは、血縁だったからですね。

石炭を砕いていく機械の仕組みや、れきせい炭という石炭や、石炭は何種類もあること、セメントの原料になることなど、石炭産業科学館ではいろいろなことを学べましたが、私は、団琢磨の人生に一番興味が湧きました。

その2に続きます。