風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

3. 2011秋-京都(宿坊、高雄)-1

2011-11-25 | 近畿(京都・滋賀)

5時半、館内放送がかかりました。起床の時間です。
支度を済ませて15分後にロビーに集合するため、大急ぎ。
集まった宿泊客は、15名程度。部屋数が限られているため、多くは泊まれません。
みんな、眠そうな顔をしています。

そこに、黄色い袈裟姿のお坊さんが見えて、朝勤行が行われる本堂に案内してくれました。
外は真っ暗。石段を踏み外さないよう、前の人の足元を目を凝らして見つめます。
京都の冬は半端なく寒く、コートを着ていても刺すような冷気に震えます。
本堂が近づくと、大勢のお坊さんたちも中に入っていくのが見えました。
みんな薄着です。修行のたまものですね。

お堂の中には、すでにたくさんのお坊さんたちが座っていたので、その数の多さに驚きました。
柱が太くて数えきれませんでしたが、40人以上はいらしたようです。
最後に御長老の僧侶が着席すると、みんなで声を合わせて読経が始まりました。
私たちは、正座をして、それを拝聴します。 お経はいくつも読まれ、途中般若心経が読まれたことだけわかりました。



読経時間は40分ほど。途中、しびれをこらえてお焼香も行い、すっかり目が覚めます。
それから不動堂へと場所を移します。お坊さんたちも移動し、ここでは護摩供法要が行われます。
めらめらとたちあがる炎。ここは真言宗智山派の総本山。
密教といったら護摩焚きが行われるものですが、読経に太鼓がつきます。
これがかなり激しくドラマチックで、(えええ?)と思いました。
菜食の方々ながら、かなり腕の力がないと叩けないようなリズミカルな激しさで(ロックだ!)と思いました。



終了後、護摩焚きされたお守りをいただき、今度はお寺の中を案内してもらいます。
袈裟姿の僧侶に説明していただけるとは、感激。
庭園はとても美しく、お茶とこのお寺の紋章がついた麩せんべいをいただきながら、拝観しました。



また、このお寺は、長谷川等伯作品を数多く所蔵しており、そうした数々の国宝障壁画もみせていただきました。
胸いっぱいです。 案内役のお坊さんは、気さくな感じの方でした。
勤行に見えていたお坊さんは、黄色い袈裟と黒装束と、2種類の格好をされていましたが、黄色い袈裟の方は、僧侶資格を持ったお寺の方で、黒装束の方は、期限つきで修行に見えている人たちだとのことです。
このお寺は、成田山新勝寺や川崎大師の総本山で、川崎大師によく参拝する父は、「勤行場に大師の御僧侶がいた」と言いました。



やっぱりお坊さんでも、初めて護摩焚きの太鼓を聞いた時には(ふざけてないのか)と驚いたそうです。
じっくりと案内をしてもらい、朝から美しい庭園やすばらしい芸術品を見せてもらって、すっかり目の保養になったところで、朝食になりました。



 朝から湯豆腐。冷えた身体にするすると入って行き、内側から温まります。
食事を済ませて部屋に戻った時には、8時を過ぎていました。



それからお寺を出て、バスで高雄に向かいました。
その途中、南座の前を通りかかったら、人が大勢つめかけていました。TVカメラも来ています。
何だろうと思ったら、「吉例顔見世興行」の出演者の名を書いたヒノキの看板を上げる「まねき上げ」を行っていたようです。
片岡仁左衛門のまねきが掲げられると、ワッと歓声が上がりました。
それからお清めの塩がまかれ、一本締めで興行の成功をお祈りしていました。
道の混雑が幸いして、最後の一部始終を眺めることができました。



例年だとこの時期には、もう高雄の紅葉は終わっていますが、今年は遅れているので、逆にハイシーズンとみてのことです。
一面の紅葉というわけではありませんでしたが、それでも山は秋色に美しく染まっていました。



まずは神護寺へ。以前一人で参拝しましたが、ここの石段はハンパなくきついです。
延々と続くし、自然石なのでごつごつしており段差も大きく、登るのに苦労します。
両親は大丈夫かな~と心配しましたが、なんとか門に辿り着くことができました。
絶対に無理そうな、腰が90度曲がったようなおばあさんも、一歩一歩登って行きます。 これが信仰の力でしょうか。



ここは、遣唐使から帰って来た空海が、予定よりはるかに早く仏教を習得して帰国したため、話が違うということで、すぐには都の中心に戻してもらえず、とりあえず許可された場所。 当時よりも空海ゆかりのお寺なのです。
人里離れた山の中の伽藍は、荘厳な雰囲気が漂っていました。




みんなで、かわらけ投げを体験しました。
(万が一下に人がいて、頭に当たったら、痛くないのかな?)と心配しましたが、かわらけは、神事にお神酒を飲むサイズとは違って、もっと小ぶりで塗りもなく、そのまま土に変える土器でした。

 

家族でかわるがわる投げ、写真を取り合いましたが、あっという間にかわらけは飛んで行ってしまって、写真に写りませんでした!
投げ込むのは、木々に覆われた深い谷。自然に囲まれて気持ちがよくなり、私も飛んでいきたくなりました(笑)。

 

 

しばし散策して、石段を降り、清滝川沿いに、三尾散策をしました。



次に向かったのは、槙尾の西明寺。ここも石段の上にありましたが、神護寺ほどではありません。
空海の弟子の智泉が建てた真言宗のお寺で、ひなびた場所にありながらも、どことなく優美なイメージのあるお寺でした。





私はこの蝋燭立に感動しました。自然木のよじれをそのまま利用したもので、すばらしいフォルムです。 欲しいわー。



野菜の紋がなんだかかわいいです。





それからさらに川沿いを歩いていきました。
途中で、栗好きの母が山栗を買いました。
よく道端で売られているこぎれいな栗とは違って、炭火焼きの焦げがついた、素朴なものです。 ホクホクおいしくて、ほおばりながら、散策しました。



そして着いたのが、栂尾(とがのお)の高山寺。神護寺の別院で、明恵上人が再興しました。
明恵上人といえば、思い出すのがこの歌。
 「あかあかやあかあかあかやあかあかや あかあかあかやあかあかや月」
 「ああ松島や」の芭蕉も真っ青の、とっても自由な人というイメージです。



ここは世界文化遺産に登録されています。 日本で初めてお茶を栽培した場所ということで、お茶好きの私にとって無視できない場所です。
そういえば、11月18日の報道ステーションは、キャスターたちがここで生中継を行っていたなあと思いだしました。
境内は広く、森の中に分け入ったようで、すでに歩き疲れている私たちは少しよろよろしながら進んでいきました。





参拝後、国宝の石水院にも入ってみました。ここが「鳥獣人物戯画」ゆかりの場所です。
それにしても、カエルが大きすぎますよね。かわいいけど…。
ぽかぽかとした陽だまりの縁側には、外国人観光客が大勢くつろいでいました。



峠の茶屋的なお店で、軽いお昼にしました。 父は他人どんぶり、母はおでん、私は鳥なんば。
京都では、南蛮(なんばん)じゃなくて、なんば、というそうです。

  続きます~。


2. 2011秋-京都(奈良、山科)-2

2011-11-24 | 近畿(奈良・和歌山)

東大寺参道で昼食をとった後、歩いて興福寺に行きました。
法相宗の大本山とのことですが、法相宗を全く知らないことに気づいて、(大本山に来ていながら~)と心の中で青ざめました。



五重塔がサマになっています。その隣は東金堂。
一番大きな中金堂は、すっぽりと幌に覆われてしまっていました。 なんと、昨日法要を済ませ、再建が始まったとのことです。
バッドタイミングすぎ~。 完成は8年後だとか。ずいぶん先ですね。

 

北円堂、南円堂は、小ぢんまりとした中国風の八角形のかわいいお堂でした。
東金堂にも入りました。本尊が薬師如来像で、両脇に日光・月光菩薩像が鎮座しています。
四天王像(国宝)の目がまん丸で、あまりにつぶらでいたいけな瞳だったので、3人で「キュート!」「これじゃあ怖くないね」と笑いました。
彼らが抑え込んでいる邪鬼も、やっぱり同じ、あどけない丸い黒目をしていて、なんだかほのぼのしました。

それから国宝館に入りました。 昨年上野で開催された興福寺展を観に行き、そこで阿修羅像などの乾漆八部衆像や乾漆十大弟子像には会っています。
前にもここを訪れたことはありますが、新築されてからは初めて。 照明の当て方など、ぐっと本格的になっており、今までの国宝館とは雲泥の差がありました。
阿修羅像ももちろん素敵ですが、私はガルーダ頭の迦楼羅(かるら)像の方がお気に入り。

 

それから三重塔に行きました。敷地内に五重塔と三重塔があるなんて、贅沢です。
どことなく品のある優雅な感じが、すてきでした。

手水舎の竜の角に、誰かの落し物と思われる髪飾りがかかっていました。
「竜美です♪」うーん、顔は怖いけど、なんかかわいい!

 

それから猿沢池まで下がって、池ごしに五重塔を眺めました。
ここからの景色のために、庭師たちは常に計算して木の枝を伐採しているんだそうな。 完成された遠景というわけですね。



「もちいどのセンター街」に入りました。ここ、「もいちど(もういちど)のセンター街」だとずっと思っていました。
「センター街アゲインって名前がおもしろい!どうして?」と奈良に詳しい人に聞いたら、「センター街があって、さらに続くからじゃない?」と言われたのをうのみにしていたんですが、冗談だったのか、彼も勘違いしていたのか、どっちかしら?
地名が餅飯殿(もちいどの)だからですね!



岡本太郎作の巨大な手がありました。横浜元町の、ダニエル家具店の前にある巨大な椅子を思い出します。
座ってみたくてたまりませんでしたが、どうやら許されていなさそうなので、諦めました。

奈良駅周辺の散策を済ませ、京都へ戻りました。
まだ日が高いので、阪急から地下鉄に乗りついで、毘沙門堂に行くことにします。
山科の毘沙門堂は、遠いイメージがあって、行ったことがありませんでしたが、今年の「そうだ 京都、行こう。」の秋の場所なので、親もチェックしていました。  

ガイドブックにも載っていないため、山科駅に下りてから、駅員さんに道を聞いて向かいました。
一本道にさしかかると、歩道の両側から、ものすごい数の人が歩いてきます。何社ものツアー客のようです。
また、すれ違うのも大変な細い車道は、車でごったがえしています。
大型バスが入れないほど細い道のため、何台ものマイクロバスやタクシーに乗り換えて向かうツアー客が多いとわかりました。 人気ぶりに圧倒されます。



すてきなイメージCMで流れたら、誰だって行ってみたくなりますよね。
以前、光明寺が採り上げられた時も、郊外の静かな場所に観光バスが大挙して、すさまじい混雑になっていました。
ここも激混み必至。人の波に圧倒されながらも黙々と向かいました。

歩くこと10分強、長い石段を上ってお堂の前に着きました。
ただ、今年はどうも紅葉がまだピークを迎えていません。
青々としているもみじも残っており、CMのように真っ赤な世界ではありませんでした。
「CM上の演出があります」と但し書きされているので、実際以上の映像になっているんでしょう。 お坊さんの説明は、面白くて楽しいものでした。



名前の通り毘沙門天をお祭りしている場所ですが、戦いの神様だとばかり思っていた毘沙門様は、実はけっこうお金持ちだということ。
朝昼晩と、お金を燃やしていたんだそうです。 毘沙門天とお金の話が結びつかずにびっくりしました。イメージが変わっちゃったわ。



角度によって動いて見えるふすま絵も、数点紹介してくれました。
夕暮れが近づき、私たちが最後の説明ツアーだと聞いていましたが、その後も駆け込みの参拝者が大勢見えたようで、別のお坊さんが追加で説明をしていました。
お寺の人たちも「こんなに賑わったことは今までない」と、面食らっているご様子でした。



ほかの場所よりは、紅葉は鮮やかで美しいのですが、やっぱりあの一面赤い世界になったCMがすごすぎたので、ちょっと残念感はあります。
「あのCMの石段はここだね」「落ち紅葉はないね~」と言っていたら、よその人たちも「ここを見るために、普段より高いツアー料金を払ってきたのに~」とブツブツ言っていました。
まあ、CMの中の京都は夢の国ですから。それにお寺に罪はありません!



お寺をあとにし、山科駅に戻った頃には、もう夜になっていました。
それから京都駅に戻り、宿へ向かいます。 私のリクエストで、MKタクシーに乗りました。
噂通り、きちんと帽子をとって挨拶してくれ、ドアを開け閉めてくれる、丁寧なタクシーでした。

この日の宿泊は、智積院の宿坊です。前から気になっていた、評判のいい宿坊です。
夕食は、精進料理でした。 



部屋は普通の旅館とほぼ変わらず、浴衣もタオルもありますが、一番の違いは、いろいろな時間制約があるという所です。
門限が22時で22時半には全館消灯、早朝には朝のお勤めに参加しなくてはなりません。
大変ですが、非日常的でワクワクしますね。22時半に、眠りにつきました。


2. 2011秋-京都(伏見、奈良)-1

2011-11-24 | 近畿(京都・滋賀)



今日から3日間は、両親と一緒に家族旅行。
去年同様、プランニング・予約・ガイド・おさいふ係を一手に担当します。
この日は奈良に行く予定なので、親が始発の新幹線に乗ってくる前に、その日の奈良・斑鳩1dayチケットを3枚用意し、さっそくそれを使って、近鉄・桃山御陵前駅に行きました。
前に伏見散策をした時に寄れなかった、御香宮神社にお参りします。
朝早いため、ほとんど参拝客はおらず、静かな空気が漂っています。



境内には名水百選の湧き水、御香水が流れており、ペットボトルに汲みました。
伏見のお酒を支える、柔らかいまろやかなお水でした。



立派な表門は、今は無き伏見城の大手門を移築したものだそうです。
それから京都駅に戻って、8時着の両親を迎え、奈良へと向かいました。
京都にはかなり来ていますが、奈良に行くのは実は人生まだ2度目。
去年の最終日に行く予定でしたが、たまたま奈良マラソンとぶつかったため、あきらめたのでした。



途中、大和西大寺駅近くで、車窓から平城京跡が見えました。かなりババーンと見えるんですね。
近鉄奈良駅を上に上がると、行基像の噴水がありました。
(あっ、これ前に奈良に来た時にも見た!)と、思い出します。
こんもりした半円形の噴水の上に僧侶像があるデザインに、以前かなり首をひねりましたが、今回もやっぱりシュールに感じました。
でも、東大寺や興福寺を建てた立役者となったすごいお坊さんなんですよね。



バスに乗って、春日大社まで行きました。おびただしい数の石燈籠に圧倒されます。
どれも相当古く、苔むしていて、悠久の時代の流れを感じます。



ここの吊り灯籠は独特で、倭式というのでしょうか。まほろば風。
石燈籠も吊り灯籠も、奉納されるもので、たくさん並んでいました。



そこから春日山を通って東大寺方面へと歩いていきます。
バスを降りたとたんに、鹿がいたので、「うわあ、シカだ!」とテンションが上がりましたが、どこを向いても鹿がいる状況に、あっという間に慣れてしまいました。



お土産屋周辺にも鹿はたむろしていて、お店の中に入っていたりもします。
地元の人たちと共存していますね。そのお土産屋には、鹿の皮や角が売られていて、(ううむ)と思いました。



鹿せんべいの売り場の前に、しっかり陣取って、人が買うのを待っています。
(ねえ、買わないの?)という目でじーっとこちらを見ています。鹿もサルもの!



東大寺の四月堂に行きました。
前から二月、三月、四月と月の名前が付いているのが気になっていたので、親が御朱印をもらっている間にお寺の人に質問してみたら、旧暦のその月に、それぞれのお堂で法要が行われることから、そう言われるようになったとのことです。
正式名称ではなく、通り名でした。



四月堂は、一番小さなお堂ですが、御本尊の木造千手観音立像(国重文)はじめ、仏像は皆、古めかしくすばらしいものばかりで、しげしげと見入りました。
普賢菩薩像は、11世紀のもので、暗くてよく見えません。
父がハンディライトで中を照らしてくれました。
日光東照宮の「想像の象」のように(これ、象?)と首をひねってしまうあやしい象に、普賢菩薩が乗っていました。

三月堂は、今は拝観停止中だとのことです。
「調査中に、反応が出たんですよね」とお寺の人。
反射的に(セシウム反応!?)と身構えましたが、話の流れから言うと、どうやら赤外線で何か埋蔵物らしきものがある可能性が出たという話のようです。
ここは近畿地方でしたね。あきらかに、関東ほど放射線量に敏感になっていません。



三月堂の右と左の屋根瓦とでは、500年もの歴史の差があると教えてもらいました。
ひとつは天平時代、そしてもう一つは足利時代。
今から考えると、どちらもいっしょくたに、「とっても昔」っていう感覚になりますが、それが今なお崩れずにあるということがすごいです。
うましうるわし、ですね。



それからお水取りで有名な二月堂へ行きました。
春日大社では吊り灯籠でしたが、ここには巨大なぼんぼりのような提灯がたくさん下がっており、風を受けてゆらゆらと揺れています。



お堂からは、奈良市街がよく見渡せました。こんなに高台だったとは。
つり糸を売っていると書かれており、「釣り糸??」と思ったら、鰐口を吊る紐のことだと説明がありました。



それから、気持ちの良い散歩道を下っていき、大仏殿へ。
ぽかぽかと暖かい陽気は、奈良散策によく合います。



久しぶりの奈良の大仏さま。やっぱりビッグ!!
写真撮影OKというのが嬉しいです。大きいだけに太っ腹!!



あちこちでいろいろなガイドが説明をしており、それを耳の端で聞きながら進んでいきました。
大仏の前で、同じポーズを取っている青年2名がいました。
カメラ係が写真を撮る間、拝観する大勢の人々の視線にさらされて、笑顔が固まっていた彼ら。
大仏様の恵みとして、度胸は付きそうですね。幸多かれ。



天井へ続く階段の傾斜の激しさと段数に、気が遠くなりそうです。
大仏の鼻の穴の通り抜けもやっていました。長い行列ができていました。
人が通って行くたび、穴が大きくなっていかないのかしら。



わが国最大の南大門(国宝)の前で、鹿と2ショット。
連れと一緒の旅行は、自分を写真に撮ってもらえるからいいですね。
日差しが眩しくて、父のハンチング帽を借りました。



これまた国宝の、木造金剛力士像。大迫力です。
でもその前で鹿が日向ぼっこしているのが癒される~。仁王様のニラミがまるで効いてない~(笑)。



昼になったので、参道の東京庵でランチにしました。
最近では、奈良の豚肉はヤマトポークとして売りだされているんですね。
写真を撮り忘れましたが、おいしかったです。

長くなったので、次に続きます。


1. 2011秋-京都(美山)

2011-11-23 | 近畿(京都・滋賀)

今年の秋も、京都旅行をしました。

1日目は、高槻に滞在中のまちゅさんと、京都散策をすることにしました。

ただ、紅葉ハイシーズンの祝日なので、町の中心は、人と車であふれかえっています。

混んでいないところにしようと、かやぶきの里のある、美山方面に行ってみることにしました。

ここ数年、秋になると訪れる京都。中心部にはけっこう詳しくなりましたが、京都の北は、大原や貴船辺りまでしか知りません。

美山は、それよりもずいぶん北の場所になり、もちろん、普通のガイドブックには載っていません。

だからこそ、観光客が来ないだろうと思ったわけです。

 

バスに乗って、市街地を抜け、ガイドブックの掲載範囲から外れていくと、ぐっと車の数が減り、人の姿も見なくなります。

やはり京都は、一大観光地なんですね。

あれよあれよという間に、郊外どころではない、本格的な山中にバスは入っていき、その風景の変わりようにびっくりしました。

東京や横浜は、中心地から外れても、便がよさそうな住宅街が郊外まで延々と続きますが、京都は、場面が切り替わったかのように、突然日本の原風景的な山里となります。

やっぱり違うものですねえ。

見知った京都とはまったく違う、自然そのままの光景に、驚きました。

 

鞍馬から5kmほど北の花脊地区にある、バス停「旧道別れ」。もはや深い山の中です。

辺りを見回しても、道路と山しかありません。

ひええ、でもバスが通っているっていうことは、利用客がいるんですね。

山中に続く旧道がありました。旧道好きのまちゅは興味シンシンの様子。

私しか止める役がいないわ!と思いますが、私もかなり気になりますよ~。その先のニッポン。

 

大悲山・峰定寺の辺りは、くねくねの道が続き、バスが山中の道を走っていることを実感します。

もはや自然の真っただ中。

食事処をチェックしていきましたが、どのお店も開いていませんでした・・・。

祝日なのに、なぜ・・・?もしや、一般人のように、祝日だからお休みだったりして!?

 

バス停前にある花背神社。大銀杏の黄色い葉がが山の緑に映えています。

イチョウの葉は、人に踏まれず、落ちたそのままの美しさでした。

この辺りにかかっているつり橋は、川向こうの個人家屋の敷地にそのままつながっています。

個人が架けた所有物なのでしょうか。

橋の真ん中で、止まっているトラクターがありました。ちょっとタイヤがずれたら、川へとまっさかさま。

アクロバティックすぎて、見てるだけでもこわすぎました~!

佐々里峠を越えた辺りにあった京都美山高校。瀟洒な校舎ながら、廃校のよう・・・?

調べてみたら、通信制高校のようです。スクーリング時期にだけ、生徒がやってくるのかもしれませんね。

道路は由良川沿いを走ります。清流が美しく、風も空気も水もきれい。山の自然はいいですね。

少し人の気配がある辺りだからこそ、自然を愛でるゆとりが出るものですね。

紅葉を楽しみながら、美山地区に近づくと、ようやく付近を歩いている人影を見つけました。

道中、すれ違う人もおらず、すっかり人恋しくなっていたため、嬉しくなりました。

村の中心に近づいていくと、どんどん車と人が増えていきます。

田んぼのあぜ道周辺にはびっしりと人が集まっていました。一体どういうこと!?

静かなはずのかやぶきの里、美山。

混雑を避けて、ここまで来たのに、ここにきて人混みにもまれることになろうとは。

細い道路にびっしりと車が路中されているため、小さい村の唯一の幹線が大渋滞を起こしています。

人も、ワンサカワンサカ、どこを向いても人だらけ。あっけにとられるばかりです。

私の美山メモには、「この日は年に2度行われる放水銃点検が、1時から5分間行われる」としかありません。

まさかと思いますが、その5分のために、これだけ大勢の人が三脚をかかえて大挙してきたのでしょうか?

ここで食事にする予定でしたが、大混雑していて、とても食べられそうになかったので、少し離れた「道の駅 美山ふれあい広場」へと移動しました。

ただ、ここには食堂施設は無かったため、おやきと美山ソフトをお昼に食べました。

なぜ京都でおやき?と思いますが、美山の野菜をたっぷり使っているとのこと。

皮は美山産大豆のおからを配合し、こだわりの味だとのことで、おから味をいただきました。

美山ソフトも食べました。美山牛のめぐみ。クリーミーでおいしかったです。

おなかがペコペコだし、素材もいいし、山の空気を吸ったら、何を食べてもおいしくなりますね。

ここには観光案内所がありました。担当者は電話応対に追われています。

「そう、放水銃点検があって」「駐車場はもういっぱいのようですね」などと説明しているため、やはり5分のために人がやってきているとわかりました。

観光バスも、ぞくぞくと集まってきています。

あまりの人ごみに恐れを成して、美山村の散策予定を中止して、移動しました。

もちろん放水銃も見ずじまいです。(あとで、YouTubeで見ました)

 

日吉ダムに行きました。ここにはダム博物館もあり、見学できました。

右側の白いサークルは、デザイン建築で、遊歩道になっています。マラソンや犬の散歩をしている人がいました。

静かなダム湖。先ほどの人混みと喧騒で動揺した心が落ち着きます。

ダムの端にある世木ダムも、小さいながら雰囲気がありました。

これは廻り田池。不思議な名前の通り、不思議な地形になっています。あそこまで行ってみたーい。

バス停「宕陰出張所前」。イチョウのところには原神社がありました。

標識を見るに、ここの先はかなりすごい山道車道のようです。

バスも、次の停留所が終点で、そこから先には行きません。

私たちは、逆方向の八木駅に出て、そこから保津峡駅へ向かいました。

 

 

山陰本線保津峡駅。その名の通り、保津峡の真上にある駅です。

電車は山を抜け、川の上を通るため、ゴーッという轟音が辺りにとどろきました。

駅から見下ろす保津峡。紅葉がきれいです。保津峡下りの船がゆっくりと小さくなっていきます。

こちらはトロッコ保津峡駅。かなり奥まった場所にあります。

まちゅ曰く、ここはもともと、JRの本線だったそうです。

雰囲気があるつり橋の向こうに、駅員がたたずんでいたのが、また風情がありました。

保津川下りの舟がやってきました。
けっこう水流は早く、岩を巧みに避けながらスイスイと流れてきます。

橋を通り過ぎるところで、乗客の方々と手を振り合いました。

みんな、菓子折のおまんじゅうのように行儀よく並んでおり、上から見て楽しくなりました。

 

大きな朱鳥居が目に飛び込んできました。愛宕神社です。

愛宕神社と言ったら、明智光秀が本能寺に攻め込む前にお参りした場所ですね。

紅葉が鮮やかでした。

夕暮れが迫ってきたので、かなり坂を登ったところにある将軍塚に行きました。

こちらは青蓮院門跡の飛び地、大日堂。ライトアップ中です。

将軍塚の将軍とは、坂上田村麻呂のことだそうです。清水寺ゆかりの人ですね。

暮れなずむ時刻。ここから京都市街が望めます。

少し左に見えるのが京都タワー。右に見える光の道は、三条通りと四条通り。

この日訪れた場所は、超山奥のような所を含め、全て京都市内だということに、驚きます。

東京感覚とはまるで違う土地なんだと実感。さすがは京都、奥深いわ・・・!

行ったことのない場所ばかり訪れて、私の知らない京都を満喫できました。

有名寺社仏閣もよいですが、こういうレアルートもいいものですね!


4. 京都1day (嵐山)

2011-11-01 | 近畿(京都・滋賀)

上賀茂からメトロ太秦天神川駅に移動しました。
京都の地下鉄では、「まいど地下鉄をご利用いただきましてありがとうございます」とアナウンスが入ることに気がつきました。
毎度、って、東京の車掌さんは言いませんね?毎度といえば、毎度おなじみチリ紙交換くらいしか思い出しません。
やっぱり土地柄がちょっと反映されているんですね。
でも、「まいどおおきに」とは言いませんでした。

京都を旅して、「おおきに」と言われたのは一度くらいです。
あとはだいたい「ありがとうございます」。
でも、今回、おばあさまに「かんにんなー」と初めて言われました。
エレベーターで挟まれかけた時でした(笑)

ここからはバスで嵐山に行こうか、それとも高雄にしようかと地図を見て悩んでいたら、4人のお爺さんたちに「どこに行きたいの?」と囲まれ、「ちょうど高雄行きが来たから、これに乗っちゃいなよ。ラッキーだよ」と言われました。
その人達もワイワイそのバスに乗り込んでいったので、(まあ、これもなりゆきね)と思って、私も乗りました。

●高雄 - 高尾・槙尾・栂尾 の三尾の総称 紅葉の名所

以前行った時には、四条発のバスで1時間くらいかかったので、かなり遠いイメージがありましたが、太秦からだと20分くらいで終点の高雄に着きました。



大原といい、もっとずっと郊外のような気がしていましたが、初めて行った時は遠く感じるものなんでしょう。
もう山は色づいているかと思いきや、紅葉はまだまだだったので、栂尾の沢の方までは降りずに、乗ってきたバスの折り返しにまた乗って、とんぼ帰りしました。
土地の人らしき軽装の年配のご夫婦も、同じように行きも帰りも一緒のバスだったので、やっぱり紅葉を確かめに来たのでしょう。



再び太秦天神川駅に戻ってきた時には、ここを離れてから45分くらいしかたっていませんでした。

そこから嵐山へ向かいます。早朝から嵐山行きをトライしては、大原、高雄と行先を変えて、この日三度目の正直。
いつも混むのを避けて朝一で訪れるため、夕方の嵯峨野は初めてでした。

● 嵐山



嵐山は定番の観光地ですが、ここを訪れないと京都に来たという気がしません。
渡月橋に着いた時には、もう夕暮れ時になっていました。



渡月橋から、桂川の流れていく先を眺めると、遠く向こうには京都タワーが見えました。
東山を背景に立つ、白いニードルタワー。
今まで気がつかなかったのが不思議なくらい、くっきり見えました。

● 野宮神社



竹林の道は、薄暗くなっており、写真に写りづらくなっていました。
そろそろ日が沈みそうで、少し足を速めます。
それでも、野宮神社には立ち寄りました。



ここのじゅうたん苔を、こよなく愛しています。
変わらぬ美しさに、心がほっこりしました。

● 清凉寺



それから嵯峨野をあちこち巡って、数週間後に訪れたい紅葉の名所をチェックしました。
散策の終点は、嵯峨釈迦堂。
ここに着いた時には、どこからか5時の鐘が聞こえてきて、月も空高く光り始めました。



暗くなってきたので、バスで市内中心へ。

● 錦市場

四条烏丸には6時に着きました。
阪急大丸のポスターの一枚に目を留めます。
数日前、ハロウィンで猫に扮したばかりだったので、(次回はこうしようかな!)と、参考のために撮影しました。
1年後には、こんな格好をしているかもしれません。ほとんど忍者ですが…。



阪急大丸のところから錦市場に入っていきましたが、さすがに夜はシャッターが下りている店がほとんど。
市場ですからね。夜なお賑やかなアメ横とは違いますね。
静かな細道をサクサク歩いていくと、お土産店が立ち並ぶ通りに突き当たりました。

ここは新京極というそうです。
なんだか京極とは怖いイメージですね。京都の極道みたいな?
旧京極もどこかにあるのかな?
にぎやかな喧噪の具合に、中野ブロードウェイを思い出しました。(失礼?←どっちに?)

● 錦天満宮



錦市場のつき辺りにある錦天満宮を参拝します。
前に訪れた時には、鳥居に注目しませんでしたが、以前TV『日本珍百景』に採り上げられていたことを思い出して、今回はしげしげと眺めます。
本当に、鳥居の先が、両方の店に突き抜けていました。
どちらか、サイズを合わせられなかったものなんでしょうか?

手水舎からは京の名水「錦の水」が出ており、水筒に汲んで飲んでみたら、くせのないおいしさでした。
こんな町の中心にあるところなのに、湧水がおいしいなんて、いいですね。



蛸薬師通りにあるはずの蛸薬師堂(永福寺)。
前も探せなかったので、今回は通り沿いのお店の人に場所を聞いて行きましたが、もう4時半には閉まっており、お寺は照明も落ちて、新京極通りの中で、そこだけ暗くなっていました。
錦天満宮とは対照的です。

● 四条通り

京都一番の繁華街、四条通りを東に歩いてみました。
四条大橋のたもとの東華菜館。
ここのエレベーターは日本最古ということで、(いつか乗ってみたーい)と熱い視線を向けました。



鴨川を渡っていたら、向こう岸に見える南座の、通りの反対側に、北座もあったので、驚きました。
北座なんて初耳です。東寺と西寺のように、実は対になる建物なのかな、まさかこちらでも歌舞伎をやっているのかなと思って、そばまで行ってみると、1Fは井筒屋八つ橋屋でした。
井筒八ッ橋本輔北座ビル、というそうです。まんまとだまされたわー(笑)



鍵前良房本店のところで四条通りをUターンしました。
前に横浜高島屋の京都物産展に、ここ鍵前良房が喫茶を出店しており、本店に行ったことがある母とそこのくずきりを食べながら、お店の話を聞いたので、気になっていたのです。
もう閉まっていましたが、ガラス越しにのぞいた店内は、豪奢で洒脱な和の雰囲気たっぷりでした。

● 凡斗町 

今回、凡斗町を初めて通ってみました。
四条通から路地のような細道に入っていくのに、けっこうな勇気がいります。ドキドキします。
もう提灯の明かりがともるような時間に、女一人で入っていい場所なのか?と思いましたが、初めてと思しき学生風の男性3人連れが、不慣れな感じで先に歩き出したので、私もその少しあとをついていきました。



細道の奥には、さらに狭い横道もあり、迷路のようです。
淡い提灯明かりに幻惑されながら歩いていったら、四条から三条へ抜けていました。
鴨川には、うす暗い中で、大勢の学生たちがたむろして、夜の川を満喫して?いました。

今度は三条通を河原町通りに向かって歩き始めると、池田屋跡にさしかかりました。
以前はパチンコ店でがっかりの訪問でしたが、今は居酒屋花の舞に変わって、かなり新撰組っぽくなっており、人目を引く外観でした。



● 新風館

河原町三条からバスに乗り、烏丸御池で降りました。
前から気になっていた、新風館へ向かいます。
元電電公社をイギリス人建築家によるデザインでリフォームした建物。



入口は古めかしいですが、中に入ると斬新なオシャレなオープンスペースホールになっていました。
大きなモニターではずっとMTVが流れており、イスとテーブルが置いてありましたが、天井なしなので夜になると少し寒さを感じました。
帰りの時間が近づいてきたので、京都駅に戻り、帰途につきました。

日帰りの慌ただしさの中、いろいろ周って、満足しました。
この日の万歩計は、42639歩。
それほど歩いたつもりもなかったんですが、京都ではいつも歩きまくるんですよねー。



この日のルートは以下の通りです。
楽しい京都の一日でした。


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