5時半、館内放送がかかりました。起床の時間です。
支度を済ませて15分後にロビーに集合するため、大急ぎ。
集まった宿泊客は、15名程度。部屋数が限られているため、多くは泊まれません。
みんな、眠そうな顔をしています。
そこに、黄色い袈裟姿のお坊さんが見えて、朝勤行が行われる本堂に案内してくれました。
外は真っ暗。石段を踏み外さないよう、前の人の足元を目を凝らして見つめます。
京都の冬は半端なく寒く、コートを着ていても刺すような冷気に震えます。
本堂が近づくと、大勢のお坊さんたちも中に入っていくのが見えました。
みんな薄着です。修行のたまものですね。
お堂の中には、すでにたくさんのお坊さんたちが座っていたので、その数の多さに驚きました。
柱が太くて数えきれませんでしたが、40人以上はいらしたようです。
最後に御長老の僧侶が着席すると、みんなで声を合わせて読経が始まりました。
私たちは、正座をして、それを拝聴します。 お経はいくつも読まれ、途中般若心経が読まれたことだけわかりました。
読経時間は40分ほど。途中、しびれをこらえてお焼香も行い、すっかり目が覚めます。
それから不動堂へと場所を移します。お坊さんたちも移動し、ここでは護摩供法要が行われます。
めらめらとたちあがる炎。ここは真言宗智山派の総本山。
密教といったら護摩焚きが行われるものですが、読経に太鼓がつきます。
これがかなり激しくドラマチックで、(えええ?)と思いました。
菜食の方々ながら、かなり腕の力がないと叩けないようなリズミカルな激しさで(ロックだ!)と思いました。
終了後、護摩焚きされたお守りをいただき、今度はお寺の中を案内してもらいます。
袈裟姿の僧侶に説明していただけるとは、感激。
庭園はとても美しく、お茶とこのお寺の紋章がついた麩せんべいをいただきながら、拝観しました。
また、このお寺は、長谷川等伯作品を数多く所蔵しており、そうした数々の国宝障壁画もみせていただきました。
胸いっぱいです。 案内役のお坊さんは、気さくな感じの方でした。
勤行に見えていたお坊さんは、黄色い袈裟と黒装束と、2種類の格好をされていましたが、黄色い袈裟の方は、僧侶資格を持ったお寺の方で、黒装束の方は、期限つきで修行に見えている人たちだとのことです。
このお寺は、成田山新勝寺や川崎大師の総本山で、川崎大師によく参拝する父は、「勤行場に大師の御僧侶がいた」と言いました。
やっぱりお坊さんでも、初めて護摩焚きの太鼓を聞いた時には(ふざけてないのか)と驚いたそうです。
じっくりと案内をしてもらい、朝から美しい庭園やすばらしい芸術品を見せてもらって、すっかり目の保養になったところで、朝食になりました。
朝から湯豆腐。冷えた身体にするすると入って行き、内側から温まります。
食事を済ませて部屋に戻った時には、8時を過ぎていました。
それからお寺を出て、バスで高雄に向かいました。
その途中、南座の前を通りかかったら、人が大勢つめかけていました。TVカメラも来ています。
何だろうと思ったら、「吉例顔見世興行」の出演者の名を書いたヒノキの看板を上げる「まねき上げ」を行っていたようです。
片岡仁左衛門のまねきが掲げられると、ワッと歓声が上がりました。
それからお清めの塩がまかれ、一本締めで興行の成功をお祈りしていました。
道の混雑が幸いして、最後の一部始終を眺めることができました。
例年だとこの時期には、もう高雄の紅葉は終わっていますが、今年は遅れているので、逆にハイシーズンとみてのことです。
一面の紅葉というわけではありませんでしたが、それでも山は秋色に美しく染まっていました。
まずは神護寺へ。以前一人で参拝しましたが、ここの石段はハンパなくきついです。
延々と続くし、自然石なのでごつごつしており段差も大きく、登るのに苦労します。
両親は大丈夫かな~と心配しましたが、なんとか門に辿り着くことができました。
絶対に無理そうな、腰が90度曲がったようなおばあさんも、一歩一歩登って行きます。 これが信仰の力でしょうか。
ここは、遣唐使から帰って来た空海が、予定よりはるかに早く仏教を習得して帰国したため、話が違うということで、すぐには都の中心に戻してもらえず、とりあえず許可された場所。 当時よりも空海ゆかりのお寺なのです。
人里離れた山の中の伽藍は、荘厳な雰囲気が漂っていました。
みんなで、かわらけ投げを体験しました。
(万が一下に人がいて、頭に当たったら、痛くないのかな?)と心配しましたが、かわらけは、神事にお神酒を飲むサイズとは違って、もっと小ぶりで塗りもなく、そのまま土に変える土器でした。
家族でかわるがわる投げ、写真を取り合いましたが、あっという間にかわらけは飛んで行ってしまって、写真に写りませんでした!
投げ込むのは、木々に覆われた深い谷。自然に囲まれて気持ちがよくなり、私も飛んでいきたくなりました(笑)。
しばし散策して、石段を降り、清滝川沿いに、三尾散策をしました。
次に向かったのは、槙尾の西明寺。ここも石段の上にありましたが、神護寺ほどではありません。
空海の弟子の智泉が建てた真言宗のお寺で、ひなびた場所にありながらも、どことなく優美なイメージのあるお寺でした。
私はこの蝋燭立に感動しました。自然木のよじれをそのまま利用したもので、すばらしいフォルムです。 欲しいわー。
野菜の紋がなんだかかわいいです。
それからさらに川沿いを歩いていきました。
途中で、栗好きの母が山栗を買いました。
よく道端で売られているこぎれいな栗とは違って、炭火焼きの焦げがついた、素朴なものです。 ホクホクおいしくて、ほおばりながら、散策しました。
そして着いたのが、栂尾(とがのお)の高山寺。神護寺の別院で、明恵上人が再興しました。
明恵上人といえば、思い出すのがこの歌。
「あかあかやあかあかあかやあかあかや あかあかあかやあかあかや月」
「ああ松島や」の芭蕉も真っ青の、とっても自由な人というイメージです。
ここは世界文化遺産に登録されています。 日本で初めてお茶を栽培した場所ということで、お茶好きの私にとって無視できない場所です。
そういえば、11月18日の報道ステーションは、キャスターたちがここで生中継を行っていたなあと思いだしました。
境内は広く、森の中に分け入ったようで、すでに歩き疲れている私たちは少しよろよろしながら進んでいきました。
参拝後、国宝の石水院にも入ってみました。ここが「鳥獣人物戯画」ゆかりの場所です。
それにしても、カエルが大きすぎますよね。かわいいけど…。
ぽかぽかとした陽だまりの縁側には、外国人観光客が大勢くつろいでいました。
峠の茶屋的なお店で、軽いお昼にしました。 父は他人どんぶり、母はおでん、私は鳥なんば。
京都では、南蛮(なんばん)じゃなくて、なんば、というそうです。 続きます~。