風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

成田と鰻と犬吠崎-2

2015-03-08 | 千葉

その1からの続きです。

○ 滑河観音

千葉寺、成田山新勝寺と参拝し、さらに北にある滑河観音を目指します。
(高校に滑河さんという子がいたなあ。それで読み方を知ったんだわ)と思い出しましたが、その子は「なめりかわ」さんで、こちらは「なめかわ」観音。
読み方が違いました。



たどりついたお寺の入口にあったのは、茅葺の仁王門。
温かみが感じられる、趣きがある門です。
屋根の形がシュッとしていて、このまま宇宙に飛んでいきそうな気もしますね。
この宇宙船の中にいたのは、この仁王宇宙人。
おお~。独特。腕の付け根の太さがすごーい!
仁王にしてはスリムで細長い体格。やっぱり宇宙人ぽいかも。こじつけかな(笑)。



私たちのほかに参拝者はおらず、本堂もあいていませんでした。
先程の新勝寺の大賑わいぶりからは打って変った、水を打ったような静けさ。
敷地内の寺務所で御朱印をいただくと、奥様に「次には飯沼さんに行かれるんですか」と話しかけられました。
「はい、そうです」



少しおしゃべりをし、本堂上にある像は何か、聞いてみました。
木彫りの像は天女で、天井に描かれているのは迦陵頻伽(がりょうびんが)だと教えてもらいました。
読むにも書くにも難しい迦陵頻伽ですが、好きなので、会えてうれしいわ。
本堂の中には、左甚五郎が作ったとされる白馬の像があると聞いて、(さっき気づかなかったなあ)と帰りがけに再び中をのぞいてみましたが、外からは見えませんでした。馬やーい。

○ 一路銚子へ

ここから銚子をめざします。
曇天の日なので、時間の流れが今一つわかりづらいのですが、時間内にたどり着けるか、ちょっと心配になってきます。
欲張りすぎたルートプランだったかしら。(いつものことなんですがねー)



やがて、利根川水系と平行した道に入りました。長く続く橋がかかっています。
ここは、前に銚子を訪れた時にも通った道だと思います。
相変わらず水面の方が高い感じがして、ドキドキ。
「水が土手を超えたら危ないね」と話しました。

○ 飯沼観音



銚子電鉄の停まっている銚子駅を超え、とうとう飯沼観音に着きました。
奈良時代の神亀5年(728)にできたお寺だそう。古いですね。
時間を気にして、少し急ぎ足で境内に向かいます。



大きなお寺の横には大仏が鎮座していて、五重塔も立っています。
反対側には、彫刻の施された鐘楼もあります。
境内のオールキャスト勢揃いといった感じ。





お寺は海に近い少し高台になった場所にあり、冷たい海風にあおられて、震えながらの参拝になりました。
近くに寄れば寄るほど、くっきりとした朱色に目を奪われます。
境内の建築物は概して赤く、竜宮城に来たかのような気がしてきます。



ヤマサとヒゲタの醤油缶が、本殿の両脇に対となって奉納されていました。
この近くにあるのかしら。
あとで調べてみたら、たしかにどちらも、銚子にある会社でした。
そういえば銚子は、野田のように有名な醤油の産地でしたね。

          


ここも、誰も参拝者はおらず、貸切状態。
参拝を済ませて、さあ御朱印をいただこうと思いましたが、本殿内には人の気配がありません。
広いお寺なのに、シーンとしています。
あれ?あれ?と辺りを見回すと、「御朱印はこちらで」というメモと寺務所への地図が貼られていました。
今いるところから150m離れているとのこと。キャー!急がなくちゃー!
あせりながらも、別方角にある仁王門が気になったので、そこまで足を伸ばして、門の外側から見た姿を写真に収めます。



「歩きと車、どっちが早いかな」と言いながら、車に飛び乗って直進し、寺務所に着くと飛び降りて、駐車をzimaに任せて後ろを振り返らずに寺務所にダッシュ。そこで御朱印をいただきました。
そろそろ5時になります。対応してくれた奥様に「満願寺まで行くんですね。お気をつけて」と言っていただきました。

○ 補陀洛山 満願寺

坂東28番の滑河観音、27番の飯沼観音を参拝できましたが、あともう一つ寄りたいお寺があります。
犬吠埼の近くにある満願寺です。
ここは坂東番外なので、寄らなくてもいいといえばいいんですが、「寄るべき」「お勧め」との声を何度か耳にしているので、せっかく近くまで来たことだし、できれば訪れたいところ。

閉まる時間が気になったので、電話をして伺うと「飯沼さんからこれから来られるんですね。大丈夫ですよ。お待ちしています」と言っていただいたので、そのまま車を飛ばします。
地図で見ると簡単な道ですが、実際には山を一つ越える結構な距離だったので、(山道で迷ったら、時間のロスが大きくて間に合わなくなりそうね)とハラハラしながらの山越えになりました。
こんなここぞという時にこそ、zimaのプロの運転の技が光ります。



迷うことなく、無事に滑り込んだのは、さきほどの飯沼観音以上に大きなお寺でした。
zimaが「こんなに大きいのに、これが番外?」と驚いています。
ここもまた、誰も参拝者はいませんでした。



いろいろなお堂が境内に立ち並んでいるのできょろきょろしていると、参拝順路の表示が見えたので、それに従って奥に進み、四国八十八カ所のご本尊の写し像が並ぶ、円形の回廊を歩いて行きました。
どんどん薄暗くなっていく回廊の一番奥に、ぽっと明かりの灯った御朱印所があり、そこに私たちの参拝に気づいたお寺の方がやってきて、御朱印をいただきました。

お寺を出る時に、ちょうど閉門時間となり、お坊さんが大門を閉める準備をしていました。
かなりぎりぎりになりましたが、無事に参拝できて、ほっとします。
迫力に満ちたお寺でした。



ウスサマ堂がありました。入口はもう閉まっていましたが、中を除くとちゃんとトイレの神様がおりました。
日本のトイレの神様は、実は女神様じゃないのですよ~。



波切り不動明王像もありました。荒波に乗っています。
お互い不動巡礼者なので(私は終わりたて、zimaは始めたて)、立ち止まってお参りします。



そばには、霊水の不動水もありました。荒々しい岩肌の上から龍が顔を出しています。
地下からの湧水だそうです。




○ 犬吠埼灯台

ふう、すべての参拝を済ませ、夕方を迎えました。
これから先は、もう時間を気にする必要はありません。
白を基調とした瀟洒なの銚子電鉄の犬吠駅前を通りました。



犬吠崎を大きく周ります。風が強くて、海は波立っています。
ここは太平洋岸の関東最東端の岬なので、いつでも波が荒いのでしょうか。
灯台まで行ってみました。
そういえば、前に来た時には、ポートセンター・ウオッセ21には行きましたが、灯台は訪れなかったなあと思います。



ワオ~ンワオ~ン!!
一応、犬吠埼なので、犬吠えしておかないとね。
どんなに叫んでも、うなるような風の音に瞬時にかき消されます。
風が強くてとばされそうになります。車のドアも開けられないほどの風力だったので、外に出るのはあきらめて、車内から辺りを眺めました。



白い灯台の前に立つのは、白いポスト。普通は目立つ赤色なのに、逆に周りに同化した同系色なんて、めずらしいですね。
この日は曇りで辺りも白く、色のない世界の中に入りました。

zimaは、前に来た時には岬の先のホテルで一泊したそう。
「東の端だから、夕日が見えないんだよね。朝日はきれいだけど、寝坊したから何も見られなかったよ」
あらら。
立ち寄り温泉の看板を見て「どうする?」と考えましたが「海より山の温泉が好みなんだよね」ということで、そのまま帰途につくことにしました。

○ 真っ暗な道路

ナビに従って車を走らせているうちに、辺りは真っ暗になりました。
道には街灯もなく、両側には背の高い雑草が生い茂っていて、とってもアトランティスな雰囲気。
まだ6時くらいなのに、真夜中のように暗くなってしまいました。これが千葉の夜でしょうか。(失礼)
「夜になったばっかりなのに、真っ暗で対向車もぜんぜん通らないね」

浜っ子には慣れない暗さを怪しみながらも、しばらく前に進んでいると、そのうちに小さな明かりが見えてきました。
それだけでほっとします。
それは高速の入り口でした。東庄の辺りだったかと思います。
ETC口がなく、現金用しかない入口が、今ではとっても新鮮。
あわてて小銭をさぐります。

「もしかして、今通ってきた道も高速だったのかな?」とzima。
暗すぎて、もうそれさえも確認できませんが、後ろから一台、同じ方向に向かう車がやってきたので、とても安心しました。
まさに、暗闇の中の一筋の光~。
千葉の郊外って、日没後にはめっきり暗くなるんですね。

○ 銚子丸

しばらく行くと、ようやく繁華街が近づいて、明るくなってきたので、ほっとしました。
佐倉か佐原の辺りでした。(あいまい)
本当は、犬吠崎あたりで食事にしたかったのですが、昼に食べた成田の鰻がきいていて、全くお腹が空いていなかった私たち。
「でも、もう8時台だから、そろそろ夕食時間だよね」

環状道路沿いで、入りやすいお店に入ろうと探します。
「何が食べたい?」と聞かれて「鰻以外何でも」と答えると、「鰻でもいいよ」と言われました。
ギャー、そういえばこの人は鰻マニアだった!私は穴子も今日はパスでー!
看板名が気になった、銚子丸という回転寿司屋に入りました。
せっかく銚子の方まで行ってきたわけだし、銚子港直送らしいので。



ここのあら汁がとてもおいしくて、2人で大喜び。
でもやっぱり、鰻でまだおなかがいっぱいで、それほど食べられませんでした。
うーん、デザート用の別腹さえない~。



それから東京へと向かいます。
帰り、ちょっとディズニーランド渋滞に巻き込まれました。
うっかり忘れていたけれど、時間が重なってしまったようです。
「帰りもうみほたる経由にしたら、もっと早かったね」と言われましたが、違う道もまたおかし。



帰りはベイブリッジを通って、家まで送ってもらいました。
ここまでくると、(帰ってきたねー)と、ホッとします。
道路の暗さはありません。ただいま、横浜ー。



○ epilogue

今回は千葉を横断する形で、犬吠埼まで結構な距離を移動しました。
海底を通ったり、山越えしたりと、なかなかのアドベンチャーコース。
天気がいま一つの日で、途中までは小雨が降っていましたが、成田以降は雨はやみました。

成田山新勝寺で、ここ数年挑戦し続けていた不動巡礼を結願できて、胸いっぱい。
門前で鰻を食べて、おなかもいっぱい。
太平洋を眼下に望める、真っ白い犬吠埼灯台も、印象的でした。
不動巡礼と並行して続けている坂東巡礼も、千葉のお寺はこれで全て制覇。
実り多いドライブでした。

不動巡礼はzimaにバトンタッチ。がんばってね~。
自分がやったからこそ、大変さがわかりますが、充実感もまた大きいので、結願してほしい~。

ところで、この日の夕食を食べた銚子丸をあとで調べてみたら、なんと家から歩いて行ける場所にもお店があると判明。
うっそ~ん、銚子近辺にしかない店だと思ったのに。
銚子港直送っていうから・・・(ブツブツ)。
現代の交通網の発達で、それが可能になっているなんでしょうね。
うちからだと、銚子港よりも三崎港の方がはるかに近いですが。
まあ、近くにあるのはいいことです。気に入った銚子丸のあら汁を、今度は歩いて食べに行こうと思いまーす。


成田と鰻と犬吠崎-1

2015-03-08 | 千葉
○ prologue

前の年の12月に千葉館山ドライブをしたzimaと、3月に犬吠崎に向かいました。
年末の時には、房総半島でも花は咲いていませんでしたが、今頃の菜の花ロードは、ちょうど見頃できれいでしょう。
早春の銚子は、どんな感じでしょうか。

前回と同じく、今回もアクアラインを通っていきます。
この前は鶴見川の南岸から、この日は北岸から、少しだけ道を変えて、川崎方面へと向かいました。

年が明けて初めて会ったので「アケマシテオメデトー」とあいさつを交わしましたが、お互い前に会った時と同じダウンコート姿なので、続きの物語のよう。時の流れを感じません。
冬の期間中のことですからね。



多摩川にかかる大師橋手前で、右に曲がります。いつもアクアラインを通る時にここで右折するため、大師橋を通る機会はなかなかありません。
気になる橋ですが、今回も通らずにおあずけです。またもチラ見でさようなら~。

○ シェルとシェール

海中に入る前に、ガソリンスタンドに寄りました。
「ガソリンの値段、下がったね~」と話します。
「シェル石油の存在が大きくて…」と、zimaが説明してくれたので、あの黄色い貝のロゴマークを思い浮かべていたら、シェルではなく、シェール石油の話でした。
世界のエネルギー事情を大きく変えるといわれる、目下開発中の、地下深くに埋まっている石油のことだそうです。
「シェールガス革命のニュース、知らないの?」と、zimaは呆れ顔。
海外のシェル石油がすごいという話だと思ったのよー。
ねことねっこ、さるとざる、シェルとシェール、まぎらわしーい。

○ うみほたる



すべるように、車は海底トンネルに入って行きました。
これまで4回、うみほたるを通ったことがあります。そのうち3回はここ1年内のこと。
最近とみに、うみほたるづいているわ。このペースでいくなら、バスの回数券を買っておこうかな。(調子に乗りやすい)

海底トンネルから地表(というか海の上)に出ると、一気に視界が開けて気分爽快。
海には海苔の養殖用の網が見えます。川崎マリエンで、海苔づくり資料室を見学したことを思い出します。



目の前を高速バスが走っていました。
「五井行きですって。わあ、遠い!」と声をあげます。
でもzimaは「千葉中央に行く我々の方が、もっと遠くまで高速に乗って行くんだよ」と言いました。
いつも電車の路線図を見て(五井って遠いなあ)と思っていましたが、うみほたるは東京経由ではない、海を超える道。
木更津から見ると、千葉よりも五井の方が近いんですね。
たしかに五井行バスは、途中のICで降りていきました。

この日の午前中は雨の予報で、車に乗っている間も小雨が降ったりやんだり。空はどんよりとしています。
前回一緒に千葉に行った時にも、天気は良くなかったような。
私たちのどちらかが雨雲を連れてきているのかもしれません。
ただそれを口にすると、お互いの生傷が増えるだけなので、あえて触れずに、車は進んでいきました。

○ 海上山 千葉寺

少し寄り道をしながら、銚子に向かいます。
最初の目的地、千葉寺にたどり着きました。
多少住所の番地が怪しくても、お寺や神社は大きいし、独特の屋根の形をしているので、見つけやすくて便利です。



この辺りは千葉駅に近いので、千葉県一の繁華街かと思いましたが、そんな雰囲気は全くなくひっそりとしている界隈。
その中に、どっしりとした古刹がありました。
時代に取り残されたかのような古い仁王門をくぐります。
予想外に頑丈そうな本堂は、昭和になって再建された頑丈なコンクリ製だそうです。



千葉の中心は、千葉駅ではないんですね。
JRの利用乗客は、船橋駅と柏駅の方が多いそうです。
青森県は青森、京都府は京都、広島県は広島がイチバン。他県民にとってはちょっと意外な話です。
(しかし翌月には、栃木駅前を訪れて、また同じように驚くこととなるのです)

お寺の境内には、村の鎮守の瀧蔵神社もありました。昔の神仏習合の名残でしょう。
千葉の守護神が祀られているそうです。



鐘楼に比べて、下がっている鐘が小さめで、バランス的に気になりました。
「サイズを間違えたのかなあ」「戦後の材料が少ない時に作られたのかも」

ひっそりと降り続ける小雨の中の、ひとけのないお寺。
寒さがしんしんと迫ってきます。

寺務所に行くと、ちょうど法要が終わったところらしく、十数名の参拝者たちが袈裟姿のお坊さんに見送られて出てきました。
ちょっと話がそれますが、「袈裟姿」って、下半分がはしゃいでいる文字ですね。

参拝を済ませて御朱印をいただき、寒さが似合う静かな古いお寺から、さらに北を目指しました。

○ 成田山 新勝寺

次に訪れたのは成田山。
新勝寺はとても有名ですが、まだ参拝したことがなく、かねがね訪れたいと思っていたお寺です。
海外旅行で空港に行く時に、交通安全祈願に寄りたいと思っても、空港からそれほど近くはないし、移動しづらい大きなスーツケースを持っていることが多くて、いつも断念していました。
お寺は成田駅の近くにあります。
というか、お寺の近くに駅が作られました。
だから、交通至便。長野の善光寺と同じです。



思ったより大きなJR成田駅。京成成田駅の前も通りました。
どちらも、電車で通過するばかりだったので、駅前のロータリーを見たのは初めて。
駅前らしく、道路の両脇の花壇に菜の花がきれいに咲いている様子を見て、房総半島の菜の花ロードのことを考えます。
半島の先の方も、きっとこんな感じで春めいているのでしょう。



駅前は、車両禁止道路が多く、慣れない私たちはうろうろしながら、ようやくお寺の近くの駐車場の一つに車を停めました。
ああ、せっかくの新勝寺初参拝なのに、雨なのが残念~。



ここは歴史あるお寺なので、全体的に古めかしさがあります。
とはいえ、広い敷地内には、新しく建築しているお堂もありました。
このお寺は、はじめは小さかったものの、多くの寄進を受けて、どんどんと改築を重ねてバージョンアップしてきているのだそうです。
入り口に始まり、境内には何対もの味のある狛犬たちが奉納されていました。



雨でも人は多く、傘で接触したり、濡れた石段を滑り落ちたりしないように気を付けながら進んでいくと、境内では氷彫刻展が行われていました。
東日本大震災復興記念の氷彫刻展だとのこと。
ウナリを上げるチェーンソーの音が響いています。いま、まさに作っている最中です。



さまざまなモチーフの作品が展示されている中でも、氷の不動明王像には驚きました。
クリスタル・フドウ!きれいです。
お賽銭箱まで氷でできていました。芸が細かい!いくら入っているのか見えちゃう!
透明のお不動様は、心眼でないと見られないような風情がありました。ありがたや~。



せっかくここまでやってきたので、広々としたお堂に上がって、内陣から参拝しました。
zimaは「車につける」と、交通安全のお守りをいただきます。
ここでは、あちこちの建物内で、いろいろな種類の御朱印を書いてもらえると母に教えられていたので、お寺の人に聞いてみたところ、私がほしい御朱印は、別の場所でいただけるとのこと。



教えてもらった、境内の奥の平和大塔に向かいました。
中には大きな不動様の銅像がありました。
市川団十郎の大きな奉納絵も多々あります。
彼はここの不動明王を信奉しており、「成田屋」というのは、ここのお寺にちなんだ呼び名だそうです。

○ 関東三十六不動霊場

平和大塔で、私が求めている関東三十六不動霊場の御朱印をいただきました。
ここ新勝寺が、巡礼最後のお寺。
つまり、ここで結願したことになります。
わ~、やったわ~!!
関東三十六不動霊場巡りは、範囲が広くて、かなり大変でした。
すべて周り終えるまでに、2年間以上かかりました。
御朱印を胸に、じーんと感動していたら、横にいたzimaが
「よし、自分もやろう」とつぶやいて、その場で専用御朱印帳とガイドブックを買い求めました。



ほぼ即決だったので「ええっ、本当に!?」と驚きます。
「家が真言宗だから、不動巡りもいいかと思って」
なるほど。そういうわけですね。
自分としては、巡りきるまで結構大変でしたが、zimaは車も持っているし、運転が趣味だし、平日休みが多い人なので、私よりも格段行きやすそう。



ただここで、衝撃の事実が発覚!
巡礼では、御朱印を紙でいただき、それを綴っていくのですが、お互いにいただいた御朱印を比べてみると、そっくり一緒だと判明。
カラー印刷だとわかりました!これはショック!
そこまで略さなくても~。
「ほかのお寺はみんな手書きしてくれるから、大丈夫だよ(←なにが?)」と、なぜか私がzimaに弁明しました。
それにしても、巡り終えた私とバトンタッチするかのように、zimaが開始するというのに、不動明王の不思議なつながりを感じます。
zima、がんばって!大変だけど、それが修行よ~~。



お寺への寄進者として、小此木通産大臣の名前が刻まれていました。
境内に神社があり、その前の灯篭には「甲賀」と銘打たれていました。
「もしや甲賀忍者が納めたのかな?」「いやいや、忍びなら、さとられないように別名にするでしょう」と2人とも興味しんしん。
近くで見てみると、それは横浜元町の甲賀さんによる寄進でした。忍者じゃなかったー。

○ 成田山の鰻

参拝を済ませて「じゃあ、昼にしよう。ウッナギ、ウッナギ~♪」とzima。
ここに来るまでの車の中でも、ずっとウキウキしていました。
成田山の鰻が有名だということをかけらも知らなかった私は、海鮮が美味しそうな犬吠崎の食事処ばかりをチェックしていました。



「今回の行先が成田に決まってから、鰻を食べようとずっと思ってて~❤」と、声を弾ませています。
いつもとても落ち着いているクールな人が、ここまで心躍らせている様子を見るのは珍しいもの。
ただ、参道には鰻屋がずらりと軒を連ねていて、どの店に入ろうかと悩んでしまいます。
そんなに有名なのね~。私は鰻といったら浜名湖しか思い浮かばないけれど。

○ 川豊本店



マッハの勢いでお店検索をするzima。その指さばきをあっけにとられて見守る私。
結果、老舗の「川豊」に行くことになりました。
お店の前に行列ができているほどの人気ぶり。
店頭には、鰻をさばいて串刺しにする人、炭焼きする人などがおり、昔ながらの手作業の調理法に目が引かれます。







お店は築100年近い純日本家屋の木造3階建て。急な階段を上がる二階の座敷に通されました。
窓際の席に座り、参道を見降ろします。一階からは、鰻を焼く煙が上ってきます。
まるで、江戸時代にタイムスリップしたかのよう。
広々とした店内ですが、お昼どきなのでお客さんでぎっしり埋まっています。
(ここにいる大勢の人々みんなが鰻を食べるんだ~)と思うと、ウナギ消費量の高さに改めて驚きます。

zimaのテンションは、うなぎのぼり。張り切って特上を頼んでいました。
私もその勢いにつられかけましたが、「差はクオリティじゃなくて量だよ」と聞いて、普通のうな重と肝吸いにしました。







う~ん、おいしーーい。味わっている間に、zimaは私よりも多い量をぺろりと食べ終わっています。
えっ、いつの間に食べきったの?

「鰻はおいしかったけど、特上はたれが少なめだった。普通サイズだとちょうどいい量だったかも。
ご飯はいまいちだったね。でもご飯の量は、普通のうな重よりは多くいから、がっつり系かな」
えっ、あなた、グルメレポーターですか?

○ うなぎ語り

店を出て、参道を歩いている間も、zimaはぬかりなくほかの鰻店をチェックしています。
お腹いっぱいになっても、鰻への興味は消えないのねー。
鰻好きの人はよくいますが、ここまで情熱を持つ人はそうそうそういないので、驚かされっぱなし。

結構長い付き合いですが、これまで一緒に鰻を食べる機会がなかったので、こんな一面があることを知りませんでした。
「前からそんなに好きだったの?」と聞いたら、「そうだよ」とのこと。
「学生の時に鰻屋でアルバイトをして、そこで目覚めたんだよ」
なるほど~。専門店でおいしい鰻を食べていたら、それは大好物になりますね。

普段からしょっちゅう食べているそうで、私が「鰻は土用の丑の日ぶり。食べるのは年に一、二度くらいかな」と言ったら、「えっ!少ないよ」と驚いていました。
特にこだわっていないので、普通だと思うけど!?

現地に来て、成田山の鰻が有名だというのはよーくわかりましたが、それでもなぜここで鰻なのかが、腑に落ちません。
浜松の鰻はわかります。浜名湖で育てているからです。
でも成田で鰻の養殖をしているという話は、全然聞きませんね。

ここは、浜松のように地元の名産ではなく、成田山詣りの参拝者に精が付くように、鰻を出したことがきっかけだそうです。
はじめに鰻ありき、ではなく、初めに参拝客ありき、だったんですね。
たしかに、鰻が名産になってる有名な寺社前は多そうですが、ここ成田が商売につなげたんでしょう。



おなかがたっぷり満たされたところで、再び出発です。

その2に続きます。