風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

ルーツサーチと里帰り、はるかなる黄金山へ 2-2

2017-04-24 | 東北
その1からの続きです。

● 塩釜のしおがま

レーちゃんの車で、多賀城から塩釜へと向かいました。
住んでいた頃は、いつもJR仙石線で移動していたので、車だとあっという間に着くことに驚きます。

「しおがま、好きなんだあ」とつぶやくレーちゃん。
そんなに塩釜の町が好きなのかと思ったら、「しおがま」という落雁のことでした。
ちょうど車は、丹六園という古めかしい佇まいのお店の前を通りかかったところ。
看板に「志ほか満」と書かれています。
志ほか満、そういえば食べたこと、ありました。
御主人が外に出て、お客さんのお見送りをしていました。
こうやってきちんとした商品を丁寧に売っているので、老舗はいつの時代も支持され続けるんでしょうね。



街を走っていると、あちこちに「浦霞」の看板を見かけます。
昨日、かっちゃんとさっちゃんに「多賀城のお酒ってある?」と聞いたら「多賀城はないけれど、塩釜に"浦霞"と"一ノ蔵"があるよ」と教えてもらいました。

浦霞って、茨城のお酒だと思っていましたよ。
だって霞ヶ浦があるから!なんだかまぎらわしーい。

● 雨の塩釜神社

そして塩釜神社へ。
ここは、まっすぐ続く202段の長ーい石段が特徴的。
中2の時以来の参拝です。
石段がきつかったことと、参道の途中に団子屋と神馬の小屋があったことしか覚えていません。

「石段、がんばって上ってね」と母からも言われており、ゼイゼイいいながら這い上がることを覚悟していましたが、「駐車場が上の方にあるから、石段は登らずに済むよ」とレーちゃん。
「へっ、そうなの?」と、思わず拍子抜けした声を出したら
「登りたいなら下で降ろすけど」と言われました。
いえいえ、乗せてってー。



塩釜神社は、上に上ると社殿が二カ所に分かれ、もう一方は志波彦神社になります。
正式名称は「志波彦神社鹽竈神社」だそうです。
扁額には「鹽竈神社」の文字。こんな難しい字、書けません!



小雨が降っているのはアンラッキーですが、小ぬか雨が降り注ぐ境内には、幽玄の趣が漂っています。
神秘的で、吸い込まれそう。





春には塩竈桜が咲き誇る境内。
国の天然記念物に指定されてています。
「ピンクで真ん丸で大きいの」大きくて可憐なかわいらしい花なんでしょうね。



下に続く長い石段を、上から見上げます。



小高い場所にあるため、町を一望できます。
津波が港に押し寄せた際に、この神社に逃げ込んで、命拾いした人々は大勢いました。

● ゆかりある神様



母が「塩釜神社は、あなたがおなかにいる時に、安産祈願したところだから、お礼を言ってきて」と言われました。
そうだったんだー。出会いは中2の時だと思っていましたが、生まれる前からここの神さまにはお世話になっていたのね。
レーちゃんも、ここで安産祈願をしたそうです。



塩釜神社には、主祭神の塩土老翁神(シオツチノオジ)と武甕槌神(タケミカヅチ)と経津主神(フツヌシノカミ)が祀られています。
タケミカヅチといったら、私が七五三を行った常陸国の鹿島神宮の神様。
ここ塩釜でもお祀りされているなんて、やっぱりここの神社にはご縁を感じるなあ。

● 狛犬ファン集め

参道のところどころにいる狛犬。
どれも古めかしいものばかり。
一つ一つ見ていって、趣味に任せて「これがこう、あれがああ」と話していたら、レーちゃんは興味津々の様子。
「狛犬って、そんなに違うものなんだねー」
親友が自分が好きなものに興味を持ってもらえるのは、嬉しいことだわ。

拝殿の中には金色の狛犬が鎮座していました。
見るからにつるっとしています。
レ「スフィンクスみたいだね」
私「スフィンクスでいいんだよ。もともとそれが元だし」
レ「えーっ、ほんと!?」

志波彦神社も参拝しました。
イカロスの翼みたいなしっぽをした狛犬がいい感じー。

「狛犬がこんなに面白いなんて知らなかった」と繰り返す彼女。
ふふふ、これで狛犬ファンを一人増やしたわ。地道な草の根活動です。

● 七曲りの坂



表参道の横にひっそりとある、七曲りの小道に差し掛かりました。
親の七光りだと、素直な子供のイメージですが、七曲りだとずいぶんひねくれていそうですね。

つまりは紆余曲折。まるで先が見えない人生だわ。
ハァ~と、ため息をつきながら、「通ってみる?」と問いかけると、「・・・みよう!」と、思わぬ元気な返事。
物静かな彼女は、そんなに冒険はしないタイプかと思っていましたが、ノリノリだったので、ちょっと驚きながらも通ってみることにします。

腰が引けるほど、かなり急な斜面。そうですよね、表参道は長い石段なんですから。
ごつごつした石の道で、気を抜いていると、足をとられて転びそう。
私たちのほかに、誰も通る人はいません。上を見ても下を見ても、急斜面すぎるし、私たちしかいないし、なんだか普通じゃないところをよろけながら歩いているのがおかしくて、二人とも笑いが込み上げます。

はじめは「本当に七回曲がるのか、確かめよう!」と言っていましたが、予想以上の急な斜面に、バランスをとりながら下りて行くのが精いっぱいで、曲がり角を数えている余裕はこれっぽっちもありませんでした。



途中、湧き水がありました。金花水(きんかすい)と呼ばれる泉で、昔から湧きつづけていたそう。
足元に集中していましたが、自然いっぱいの静かな原生林の中を通った、気持ちのいいひと時でした。
七曲坂は、塩土老翁神が通った道だとされている、霊験あらたかな道。
私たちにもいいことあるかしら?

● 御釜神社のおかま

無事に下にたどり着いて、次に向かったのが、御釜神社。
名前が「おかま」なので、住んでいる頃はさんざん親と笑いましたが、実はここが塩釜の名前の元となったという由緒正しい場所。



母に「御釜神社も参拝してね」と言われていた、行きたかった場所です。



ここには「塩竈」と言う地名の由来となった鹽竈神社の神器「神竈」があります。
見たいなあと思いましたが、ぴったり扉が閉ざされており、中は見えないようになっていました。
扉の向こうには4口の御釜(おかま)が安置され、竈の中に張られた水は、干ばつの時にも絶えることがないといわれています。



ここにいた狛犬がまたかわいくて、2人で「これかわいいー!」と大興奮。
今回は狛犬パラダイスだわ~。

● 製塩のはじまり



塩釜の発祥の地というほかに、ここは日本製塩起源の地でもあるそうです。
塩釜神社ご祭神の塩土老翁神(しおつちおじのかみ)が、人々に塩の作り方を教えたそう。
塩じぃは親切な神様なんですね。



辺りを散策してみます。
シンプルなようで、なんだか不思議な形のポスト。



● 浦霞の蔵元

浦霞の蔵元がありました。ここは塩竈神社に献上するお神酒を醸造する酒屋で、300年の歴史があるそうです。
その前は、日本酒のイベント会場になっていました。
そこにいる人たちは、みんなまったりとくつろいでいます。ほろ酔い(か深酔いか)しているんでしょう。



なんとなくスイーツが食べたくなった、お子ちゃま味覚の私たち。
お酒と一緒に売られていないかなと思いましたが、アダルト嗜好の会場には売っていませんでした。
みんな飲み口で、甘いものはいらないのね。

● ニューレトロ

塩釜中心部には津波が押し寄せ、ずいぶん被害を受けました。
そのため、この辺りの町の雰囲気はずいぶん変わりました。
それでも、昔からの御釜神社やしおがま銘菓店、浦霞の蔵が失われなかったのは、不幸中の幸いです。



逆に、かつてはいなかった人力車が闊歩していました。
京都や鎌倉みたい。
何人もの着物姿の人たちとすれ違いました。
こういうニューレトロな観光の楽しみ方が流行ってきているのかもしれませんね。



● 月見カフェ

塩釜神社の参道は、男坂と女坂があります。
表参道の男坂は、まっすぐの心臓破りの石段ですが、女坂はマイルドな曲がりながらの石段。
女坂の途中の旧亀井亭という古めかしい屋敷で、ちょうどこの日月見カフェが開かれると聞いて、行ってみることにしました。
月見カフェなんてすてきな響き。その言葉だけで、無重力気分になれそうです。



私たちが一番乗り。門の外で、やってきた人たちと言葉を交わしながら開店を待ちます。
時間となり、ギギーッと重い音を開けて門が開いたので、中に入ると、そこには古き良き旅館の風情のある建物がありました。



1階にはかつての塩釜の町のジオラマがあり、2階は、広々とした大部屋になっていました。
ガラスの埋め込まれたふすまは、私たちから暗闇と肌寒さを隔ててくれながら、とても雰囲気のあるものでした。



ここにも浦霞や一ノ蔵の樽酒がありました。
お酒どころは、粋な会を開くものですね。



ただ、ここもお酒のほかに売られていたのはチーズや乾きものなど。
やっぱり私たちの求めているスイーツはなかったので、あきらめて外に出ました。
カフェなのに、甘いものがないなんて~。

● 夜の女坂

もう月見ができる夜なので、外はとっぷりと暗くなっています。
先ほど、調子に乗って(?)神社の上から七曲りを通って下まで降りてきた私たち。
車は上にある駐車場に停めているため、登って行かなくてはなりません。

薄明かりの下、雨で光っている石段を、滑らないよう転ばないよう、気をつけながら登って行きます。
予定ではこの日、神社では灯篭祭りが行われる予定でしたが、雨なので中止になってしまいました。
残念ですが、まあ雨もまたよきかな。
思ったほど大変な思いはせずに、駐車場までたどり着きました。
もう停まっている車は数台のみ。

● 牛若丸ごっこ

そこから車で仙塩街道を通って、多賀城に戻ります。

多賀城市総合体育館の前を通った時、「あ、あの時のあの場所だ」とピンときました。
中学ではブラスバンド部でフルートを吹いていた私。
ここの塀の上をフルートを吹きながら歩いていたら、バランスを崩してフルートもろとも転がり落ちたんでした!
大事にしていたフルートに、傷がついてしまったんです。
なぜそんなことをしたんでしょうね。私ったら。
ちょっと牛若丸っぽいことやってみたいお年頃だったのかもー。

母校の中学校の横も通りました。
暗いのでよくわかりませんが、前よりも敷地内に建物が増えたよう。
生徒数は減っていると思うんですが。増えたのかなあ。

● 夜カフェ

さっきからずっとスイーツが食べたい気持ちがあったので、(本当の)カフェによることに。
駅のそばにある珈琲館に入りました。
コーヒーで売っているお店なのに、彼女はカフェインレスコーヒー、私は紅茶と、どっちもコーヒーじゃないものをオーダー。
それに、抹茶クリーム乗せパンケーキ。

お茶をしている途中に、かっちゃんから「もう着いたよー」と連絡が入りました。
さっちゃんのお店で、宴会を始めたようです。
お茶をした後、レーちゃんにお店まで送ってもらい、後日また会う約束をして、彼女は帰っていきました。

● プチ同窓会



「さち」の奥の座敷に、中学で同じクラスだった友人4人が座っていました。
エーコちゃんにヒサッペにエーイチくんにかっちゃん。
「あいつも呼ぼうぜ」とさらにもう一人、サトシくんも増えました。
みんな、2年前のクラス会で再会した顔ばかり。懐かしいです。
今回の私の里帰り(になるのかな?)に合わせて、集まってくれたみんなに感激!

さらに、初めて会う同期のタコさんもやってきて、にぎやかな会になりました。
お客さんの流れが空いたタイミングで、さっちゃんも時々混ざります。



みんな元気そうで何よりだわ~。
震災被災地近い、この中学時の友の無事を喜ぶ気持ちがひとしお強い私。
積もる話に花が咲き、夜遅くまで飲み会が続き、真夜中頃に女性二人がタクシーで帰っていきました。
男性陣は、さらに話が盛り上がっています。

私は次第に眠くなってきたので、カウンターで寝ていました。
毎晩さっちゃんのお店で寝てばかりいます。



深夜2時過ぎに会はお開きになり、再会を約束してお別れしました。
お店の片づけをして、私たちがタクシーで帰ったのは2時半過ぎ。
それからシャワーを浴びてお休みを言い、一人になったのは3時半前。
眠いわ~。これまでの旅最大級の、夜更かしスケジューリングです。
この日も盛りだくさんの一日となりました。

3日目に続きます。


ルーツサーチと里帰り、はるかなる黄金山へ(多賀城) 2-1

2017-04-21 | 東北
1日目からの続きです。

● 瞠目の再会

今日は、中学時代の親友れーちゃんの車でドライブ。
さっちゃんの家の近くの駐車場で、待ち合わせをします。
ウキウキと向かったら、彼女は一足先に着いており、大きな車の前に立っていました。
「れーちゃん!」と声をかけると、黙って大きく見開いた目をこちらに向けます。
(懐かしい再会に、そんなに感激してくれるのかしら)と思ったら、久しぶりの挨拶そうそう「車止めに気付かなくて、ギリギリだったの」と言う彼女。



大きな車の後ろ側に周ると、駐車した車が、壁とぶつかる直前のところで止まっていました。
「うわっ!」と、私も目を見開きます。
きわどいところでセーフ!

そういえば中学生の頃って、お互いのんびりしていた反面、加減を知らずにこんな風にエッジがきいてた毎日を過ごしていたような気がするなあと、ぼんやり思い出します。
そんなところ、変わっていないわー。
驚きが収まったところで、大きな車に乗せてもらいます。
エッジがどうであれ、仲良しの友と一緒ならいいんです。

● 被災5年後の町並み



大きな白い建物の前を通りました。
「ここ、去年新しくできた水族館。」
東日本大震災の津波で大きな被害を受け、惜しまれながら閉館した松島マリンピアに代わってオープンした、仙台うみの杜水族館です。
連休だからか雨だからか、入口には人がいっぱいで行列ができています。
「いつでもすっごい人気なんだよ」

その近くには、大きなキリンビールの工場が。
ハッとして思い出しました。
「そういえば、大震災の時に、缶ジュースやビールが工場からプカプカとたくさん流れてきたんだよね」
「そう、この工場から。突然モノがなくなっちゃった時だったから、みんな助かったんだ」
何も言えなくなります。



いつしか車は、果てしなく大きな畑が道路の両側に広がる道を通っていました。
アメリカのハイウェイのようだと思ったら「この辺は畑じゃなくて、全部流されちゃった所」とポツリと言う彼女。
はっとして見回すと「若林区」の看板が立っていました。
津波の被害が大きかった辺りです。
平地の中に、ぽつんとお社が立っていて、胸を打ちます。



目の前にはうず高く盛られた土。津波対策として、あそこまで土地を上げるという計画でしたね。
でも、見るからになかなか進んでいません。
土地はそのままになっているようです。

彼女は、私に被災地の現状を見せているわけではありません。
ランチをしようと、おすすめのお店に向かっているところなんですが、町が流されてしまい、以前とは違う光景になったためか、なかなか曲がる道を見つけられずに、だだっ広い畑の中を走り続けます。
「ランチのお店が今日やってるか、確認してこなかったなあ。開いてなかったらキリンのレストランに行こうね。
いや、その前にたどり着けるかが問題だけど」と孤軍奮闘しながらハンドルを握っています。
助手席に座っているだけで、力になれずごめんねー。



震災から5年がたちました。その後、1年後と3年後にここを訪れ、震災の爪痕がくっきりと残る町をまのあたりにしています。
当時に比べると、かなり町は落ち着いてきていますが、町全体がなくなってしまった場所もあり、まだまだ復興途中。
減ってきたとはいえ、まだ仮設住宅は残っているそうです。
前は、私たちの卒業中学校の校庭にも、被災した人々が住んでいましたからね。

「ゴエちゃんが猫を飼い始めたんだよ」と、共通の友人の話題になりました。
「聞いたわー。メスなのに名前がニャンタだって」
「どうしてニャンコにしないんだろうね(笑)」

メールでは「また引っかかれた」「腕がボロボロ」などとブツブツ言っていますが、「あの猫、震災猫を引き取ったんだって」と教えてくれたれーちゃん。
ゴエちゃんは優しいのです。

● 風と手と土

すこし雨が降ってきましたが、とうとう道を発見したレーちゃん。
到着したお店は、彼女お気に入りの「風と手と土」という、すてきな一軒家です。
ウッド調のお店はナチュラルな雰囲気。





こ小屋はなんだろう?と気になってのぞいてみたら、コーヒーの焙煎室でした。



● 草刈り部長ユキオ

「わー、なんか白い子がいる」
「ここね、ヤギがいるんだよ」
「ユキちゃんね!」ハイジを思い出しました。



名前はちょっと違いました。「草刈り部長ユキオ」だそう。
これはもしや、草刈正雄を意識したネーミング?

小雨の中、小屋の中にいるユキオを眺めていたら「その子は雨が嫌いなんだよ」と声がしました。
トラックに乗ろうとしているお店の旦那さんらしい方が、こちらを向いていました。
するとユキオは、すぐに小屋の外にとび出て、一目散にその男性のそばへと駆け寄っていきました。



「雨が嫌い」より「旦那さんが好き」の気持ちの方が強いんですね。



男性にじゃれ付き、トラックが去ると、ユキオはまた小屋の中に入ってしまいました。
そっけなーい。もしもし、こっちにも人はいますよー。
お客さんへの愛想は振りまかないのね。

● 手作りパスタに有機野菜



お店の中に入ると、とても居心地がよさそう。木に囲まれると、人って落ち着きますね。
運転から離れてほっとしたれーちゃんと話し始めたら止まらなくなり、注文も忘れて話し込みました。
お店の人が何種類もの手打ちパスタを見せてくれて「どれにしますか?」と聞かれます。



畑で採れた有機野菜のサラダが食べ放題。いいわ~。



私は、クリームエビとワタリガニトマトのソースにしました。
パスタの色が濃くて、味もざらつく食感。手作り感がたっぷり詰まっており、とても噛みごたえがありました。



● 17歳のわたし

おいしくいただいてから、追加でデザートも食べようということに。
かぼちゃモンブランを選んで、さあ食べ始めようという時に、彼女が
「今日はこれ持ってきたんだ」と何かをテーブルの上に出しました。
「リカがくれた手紙だよ」
「!!?」
見ると、私が高校生の頃に送ったものでした。

多賀城には、中2と中3の時を過ごし、中学卒業後に横浜に引っ越したのです。
ウワ~~~!
「読み返すと懐かしくてね。見てみて♪」
そういわれても、私にとっては恐ろしいものが仕込まれている爆弾のようにしか見えず、まったく取り出す勇気がありません。
「まあけっこう面白いから、見てみて♪」

何度も言われて、おそるおそる手に取ります。
たしかにこれは私の字。かつての私です。



でも、でも・・・!
これは近年まれにみる破壊力!
たった一通で、私を見事に打ちのめす最終兵器です。
レーちゃん、あなたはなんと殺傷能力の高いものを持ってきたのデスカ…!

それでも、何度も言われたので、しぶしぶ手に取り、手紙を取り出しました。
うっ、ずっしりとした重みを手に感じます。
最近は、手紙も書かなくなっちゃったなあ。

確かに、17歳の私がそこにいました。
呼吸が浅くなります。かなりパワーゲージは下がっています。
いっそひとおもいに殺ってくれれば!

自分の中で、時空を捻じ曲げるようなかなりの抵抗感覚がありましたが、読み始めてみると懐かしい自分の文字、そして文章に、吸い込まれそうになりました。
17歳の頃の自分と、黙って向き合います。

「ねー。いきなり渡されても困っちゃうよね」
レーちゃんはよくわかっています。わかってて渡したのね。
でも私も同じ。ほかの手紙は無くしても、彼女からの手紙はどうしても捨てられずに、まだ大切に保管してあるはず。
だから、家に帰ったら私も反撃できるのよ~。フフフ。

読み終える頃には、すっかり懐かしさでいっぱいになっていました。
タイムマシンに乗った気分になりました。



が、それにしても、突然過去の自分と向き合うことになったため、心の動揺が激しすぎて、せっかくのカボチャモンブランの味は全くしませんでした。
残念すぎる!食べてから見せてほしかったわ(笑)!

それからも、たくさん話をしました。レーちゃんはお子さんたちが小さかったので、2人きりで過ごす時間は、長いことなかったなあと思います。
中2の時ぶりの2人きりの時間。相変わらず濃密でした。

● 部長のおやつ



お店を出る時、レジのところにニンジンが入ったボウルがあり、「部長のおやつ」と書かれていました。
「これなんだろ?」と笑って見ていたら、それはユキオのものでした。
そうか、草刈部長だったわ。
「どうぞ、あげて下さいな」とお店の人に言ってもらったので、一切れずつもらって外に出ます。
雨が小やみになったからか、ユキオは、外に出ていました。



「ユキオ、おいで、おやつをあげるよ」



夢中で食べるユキオ。ヤギってかわいいなあ。



渋谷にあるヤギカフェが前から気になっていましたが、ここでユキオと戯れられたので、すっかり満足しました。



● 大きなかぼちゃ

庭の手押し車には、大きなかぼちゃが乗っていて「どうぞ」と書かれていました。
昨晩、お客さんから大量のネギをもらってきたさっちゃんに持って行こうと、形のいいものをひとつもらいました。
ずっしり重いわ~。

ドライブ中、モダンなデザインの橋に差し掛かります。



「この橋、なんていうの?」
「わかんない」
「長年住んでいても、興味を持っていないと全く分からないことが多すぎてー」と言っています。
まあ、そんなものですよね。

● 雨の陸奥総社宮

それから、彼女のお勧めの陸奥総社宮に連れて行ってもらいました。
訪れたことがない場所ですが、最近調べて気になっていた場所です。
多賀城跡の横の坂道をどんどん登って行きます。
以前この辺りにうず高く積もれていた、がれきの入った土嚢は、今はきれいになくなっており、どこにもありません。





緑が濃い界隈に差し掛かり、古木に囲まれたお社があらわれました。



ここの狛犬もいいわ~。願い石がびっしり詰まれていて、なんだか石から生まれたようです。



私が喜んで境内をあちこち動き回る姿を、れーちゃんは眺めています。
なぜ嬉しいのかを説明すると「へえー」と。



● 恋人のような老杉

彼女が好きだという神木の老杉を、まるで恋人のように紹介してもらいました。
推定樹齢600年。なんと室町時代からあるそうです。
樹高25.6m、周囲4.88m。すごく太い幹で、大きすぎて、全貌を撮影できません。
まだまだ空に向かって伸びていっているところです。

そばには、推定樹齢220年の江戸時代からある白木蓮の古木もありました。



とても気持ちがいい聖域。社務所に行って、御朱印をいただきました。
対応していただいた、お上品なご年配のおかみさんに「よくまあそんな遠くからお越しいただいて」と喜んでもらえました。

「雨の時に神社に行くって、まずないけれど、これはこれで雰囲気がよくっていいね」とレーちゃん。
私は雨の時も嵐の時も参拝しています。
逆に晴れの日にしか行かないと聞いて、新鮮。

陸奥総社宮ということで、かつての陸奥国内の式内社100社の神様をお祀りしています。
その御祭神の中に「志和彦」「志波姫」という神様がおり、(夫婦かしら)と思いました。
前に志波姫町という地名があったそうです。それは町に志波姫神社があったからだとか。
やぱり神様の名前から来たということですね。



境内には「総社音頭」の歌詞が掲げられていました。
音頭ということは、その歌でみんな踊ったんでしょうね。

なんかこれに似た看板、前に見たことあったっけ・・・。
備中高松城で「水攻音頭」の歌詞を見たことを思い出して、彼女に話すと「水攻め!?」と驚きながらも、ツボにはまって、ずっと笑っていました。

その2に続きます。


ルーツサーチと里帰り、はるかなる黄金山へ(平泉) 1-2

2017-04-20 | 東北
その1からの続きです。

● 平泉中尊寺へ

一関は平泉の近く。ということで、中尊寺に連れて行ってもらいました。
平日なのに駐車場はいっぱいで、ようやくあいている場所を見つけて滑り込みました。
世界遺産効果?



表参道入り口にある月見坂が結構きつくて長くて息が切れて、登山している気分。
「俺、革靴で底がつるつるなんだよね」とかっちゃん。
スーツに合ったピカピカの靴が、ちょっと土ぼこりを受けていました。



伊達藩が植えた杉並木の参道を、さらにぐぐっと登っていくと、木立の合間から見晴らしの良い景色が望めます。
標高130mまで上ってきたのです。天気がいい日で、遠くの山の方まで見渡せました。

● 最澄のともしび

奥州藤原氏初代の清衡が造営した中尊寺。
ここは天台宗の東北大本山で、比叡山延暦寺の「不滅の法灯」が分火されているそうです。
最澄が1200年前に灯した火が、この本堂にもあるんですね。



普段は秘仏のご本尊、丈六釈迦如来坐像が、世界文化遺産登録五周年・東日本大震災復興祈願として、ちょうど御開帳中でした。 
新しいなと思ったら、700年近く本尊がないままで、数年前に新本尊の開眼法要が行われたそうです。



参拝ルートを辿っていたら、途中にスズメバチの巣があるらしく、大回りして迂回路を通りました。
世界遺産も、ハチには勝てないようです。



● 境内散策

ここには、境内のお堂の数がたくさんあります。
何度か訪れたことがありますが、いつも数えきれません。
目の病気が治るとされる峯薬師堂。
ここの目のお守りを、父に渡したことがありました。



手前にある池には、天然記念物のモリアオガエルが生息しているそうです。



うっそうとした杉木立に護られるようにして姿を現す、国宝の金色堂。
中はきらきらとまばゆい極楽浄土の世界です。



塔頭の大長寿院の山門。
趣があります。



金色堂の向かいにある、茅葺屋根の弁財天堂。



雰囲気のいいお堂が並びます。
阿弥陀如来と歓喜天がご本尊の阿弥陀堂。



● 山の中の弁慶

弁慶堂は、地蔵菩薩を祀る愛宕宮ですが、堂内に弁慶像があることから、弁慶堂と呼ばれています。
横には甲冑姿の義経像もいますが、なぎなたを手に立ちはだかっている大迫力の弁慶の方にばかり目が行ってしまいます。
だからやっぱり弁慶堂なんでしょうね。



こんな木の根が張っているので、足元に注意しながら歩かないとつまづいてしまいます。
革靴のかっちゃんが根っこ道を歩くのは大変そう。
牛若丸が修行をしたという京都の鞍馬山の根っ子道を思い出しました。



弁慶堂のそばには、弁慶の顔はめパネルがありました。
山道で、こんな人に会いたくないわ~。
かっちゃんをモデルにしたら、目力が強くて弁慶にぴったり。様になりすぎました!



● 古戦場レストラン

参拝を終えて、再び車で走り出します。
途中「ファミリーレストラン 古戦場」という看板を見かけて「!!!」と思いました。
少し前に川中島を訪れてきたところ。
古城レストランならロマンチックですが、古戦場レストランって、どんなテンションで食事をすればいいの?
しかも、なんとお風呂付ファミリーレストランなんだそうです。
気になる~!

そういえば中尊寺駐車場前レストランには「ずんだコロッケあります」と書いてありました。
「なんかすごい名前だねー」と笑って通り過ぎましたが、食べてみるんだったなあ。
といっても先ほどのお餅御膳がまだずっしりとおなかの中に残っており、まだ全然おなかは空いていません。。

● げいびけいとげんびけい

この辺りには「げいびけい(猊鼻渓)」と「げんびけい(厳美渓)」というややこしい2つの渓谷名所があります。
一関から見て東が猊鼻渓、西が厳美渓だそうです。
2人とも初めてなので、違いが判らず、とりあえず猊鼻渓に行ってみることにしました。



かなり郊外に入っていきます。
「すごい、こんな何もない田舎があるんだなあ」と驚くかっちゃん。
多賀城の人が見ても、確かに驚くでしょうね。

● 猊鼻渓に来たものの

ナビに案内されて、猊鼻渓に到着。
何の前知識もなく来てしまった私たち。
さーて、美しい景色はどこかな~?と思ったら、ここから小舟に乗り換えて船上遊覧する場所だとわかりました。
船旅の所要時間は1時間半。時間が足らないため、乗り場まできておきながら、今回はやめておくことにしました。



でもせっかく来たし、駐車場に車を停めたので、辺りをちょっと散策して、休憩することにします。
川のほとりに「第3回全国川下りサミット記念」の碑があり、川下りを行っている年の名前が羅列されていました。





名を連ねているところで川下りをしたことがあるのは、京都の亀岡、和歌山の熊野川や高知県の中村市、徳島の山城町、福岡県柳川市など。
どれもよかったわあ。ここも乗りたかったなあ。
いつか、古戦場と込みで!



● 猊鼻渓のマンホール

ここのマンホール、かわいい!!



川沿いには、どなたかの胸像。
猊鼻渓というここの名前のもととなった佐藤猊巌(げいがん)という人でした。



そのすぐ隣には手形プレート。これだけ近いと、猊巌さんのものだと思いますよね。
ブブー、違います。きんさん・ぎんさんの手形プレートでした。
お誕生日にここを訪れていたんですねー。
なぜわかるかというと、私も同じバースデーだからです!



● 古巣の多賀城へ

それから車を飛ばして県境を越え、一路宮城の多賀城へ。
一関と仙台は、新幹線でも30分はかかるように、近いようで結構距離があり、車だと2時間近くかかります。
その間、なんども眠くなって、意識を失いました。

とうとう、かつて暮らしたことがある多賀城に着きました。
今回の旅の間お世話になる、友人さっちゃん宅へと向かいます。
かっちゃんもさっちゃんも中学つながりの友人で、同窓会以来となる2年ぶりの再会。
久しぶり~。

● 友人のお店

荷物を置いてから、かっちゃんと彼女の出勤についていきました。
近くの飲み屋街でママさんをやっている彼女。
友人がお水のママって、初めてだわ~。



さっちゃんの(本当の)ママから引き継いだというお店は、その名も「さっちゃん」。
昭和レトロたっぷりの店内が懐かしい感じ。
中学の時からおっとりのんびりしている彼女ですが、お店を一人で切り盛りしているというので、すごいなあと思います。
接客業の全てを一人でやるって、大変なことですよね。
はじめはにぎやかにお喋りしていましたが、その後お客さんがやってきたので、静かにしていました。



● 同業種交流

なにか料理の食材が足りなかったようで、どうするのかなと思ったら「ちょっと待ってて」とお店を出て、すぐに戻ってきました。
「買ってきたの?」
「ううん、隣の店から借りた」
そのお店のお客さんが「さっちゃんにも」とことづかったという、大量のネギをもらっていました。
同業者同士で助け合って、みんな仲がいいんですね~。江戸時代の長屋づきあいみたい。



お客さんが途切れた合間に、いろいろとおしゃべりします。
久しぶりなので、話題はたくさんあるのです。
けれど、日中めいっぱい移動した私は途中で眠くなり、奥の座敷を借りてひと眠り。

再び目を開けた時には、すでにかっちゃんの姿はありませんでした。帰ったのね~。
代わりに近所の病院で看護師をしているという常連さんの女性がおり、ねぼけまなこで挨拶をしました。
真夜中すぎにさっちゃんはお店を締め、常連さんと一緒に3人で隣の飲み屋へ移動。
リアル親子のママさんとチーママさんを紹介してもらって、ここでもごあいさつ。

一杯飲んでから、タクシーを呼んでもらって、3人で帰りました。
常連さんは、近くのコンビニで途中下車。
さっちゃん宅に着いた私たちは、シャワーを浴びてまったり。
さらにおしゃべりをしてから、遅めの就寝となりました。

2日目に続きます。


ルーツサーチと里帰り、はるかなる黄金山へ(一関) 1-1

2017-04-19 | 東北
● prologue

2か月前の夏休みに、青森市役所に行って祖父のルーツを探しました。→「みちのく津軽ひとり旅」
その時に、曽祖父(ひいおじいさん)が、岩手の一関から青森に引っ越していたことが判明。
ご先祖様は、岩手出身だったのかしら。別の親戚もいるのかしら。
その先の手がかりを知るため、今回は一関でルーツ探しをすることにしました。



● 早朝の仙台駅

早朝に降り立った仙台駅。
澄んだ青空が出迎えてくれました。さいさき良さそう。



伊達男、独眼竜!やはりカッコイイ!
竹に雀のモチーフは、伊達家の家紋です。知っている人はわかるんですよ~、ふふふ。



仙台にくると、むすび丸君の単管バリケードがあるんですね~。
よく見ると、カラーではないグレーの部分にも、むすび丸の顔が描かれています。



仙台に来るたびに、いつもほれぼれと見とれる、駅前タクシーの整然とした整列。
シンクロナイズドスイミングを連想する並び方は、この日も健在でした。



仙台の朝焼けを見ながら、このままのんびりしたい気持ちになりますが、まだ移動途中。
電車を乗り換えて、一関に移動します。

● 一関のマンホール

一関に降り立つのは、初めてかもしれません。
まずはマンホール。いいデザインですね。
厳美渓に浮かぶオシドリ夫婦でしょうか。オシドリは市の鳥だそうです。



ハデハデな運転席のトラックが停まっていましたよ。
夜桜お七ならぬ、夜桜銀次郎!
これは、トラックの名前でしょうか?
トラック夜桜銀次郎(機関車トーマス的に)?それとも持ち主の通り名?



● ひいひいおじいさん情報

開庁時間を待って、一関市役所へ。
ご先祖代々の土地に住む人は、一生で一つの市役所しか行かないのでしょう。
でも私は転勤族だったので、小さい頃から母に連れられていろいろな市役所、町役場に行っていました。
だから、自分の戸籍のない、アウェイの市役所でも大丈夫。



前回、青森市役所での依頼の仕方を思い出しながら、直系の証明となる何通もの戸籍を係員に見せて、調べてもらいました。
すると、この市役所には高祖父の戸籍がありました。
ひいひいおじいさん!あなたのやしゃごが戸籍を見に来ましたよ~。

ここでびっくりの事実が判明。
家督を継いだ、曽祖父の兄は、なんと、青森に戸籍を移していたのです。

その際に、自分の父親である高祖父のお墓も、一緒に青森に移したようなんです。
ほかの曽祖父の弟も、移住のタイミングは違いましたが、やっぱり青森に移っていました。
そしてそれより以前の戸籍は、もう存在していませんでした。

「えー・・・?」
事情を話し、一緒に調べてもらった窓口係員と、思わぬ記録内容に、絶句します。
「みんな青森に移っちゃったってことですか?もうここには、親戚は誰もいないということですか・・・」とため息をつく私。
「もともと青森のご出身だったのかもしれませんねえ」と係員。

● ここではなかった

この一関の地には、もう一族の名残は何一つ残っていないということになるのです。
かつて先祖たちが住んでいた辺りは、いまではならされて広大な畑になっており、もはや住んでいる人はいません。
一関まで来たのに、収穫なし…。
いえ、なかったわけではありません。「もう一関には消息は残っていない」ということがわかったわけですから。

うーん、次なるステップは、再び青森に赴いて、高祖父の墓を探すことでしょうか。
できるかなあ。ちょっと自信がなくなってきました。
短期間にすぐには探せない足取り。じっくりと追っていくしかなさそうです。

こんなにご先祖様の消息を追うのが大変だとは思いませんでした。
うちの一族、移動しすぎでしょう。
武家出身だと聞いていたし名前の世襲もしているのに、こんなに一族大移動をしているなんて、名家じゃないどころか、遊牧民みたい。
ああ、タイムマシンがあれば、そのわけがわかるのに。

とりあえずこれで今回の調査は一段落。
一族の末裔の存在を知るか、お墓参りができるかと思っていたのですが、何もできないのが残念です。
友人と会う約束をしているお昼それまでの間、することがなくなってしまいました。
辺りを散策するには、なかなか衝撃が大きくてシビれていたので、休憩室でおとなしく過ごしました。



休憩室の壁には、かまど神の木像がかかっていりました。
どことなくポリネシアン風で、こわいぃ~。
災難除けとか魔除けの神さまって、悪しきものに打ち克つために、見かけが悪の化身のようなこわさなんですよねー。

● 建部清庵

敷地内には、書物を片手にすくっと立つ男性像がありました。
江戸中期の建部清庵(たてべ せいあん)という一関藩医で、名医の誉れ高かったのだそう。
江戸の蘭方医学者の杉田玄白とも親交を結んでいた人だそう。

  一関に 過ぎたるものが 二つある 
            時の太鼓に 建部清庵

と謡わわれていたそう。
ちなみに時の太鼓というのは、当時京都御所・将軍家・御三家に限られていた時を告げる太鼓を、一関藩は幕府から特別の許可をもらって使っていたため、他国から羨ましがられ、郷里の自慢だったそう。
たった3万石の小さな藩に幕府の特別待遇があったのは、藩主田村健顕が坂上田村麻呂の後裔とされていたためと言われているそうです。



● 友人との再会

昼近くに、友人かっちゃんが車で迎えに来てくれました。
スーツ姿がやけに迫力のある彼。
見た目の気迫はすごいですが、とてもいい人なんです。

この日、ちょうど宮城県北部で仕事をしていたとのことで、その仕事を終えて、隣の県の一関まで来てくれました。
わざわざどうもありがとう~。
白いプリウスには、生まれ年のナンバーがついていました。

● 世嬉の一

お昼なので、ランチにしようと、蔵元・世嬉の一(せきのいち)に行きました。



ここは大正7年に創業した、東北最大級の造り酒屋。
今はクラフトビールいわて蔵ビールも造っているそう。
かつて精米蔵だった石蔵を改装したというホールがありました。



古めかしい建物が並ぶいい雰囲気の敷地内。
お酒の民族文化博物館があり、酒蔵見学も行っています。



元は蔵だったため、直売所も天井が高く開放感があります。



● 蔵元レストラン

窯場を改築したレストランは、すべて木で統一されたシックな店内でした。
名前は「せきのいち」。
あ、世嬉の一って、一関を逆にしていた名前なんですね。(ようやく気がついた)





席に座ると、まずお酒の仕込み水がでてきました。
日本酒の味を決めるお水の味を確かめます。
柔らかい口当たりでした。



一本芯が通っていて、とてもゴマをすりそうにない友人が、ゴリゴリとごまをすっている様子は、見ていてなんだか楽しいものがありました。
香ばしい香りが辺りに漂います。



● 餅文化の町

一関では餅料理が有名なんだそう。
なんと、300種類もの食べ方があるそうです。
ということで、一関もち御膳をチョイス。
搗き立てのお餅に、お雑煮のついたお膳がやってきました。



いくつもの味を楽しめる一口餅は、あんこ餅、ずんだ餅、ごま餅、きのこおろし餅の4種類。
どれもつやつやと、おいしそう。
中央にあるのは、箸休めの甘酢大根です。



お正月以外にお雑煮を食べるなんて、なんだか新鮮。
ハレの日の料理ですね。



どの味付けもおいしくて、きれいにいただきました。
食事を終えて、立ち上がろうとしたら、ずっしりと重くなっている身体。
よっこらせっと。さすがはお餅、おなかにたまるわ~。

その2に続きます。


がんばれ熊本・5か月後の町 index

2017-04-13 | 九州
[2016.9.3-6]

◆ 熊本 1-1 ←旅行記へ
 9月に震災後の熊本の友人を訪れた時の話です。
 まだ地震の爪痕が深く残る町。崩れ落ちたお城の石垣に心が痛みます。
 それでも再興に向けて人々は動いており、青森からは復興ねぶた、千葉からはふなっしーが応援に来ていました。
  ● prologue ● テイクオフ ● まずはいきなり団子
  ● さっちゃん宅 ● 嵐の前の外出 ● 崩れた石垣
  ● ふなっしーのエール ● 熊本でねぶた ● 加藤神社へ ● 陣太鼓ソフト 



◆ 熊本 1-2
 お城のそばに、タヌキの像がたくさんある一角がありました。
 「あんたがたどこさ」の歌の舞台なんですね。
 日が落ちてからの復興ねぶたの運行に、地元の人たちも私も大興奮。
 おいしい太平燕を食べて、一日目が終わりました。
  ● タヌキだらけ ● 熊本の武蔵 ● 洗馬橋停留場
  ● 長崎次郎書店 ● こわれた石橋、蛇口から湧き水 ● ふたたび城内へ
  ● 夜の復興ねぶた運行 ● ハーメルンの笛吹きのよう ●  紅蘭亭の太平燕
  ● 金龍堂のカッパ像 ● がまだすばい!



◆ 熊本 2
 この日は台風が熊本を直撃するということで、外出せずに一日家の中で過ごしました。
 それでもやることは盛りだくさん。スピッツのDVD鑑賞に、さっちゃんのおもしろコレクション鑑賞、そしてたくさんのお喋り。
 気がつくと夜になっており、台風は長崎に上陸していました。
  ● 台風接近中 ● スピッツ強化合宿・第2弾 ● いきなり団子
  ● あやしい日本語グッズ ● マツケングッズ ● 直撃回避



◆ 熊本 3-1
 台風から免れた翌日は、からりと晴れた上天気。
 鉄砲小路の緑の生け垣を通って、読めない名前の古い神社を参拝します。
 地震直後に無くなった水前寺公園の池の水が、無事に戻っていました。
  ● 台風一過 ● あとぜき願い ● 階段だけど県道
  ● 無人の原水駅 ● 緑の鉄砲小路 ● 蘇古鶴神社
  ● ゆるい狛犬、こわい門番 ● すだれがけのトラック ● 飛んでゆけ、のぼり
  ● カフェランチ ● いきなり団子の店だらけ ● 水前寺成趣園
  ● 戻ってきた湧き水 ● 武士とくまモン ● 出水は泉 ● そこそこ幸せ


◆ 熊本 3-2
 市電に乗って、清正公を祀るお寺へ行きました。
 立派な長い参道の、おびただしい数の石灯籠が崩れ落ちており、胸が痛みます。
 本堂裏の山にも登り、清正公像と一緒に、市外を見下ろしました。
  ● くまもと「水」検定 ● 熊本の市電 ● 巨大な白楼門 
  ● 参道を歩く ● 痛ましい石灯篭 ● 日参50年記念 
  ● モンスターとのご縁 ● お馬さんの堂 ● お猿さんの堂 
  ● ネバーエンディング石段 ● 市内を見守る清正像 ● 市内一望 
  ● 帰りもつらい ● 昭和なサーティーワン ● あるじの帰還 


◆ 熊本 4-1
 最終日は、福岡との県境にある三池炭鉱・万田坑へ。
 前年に世界文化遺産に登録されたところです。
 日本の産業は、ここで採れた石炭パワーで急発展したんだなあと、明治期に思いを馳せました。
  ● モーニングコーヒー ● 阿蘇か万田坑 ● 三池炭鉱 万田坑【世界遺産】
  ● 2度のガイドツアー ● 山の神だのみ ● 第二堅坑坑口(国重要文化財)
  ● 巻揚機室 ● デビーポンプ ● 三池港・旧長崎税関【世界遺産】
  ● 国内唯一の閘門港 ● 石炭産業科学館 ● 団琢磨と三池港



◆ 熊本 4-2
 三池炭坑見学は続きます。別の坑口にも行きました。
 「月が出た出た」ゆかりの煙突は、ほんとに月まで届きそう。
 自然豊かな熊本の復興を、心から願うばかりです。
  ● 月と煙突 ● 坑内マシン ● 三池炭坑・宮原坑【世界遺産】
  ● 炭都アイス ● 大牟田から熊本空港へ ● 熊本で博多ラーメン
  ● スコールか狐の嫁入り ● epilogue