風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

2019京都の初春 3(京大、四条、錦市場)

2019-05-17 | 近畿(京都・滋賀)
2日目からの続きです。

● 東山通を歩く

3日目-4日目は、京都大学で行われる学会に参加します。
朝早く起きると、気持ちのいい天気。
そこでバスには乗らずに、七条から京大まで歩いてみようと思いました。

京都の中心街を東西に横切る通りは、一条から十条まで数の名前がついています。
私が歩くのは、智積院~清水寺~八坂神社~熊野神社~京都大学を結ぶ、いつも車が混雑するルート。
その京都府道143号、別名東山通(東大路通)を歩いて行きます。

距離は5キロ、歩くと1時間ほどかかる予定。
バス通り沿いなので、途中で無理だと思ったら、そこからバスに乗ればいいですね。
では出発~。思ったよりも歩きやすい道で、嬉しくなります。
出発地点の智積院付近は、京都駅から緩やかな坂を上った小高い場所にあるため、祇園まではゆるやかな下り道が続いて楽なのです。

● 朝の消防訓練

東山消防署では朝から隊員たちが訓練をしていました。



ここ、いつも通るたびに大がかり練習をしています。
消防隊員は常日頃、訓練を重ねているのかしら?バス通りだから目に留まるのかな?


知恩院の参道



琵琶湖疎水と十石舟


朝なので、車道も歩道もまだ混んでいません。
快適に歩き始めてからちょうど30分で、東山駅前に着きました。

● 京都大学吉田寮

さらにまっすぐ道を進み、熊野神社前を越えて、1時間ほどで京都大学に到着。
撤去問題で噂になっている学生自治下の吉田寮は、思ったより新しい感じ。



希望者は見学もできるようです。
建物を眺めながら、森見登美彦の小説『四畳半神話大系』のカオスな空間を連想していると、学生が寮から出てきました。
神話大系に取り込まれそうになったので、そろそろと後ずさって元の通りに戻りました。

● 京都大学の時計台

京都大学に到着。1年ぶりの百周年時計台記念館。



去年も京大の学会に参加しましたが、今回はポスター発表をします。
受付の人に「先生」と呼ばれて、慣れない呼び名にドキドキしました。

● カフェ・コレクション

午前中は口頭発表に参加し、昼には顔見知りの人たちとランチ。
森見登美彦の小説にも登場する、農学部前のカフェ・コレクションに行きました。



森見さんはたらこパスタが好きだったようですが、私は名物のオムライスを注文。
巨大なオムの登場にビックリ。これで680円というコスパの良さに、二度ビックリ。



店内はシックですが1Fは喫煙OKというのが、古くからの喫茶店ぽい感じ。
みごとに愛想がない店員ばかりで、塩対応の洗礼を受けます。
これもまた学生街っぽい感じ。



カフェの本棚にあったのは坂口安吾作品集で、森見作品はありませんでした。
モリミー、がんばれ!

● ポスターセッション

ビッグなオムでおなかいっぱいになって大学に戻ります。
午後はポスターセッション。
始まるまではガチガチに緊張していましたが、いざ発表時間になってみると、大勢の人に説明をし、受けた質問に答え、意見交換をしているうちに時間が経ちました。
終わってみればあっという間の体験。
A1サイズのポスターをしょってきた甲斐がありました。
結果オーライでよかったよかった。
(でも写真を撮る心の余裕はありませんでした!)

● モダンな大学寮

発表が無事に終わり、その後の参加者セッションに参加して、この日のプログラムは終了。



もう日が暮れかかる時間になっていました。
帰りのバス停には、参加者たちの長い行列ができていたので、連れの参加者2人と出町柳駅まで歩いていくことにします。

レトロモダンな建物がありました。
京都大学YMCA会館の地塩寮です。
大正2年、ヴォーリズの設計。
素敵ですね。吉田寮よりもこちらに入りたいなあ。



連れのリクエストで、鴨川の土手道を少し歩いてみることにしました。
「神田正輝がいるかもしれない!」と言うので
「え、カッパみたいに?」と驚いて聞くと
「いやいや、棲んでるわけじゃないから!」と笑われます。

なんでも2時間推理ドラマで、事件解決後に神田正輝と片平なぎさがのんびり鴨川のほとりを歩くエンディングシーンが多いんだそう。

でもこの日は風が強く、とても寒い日。
ピューピュー吹きすさぶ川風に、身体の芯から冷えます。
「寒くて無理!正輝もなぎさもいないよ!」
地下の京阪ホームへの階段に避難しました。

● 繁華街で遭難

そのまま京阪に乗って四条駅で降り、新京極へ向かいます。
歩いている途中、ふと足を止めました。
あの居酒屋は、たしか池田屋だった場所に建ったもの。
前に「坂本龍馬 遭難の地」を訪ねたことがあったのです。



京都を歩いていると、ところどころに「●●遭難の地」と書かれた碑があります。
遭難とは、山奥で方角を見失って力尽きることだと思っていましたが、こんな街の中でも遭難するものなんですね~。
「難に遭う」という文字通りの意味なのでしょう。

● インパクトパフェ

そして、パフェ専門店のようなカフェ、からふね屋珈琲を見つけました。



一見おしゃれなお店ですが、パフェに、エビフライが載ってる~~!!??
よく見ると、ほかにもたこ焼きとか、アメリカンドッグが載っています。
あれやこれや、スゴすぎ~!



こちらの画像は一見マトモに見えますが、右上はかぼちゃ、右下は大学芋。
どうしてこれでパフェを作ろうと思ったの…?

● ナイトミュージアム

錦市場に着きました。タコ焼きを食べようと、カリカリ博士に行きましたが、お店は少し暗い照明になっていました。
「材料がなくなったので、今日は閉店です」と言われてがっかり。
周りにはまだたこ焼きを食べている人が大勢います。
あと5分早く着けば、食べられたかもしれないと思うと、なおさら残念。

早い時間から賑わう錦市場。夕方には多くのお店が店じまいしています。
賑やかな時にばかり歩いているので、夜になるにつれぐっと寂しい通りになるとは知りませんでした。
ところで、さまざまなお店のシャッターに伊藤若冲の絵が描かれていることに気がつきました。


「鳥獣花木図屏風」


まあすてき!彼は錦市場の八百屋のボンボンだったんですよね。
これなら、お店に入れなくても、シャッター通りを楽しめます。まるでナイトミュージアム。


「竹虎図」



「樹花鳥獣図屏風」


● ディナー難民

お次に、錦市場を突っ切った先にある讃岐手打ちうどんの英多朗に行きました。
ところが行列ができており、「50分ほどかかります」と言われたので、あきらめました。
うどん屋さんで50分待ちってー!飲みタイムになっているのでしょうか。



さて、それならどの店に行こう。
土曜日の夜なので、町は賑わい混んでいます。



からくり時計が上がっていくところでした。
調べてみたところ、ここは四条堺町通りにある野村証券京都支店。
そのビルにからくり時計が掛かっています。
最後の一瞬しか見られませんでしたが、定刻になると、和のBGMが流れて、祇園祭のシンボル、長刀鉾が登場するのだそう。
2時間おきに見られるそうです。

● 玉さま公演

3人で何を食べようかと考えながら、人混みに揉まれて四条大通りを東へ。



鴨川を渡ったところにある南座では、坂東玉三郎特別公演が開催中。
玉さま~!チケットがあったら、観に行きたーい!

● おかるのうどん

「おかる」といううどんやさんに入りました。
場所柄か、店内には外国人のお客さんもちらほら見かけます。



舞妓さん行きつけのお店だそうで、ずらりと舞妓さんの名前が書かれたうちわが並んでいます。



逆側の壁には、有名人のサインがびっしりと飾られていました。
そのほとんどが芸人さん。
本気か冗談か、ジャルジャルの色紙には「おかるさんへ」ではなく「かおるさんへ。あ、ごめんなさい」と書かれていました。



その中に、ピスタチオのサインを発見。
イトコがファンなので、パチリ。(でもここでは割愛します、笑)

祇園名物、ちーず肉カレーうどん(キツネ入り)をいただきました。
辛口が苦手な私は、外でカレーを食べると、思わぬ辛みの洗礼を受けることがありますが、ここのは出汁がおいしく、濃すぎずマイルドな味で食べやすかったです。



店員さんたちは全員男性で、近くに出前もしていました。
外国人客の「相席じゃなくて2人席がいい」といった注文もちゃんと理解していました。英語理解力ばっちり!

● 夜カフェの巨大スコーン

食後のお茶をしに、再び鴨川を渡って四条通りを西に戻り、ティーハウス リプトンに入りました。
ここはロイヤルミルクティーを日本で初めて提供したサー・トーマス・リプトンのティーハウス。
京都のみ、3店舗しかないようです。東京にはありません。



英国クリームティセットを頼むと、紅茶とスコーンが出てきました。
そのスコーンの大きさにびっくり。
ちょっとこれ、相当巨大じゃない?
イギリスで食べたスコーンも、こんなに大きくなかったけど?



でももちろん嬉しいことです。ほかほかの暖かいスコーンに、この店オリジナルのマスカルポーネとクロテッドクリームを混ぜたクリームとイチゴジャムをつけて、いただきました。
連れは、ケーキも頼みましたが、これでもうおなかいっぱい。



ケーキと比較すると、大きさがわかるでしょう。

10時近くまで夜カフェを楽しんで、宿に戻りました。
部屋のこたつの中で、のんびり温まってから寝に着きました。
明日はもう発表はないので、気楽です。

4日目に続きます。


2019京都の初春 2-2(大原、山科、東山)

2019-05-16 | 近畿(京都・滋賀)
その1からの続きです。

● 春を待つ大原へ

修学院から京都駅方面には戻らず、さらに北の方へ向かうバスに乗りました。
国際会館駅前で、大原行きのバスに乗り換えます。
空には雲がたちこめて、冬に戻ったかのように寒さが増してきています。



大原は、京都中心部以上に寒く、まだ春は遠い感じですが、この辺りののどかな山村田園風景が好き。
ここに来ると、リフレッシュできるのです。



周辺のお寺はすでに参拝済み。
今回は細道をてくてく歩いて、行き先を決めずに散策しました。



自然豊かで、とっても気持ちいい散歩道。
「遠くへ行きたい」の郷愁あふれるテーマソングが頭を流れます。



「乙が森」の木々に囲まれるように、龍王大明神の碑がありました。
ここは大原の大蛇伝説に根差した場所です。

● のどかな山村風景



水が張られた田んぼ。とても静かな光景です。
美しいなあと、立ち止まってしばらく眺めます。



電線が全くありません。この辺の人は、電気はどうしているのかしら。
川べりで、子供たちが遊んでいるのが遠くに見えました。



三千院や寂光院など、お寺のイメージが強い大原ですが、ちゃんと神社もあります。
車通り沿いの小ぢんまりとした梅宮神社を参拝しました。

● 再び山科へ

大原を後にし、バスから地下鉄に乗り換えて、京都駅に出ました。
八条口から、昨日と同じ山科急行便に乗ります。



ふたたび高速道路に乗り、大石神社バス停で降りました。
向かったのは、なかとみ保育園。

昨日探せなかった中臣神社ですが、あとで調べたところ、少し離れた場所にあるようだと判明。
そこで、再訪してみることにしたのです。

● 中臣神社を発見



辺りは観光地色の全くない、普通に人々が暮らす界隈。
周辺住民の方々に怪しまれない程度にうろうろ散策していると、児童公園の片隅に小さな祠の中臣神社を見つけました。
やっぱりあったわ。調べ方が足りなかったようです。
もっと粘り強くいかないとね!



ご祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と天児屋根命(あめのこやねのみこと)。
倉稲魂命は稲荷神で、天児屋根命は中臣氏の祖神です。

小さい祠ながら、山科神社の神輿の「御旅所」になっており、関連性を感じます。
中臣神社と中臣遺跡や藤原氏先祖の古代豪族中臣氏との関係については、まだよくわかっていないそうですが、地元ではこの辺りは「藤原鎌足の没した地」と伝えられているとのことです。

● 扇子・仏具団地

前の日に標識を見かけて(えっ?)と思いました。
扇子・仏具団地ですって。
東京の浅草にも仏壇ストリートはありますが、団地ってすごくないですか?
一大集合地ですね。



近くに清水焼団地もあることですし、この辺りは団地ばっかり?
気になって、歩いてみました。
たしかに、仏具に関連するような会社の看板が通り沿いに続いていました。

「京都伝産仏具工芸協同組合」のサイトに、説明がありました。
約40年前に、優秀な技術者が山科に集まり、佛具団地の歴史が始まったそうです。
木地師、彫師、漆塗師、箔押師、錺金具師、総合組立といった伝統的工芸品の製作を12社で行っており、日本の主な寺院や神社の神佛具はこの団地で造られたと言っても過言ではないのだそう。

● 花山稲荷神社

それから昨日気になりつつも訪れなかった、花山稲荷へ。
少しわかりづらい場所にあり、何回か道を迷いながらたどり着きました。



狛犬と枝垂れ桜。桜が見られてうれしい!
ここだけ一足早く春がやってきたようでした。



「花山神社」が正式名称ですが、「花山稲荷神社」と言われています。
903(延喜3)年に醍醐天皇の勅命により創建され、宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)・神大市比売大神(かむおおいちひめのおおかみ)・大土御祖大神(おおつちのみおやのおおかみ)をお祀りしています。

神社建立前は、ここに弥生時代後期の円墳があったのだそう。
この地は中臣遺跡の北端であるため、円墳は中臣遺跡と関係があるといわれています。
山科に、中臣氏は切っても切り離せない存在なんですね。

ここは「とうらぶ(刀剣乱舞)」ゆかりの神社です。
平安時代中期の代表的な刀工、三条小鍛冶宗近は、ここで一条天皇の宝刀「小狐丸」を鍛え上げたとされています。

● なるほどザ・ワールド鈴

参拝しようとガラガラを鳴らす時、鈴になにか文字が書かれていたので(なんだろう?)と目を凝らしてみました。
「なるほどザ・ワールド」と書かれていました。



なぜ?どうして?びっくり。
番組に登場したとか、なにかつながりがあるんでしょうね。
いきさつをご存知の方は、どうぞ教えてください!



ぐるりと回ると、裏は竹林。
本殿の後ろには、「大石良男公奉納の鳥居」と書かれた木札がかかっていました。



江戸時代には、大石良雄(内蔵助)が山科隠棲時、この神社にたびたび参詣して仇討ち計画の成功を祈願したと伝えられています。

● 粟田神社

前の日に行けなかった二つの神社を参拝できたことに満足して、また京都の中心部に戻りました。
「とうらぶ」つながりで、三条小鍛冶宗近の「三日月宗近」、粟田口藤四郎宗近の「一期一振」のゆかりの地、東山の粟田神社にも行ってみることにします。



長い石段参道を通っていった先に、立派な拝殿がありました。
ご祭神は建速素戔嗚尊(たけはやすさのおのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)で、厄除け・病除けの神と崇敬されている神社。



絵馬には、とうらぶのイラストがずらり。
神社の辺りには、平安時代から室町時代にかけて著名な刀の名工が多く住んでいたそうです。



● 鍛冶神社

帰りがけに、石段下の駐車場内にも末社があることに気づき、参拝しました。
その姿を見た辺りの女子たちがあっという間に駆け寄ってきて、参拝後に振り向いた私の後ろには長い行列ができていました。
その勢いにビックリ。
ここは鍛冶神社。刀の神様天目一箇神(あめのまひとつのかみ)と共に、名刀の匠、三条小鍛冶宗近と粟田口藤四郎宗近が、刀剣の神様として一緒に祀られている、とうらぶで最も大切なところだそうです。



アクセス至便のこの神社には、見るからにファンという感じの、ハートの目をしたうっとり女子がたくさん。
お父さんや彼氏がそれにつきあってあげていて、(優しいなあ)と思います。
ゲームがもととはいえ、刀剣や神社巡りをしている、ヘルシーな趣味ですね!

あとになって、鎌倉在住の知り合いのお姉さまも、とうらぶファンだと判明。
AKBならぬ「AWT48」(AWT=粟田神社!)なるアイドルグループがあることを、教えてもらいました。
うは、すごい。奥深い世界です。
帰ったらいろいろ教えてもらわなくちゃ!

● 最後の白川小学校

神社を出てバス通りに出たところにある、京都市立白川小学校。
貼られていたポスターにふと目をやると、なんと廃校が決まったそうで、「さよならの会」が昨日行われたばかりだとわかりました。
まあ、寂しいわ。京都東山駅のそばなので観光客は増えているはずですが、在住の子供は減っているのでしょうか。



もう子供が通わない学び舎。跡地には、ホテルやミュージアムなどを備えた複合施設ができるそう。
すっかりなくなってしまうんですね。
形が残っているうちにと、記念に一枚撮りました。

● 六孫王神社

そろそろ日が傾いてきました。
京都駅の南側に移動し、東寺そばにある六孫王神社へ向かいます。
駅から近い割にバスの便が悪くて、これまで訪れたことはありませんでした。



「清和源氏発祥の地」といわれ、「源氏三神社」の1つに数えられる由緒ある神社。
「六孫王」と呼ばれた清和天皇の孫が祀られているのが、名前の由来です。



ちなみに、源氏三神社のほかの二つは、多田神社(兵庫県川西市)と壺井八幡宮(大阪府羽曳野市)。
どちらも訪れたことはありません。



境内の神龍池の側には、六孫王(ベイビー清和天皇)の産湯に使ったと云われる、誕生水弁財天社がありました。

● 優しい京都の人

昨日、山科で「ここはバス通りですか?」と女性に尋ねたら、「そう。バス停の場所を教えてあげる」と、大石神社バス停のそばまで一緒に着いてきてくれて、丁寧に乗り方を教えてくれました。
今日、六孫王神社のバス停時刻表と時計を交互に見ていた私に、立って待っていた女性が「もうすぐ来ますよ。ほら」とスマホのアプリ見せてくれました。
今回の京都では、毎日親切な地元の人に助けてもらっています。
京都人は筋金入りのイケズと言われますが、そんなことありませんね。



日が落ちたので、この日の観光はここまで。
寒さが増して凍えてしまう前に帰ります。
京都駅のタワーの明かりを眺めて宿に戻り、こたつにもぐりこみました。

3日目に続きます。


2019京都の初春 2-1(修学院)

2019-05-15 | 近畿(京都・滋賀)

1日目からの続きです。

● 前乗り後降り方式

前日は結構動き回ったため、夜は疲れてぐっすり寝ましたが、2日目も早く目が覚めました。
夕べから吹いていた強風は、朝起きてもまだビュービューとうなり声をあげています。

朝、100系統のバスに乗ろうとしたら、オレンジ色のビブスを着た市バスの人に「前から乗ってね」と言われました。
京都市バスは、後ろから乗って前から降りる方式ですが、一週間前から「前入り後出方式」の導入を始めました。
私が普段使っている横浜市内中心部のバスは前乗り方式。
一律料金なら、そちらの方が断然いいと思います。



ただ導入し始めたのは、いつも混んでいる人気の100系統のバスのみ。
それ以外のバスは、従来通り後ろから乗車します。
乗客の混乱を避けるためですが、前乗りと後乗りの両方の乗り方があるのがややこしい。
走り込んで乗ろうとした外国人が「ノーノー」と係員に止められて、乗車自体を止められたと思ってあきらめて去っていく様子をバスの中から眺めていました。
英語で説明しても、乗車拒否されたのかと焦る人の耳には、届きにくいかもしれません。

● 震える寒さ

東京はぽかぽか陽気ですが、京都はこの日も震えるほどの寒さ。
ダウンを着ている人も多く見かけます。
持ってきた服を着込みましたが、それでも足りないくらいです。



途中で一回バスを乗り換えて、修学院離宮道で降りました。
これから、初めて修学院離宮を見学します。
張り切って1時間も前に到着したものの、20分前にならないと受付が始まらず、中に入れてもらえません。
北風が寒い~。
じっとしていると冷え切ってしまうため、赤山禅院の方まで散策して、時間がくるのを待ちます。



離宮の前には、素晴らしく立派な蔵がありました。
重厚な観音開扉。梅窓がおしゃれ。中に入ってみたーい。

● 修学院離宮

時間になり、ガイドツアーが始まりました。
ガイドの野村さんは、奈良出身の自称ギバちゃん似の男性。
よくとおる大声の関西弁で、少し離れていても説明が聞こえてきます。
毎朝京都御所から自転車で通っているとのことです。


馬車が通れるように広げて両側に松を植えたという道


とても広く、見学ポイントは3つのエリアに分かれています。
私たちの最後尾から、皇室警察官がついてきます。



桂離宮では、茶室の縁側や柱以外のあるものほぼすべて、おさわり禁止でしたが、ここではエリアの境となる門や扉を開け閉めして移動します。
後ろの人のために扉を開けておいてあげる時も、(さわってる...)とちょっとドキドキ。



● 広大な敷地

ここは面積54万平方メートル。
「辺りを見渡す限りの景色は修学院の敷地ですよ。向こうに見えるあの山も」と教えてもらいます。
「一番遠くの山は比叡山なので、さすがに別の管轄ですが」
借景を利用して、さらに広々と見せる効果を出しているそう。



広い~。
でも那須の御用邸はここの20倍あるんだそうな。
もう想像できませんね。上には上があるものです。



日本庭園ランキングで毎年第1位に選ばれる足立美術館も、ほぼ同じ広さだそう。
桂離宮も庭園の評判高い場所ですが、足立美術館には勝てず、万年2位なのだそう。



客殿一ノ間の飾り棚は、大小5枚の棚板が霞がたなびいて見える「霞棚(かすみだな)」。
桂離宮の桂棚、醍醐寺三宝院の醍醐棚とともに「天下三棚」の一つとして知られています。

● 桂離宮との違い

ここは後水尾上皇が(桂離宮のような別荘を自分も持ちたい)と願って作ったもの。
桂の8倍の広さを持つのは、うらやましかったから?

小堀遠州がデザインしましたが、斬新すぎていまいち気に入らず、結局上皇自らが作り直したとか。
かなりの凝り性ですね。
造園状況が気になってたまらない上皇は、休みの日も女装までして庭の様子を見に来たんだそう。
天下の上皇がそこまで・・・。すごすぎる・・・。
変装してもバレバレだったため、作業員は手を抜けないと思ったのか、5年という異例の速さで完成したそうです。



桂離宮の庭園は細かく計算されて作られた緻密なもので、ファンも多いそうですが、修学院は自然をベースに作られており、かなりタイプが違います。
また桂離宮には宿泊施設がありますが、修学院にはなく、日帰り用の施設なんだとのこと。
大変ここが気に入っていた上皇は、年に数回は滞在し、40回近く訪れた時もあったそうです。


階段の先には行けません



進入禁止の石が置いてあります


敷地内に田圃があり、耕す人の姿が見えました。
8万平米の田畑を、近所の農家の人20名に貸して耕してもらっているそうです。



地名について教えてもらいました。
勉学にいそしむようなイメージの「修学院」ですが、元々修学寺(しゅがくじ)というお寺があり、それが地名になったそうです。

● かずかずの雑学

いろいろな雑学も教えてもらいました。
菊の御紋を使えるのは、天皇のみですが、桐の御紋の使用規制はないのだそう。



「みなさん、輿(こし)と籠(かご)の違いって言えますか?」
うーん、なんでしょう?
「輿は上に乗るもので、天皇の乗り物。籠は下にぶら下げるもので、将軍以下武士の乗り物です」
なるほど、そうなんですね。



ここには日々山に生息する様々な自然動物がやってきて、動物園状態なんだとか。
敷地内にはあせび(馬酔木)がたくさんありますが、鹿が食べないので繁殖しているそうです。

● 美女の話

ガイドさんが、宮内庁施設に訪れた大勢の見学者の中でも印象に残っている、美しい女性の話をしてくれました。

茶室

まずは女優の夏目雅子。
本名で申し込まれ、肩書を聞いたところ「舞台女優」と答えられたそうです。
「ここに座って、池を眺めていたら、風が吹いて、彼女の髪を揺らしていきました」
映画のワンシーンのようだったことでしょう。



チャールズ皇太子とダイアナ妃が皇太子に案内されて見えたこともあるそうです。
小さなあずまやにダイアナ妃の帽子が当たって日差しが落ちた瞬間、一斉にマスコミがパシャパシャとシャッターを押したそう。
「もちろん、そうした写真はお蔵入りになりますけどね」



● 龍が泳ぐ池

一番絵になる場所は、やはり池のあたり。
浴龍池といって、龍が泳ぐ様を模しているのだとか。
池の中の小島には茶室もあります。







1時間45分 たっぷり説明してもらい、いい時間を過ごせました。
桂離宮を見学した時には、前後にほかの見学グループが見えましたが、ここは全く見えません。
きっと違うエリアに行っているのでしょう。



● 鷺の森神社

その後、道を教えてもらって鷺の森神社へ向かいました。



「お旅所」になら何カ所か訪れる機会がありましたが、なかなか参拝できずにいた場所。
高い樹々の林の中にある、静かな神社でした。



そのまま林を抜けていったら、くねくね道になり、方角がわからなくなってしまいました。
困って、近くの家の前にいた人に尋ねて、バス通りへの行き方を教えてもらいました。
京都の人はイケズだと聞いていますが、右も左もわからなくなった私にとても親切でした。

その2に続きます。


2019京都の初春 1-2(山科、御陵)

2019-05-14 | 近畿(京都・滋賀)
その1からの続きです。

● 中臣遺跡

岩屋神社参拝後、まっすぐ伸びる参道を通ってひたすら西へ歩いていきました。
きれいな川を超えます。
山科盆地を流れる宇治川の支流、山科川です。


番所橋から。江戸時代に奉行所があったのでしょうか。


道路沿いの信号横に、中臣遺跡がありました。
地図で見つけて、気になった場所です。
ここは旧石器時代(約2万年前)から室町時代(約500年前)にかけての大規模な集落遺跡だそう。
古墳出現前後の集落跡と古墳時代後期集落跡が中心ですが、有力豪族・中臣一族の拠点となった場所のため、中臣鎌足の館があった可能性もあるといわれています。
遺跡から出土した竃(かまど)の復元模型がありました。



あれ、でも・・・鎌足は鹿島の人じゃなかったの?
茨城の鹿島に住んだことがある私にとって、中臣(藤原)鎌足は幼稚園児の時から知っている、身近なおじさん。
調べてみたところ、彼は奈良か鹿島出身と言われているそうです。
山科ではなさそうですが、名を上げてからここで暮らしたのかもしれませんね。

地図には中臣神社の名前も出ていますが、なかとみ保育園があるきりだったので、先へ進みます。

● 坂上田村麻呂墓

「文の菅原道真、武の坂上田村麻呂」といわれる、坂上田村麻呂(811年没)のお墓もあります。
彼も、幼稚園児の時から知っているおじさんです。
夏になると、親の実家の青森でねぶたを見ていた私。
祭りの最優秀賞は「坂上田村麻呂賞」という名前だったので、まる覚えしていました。



ねぶた祭りではすっかりおなじみの賞でしたが、坂上田村麻呂は蝦夷制圧をした征夷大将軍。
ねぶたの起源に関係する人だといわれますが、地元にとって彼は征服者で逆賊だという声もあり、いつの間にか賞の名前は「青森県知事賞」に代わっていました。
将軍から県知事になって、なんだか軽くなっちゃった気が…。まあでも仕方がないですね。

子ども心に青森の人かと思っていましたが、彼は陸奥に出兵してきた京都の人。
それでも彼が建てた清水寺には、彼が捕まえたアテルイとモレの碑が立っています。

彼のお墓は、今では別の場所にある西野山古墓だという説が有力だそうですが、それでもここで手を合わせました。

● 折上稲荷神社

折上(おりがみ)稲荷は、明るい雰囲気の神社。
稲荷信仰の神である倉稲魂神(うかのみたまのみこと)のほか、保食命(うけもちのみこと)、 稚産霊神(わかむすびのかみ)がご祭神。
「伏見稲荷の奥の宮」とも呼ばれます。



角ありの狛犬がいいですね。



賭け事祈願の寶(たから)大神。目立ちます。
お金持ちになれなくても、ぎりぎりお金に困りませんように!



● 日本のシンデレラ

ここは「日本のシンデレラ」と言われた、モルガンお雪が信仰した神社だそう。
どこかで聞いたことがあるけれど、はて誰だろう?と思ったら、アメリカの財閥創始者J・Pモルガンの甥と結婚した祇園の芸妓さんだそう。
彼女が寄進した鳥居のほか、境内にはさまざまな開運物が鎮座し、地図を片手にハッピーアイテム巡りができるようになっていました。



ここも中臣遺跡のエリア内。境内の稲荷塚古墳は古墳群・中臣十三墳のひとつとされています。
その稲荷塚にあるひょうたん大神は、モルガンお雪が特に熱心にお参りしたところだそう。
青いひょうたんの置物がありました。



モルガンお雪が座った腰かけ石。
うーん、ここは本当に、お雪さんの存在感がすごいです。

● 大石神社

さらに西に向かい、先ほど山科急行バスで通った大石神社バス停を超えて歩いていきます。
この辺りは、大石内蔵助が隠遁した地。



ご祭神は大石内蔵助良雄公。赤穂藩御家断絶後、筆頭家老だった彼は明石を離れてこの地に移り、事件の善後策を講じたそう。
閑静で人目につきにくく、交通に便利な山科は、同志が集まるのに便利な土地だったそうです。
元禄時代に起こった忠臣蔵赤穂浪士の討ち入り(1701年)は、たびたび映画やドラマになっていますが、この大石神社の歴史は意外に新しく、創建は昭和10年です。

● ポニーの花子

大石神社には神馬がいました。ん?なんか小さい。仔馬かな?



午前中に参拝した上賀茂神社では、神馬は白馬であることが必須条件で、いま神社にいるのも堂々とした体躯の白いサラブレッド、神山号。
でも、ここの境内にいるのは…灰色ポニー!
でも、ポニーって神馬になるの?
神山号を見慣れていた私は、ちょっとしたカルチャーショックにおそわれます。
名前は花子ちゃん。名前からして、神々しさよりも親しみ感にあふれています。
小さい!かわいい!



神様になった大石内蔵助が、このポニーに乗る姿を想像して、なんだかほっこりします。
「足が地面に着いちゃうよー」みたいな。

上賀茂神社の神山号は、とても大切にされており、おさわりはNG。
参拝者が餌をあげる時には、神社の人がそばについていますが、ここは見回しても神社関係者の姿はありません。
むしろ「花子にあげてもよいもの」という表示があり、餌やり全面オッケーです。

小さな男の子が持ってきた葉っぱを、むしゃむしゃと食べるポニー。
完全に牧場の一コマです。

男の子に首を撫でられても、花子ちゃんは慣れているのか、まったく怒らず、草を食べるのに夢中です。
男の子がいなくなると、私の方に「草ちょうだい」とやってきましたが、私、手ぶらで来ちゃったわ~。
なんの餌も持ってこなかったので、不満げに柵から首を出して、かすかに生える草をかじりはじめました。
神馬なんですから、そんなにがっつかないで…!

● 男でござる

本殿の横には義人社がありました。
討ち入りの道具を支援し、奉行所の拷問を受けても「天野屋利兵衛は男でござる」といって口を割らなかった堺の商人が、神様になって祀られていました。
赤穂浪士の映画でもよく出てくる人ですね。

毎年12月14日の討ち入り日に開催される義士祭の写真が飾られています。
先ほど参拝した折上稲荷神社は華やかな女性っぽさにあふれていましたが、こちらは一転して、硬派な男っぽさムンムンの神社です。
みごとなほどに対照的!

● メタボ解消祈願?

大石内蔵助の銅像には、願い札がたくさん貼られていました。



お札に書く願いの例として「家内安全」などと並んで「メタボ解消」と書かれていました。
う~ん、そこは自分で何とかしよう!とクラノスケも言ってるはず!
失職して浪人になっても、討ち入りに命を懸けた四十七士はメタボじゃなかったでしょうからね!

大石神社の隣に岩屋寺、そして山科神社があり、どれも近道があったので、続けて参拝しました。

● 岩屋寺

先ほど参拝した岩屋神社から3.5キロほど離れていますが、名前が似ている岩屋寺。
神遊山という山の名前がいいですね。やはりここも大石内蔵助ゆかりのお寺で、大石寺とも呼ばれています。



ご本尊の不動明王は、彼の念持仏だったそうです。
ご住職は代々尼僧が勤められており、女性の方が、見学者を内部案内していました。

境内本堂の下に、内蔵助が討ち入り前の一年四ヶ月間を過ごした閑居跡があります。
彼お手植えの梅が、ちょうど花を咲かせていました。


上には梅が咲いていましたが入りきらず...


根元の立て看板には梅の花を見て詠んだ最後の句が書かれていました。

● 山科神社

宇多天皇の勅命により創建された山科神社は、山科一ノ宮とも呼ばれてきました。
岩屋神社は、山科神社の奥の院とされていたそうです。
ご祭神は、日本武尊とその御子の稚武王(わかたけのみこと)。



ぐぐっと急勾配の坂を上った山の中腹に神殿があり、ハーハー荒い息を立てながら参拝します。
その奥には、さらに山の上へと続く山科トレイルの細道が続いていました。


イノシシ注意!


● 清水焼団地

忠臣蔵ゆかりの地の散策を済ませたあとは、バス停に行き、今度は別ルートのバスに乗ります。
2つ先のバス停アナウンスで、近くに清水焼団地があると聞いたので、川田バス停で降りてみることに。
辺りをきょろきょろ見回しましたが、特にそれらしい団地は見あたりませんでした。

後で調べたところ「ひばりが丘団地」のようなドドーンとした団地ではなく、工房や製陶所などがその辺りに集まっている界隈だそうです。
それに私が降りたバス停の辺りには、そうした店々はありませんでした。
ちゃんと調べてから行くんでしたね。

清水焼は、清水寺への参拝道ぞいにいくつもお店があります。
あのあたりに窯があるものと思っていましたが、どんどん手狭になったため、作家や窯元といった製造業者がまとまって山科に移転したそうです。

● 山科駅へ

次の山科駅行きのバスを待って、今度は終点まで。

山科駅はJRと京阪と地下鉄が入る便利な場所ですが、駅前で降りても、バス停の表示しかなく、地下鉄がどこにあるのかわかりません。
ロータリーを超えてあっちに行ったりこっちに行ったり、同じ場所を何往復もうろうろ。

地図もなく、手掛かりがつかめなかったため、結局京阪の人に聞いて、地下鉄への行き方を教えてもらいました。
地下鉄には、建物横のエレベーターから下がっていくのでした。
(表示がなくて、地元の人じゃないとわかりづらい~)

● 本圀寺へ

ひと駅乗って、となりの御陵駅で降ります。
どうしてこれで「みささぎ」と読むのか、わかりません。

次に向かうのは、本圀寺(ほんこくじ)。
時間は5時10分前になっていたので、急いで向かいました。



緩やかな坂をせっせと上っていくと、じきにインクラインが見えてきます。
気持ちのいい散歩道。



そこにかかる擬宝珠(ぎぼし)のついた朱橋を渡ると、お寺の門が見えてきました。



到着後ほどなく、境内の鐘が鳴り響きました。
ゴ~~ン!!
大きな音がしたので、振り向くと、鐘はオートマチック。
無人で動いています。近くにお坊さんの姿が見えるんですけどね。

● まばゆい境内

ここは以前、鐘も橋の擬宝珠も金色に輝く黄金の寺でしたが、今は色が戻り、ずいぶん落ち着いています。
それでも、加藤清正公を祀る清正宮の鳥居はキンキラリン。
外国人カップルが写真をたくさん撮っていました。インスタ映えしますからね。



今回の旅で、後日合流する同僚たちが「御金神社をお参りするつもり」と言っており、すでに参拝済みの私は(じゃあ私は金の鳥居のある別の所に行こう)と、ここに向かったわけです。



九頭竜弁財天を、大迫力のゴールデンドラゴンが護っていました。



四方から写真を撮っちゃいました。全方向キラキラゴ-ジャスです。



● 鎌倉から移った大本山

でもこのお寺、金づくしが売りというわけではありません。
ここは、鎌倉にある日蓮宗最古の寺院、大本山妙本寺が移転した、由緒正しい日蓮宗大本山なのです。



先ほどは、川崎大師の京都別院に行きましたが、ここも鎌倉の方が最初。
鎌倉の妙本寺はよく訪れる場所なので、こちらの存在も気になっていました。

当時の幕府があった鎌倉で、日蓮上人は布教を熱心に行ったため、今でも日蓮宗の寺院が多くあります。
その後、室町幕府に変わって都が京都に移ると、時の天皇が荒廃した鎌倉から京都に大本山を移すように命じたのだそう。
そういう理由だったんですね。



「おとぼけの龍」でございます。


おひょいさんみたいな顔つき


由来が描かれていないかとキョロキョロ探しましたが、わかりませんでした。

● 御陵参り

お寺を出て、琵琶湖疎水を見ながらくねくね細道をたどって車道にでました。
今度は天智天皇のお墓に向かいます。



これがあるから御陵駅。
古墳時代末期の、京都で一番古い天皇陵だそうです。
天智天皇、つまり中大兄皇子といえば飛鳥時代のクーデター、大化の改新。
そこも中臣鎌足とつながります。



御陵の敷地で、お寺で会った外国人カップルとすれ違いました。
私が出た後もまだ本圀寺に残っていたので、車道に出ずにお寺から行けるルートがあったと判明。
彼らの方が道に詳しかったようです。

● こたつ和室

地下鉄で二条城まで行き、外に出ると、お城はライトアップされていました。
今日は、いろいろな歴史ゆかりの場所を尋ねたなあ。さすがは歴史の町京都です。



アップダウンのきつい日だったので、旅行初日ながら、足はもうくたくた。
宿に戻ります。今回滞在するのは和室で、こたつが備え付けてあります。
わー、こたつなんて久しぶり。しんしんと底冷えする京都の夜、こたつに入るともう出られません。
就寝までぬくぬくとあたたまって過ごしました。

2日目に続きます。



2019京都の初春 1-1(上賀茂、山科)

2019-05-13 | 近畿(京都・滋賀)
● prologue

3月21日春分の日。京都にやってきました。
4か月ぶり。そしてちょうど1年前にも訪れています。
梅の盛りが終わって桜が咲く直前という頃合いで、去年も桜の花は見られませんでした。
用事ありきの日程なので、仕方がありませんが、願わくは、遅咲きの梅と早咲きの桜が見られますように。

● 寝過ごして終点へ

初日は京都観光一日乗車券を持って、早朝から活動を始めました。
宿泊先は七条にある宿。まだどこも開いていない中、上賀茂神社に行くことにしました。
でも、暖かいバスの中でうとうと眠ってしまい、はっと気づいた時には次は「終点、西賀茂営業所です」というアナウンスが流れていました。


西賀茂営業所そばの鴨川。上流の方です


西賀茂営業所まで来たのは初めて。
まあ、夜ではなく総長の寝過ごしなので、いくらでもやり直しはききます。
せっかく来たので、寝ぼけまなこで近くを流れる鴨川を見下ろしてから、逆方向のバスに乗り直しました。
今日は、あいにくの曇り空。

● 上賀茂神社へ



早朝7時の上賀茂神社にやってきました。
まだ、ほとんど人はいません。



神馬舎はカラですが、今日の日中はいるようです。
ところで神馬も「出社する」って言うのね。なんだかサラリーマンっぽいなあ。


みんな大好き、神山号


普段なら、人が大勢いるため写真を撮ると映り込んでしまいますが、朝早いと撮り放題。
広い境内を歩いているうちに、雨がポツポツと降り始めました。



すぐ止むかと思って雨よけに帽子をかぶりますが、それではしのげないほどザーザー降りになってきました。
もともと少なかった境内の人は、ほとんどいなくなります。
不安になるほどの激しい雨。お参りを済ませたあとは、急いでバス停に戻ります。

バス停には屋根がありますが、外の道路にはあっという間にいくつも水たまりができました。

● 出町ふたば

やってきた京都駅行のバスに乗り、出町柳まで来た頃には8時半になっていました。
ちょうど「出町ふたば」が開店する頃なので、行ってみようとバスを降ります。



店の前にはすでに10人の人が待っており、列ができていました。
祝日の開店直後からこうなんて、すごいなあ。
列に並び、豆餅を2つ包んでもらって、鴨川へと向かいます。



雨はずいぶん弱くなりました。
鴨川デルタには早朝からなにかのグループが集まっていましたが、気にせず先端の方に行きました。

● デルタ de 豆餅



ここでさっそくいただきまーす。
お餅は作りたてが命。今は暖かくやわやわとしている豆餅も、時間がたつほどに風味が失われ、堅くなっていくものです。
ずっしりとした重みのある豆餅ですが、おいしくて2個ぺろりといっちゃいました。
ああおいしかった!



鴨川デルタに立つと、京都に来たんだなと実感します。
あいにくの雨ですが、少しずつ止んできたので、亀岩を渡ってバス通りへ向かいます。


濡れていたので、滑らないかとヒヤヒヤ




● 山科へ

降ったりやんだりしそうな空だったので、いったん宿に戻り、傘を持って再度出発。
朝はがら空きだったのに、9時台にもなるともう町は観光客で混み始めています。
春分の日ですからね。

祝休日には、なるべく人が集中する有名観光地に寄らないのがベター。
そこで、山科方面へ行ってみることにしました。
これまで「そうだ京都、行こう」で紹介された毘沙門堂に行ったことくらいしかないエリアです。

京都駅のインフォメーションセンターでバスの乗り場を聞き、八条口側に出ました。
ホテル阪急前で待っていると、京阪の山科急行バスがやってきました。
車掌さんが一人ついていて、2人体制。

バスは南に向かい、初めての道を通っていきます。
鴨川の橋の上にある、十条相深町(鳥羽街道駅)のバス停。
見晴らしがよくて、バスを待つのに楽しそうですが、嵐の時や川が増水している時にはかなりハードな乗り場になりそう。
(そんなときにはバスも欠航しますね!)



なんと、バスが高速(阪神高速8号京都線)に入ったので、ビックリ。
山科ってそんなに遠い場所なの?
そんなことはなく、長い稲荷山トンネルの向こうは、もう山科の里でした。

かつて山科は、京都の人に別の地方だと思われていたそう。
住民も、京都というより、大津とほとんど一緒という感覚なのだそう。
近いのに、独特の気持ちの距離があるんですね。

● 岩屋神社

山科は静かで落ち着いた雰囲気。京都中心部からさほど離れていないのに、確かにがらりと空気が変わります。
まずは岩屋神社へ。
1日乗車券がぎりぎり使えるエリア内のバス停で降りて、そこからテクテク歩いていきます。



石段を登りつめたところにあった、堂々とした構えの神殿。
凛とした空気がみなぎっています。



狛犬の目が、こっちを見てる~。
ひょうきん?こわい?
うーん、怖いかも!



境内の手水舎に目が留まりました。
一見普通に見えますが、両側にベンチがあり、あずまやのよう。
参拝者は、ここで一息入れて、世間話に興じたりするのでしょうか。



舞殿の奥に神殿があります。
普通は大回りしていきますが、ここは舞殿の間に通路があり、まっすぐ歩いて行ける構造になっています。
いいのかな。真ん中を通りますよ・・・。
いよいよ参拝します。



参拝者用の芳名帳を開けてみると、見事にほとんど山科の人ばかり。
たまーに大津の住所がある程度です。
そこに、遠い自分の住所と名前を書いたら、あまりに浮いてしまい、ヨソ者感タップリでした。



● 奥の院へ

奥の院に巨石が祀られているとのことで、向かいます。
かなり勾配がきつい山。鳥居が上までずっと続いています。



山はかなり荒れていて、あちこちで倒木していました。
手入れされていないのでしょうか。



荒れた木々の間を縫って歩いて行きます。
道も山も荒れていて、ワイルド~!



倒れてしまっている鳥居もありました。
ここにきて、はたと気づきます。
これはおそらく、去年の台風21号で受けた被害なんですね。



岩屋神社の本殿にさえ誰もいなかったわけですし、山の中に入ったら、なおさら誰もいません。
みごとに独りぼっち。



でも孤独なんて噛みしめている余裕のない、ハードな傾斜を登っていきます。
ほかのことを考えて足元への集中が欠けると、山道を踏み外してしまいそう。



● 陰石

じりじりと上に上っていくと、まずは陰石がありました。
隕石ではありません。陰石です。
小山ほどに、大きな石です。
傾斜途中で足場が限られているため、岩全体はファインダーに入りきりません。
すごい迫力に圧倒されます。



● 陽石

さらに上に上がっていくと、今度は陽石がありました。
陰石と同じくらいの巨石。
もう山と一体化していますが、ここだけ岩石。
こんな巨大な一枚岩が、山の上にあるものなんですね。不思議でなりません。



もともと、約千百年前の宇多天皇の時代に、この二つの大岩を磐座として祀ったのが岩屋神社の起こりとされています。
人の力では到底作りえない、自然の威力を目の当たりにしました。

● 川崎大師京都別院



岩屋神社の本殿から奥の院へ向かう途中に、川崎大師京都別院、笠原寺があります。
歴史的な重みから、寺社関係は京都がナンバーワンだという雰囲気がありますが、ここは川崎大師の別院なんですね。



母が毎月通っているお大師様は、私にとってもなじみ深いお寺。
なので、ここ京都でもお参りします。



ところで川崎大師は真言宗智山派で、その総本山は、京都七条にある智積院じゃなかったかしら。
となると、ヒエラルキーは
智積院(京都東山)>川崎大師(川崎)>笠原寺(京都山科)?
うーん、ややこしや。考えると複雑になってくるので、とりあえずお参りします。



本堂を参拝後、周囲をぐるりと回って鐘をひとつき。
重々しい響きが反響して、長い尾を引いて辺りに響き渡りました。

その2に続きます。