怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

義父さんよ、携帯電話を使うのは諦めたほうがいいのではないか、だいたい必要なさそうだしぃ~

2017年11月21日 | カテゴリー分けするのに飽き
義父がこんな本を読んでいる。

4,5年前に私がスマートフォンに替えたとき、それまで使っていた携帯電話を義父にあげた。
新しい物事にいつも挑戦する義父、使いこなそうと説明書を熟読。それは素晴らしいとは思うのだが・・・
私は説明書をよく読んでからその品を使う人々をちょいと警戒する。そういう傾向の人物ととても親しくなることはまれだからだ。
使いながら説明を読む、というのが理想だったが、携帯電話やタブレットはもう、ちゃんとした説明書など存在しないものね。
義父には信じられない世の中の傾向だろう。

さて、この写真にある本はiPhoneの入門書だ。その脇に置かれている私のお下がりの携帯電話はガラケー。(おっと、ガラケーとは日本でスマートフォンが登場する前の普通の携帯電話って意味らしいけど!)
「これは違います」とアドバイスするのもかわいそうだ。
どんな本を読んだらいいのかまで判断できなくなっている。すでに義父は携帯電話に全然付いていけていない。
「ガラケーの使い方」なんて本、存在しないだろうし。

ときどき私の携帯電話に通話する練習をするのだけれど、実際に用事に使ったことはまったくなし。
通話でさえあらかじめ練習が必要なレベルの携帯電話操作知識だ。
「用事があるときは電話するから。使わないときは電源切っておく」と言い残して外出する義父。
そ、それじゃあ携帯電話の意味が無いではないか、と何度言っても彼はわからない。電源入れておくと電池が減る、という感覚しかないんだ!

そんな携帯電話の使い方を(使っていないのだけど)している義父、それで生活が成り立っているのだから、もう携帯電話にこだわる必要はないのではないかい?
週に数度、卓球クラブの指導に行っている義父だ。自分以外のほぼ全員が携帯電話で何か操作しているのを黙ってみているだけではつまらないのかな。
家に戻ると、りすがなにやら背中を丸めてちゃかちゃかと携帯をいじっているし。(義母、夫はやらない)

義父が携帯電話を使いそうな場面を想像してみた。
義父、卓球の練習の帰りに(午後10時ごろ)車で事故を起こす。
ウチに連絡をいれる。
早速、電源を切る。
音信不通・・・

いっそのこと、持ってもらわないほうがもしものときにイライラしなくていいかもしれないぞ~