先ず最初に訪れたのは真鍋邸。
真鍋氏の分家に当たる家で、庭先には樹齢250年と言われる“ホルトノキ”の大木
が立っていた。 平賀源内が讃岐に苗木を持ち込んだものがやがて真鍋島に伝えら
れたと言われている。 一見するとオリーブに良く似ている。
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真鍋家のホルトノキ | 葉と実(H18.12.14 向島にて撮影) |
真鍋島は沖合いにある島だけに、海上交通の安全や大漁を願って、
・恵比寿神社(祭神は大国主神の子の事代主神、福の神、漁業の神として信仰)
・金毘羅神社(祭神は大物主神、漁業航海の神として信仰)
・石鎚権現 (祭神は石鎚大神、海上安全、大漁の神として信仰)
などが祀られている。
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港のそばの恵比寿神社 | 港のそばの金毘羅神社 |
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南西部にある阿弥陀山の石鎚権現 |
その他にも、何故か天神社(祭神は菅原道真、学問の神として信仰)も祀られてい
て、境内には梅の小木が可愛い花を咲かせていた。
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北西端の天神社鳥居 | 天神社 |
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境内の白梅 | 境内の紅梅 |
島の西端の沢津丸と言う所には“まるどう様”という石塔が立っている。
源平合戦で滅んだ真鍋氏の供養をする為に平安末期頃に建てられたと考えられてい
るそうだ。
その隣には“まなべ之碑”という面白い石碑も立っている。
昭和56年に“全国まなべ会”が結成され、10周年を記念してこの記念碑と千人碑を
建てたのだそうだ。
趣旨は、真鍋島を発祥とするまなべ姓の人達の融和と親睦を図り、系譜や業績を調
べ、祖先を崇敬すると共にそれを子孫に伝える事だと言う。
各県に支部があり、今でも各地で毎年1回全国大会を催しているそうだ。
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島の西端にある“まるどう様” | まなべ之碑 |
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千人碑 |
もう一つ面白いものがあった。
南西部の阿弥陀山(標高:121 m)の山頂の、一等三角点の隣にある“山の神”の
小さな祠で、私にとっては初見参だった。
山の神は一般に女神であるとされ、しかも恐ろしい存在として位置づけられていた
事から、自分の妻の事を恐妻だと謙遜して“山の神”と呼ぶようになったとか。
(我が家には、掛け値なしの“山の神”が居て本当に恐ろしい!)
しかし、本来は、
・農民の間では、春になると山から降りて田の神となって田を守り、秋には再び山
に戻るとして信仰され、
・山の民にとっては、自分たちの仕事の場である山を守護する神として信仰されて
来たそうだ。
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一等三角点 | 山の神の祠 |
この他にも島の東部には、真鍋城址、庵寺、五輪石塔群、八幡神社などもある。
全部回っても周囲が7kmほどの島なので、日を改めてゆっくり回って見たい思い
がした。
(島名の由来と真鍋氏の歴史)
備中国小田郡の南端(真南辺)にある島という意味で、後に真鍋の字が当てられた。
平安時代末期には、真鍋氏一族が水軍の根拠地を置き、周辺の島々はおろか四国地
方にも広大な荘園を持っていたと伝えられている。
しかし、源平合戦で平家方についた真鍋氏は滅び、島を見渡す標高85mの高台に
真鍋城趾が残るほか、島の西端に真鍋氏供養の為に建てたと伝えられる石造宝塔な
どの史跡が残っている。