里山の山野草

里山と山野草の復活日記。

正戸山

2008年02月28日 | 歴 史
私の家の南、嘗ての村はずれに“正戸山”と言う小さな丘がある。

昔、毛利元就の“正戸山城”があったらしいが、昭和時代初期にはここへ天皇陛下
を迎えて陸軍の大演習が行われたそうだ。
そこで、未だ一度も行った事が無かったので久しぶりに暖かくなったのを幸いに
歩いて行ってみた。

昭和天皇は福塩線の踏み切り近くでお召し列車を降り、愛馬に乗り換えられたとい
う事なので、先ずそこからスタートした。 
単線運転なので線路内でウロウロしても誰からも文句を言われない。長閑なものだ。


北上すると直ぐ“正戸山”
が見えて来る。
 
標高が49mの可愛い山だ。





なだらかな丘を登ると平坦な所があり、“御下馬所跡”という碑が立っており、
頂上には“御統監之趾”と書かれた大きな石碑が建てられていた。
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頂上近くの御下馬所跡(→石碑)頂上の御統監之址

眼下には多くの家並みが見える。
嘗ては殆ど田ばかりだったのだろうが、収穫の終わった昭和5年11月にこの田園
地帯で大演習が行われ、それを天皇がこの丘の頂上から見学されたのだそうで、演
習の行われた場所は、その後“御幸町”と名づけられた。


その頃の世情と言えば、
・昭和4年にウォール街の株価大暴落によって引き起こされた世界恐慌により日本
 も深刻な経済不況に陥っていて、
・それを打開する為に植民地を持たない日本としては、英国・フランス・米国など
 の列強に習い、中国大陸を植民地化する事が唯一の手段であると考えられるよう
 になり、昭和6年には満州事変を引き起こし、やがて世界を相手に太平洋戦争に
 突入した時代だ。
正戸山に於ける演習も正にそういう戦争に備える為の演習だったわけで、中国侵略
と言い、列強との戦争と言い、今から考えると随分無謀な戦争をやったものだ!

長閑な風景を見ていると、二度とこのような不幸な戦争を起こしてはならないと、強く感じた!